裏切りの対価
アウリの将来のお嫁さんとの和解作戦は上手くいったようで、宿に帰ってきた夜にはもうレイミの機嫌はよくなっていた。
「ユーナさん、もしもまとまったお金があるのなら、前払いしてもらえるなら割引しますから、言ってくださいね。アウリから徴収した授業料でもなんでもいいので」
「ああ……旦那さんが支払ったお金が私を経由してそのままお嫁さんに回る良システムだね」
「まだ結婚してません!」
まだ、の話でしかない。ユーナはニヤニヤしながらレイミを見つめた。
レイミは顔を赤くしながらも、特に気分を害してはいないようだった。
いずれはそうなるだろうから、少しはアウリに貯蓄をさせておくのもレイミのためになるかもしれない。
けれどアウリは全額師匠が持っておくべきだというので直接は渡せない。
こうなったらレイミに直接渡してしまう方がいいかもしれない。まだ結婚もしていないけれども。
いざ結婚が正式に決まった時のために貯蓄しておいて、レイミにこっそり渡すのがいいかもしれない。
どうせアウリは恐縮して受け取らないのだろうから。
「ユーナさん、今夜もお湯を使います?」
「お願いしますレイミさん」
「ヘイディがいないから、ちょっと時間がかかりますよ。悪いけど」
「待ってるね」
「お願いします。もう、ヘイディはどこ行っちゃったのかしら」
ラウラとマルックに育てられ、優秀な弟子アウリが見初めた女の子が悪い子なはずがないので、そんなレイミと和解できた雰囲気なのはとても嬉しい。
ユーナはこの町で生きていく上での心配事が八割方片付いたような気持ちだった。
あと一割はヤッコブ、もう一割はオード教である。
「なんとかこの町で生きていけそうだね、ドラ子」
「貴女が望むのであれば、どこででも生きていけますよ」
「いやまあ、それはそうかもしれないけど。……人間関係は大事だなって一旦リセットしてみるとしみじみ思うね」
元の世界には特に心残りになるような人間関係はない。
だからこの世界に来たこと自体はよいのだけれど、だからといってこの世界でも人間関係を築かなくていいというわけではないようだ。
ようだ、というのはなんとなく心落ち着かない気持ちで過ごしている自分に気づいたからだ。
向き合うべき問題が他にないという贅沢な状況のおかげで、そんなことにも気づけている。
「ドラ子がいてくれて、本当によかったよ。一人だったら心細くてこんなに元気でいられたかどうか」
「そう言っていただけて幸いです」
「他の子たちも生きてくれていたらよかったのに……あっ、ごめん。これは言うつもりなかった」
「貴女が謝る必要はありません」
「ごめんごめん、ドラ子にとっても辛いことだろうにね。でもいつか、他の子たちの最期についてとか……話してくれたら嬉しいな」
「…………いつか、でよろしいのですね?」
「うん。ドラ子ちゃんにとって、いい時に」
「都合の良い時に。かしこまりました」
ん? となんとなく引っかかる言い回しをするドラ子にユーナは首を傾げつつも、そんな違和感も白湯と一緒に飲み込んだ。
暖炉の前でまったりしながら、レイミがお風呂の用意をしてくれるのを待っていた――そんなユーナの耳に突如、大きな音が飛び込んできた。
それは、宿の扉が乱暴に開け放たれる音だった。
駆け込んできた青年には見覚えがあった。
「ユーナさん!」
「うわっ、こんな時間にどうしたの? クスタヴィさん?」
「ここに、アウリはいませんか!」
青ざめた顔で叫ぶように問うのはクスタヴィ。
アウリの兄で、アウリの家の家計を支える門番の青年である。
彼のためにもアウリが稼いだお金は分けて貯めておこうか……と見当違いなことを考えながら、ユーナは息を切らした彼の顔を覗き込んだ。
「アウリはここにはいないけど……どうしたの? 帰ってないの?」
「はい。それじゃこれは――悪戯じゃないってことですね?」
「悪戯?」
クスタヴィに渡されたのは封筒だった。
封蝋はクスタヴィの手によってだろう、剥がされている。
その宛名には『アウリの兄、クスタヴィ殿へ』と書かれていて、その差出人のところには――
「科学者ギルド……!?」
「そうです。中を見てください」
急いで中に入っていた手紙を引っ張り出して読んでみる。
おおよそこんなことが書いてあった。
アウリは独自の修行によって科学者としての極意を掴み、科学者ギルドでの栄達を目指すことを望んだため、一度は出奔した科学者ギルドへと帰還した。
科学者ギルドの寛大なる処置に感謝し生涯を捧げることに決めたため、家に戻るつもりはなく今後の研究において足手まといとなりうる親族との絶縁を希望するという本人の意志を尊重し、今後の接触を遠慮されたし。
科学者ギルドとしては未来の科学者としての未来を尊重するため本人の希望を最大限叶えるために鋭意善処する、と――。
「アウリが家族と絶縁を望む!? そんなわけあるか!?」
「ユーナさんの言う通りです。そんなわけないです。ここに書かれていることは事実と違うし、矛盾しているし、アウリが望むはずがない……絶縁だなんて!」
そんなはずがない、と言いながらも、クスタヴィの顔は苦しげに歪んでいた。
ユーナは彼の表情から、否定しながらもアウリが少なからずそれを望んだかもしれない、という懸念を見てとって、驚いて叫んだ。
「クスタヴィさん? アウリがこんなこと言うわけ、絶対にないですから。信じないでくださいよ!」
「……そう、ですよね。科学者としての栄達を目指せるからって、俺との縁を切りたいだなんて、そんなこと考えるわけ、ないですよね?」
「ないない。そもそも、科学者として栄達したいなら私のところにいる方が近道だし」
クスタヴィがきょとんと目を丸くするが、ユーナは大袈裟なことを言っているつもりはない。
アウリはまだ初級回復薬の作り方を覚えただけである。
その先には中級回復薬や上級回復薬の作り方を覚えるという段階がある。
アウリはユーナがそれらのレシピについて知識を持っていると知っているのだ。
科学者として上達したいのなら、ユーナの側にいるのが一番の近道だろうというのはアウリだってわかっているだろう。
何しろ科学者ギルドが魔法薬のレシピを紛失しているという可能性について、言及したのはアウリ自身だ。
「科学者として大成したいのであればユーナの側にいるのが早いですが、権力を得たいと考えたのであれば話は変わります。ユーナに教えられたレシピを売って、権力を買ったのでは?」
「ドラ子、それもないんだよ。だってそういうつもりなら、中級回復薬や上級回復薬のレシピを私から教わってからでいいじゃん?」
ドラ子とユーナの会話に、いくらか顔色のよくなったクスタヴィがそっと割り込んだ。
「あの、ユーナさん? それらを習得するためにかかる時間を、アウリが煩わしく思ったという可能性はないでしょうか?」
「ないね! 何故そう断言できるのかというと、私はアウリに聞かれさえすればとっくにペラペラ喋っていたはずだからね!」
けれどアウリ自身が、自分の成長スピードが異常であると認識して自制したのだ。
通常踏むべきステップを踏んでからの成長にこだわったため、未だに教えられないでいる。
ユーナはアウリさえ望めばすぐにでも教えるつもりだ。
それをアウリは知っている。
どこの高僧ですかと問いたくなるような禁欲的なアウリが、いきなり欲に駆られてユーナにもクスタヴィにも何も言わずに、科学者ギルドに駆け込むなんてことがあるわけないのである。
「それはなんというか……そういえば、アウリはユーナさんは甘い、甘いと言っていたような……」
「それは本人にも何度も言われたね」
「アウリが欲に負けたのであれば、それこそユーナさんから全てのレシピについて聞き出そうとするはず、ですね……」
「だよね! とりあえず、姿が見えないということは科学者ギルドにいる可能性が高いし、迎えに行こうか」
「えっ、一緒に行ってくださるんですか?」
「あたりまえだよ! アウリは私の弟子なんだからね! しかもこの手紙を読む限り……アウリが回復薬を作れるようになったせいで無理やり攫われた可能性があるし……」
科学者ギルドは何故かアウリが回復薬が作れるのを知っているらしい。
アウリが科学者としての極意を掴んだと書かれているけれど、つまりそういう意味だろう。
しかし、一体どこでアウリが回復薬を作れることを知ったのだろうか?
まだ冒険者ギルドに売りに行くこと二回目、初めて売ったのは昨日で、二日しか経っていないのに。
「アウリ本人の意志でなければ、科学者ギルドの意志ということですね」
「そういうことだよクスタヴィさん。ひとまずアウリを取り返しに行こう」
「――アウリを取り返しに行くって、なんのことですか?」
「あ、レイミさん……と、ヘイディ、帰ってきてたんだね」
お風呂の用意をしてくれていたレイミと、レイミに腕を引かれたヘイディがやってきた。
「ごめんレイミさん、悪いけどちょっと出かけるから、お風呂はその後にするね。えっと、また温め直せとかそんなことは言わないから」
「お湯なんてどうでもいいです。クスタヴィさんがここにいるのは、アウリが家に帰っていないからなんでしょう?」
「……まあ、そうなんだけど。大体どこにいるのかはわかってるから、心配しなくても大丈夫だよ」
「――きっとこの子のせいよ!」
レイミは叩きつけるように言った。
力任せにヘイディの細腕を引っ張って、ユーナたちの前に突き出すようにした。
まるで囚われた小動物のように、ヘイディはレイミに掴まれた片腕をねじり上げられ、吊り下げられていた。
元から気弱そうな幼い顔は歪んで、大きな目には今にも零れ落ちそうなほどの涙がたまっている。
「い、痛い、です……っ」
「あのレイミさん? その、どうしてそんな風に思うのか知らないけど、ヘイディも痛いみたいだし――」
「ユーナさん! この子……っ、わたしにさっき、なんて言ってきたと思います!? 奉公をやめさせてください、ですって! わたし、何か深刻な事情でもあるのかと思って話を聞いたら、もう働く必要がなくなったからって……市民になったからって言ったのよ!!」
ヘイディは居留民。この町に留まり仕事をするのは許されているけれど、正確には市民ではない。
市民となるためには市民権がいる。
市民権を得るには特別な栄誉に応じて贈られるか、あるいは多額のお金を支払う必要がある。
「あんた、アウリを売った金でそれを買ったんでしょう!?」
「売った、なんて。ただ、この町にはすごい科学者がいるってこと、科学者ギルドの長にお伝えした、だけ、です」
「……殺してやるわ!」
「あ、あたしは! もう市民、ですよ? 殺したりしたら! 犯罪になるんですから! これまでとは違い、ます! あたしたちは、対等、なんです! 重い罪になるのに、殺すんですか?」
構わずヘイディの細い首に手をかけようとするレイミを、クスタヴィが慌てて抑え込んだ。
「レイミ、落ち着け!」
「離してクスタヴィさん! この子、恩を裏切ったのよ! 母さんと父さんが拾ってやった恩を!」
「恩!? 雑用として、朝から晩までこきつかわれるだけの、こんな生活に、もう恩なんてない!! あたしはこれから、もっとマシな職につけるの! 市民だから、ちゃんとした仕事ができるんだから!!」
ヘイディは半狂乱になって叫んでいる。
かつてのアウリの危惧は現実のものとなってしまった。
むしろ、アウリのあの忠告はヘイディにアイデアを与えてしまったのかもしれない。
自らの身を立てるためとはいえ、ここまでするのか。
驚きのあまり、ユーナはしばらく呆然とした。
可愛らしい女の子がお世話になった隣人を裏切ってでも欲しいものを手に入れた。
ヘイディが生来邪悪だったというよりは、そうせざるを得ないほど格差があるということなのだろう。 先程のヘイディの口ぶりからして、市民は居留民を殺してもそう重い罪にはならないようだった。
犠牲になったアウリへの謝罪の一つも口にしない彼女は、未だに何一つ後悔していないようだった。
「今度はあたしが、幸せになるの! 悪いことなんて何もしてない。こそこそ魔法薬を作ってる方がおかしいんだから! きっといつか、アウリさんだってあたしに感謝を――」
クスタヴィの腕を振りほどいたレイミが、ヘイディの頬を力一杯殴りつけた。
途端にヘイディは顔をくしゃくしゃにして、泣きながらルルの花亭を飛び出して行った。




