竜王パパ
明け方のことだった。
花火を打ち上げる時のような音がした。
この世界にも花火はあるのかな、なんて思いながらユーナは薄目を開けた。
昨晩は遅くまでラストエリクサーさんと話していたから寝不足なのだ。
できたらもう少し寝ていたくて、うっすら白み始めている空の色だけ確認して、相当早い時間だろうなと再び目蓋を閉じようとした――が、二度寝は叶わなかった。
「ユーナ、起きてください」
「んぅ、まだ早すぎるよ……」
「社の村に火の手があがったようなのですが、見捨てますか?」
ドラ子本人はそれでもいいといいと言わんばかりの口ぶりだ。
いっそ呑気なほどに悠長に問いかけてきたくせに切羽詰まった内容に、ユーナは数瞬の後に気づいて飛び起きた。
ドラ子は平然とした顔をして戸口に立ち、ユーナを見下ろしていた。
「何!? どこから火があがってるって? なんで!?」
「どうやら攻撃されているようです」
「モンスターに!?」
「いえ、恐らく、相手は人間かと思われます。火魔法が打ち込まれているようですが、このあたりに魔法を扱うモンスターは出ませんので」
「な、なんで……」
ドラ子は小首を傾げた。
ドラ子だって先程まで寝ていたはずだ。ユーナがわからないなら、同じようにドラ子にだって本当に何が起きているかはわからない。知るすべはないのだ。ユーナは質問をやめて身なりを整える。
「あそこにはアウリがいる! すぐに行かないと」
「半日ほどかかります」
「っ、やっぱり連れてくればよかった……!」
竜の巣には実家のような安心感しか感じない。
だったら、たとえアウリが怖がろうと連れてくるべきだったのだ。
ユーナは唇を噛んだ。
たとえ自分が悪役を買って出てでも今後はアウリを連行しようとユーナは決意する。
盾役にするとでもうそぶいて。こう言えばアウリは断れない。
「グルトさん! グルトさんはどこにいますか!?」
寝床から出て岸壁に抉られた階段状の溝を登っていく。
てっぺん近くの巣の一つを借りていたので、ユーナはすぐにカルデラの頂点にたどり着いた。
「煙があがってる……!」
社の村は竜の巣から目視できる場所にあった。
広い緑の森の、こんもり茂った中に、ほんの少し開けた場所がある。それが村だった。
その小さな村のそこかしこから黒灰色の煙があがっている。煮炊きのそれではない。
『ユーナさん、そこにいてください。できれば大人しくしていてください。消火活動をしなければなりません。それに、封印のある社の村だと知らずに襲う大馬鹿者か、知っていて攻撃をする愚か者か、どちらにしても殲滅しなければなりませんから!』
黒いワゴン車ぐらいの大きさの竜。
グルトだろう。気づいてユーナは叫んだ。
「私も連れていってください!」
『どうやってですか? ユーナさんには羽根がないでしょう』
「乗せてください!」
『――申し訳ありませんが、できません。我々竜の誇りにかけて。上位者以外の者を乗せることはありません』
「そんなっ。緊急事態なんです! あそこにはアウリが!」
『僕が代わりに向かいます。ですからどうか、ユーナさん、これ以上僕に時間を取らせないでください』
少し険を帯びたグルトの声音にユーナははたと口をつぐんだ。
『他の者たちも現地に急行していますが、僕以外の人間と普段から関わっていない竜は人間との付き合い方を知らない者ばかりなんですよ。つまらない行き違いで不和が起こる前に、僕が行かなくてはならないんです』
「でも……」
「ユーナの願いだというのに聞き入れないつもりか。力尽くで聞かせるか?」
『わっ、殺気を飛ばさないでくださいよドラコ様! そんなことをしている暇はないはずですよ、ユーナさんもおわかりですよね!?』
グルトは上位者以外の者を背に乗せられないと言う。
もしかすると、勝負でもして勝利し、上下関係を明確にすれば背に乗せてくれるのかもしれない。
妖術師がモンスターをテイムする時のやり方だ。
でもユーナは賢者なので竜をテイムできるとは思えないし、確かにグルトの言っている通りこんな問答をしている暇は本当にないのだ。
「わかりました。お時間をとってしまってごめんなさい。先に行ってください、グルトさん!」
グルトは黒くつややかなうろこに覆われた首を上下に動かしお辞儀めいた動きをすると、飛び去った。
空をゆく竜はあっという間に村の上空に迫っていく。
「……私も、早く行かなきゃ」
強い焦りでユーナの額に汗が滲んだ。
アウリのこともそうだけれど、それ以外にも何か、どうしてかユーナはいてもたってもいられなかった。
くるりと踵を返したユーナは、崖沿いの階段上のくぼみを降りて行こうとした。
その時、かすかに地面が揺れてユーナは階段から足を踏み外しそうになった。
すかさずドラ子が肩を支えた。
「あ、ありがとうドラ子ちゃん……今の揺れ、地震?」
「……そうであればよいのですが」
言いよどむドラ子を見ればユーナにだって今の不吉な揺れの正体に大体検討がつく。
「もしかして、ミニフレ?」
「可能性は多いにあります。ただでさえ監視者は眠りが浅いと言っていたので」
どこかの馬鹿野郎が村に打ち込んだ火魔法によって起きてしまったかもしれない。
一刻の猶予もない。
ユーナは泊まっていた巣に戻り荷物をひっつかむと、階段を駆け下りた。
今地震が来たらカルデラのぽっかりと空いた深い穴の底に落ちてしまっていたかもしれない。
背後からドラ子が慌てたようにユーナを呼ぶ声があったが、振り切る勢いで走った。
ユーナが向かったのはドラゴンマスターの玉座のある空中庭園のような巣だ。
そこへ飛び込むと、玉座に羽根を畳んで座っている青い竜の他に、その竜に並ぶほど巨大な竜が何頭もいた。
どの竜もグルトよりも大きい。圧倒されるその巨体の中でも、一際巨大でそして威厳のある青い竜がユーナの姿を見て素早く垂れていた首をもたげ威圧するように羽根を広げた。
『何用だ! 俺は出て行けと言ったはずだぞ!』
「ラストエリクサーさんっ」
『ぐぇ。そ、それは言わない約束では……!』
「事情が変わったの! 今すぐ私を背に乗せて飛んでくれる竜が必要なの!」
たぶん、ドラゴンマスターとしての威厳を外面だけでも保ちたかったのであろうラストエリクサーさんには悪いことをしているとユーナも思う。
でも、緊急事態なのだ。
今すぐユーナを背に乗せて、社の村まで送ってくれる竜が必要だった。
そのためには竜に上位者だと認めさせなくてはならないらしい。
今から竜と戦っている暇はない。大体、竜と戦うにはユーナは完全に準備不足だ。
でもこの竜の巣にはすでに一頭、ユーナに白旗を揚げてくれている竜がいるではないか。
「アウリが危ないの! だから!」
『俺の生き肝より上位の存在が危ない……ううっ』
竜はその巨体にしては小さい手で肝のあるあたりを抑えた。
もしかしたら断られるかもしれない。
そうなったらユーナは諦めて自らの足で地を走っていくつもりだった。
行きは半日かかった道のりだ。どれだけ時間を短縮できるかは定かではなかったけれど――
『……勘当したとはいえ娘の頼みだ。貴様を上位者と認めたわけではないが、娘の頼みだから引き受けてやる。ありがたく思うのだな』
爬虫類でしかない竜の顔だというのに苦渋の決断だというのが容易に読み取れる表情だった。でも、そう言ってくれた。
周囲にいた竜たちはラストエリクサーさんの言葉に困惑していたけれど。
『一体どういうことですか、ドラゴンマスター?』
『隠していたが、実はこの女神の旅人は、俺の娘だ』
あまりにも無理のある話である。
ラストエリクサーさんは自ら生み出した設定に、青いうろこにしわを寄せて白目を剥きかけている。
『血縁があるわけではないが娘として迎えていたのだ。だが貴様らは女神の旅人はみな強者だと思っているし、強者を見ると勝負を挑みたがるだろう。だが俺の娘は女神の旅人とはいえ、俺たち竜から見れば脆弱な娘。それを殺させるわけにはいかないので、追い出すふりをして見せたのだ』
『なるほど』
周りの竜たちが何故納得してみせるのかユーナにはわからない。
ユーナがドラゴンマスターの娘だったなんて話は、今にも目覚めかけているミニフレよりは大事じゃないからかもしれない。みんな上の空だった。
むしろラストエリクサーさんは、竜たちをキョロキョロ見渡して抗議してほしそうだった。
自分の作った設定を早くも後悔しているようである。
彼にとってははるか昔のこととはいえ、自分の生き肝を執拗に狙ってきた人間のうちの一人だとわかっている相手を、自分の娘と認めるのはさぞや辛い決断だったに違いない。
ユーナは深い感謝の念を送った。伝わった様子はないけれども。
『俺たち竜にとって勝負の末の死は名誉でしかないが、人間である娘にとってはそうではないのでな……ははは……ははははは……』
「ラストエリクサーさん泣いてる?」
『その呼び名はやめろ……やめてくださいお願いします』
小声で付け加えるラストエリクサーさんは涙声だ。
その時、社の村から戻ってきたらしい竜が空からやってきて、砂埃を巻き上げながら着地した。
飛んでくる風からラストエリクサーさんが羽根で守ってくれた。パパ!
『陛下にご報告申し上げます! 複数人の人間が社の村を襲撃している模様です!』
『獣人を憎悪する者の犯行か!?』
『そういった者も含まれているようですが、あの村を封印があると知って襲っている者もあるようです』
『何だと!? 一体何故!』
『理由はわかりませんが、ミニフレンドの封印を解こうとしているようです。グルトを初めとして我々も必死に止めようとしていますが、封印の近くにいるために、こちらも迂闊に力を使えぬ状況です』
『……俺も出るしかないようだな。来い、娘よ』
「ありがとパパ!」
『パパ!?』
威厳を醸し出そうとしている竜王をパパ呼びして頓狂な声を出させつつ、ユーナはその背によじ登った。
続いてドラ子もよじ登った。
『何故貴様も乗る!?』
「上下関係をこの場で明確にして差し上げた方がよろしいか?」
『……娘のミニフレだから乗せてやるだけだからな。上下関係とか関係ないからな!』
竜王は優しいパパなだけで、女神の旅人やミニフレが恐いわけじゃないのだ。
それがみんなが幸せになるためのたった一つの道筋である。
何もかもを諦めた様子でパパが羽根を広げた。
身体を水平に保ちつつ、何の助走もなしにふわりと浮き上がる。
「うわあ……!」
ぐんぐん高くあがっていく。
カルデラの縁はすぐさま越えて、更に空高くまで舞い上がっていく。
それなのに、風を感じなかった。空気の冷たさも、胃が浮き上がるような浮遊感も。
『俺の魔力で覆われている。だからおまえたちが振り落とされる心配はないはずだが、掴まっていろ』
パパの威厳を保った話し方で、ユーナも近くに他の竜がいると気づいた。
プリンスの時も大変だっただろうけれど、竜王様も大変だ。
「うん! 急いで!!」
ユーナの返事を得ると、彼は戦闘機のような速度で空を切り割いていった。
涼しくなってきたので改めて。




