第31話「守るという選択」
カルディア王都。
石畳の市場は、以前より静かだった。
魚は並んでいる。
パンも焼かれている。
だが、声が小さい。
「帝国が来るらしい」
「港が封鎖されるとか」
噂は、事実より速い。
リオネル・カルディアは、執務室で報告書を握り締めていた。
「資本流出、三%増」
「商会が保険料上昇を理由に撤退検討」
三%。
数字としては小さい。
だが小国にとっては、致命傷の始まりだ。
側近が、静かに言う。
「帝国は正式に接触を求めています」
リオネルは目を閉じる。
「条件は?」
「帝国通貨の採用」
「教義の承認」
「港湾使用権の一部提供」
従属。
だが、即時の安全も保証される。
「協議会は守ってくれるのか?」
誰も答えない。
艦隊は、カルディアの港に常駐していない。
保証基金も、砲弾を止めない。
窓の外。
民が不安げに空を見上げる。
母親が子を抱き寄せる。
商人が在庫を減らす。
恐怖は、静かに生活を変える。
その夜。
帝国使者が密かに訪れる。
長衣に金の円環。
「帝国は敵ではない」
穏やかな声。
「秩序をもたらすだけだ」
リオネルは、拳を握る。
「協議会は、選択を尊重すると言う」
「選択とは」
使者は微笑む。
「生き残ることだ」
沈黙。
「帝国は反抗を許さない」
「だが従う者は守る」
恐怖と安心が、同時に提示される。
「三十日を待つ必要はない」
使者は続ける。
「帝国通貨を部分採用するだけでよい」
「教義は名目だけで構わない」
柔らかい侵食。
リオネルの心が揺れる。
翌日。
協議会へ送る報告書の文面を前に、彼は迷っていた。
“帝国との暫定合意を検討中”
その一行を書けば、楽になる。
港は守られる。
民は安心する。
だが。
それは協議会の亀裂になる。
執務室の扉が叩かれる。
若い兵士が、震える声で言う。
「領主様、民衆が集まっています」
広場へ出る。
民の代表が前に出る。
「戦争は嫌です」
「守ってください」
単純な願い。
だが重い。
リオネルは、初めて理解する。
信用は、長期の力だ。
恐怖は、即効性の力だ。
今、求められているのは――どちらか。
夜。
彼はペンを持つ。
“帝国との予備交渉を開始する”
その文字を書きかけ、止まる。
頭に浮かぶのは、円卓の光景。
レオンの言葉。
「守るとは、今すぐの平穏か。長期の自立か。」
ペン先が震える。
守るとは何か。
リオネルは、まだ答えを持っていなかった。




