第85話「消えた航路」
「……始まった」
レオンの言葉が、まだ耳に残っていた。
塔を降りた後も、誰も口を開かなかった。
船は静かにグランデルへ向かっている。
だがその静けさは、嵐の前だった。
エリスはずっと海を見ている。
さっきの光景。
二つの情報。
揺れる船。
それでも進んだ航路。
「……信じる」
小さく呟く。
だが。
それは簡単ではない。
港に戻った瞬間。
現実が襲いかかる。
「報告!」
「混乱が発生しています!」
「航路選択にばらつき!」
声が飛び交う。
通信塔。
人が溢れている。
「基準航路を避ける船が増加!」
「黒海寄りも増えています!」
エリスの顔が固まる。
「……もう影響が」
早すぎる。
男の言葉通り。
「選ばせる」
それは、分断を生む。
ガルドが苛立つ。
「ふざけやがって」
カイナは静かだ。
「上手いね」
その一言。
レオンは動かない。
ただ聞いている。
「保険組合からの報告!」
「リスク評価が揺らいでいます!」
「数値が安定しません!」
エリスが机を掴む。
「……当然です」
声は落ち着いている。
だが中は違う。
「前提が崩れている」
安全と危険。
その定義が揺らいだ。
「このままでは……」
言葉が続かない。
信用は数字だ。
だが数字は、信じられなければ意味がない。
その時。
新たな報告。
「基準船団、第七隊」
一瞬の間。
「通信途絶!」
空気が止まる。
「位置は!?」
「……不明!」
エリスの顔から血の気が引く。
「そんな……」
ありえない。
通信網は維持されている。
塔も確認済み。
なのに。
「消えた?」
ガルドが呟く。
レオンの目が細くなる。
「最後の位置は?」
「基準航路上です!」
沈黙。
それは最も安全なはずの場所。
「……ありえない」
エリスの声。
だが現実はある。
「捜索を出せ!」
ガルドが叫ぶ。
船が準備される。
だが。
カイナが言う。
「待って」
全員が彼女を見る。
「これ、ただの消失じゃない」
低い声。
「見せてる」
エリスが振り向く。
「何を?」
カイナは海を見る。
「“消える”ってことを」
その言葉が刺さる。
レオンが静かに言う。
「記録院か」
カイナが頷く。
「たぶんね」
エリスの手が震える。
「……航路が」
「存在しないように見せられる」
理解が進む。
背筋が冷える。
「そんなことが……」
レオンは答える。
「可能だ」
短い言葉。
「情報を支配していればな」
沈黙。
つまり。
船はいるかもしれない。
だが誰も“見えない”。
誰も“知らない”。
それは。
「存在しないのと同じだ」
エリスの声が震える。
信用の前提。
「記録されること」
それが崩れた。
ガルドが低く言う。
「どうする」
レオンは答える。
「見つける」
「どうやって!?」
エリスの叫び。
それは初めての感情だった。
焦り。
恐怖。
レオンは言う。
「情報じゃない」
一拍。
「現実で追う」
沈黙。
カイナが笑う。
「久しぶりだね」
「感覚の世界」
エリスが息を呑む。
「……そんな」
だが理解する。
情報が信用できないなら。
見るしかない。
「全船、目視捜索」
レオンが指示を出す。
「通信に頼るな」
「海を見ろ」
その言葉が広がる。
船が動く。
目が海に向く。
その頃。
遠くの海。
霧の中。
一隻の船が漂っていた。
基準船団、第七隊。
傷ついている。
だが沈んでいない。
乗組員が叫ぶ。
「誰か!」
「見えないのか!」
だが応答はない。
通信は送っている。
だが届かない。
存在しているのに。
存在しない。
その現実。
船長が呟く。
「……消された」
恐怖が広がる。
その船を、
遠くから見ている影があった。
黒い外套。
静かな目。
「記録から外れたものは」
小さく呟く。
「存在しない」
そして振り返る。
「次だ」
情報の戦いは、
さらに深くなる。
そして今。
信用は、
根本から揺らぎ始めていた。
“情報から消される”という新しい脅威が出てきました。
ここからは「存在とは何か」というレベルの戦いに入ります。
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次話、さらに一段深く潜ります。




