エイシェントロスト
「今後フィールドワークは封印し二度と使わないことをここに誓う……」
「何故ですか?」
現場で一部始終を見ていたはずなのに理解できないらしいドラ子である。
いくら説明したところで無駄なことはわかりきっているので、ユーナはその質問を黙殺した。
フィールドワークの仕様がゲームと違いすぎた。
まさか欲しいものを設定したら、見つけるまでオートで身体が動く仕様だとは思っていなかった。
何が起こったのか、ユーナは悲しいことに全てをはっきりと覚えていた。
紙を求めてフィールドワークのスキルを使用したとき、己が何をするべきなのかをはっきりと理解した。
完全にわかってしまった。理解してしまったのが最後だった。
不思議な歓喜に胸が沸き立ち、目標に向けて全力で駆けてゆかずにはいられなかった。
そしてユーナは新体操競技床じみた見事な身ごなしで高さ五メートルほどある壁を飛び越えた。
自分にそんな動きができるようなステータスが備わっていることに、頭の隅で驚きながらもユーナの身体は止まらなかった。
森に入るとすぐに広葉樹林が広がっていて、何故か立ち並ぶ木々を見るだけでもある程度の取捨選択をすることができた。
学者としてのレベルの高さが仕事をしているのを肌で感じた。
当のユーナ本人にはわからないことでも、学者としての職業が理解していた。
この世界の職業というものは非常に主張が強いものであるらしい。
その後はドラ子たちが見ていたとおりだ。
探していた紙のレシピを見つけるや否やユーナは正気に戻り絶望した。
何故自分は木を食べたのか?
その問いに対する答えは生涯生まれることはないだろう。
相応しい設備がある場所でスキルを使えば己の歯や舌で木を選ぶ必要はなかっただろいうという事実が学者の勘でわかってしまうのが何より辛かった。
ドラ子によって町に招き入れられイヴァールに厳重注意を受けた後、ユーナはやっと宿に戻った。
居心地が非常に悪かった。
何しろヘイディはユーナを怯えた目で見、レイミは明らかにヤバイやつを見る目をしている。
木を食べたせいで若干胃袋が満たされていて、あまりお腹は減っていない。
けれど、ユーナは人間としての食事をしたくて食堂の隅で夕飯を食べさせてもらっていた。
ユーナとしては胃袋がステータス同様強化されていることを切に願うばかりである。
今のところ体調に異変は起こっていない。
「あれ……熟練度が低いとどうなったんだろ……? ドラ子わかる……?」
「熟練度が低いと、ですか? 時間がかかるのではありませんか?」
「じ、時間がかかる……?」
「何年もかかるのではないでしょうか? ユーナだって昔はそうやっていたではありませんか」
ゲーム内時間の進みは、現実と比べて早いものである。
だからゲームをしていたユーナにとっては数時間のことでも、ゲームの中では数年の時が流れていたのかもしれない。
さらりと言って何も違和感を覚えない様子のドラ子にとっては大した奇行ではなかったらしい。
けれどユーナはもう二度とあんな目には遭いたくはない。
「学者は間違いなく外れ職業だよっ!」
「よくそう言われていますね」
「やっぱりか!!」
「目を瞠るような研究成果を出す者は少数ながらいるようですが……大抵は人生をかけても研究が終わらず、一度のフィールドワークの使用で生涯を使い果たす者ばかりです」
「こっっっっっっわ!」
「ユーナは学者としてレベルを上げきっていますし、熟練度も最高レベルですので、どのような研究にしてもそれほどの時間はかからないかと思います」
「推奨しないでね。私が万が一間違ってフィールドワークを使っちゃったら止めてね」
「どうしてですか? ユーナのスキルを邪魔するなど」
「でもドラ子だって二年も三年も私が研究につきっきりでドラ子の相手をしなくなったら嫌じゃない?」
「以前もそのようなことはありましたが…………確かに嫌ですね」
ドラ子は真剣な顔つきで答えた。キリリとした顔立ちは精悍で美しい。
(私は一体何を聞いているのだろう……)
ドラ子の懐き度の高さを確かめた後で、ユーナは首を振った。
こんな馬鹿なことをしている場合ではない。
「ドラ子、今朝のことは謝る。……ドラ子にはいつもお世話になっているのに、あんなこと言って本当にごめんね」
「謝ることなどありません、ユーナ」
ドラ子は即座にユーナを許した。
「貴女を不安にさせてしまった私の責任です」
正直ユーナは自分のこの謝罪にはあまり意味がないだろうなとは思っていた。
ドラ子は懐いたミニフレだ。一緒にいる限りこの好感度が下がることはない。ゲームの中でならそういう仕様だ。
ゲーム内の情報を引き継いでいるこのドラ子が、ユーナを許さないはずがないのだ。
だからこの問答にはあまり意味がない。
謝罪も、ユーナの気が済むだけの儀式だ。
「ミニフレになりきれていない、私が悪いのです」
「いやむしろ、そうなってほしくないんだけれど」
「はい?」
「あーまあ、私のこと嫌いになって放り出されても困るんだけれどね……」
だけど何でもかんでも無条件に従順だというのは困りものだ。
ユーナがもっと調子に乗れたら何しても許してくれる系イケメンを楽しめたかもしれないが、この世界を現実だと思いたいので、適度に攻略難易度が高い方がリアル感がして楽しめるのだ。恋愛シミュレーションゲームじゃないけれど。
「まあいいや、それはともかくお願いが」
「なんなりとおっしゃっていただきたい」
「私、ドラ子以外のミニフレに会いに行きたいんだけれど――」
「嫌です」
「は!?」
「会わせません。嫌ですよ――絶対に」
従順すぎてゲーム時代を感じさせてならなかったミニフレドラ子。
そんなドラ子にやってきたいきなりの反抗期に面食らって、ユーナはしばらく言葉を失った。
*****
ユーナの驚愕の浮かぶ表情を見て、ドラ子は自分の自由に動く舌を切り落としたくなった。
逆らわず、ユーナのミニフレとして相応しくあろうと心に決めた次の瞬間に誓いを反故にしてしまった。
イヴァールはドラ子に、もう少し自分の心の内を話してみろと唆した。
だが、ドラ子はユーナのミニフレである。
逆らうことなどあってはならない。そもそも、そんな選択肢は存在しないはずなのだ。
しかし、ユーナの提案に反対する正当な理由がありさえすれば自分を納得させられる。
そしてその理由はすぐに思いついた。
「ミニフレンドの大半はオード教徒ですよ、ユーナ。貴女の身の上は、あまり知られない方がいいと話したではありませんか」
「それはわかってるんだけどさ」
オード教。千年前、ドラ子たちにとっても敵であった邪神を祀る宗教だ。
女神の旅人を失いルルーフィアに裏切られたと感じたドラ子たちミニフレは、オードを祀ることにした。
そうすれば、復活の暁にあの邪神は願いを叶えてくれるかもしれない。ルルーフィアとは違って。
「わかっていらっしゃらない。彼らが貴女の存在を知った時、何を思うかおわかりか? ――どうして再びやってきたのが自分の主人ではないのか、ですよ」
妬ましいだろう。羨ましいだろう。憤ろしいだろう。
何故戻ってきたのは己の主ではないのか?
何故、何故、何故という疑問に押し潰されて、ユーナを傷つけようと画策する輩さえ出てきてもおかしくはない。
「ミニフレってみんな旅人のことを待ってるの? 頭ごなしに色々命令してくる人とかいるだけ邪魔じゃない?」
「そんなことはありません。絶対に」
「そうかな~。私だったらうるさい上司なんていない方がいいけどな~」
「……うるさいミニフレは、お嫌ですか」
我ながら情けのない虫の鳴くような声が漏れた。
今日だけで、ドラ子は二回もユーナの意志に反している。
もし嫌だと答えられてしまったら、どうすればよいのだろう。ドラ子は血の気が引くのを感じた。
女神の旅人は時折いらないミニフレを処分することがある――彼らがどうなったのか、ドラ子は知らない。知りたくもなかった。
恐ろしい可能性は、驚いた顔をしたユーナが即座に否定してくれた。
「ち、違う違う違う! ドラ子はね~、全然うるさくないからね。むしろ何故もっと色々言わないんだろ~って思っていたところだからね!」
「そう、なのですか……?」
「だから反論してくれて、なんというか、逆に嬉しいくらいだよ!?」
「嬉しい、のですか?」
「だけどね、頭ごなしに反対されるとちょっと悲しいかな?」
逆らうミニフレに対して、なんて寛大な方だろうと思いながらドラ子はユーナの言葉を咀嚼した。
とはいえ、他のミニフレとユーナを会わせたくないという気持ちは変わらない。
変わらないのではあるが――ユーナが悲しむというのであれば、理由を聞くだけならば聞こうかという気になった。
「それでは、一体どのような理由で?」
「私がこの町に降り立った原因を調べるためだよ」
「……それで、何故ミニフレに会いたいなどと?」
「いや、普通に私がここに来た理由って、ミニフレが関係していると思わない? 私たちにこの世界に来て欲しいって一番思っているのはミニフレでしょ?」
次は女神かな? と首を傾げるユーナの推測は妥当だった。
確かに、彼女たち女神の旅人をこの世界に呼び戻したいと誰より願っているのはミニフレだ。
「どこかのミニフレが何かをしたから私がこの世界に来た可能性、高くない?」
「……高い、のは確かです」
「一体何をしたのかはっきりさせておかないと、私たちが何もしていなくとも、私は元いたところに帰らされてしまうかも」
「そんなことは絶対に起こさせません」
「うん、でも、何が起きたのかもわからないのに、今後何が起こるか予想もつかないのに、それを止めることって、できると思ってる?」
「――止めねばなりません。なんとしてでも」
「根性論じゃどうにもならないことってあるじゃん?」
悔しいほどユーナの言葉は正しかった。理由など、聞かねばよかった。
しかし、理由を聞かずにこの問題を放置していれば、やがてユーナの懸念通り、何の前触れもなくユーナが消えるという可能性が残る。
「そもそも、他のミニフレが今何をやっているかとか、連絡を取り合ったりしていないの? ドラ子だって私のことを探してくれていたんだよね?」
「探してはいましたが、余所のミニフレなどと連絡を取り合うことはありませんでした。必要がないので」
「みんなで知恵を合わせるという考えはないのかな?」
「初めの百年ほどは……しかし近頃は顔を合わせることもありません。顔を合わせれば殺し合いになるかもしれませんから」
「なんで殺し合い!?」
「さあ、どうしてでしょう? ……お互い以外、お互いを殺せる者がいないからかもしれません」
「さ、殺伐ぅ……」
ユーナは青い顔をして言った。彼女がいた時代は、とても平和だったからそうも思うだろう。
邪神の手下どもとの戦いはあった。凶暴なモンスターたちと幾度も戦った。
だが、同じ主人を持ったミニフレ同士が殺し合うなど、考えられないことだった。
しかし今はユーナがいた時代とは状況が違う――だからこそ、ドラ子は黙っている。
この世界には、ドラ子以外にもユーナのミニフレンドは生き残っているという事実を、ドラ子はあえて口にしなかった。
幾度となく殺し合いに発展しかけた者たちであるし、ユーナの寵を争う敵である。
ユーナに聞かれれば正直に答えるよりどうしようもないと思っていたが……意外にもユーナは聞いてこない。
だから、言わない。
家出をしたミニフレたちのところへ、唯一家出をしなかったドラ子はユーナを案内してゆくべきなのかもしれない。
それはかつて、ドラ子たちミニフレに課された仕事だった。
だが今のドラ子は昔のミニフレのままではなかった。ミニフレになりきれないミニフレンドだ。
その状態を改善したいと思いながらも、身勝手な独占欲が以前のドラ子のままではいさせない。
ドラ子はできるだけ、ユーナと二人きりですごす時間を長引かせたかった。
「思っていた以上にミニフレに会うっていうのが難しそうなことはわかったよ……でも、対策はとらなきゃ」
「ならば、私だけが会いに行ってきます」
「でも殺し合いになっちゃうんでしょう……?」
「こちらが下手に出れば、基本的には問題ないでしょう。ユーナは危ないので町で待っていてください」
「私だけ安全なところで高見の見物か~」
「気にすることはありません。私が貴女の安寧を望んでいるだけなのですから」
すまなそうに眉尻を下げていうユーナに詭弁を弄する。
(私が貴女を独り占めしたいと望んでいるだけなのですから)
ユーナが気にする必要などない。
それどころか、これからドラ子がやろうとしていることについて、全てを知ればユーナはドラ子を責める可能性すらある。
「手始めに春、一番近くにいる、西の山のミニフレに会ってくるとしましょう」
「この町の西にある山にいるの?」
「ええ……ですがほとんど狂いかけているミニフレですので、話にはならないでしょうけれど」
「く、狂いかけてる?」
「はい。ですので、人間たちも困り果てて討伐依頼などを出しているのです」
「と、討伐依頼って……!」
「Aランククエスト、エイシェントロスト討伐依頼――心をなくし力を揮うだけの災害となった憐れな古き友人、ミニフレを討伐する依頼です。引き受けるつもりはなかったのですが、行くことにします」
「ドラ子が討伐しちゃうの!?」
「できうる限り戦いは避けようとは思っていますが」
「そうだね! できるだけ避けようね!」
ユーナのその言葉に返事をすることができなかった。
話はするつもりだ。だが、顔を合わせれば、恐らく殺し合いになるだろう。
しかし総合的な戦力は自分の方が高いだろうという確信がドラ子にはあった。多少の怪我はしても、殺しきることはできるだろう。
西の山にいる討伐依頼対象について――ドラ子はよく知っていた。
「何でミニフレが討伐対象なんかになっちゃってるのかな……?」
「己が支配者たる主人がいない寂しさ、苦しさに心が耐えかねて、おかしくなってしまったのですよ。確か西の山のは数百人程度を食い殺しているはずです」
「ああ……弁護の余地がない……でもなんでそんなことを?」
「ユーナはどうも、ミニフレである私たちがどれだけ貴女たち女神の旅人を求めているのかを理解できていないようですね」
「そうね」
潔く頷いてみせたユーナに溜め息を吐いて、ドラ子は改めて説明した。
「貴女方がこの地上から消え去ったその年に、ミニフレの半分は自害しました。……女神の旅人がいない世界に耐えられなかったのです」
「ひぇっ!?」
「更に半分が、平常心を失い暴れ回りました。この頃に地上の人間が十分の一ほどに減りましたね」
「う、うわあああ……」
「残った者たちも、すぐに自害をしなかっただけで、気づけば死んでいたり、あるいは時を置いた後に発狂したりしていました。まだ希望を持って探していた私たちにとって邪魔だったので、人間たちと力を合わせてこれを討伐しました」
そうした動きの中で生き残ってきたミニフレたちは、心のよりどころを邪神に求めた。
恐らく一人として正気を保っていた者はいなかったのだろう。
絶滅寸前まで減っていた人間たちは、自分たちの歴史がミニフレによって書き換えられたことに気づかずに、共に戦うミニフレが信仰する神を共に崇め出した。
「う、うちの子たちも……余所様にご迷惑をかけたり……した?」
「そうですね……人を多く殺した者もいます。ですがユーナが気にすることはありません」
「それはするよ!? うちの子のしたことの責任は私にあるからね!! でもちょっと罪が重すぎてどうしようヤバイな!?」
「……気に、しないでください。貴女を求めて心を壊したアレが、流石に憐れです」
己のしたことのせいでユーナがこんな顔をしたと知ったら、心は砕け散るだろう。
初めて心を失った同胞に憐れみを感じつつ、ユーナの自責の念を食い止める。
「で、でもねえ」
「貴女の代わりに私が責任を果たします」
「え――ドラ子、こ……殺しちゃったの?」
正確にはまだ殺してはいない。
しかし春には殺すことになるだろう。頷いてみせると、ユーナはその赤い目を丸々と見開いた。
――その顔は、好きにはなれなかった。まるでドラ子を責めているかのようだった。まだやってもいないことのために。
だが、やっていないのだと言うつもりはない。つもりもない。
ドラ子以外のミニフレなど、ユーナにとっては過去のものになってしまえばいいと思っている。
ドラ子はユーナの目を手で覆った。
「人間に助けを求められて働く私の命と、罪もない人間の命を奪い、暴れ、殺戮したミニフレ、どちらが大事なのですか?」
「どちらが大事かと言われると……いや、もう仕方なかったって言うしかないけれど……その子は、誰なの?」
「モフ子です」
これぐらいは知られても構わないだろうと思い答えてやる。どうせユーナはウッズの町に置いていく。
ユーナにモフ子と名付けられた通り、モフモフとした体毛を持つ動物型のミニフレンド。
種族名はバフォメット。
山羊にしては体毛が空気を含みやすい形態であったのは、ユーナの望みを反映していたからなのだろうか?
「私のモフモフちゃん……!」
ユーナの目を覆っていた手が濡れるのを感じて手を放すと、その両の目からは涙が流れていた。
まだ死んではいないモフ子の死を悼んでくれているらしい。
この涙だけでモフ子は報われるだろう。
妬ましさでドラ子の胸は焦げ付きそうだった。
聞くべきことを聞き出した後はきっと、躊躇なく古き友人を殺すことができるだろう。




