第29話「海の向こうの旗」
最初に戻ってきたのは、帆だった。
白ではない。
王国でも、ノルディクスでもない。
黒。
港の見張り台が、鐘を鳴らす。
「未確認船団接近!」
グランデルの港は、静かに緊張した。
レオン=アルヴェインは、埠頭へ向かう。
遠く、霧の向こうに浮かぶ影。
重厚な船体。
三段の砲列。
鋼で補強された船首。
そして、中央に掲げられた旗。
黒地に、金の円環。
見たことのない紋章。
「……外洋だな」
ガルドが低く言う。
やがて、一隻が前に出る。
砲門は閉じている。
だが、威圧は隠さない。
小舟が下ろされ、使者が上陸する。
長衣。
金属装飾。
胸に刻まれた円環紋。
「我らは、アル=ゼルディア帝国」
声は、よく通る。
港がざわめく。
「外洋の統一帝国である」
統一。
その言葉の重み。
使者は、巻物を広げる。
「貴国らは、信用基準共有協議会を設立したと聞く」
レオンは、黙って聞く。
「それは帝国の交易圏に対する干渉である」
ざわめき。
「帝国は、三つを要求する」
指を三本立てる。
「第一」
「協議会の解散」
「第二」
「帝国通貨の受け入れ」
「第三」
「帝国教義の承認」
港の空気が、凍る。
エリスが、息を呑む。
これは外交ではない。
命令だ。
レオンは、一歩前に出る。
「理由を、伺えますか」
使者は、僅かに目を細める。
「秩序は一つでなければならない」
「複数の基準は混乱を生む」
「混乱は戦争を招く」
レオンは、静かに返す。
「戦争を招いているのは、どちらでしょう」
使者の目が、冷える。
「帝国は、恐怖で平和を維持する」
はっきりとした宣言。
「反抗は、無意味だ」
その言葉と同時に、沖合で砲門がわずかに開く。
威嚇。
港に緊張が走る。
ガルドが、剣に手をかける。
だがレオンは、動かない。
「回答は?」
使者が問う。
レオンは、海を見た。
黒い艦隊。
整然とした陣形。
無駄のない威圧。
(読めない)
合理性ではない。
信用でもない。
力だ。
「即答はできません」
レオンは、静かに言う。
「協議会の合意が必要です」
使者は、わずかに笑う。
「期限は三十日」
巻物を渡す。
「三十日後、帝国艦隊は再来する」
使者は小舟に戻る。
艦隊は、ゆっくりと向きを変える。
去るのではない。
見せつけている。
海の向こうに、消えていく黒い影。
港に、沈黙が落ちる。
エリスが、小さく言う。
「……信用では、止まりませんね」
レオンは、答えなかった。
ただ、海を見つめる。
初めて。
彼の計算に、明確な“未知”が入った。
恐怖で成り立つ国家。
三十日。
期限付きの世界。
風が変わった。
世界は、理性だけでは回らないと、
告げるように。




