一番弟子のプライド
未だに客足の戻らない、ルルの花亭にて新年を迎えてから迎えた剣の月二ヶ月目。
日本で言うなら二月の初め頃のことである。
アウリが何やら肩を怒らせて早朝、寝起きのユーナを叩き起こした。
今、ユーナは前々から宿で借りているレイミのお古だというワンピースを寝間着代わりに着ている。
レイミに返そうとしたら、「いえいいです」と即座に返されてしまった悲しいパジャマ姿で食堂まで出てくると、アウリと対峙することとなった。
「ヘイディとのこと、どうしておれに相談してくれなかったんですか」
アウリはどうもヘイディのことについて怒っているらしい。
あまり二人が話しているところを見たことがないユーナとしては困惑気味だ。
とりあえず優秀な弟子が怒っているということは、自分が悪いに違いないので、姿勢を正して謹聴しようとは思った。
ドラ子も騒ぎを聞きつけて起きてきたが、このただならない状況に困惑しているようで、しばらくユーナの近くをうろうろしていた。所在ない様子のミニフレが可愛いらしくてほっとする。
「師匠、おれがなんで怒っているかわかりますか」
「……ええと、ヘイディのことらしいということは把握しております」
「敬語やめてください。後なんですかその姿勢」
「正座です」
「敬語やめてくださいって言ってます」
宿屋の食堂の片隅の床に正座するユーナを見下ろして、アウリは溜め息を吐くとその場にあぐらをかいた。
ユーナより高い視線ではいられないということなのだろう。
アウリの弟子力に師匠であるユーナは気圧されていた。
彼は現在、何故かユーナに対して怒りを感じている様子である。
ユーナは彼の希望に従うことにして、とりあえず敬語はやめることにした。
「えーと、何かな?」
「……ヘイディを弟子にするという約束をしたって聞きました」
「あー、確かあの子が科学者だったらね」
「そんなに軽々しく約束していいようなことじゃないですよね?」
アウリはユーナを睨み上げる。
正座しているのもあって座高の高いユーナはその視線にたじろいだ。
「ええ……? 何がいけないのかわかんない……」
「――おれについても、師匠なりに色々考えて弟子にしてくれたのかと思っていましたけど、違うみたいですね」
「いや、考えはしてるよ?」
「大事なことに考えが及んでないみたいです。……師匠、ヘイディのこと何にも知らないでしょう?」
「奉公に来てる女の子だっていうのは知ってる。あと、居留民だってことも」
「それだけですよね。その人柄とか、どういうことに夢中で、何のためにここで働いているのかとか、全然知らないはずですよね」
「……それはまあ、そこまで仲良くはなってないし」
最近のヘイディはユーナを見るなり怯えた顔をして遠ざかるので、そもそも師匠になるとか弟子にするとかいう約束自体が反故になっているような気はする。
しかしアウリはそうは思わないようで、ユーナの背後に控えるドラ子の視線を受けてたじろぎながらも、ユーナの前から退く様子はない。
「師匠――弟子を持つってことは、その弟子に責任を持つってことですよ」
そう言われて、ユーナは初めてアウリが深刻な表情をしている理由を少し理解した。
師匠と弟子という関係は、ともすれば上司と部下に似ている。
「おれが教えていただいたことは、とんでもない財産です。おれが師匠に教えてもらったことについて、科学者ギルドが知ったら、どう思うかなって考えたら恐いくらいだ」
「え~と、科学者ギルドがお金をむしり取りながらアウリにデタラメを教えていたのがわかったわけで、恐がるべきは科学者ギルドの方じゃない?」
お前らの悪事は全てまるっとお見通しだ、という状況である。
首を傾げるユーナを前に、アウリは深い溜め息を吐いた。
「師匠は浮世離れしてるからそう思うんでしょうけど……あのですね、師匠。師匠の知識は、軽々しく人に教えてはいけないものです」
「よくぞ言った。お前の言う通りだ」
「ですよね、ドラコ様」
「なんでわかりあってるの? そもそもなんで教わったアウリがそんなことを言うの??」
「……そう、おれが言う筋合いじゃないんですよ。でも、師匠がわからんちんだからおれが言うしかないんです」
普段は尊敬を滲ませてくれる目にキッと強く睨まれて、ユーナは簡単に恐縮した。
縮こまったユーナを見て、アウリは頭痛をこらえるように頭を抑えた。
「ヘイディのこと、何にも知らないうちから弟子にするだなんて安請け合いをして……本当にヘイディの職業が科学者だったらどうするんですか?」
「そうだったら、普通にレベル上げをしてもらって」
「あのですね、ヘイディがもし師匠に教えてもらった知識を利用して、悪用したりしたらどうするんですか?」
「悪用するの!?」
「えっ、し、しません!」
ユーナがびっくりしてカウンターの方で身を竦めていた渦中のヘイディを見やると、彼女は即座に答えた。
ならば安心じゃないか、と考えるユーナを叱りつけるように、アウリが語気を強めた。
「師匠! わからないじゃないですか? ヘイディのこの言葉が、事実かなんて!」
「あ、悪用なんて、絶対にしません!」
「おれだって、ヘイディが悪用をすると思ってるわけじゃない。でもそれは、おれがヘイディについて知っているからだ。何年も前からここで働いている姿を見ているからだ」
ユーナは徐々にアウリの言いたいことを飲み込み出した。
しかしヘイディを改めて見たところで、彼女が一体どのような形で科学者としてのスキルを悪用するかどうかなんて、考えもしなかった。
「確かにアウリの言う通り、私が弟子をとったとしたら、その弟子のしたことに私は責任を負うことになる……ええと、それについては少し失念していたかもしれない。でも、ヘイディがそんな悪いことをするようにはとても思えないんだけれど」
「――ヘイディ。悪用はしなくとも、レシピを教えればウッズの町の市民にしてやるって言われたら、おまえヤッコブ副市長にレシピを売るだろ?」
「えっ……そ、そんなことは」
ヘイディの声はとてもとても小さかった。
消え入るほど小さな声に、必死さを感じてユーナは憐れを催したけれど、アウリとドラ子は違ったらしい。
「嘘吐きを師匠の弟子にするわけにはいかない。そうですよね? ドラコ様」
「そうだな。ユーナに嘘を吐くような人間を、ユーナに近づけさせるわけにはいかない」
アウリとドラ子、二人の視線に晒されたヘイディは、気の毒なほど動揺してみせた。
嘘つきと言われたのだから当然だ。
けれどヘイディの顔色を見れば、商業ギルドの長であり科学者ギルドの長、そしてこの町の副市長でもあるという権力の塊の男ヤッコブに、取引を持ちかけられれば簡単に応えるだろうということがわかった。
ユーナとしては驚いた。守秘義務という概念はこの世界にはないのだろうか。
「でも別に……科学者ギルドだって一応ポーションをオークションに出しているみたいだし、作り方を知らないわけじゃないでしょ? レシピなんて売っても買ってはもらえないと思うよ?」
ユーナがアウリに教えたレシピなんてものは、科学者ギルドは承知の上なのだと思う。
その上で、アウリに適当なレシピを教えて高額な代金をせしめているのだ。
全くなんて汚い組織なのだろう、とユーナが義憤に震えていると、アウリはゆっくり首を振った。
「いえ。科学者ギルドは師匠の知るレシピを知らない可能性が高いです」
「……えっ? いや、ありえないでしょ。なんでそう思うの?」
「おれは科学者ギルドがおれに売ったあのレシピ、偽物じゃないと思うんです」
「……えーと、あの名状しがたいおぞましいブツの混入している、あのレシピのことを言ってるんだよね?」
「はい。科学者ギルドは本気で、あれを正しいレシピだと思って、おれに売ってきていたのだと思います」
何故アウリはそんなにも義理堅く科学者ギルドを信じているのだろう。
ユーナはアウリの天使ぶりに目眩がしてきた。
何故こんなにもいい子が足を失うなんていう不幸な目に遭わなければならなかったのか。
そして何故元ニート志望現スローライフを求めるだけのだらだら生活に最近なじんできたユーナの弟子になんてなってしまっているのか。
世の中は理不尽にできている。どこの世界でもそれは同じらしい。
「師匠、ふざけないで聞いてください。おれ、本気で言っているんですよ。科学者ギルドをかばい立てしてるわけじゃなくて……おれも、科学者ギルドの人間だったことがあります。今はもう違いますけど、そうだった時、中で科学者として腕を揮っている上級ギルド員たちを見て来ました」
アウリは深刻な顔をして、ユーナを見つめた。
「あの人たちは本気で、心から真剣にイモリの爪を採取して、大切そうに試験管に詰めていました。海の生き物の生き血を精製するために、蒸留器を繊細に操っていて、その顔は、やっぱり真剣そのものでした。そして師匠が嫌いなあの生き物についてだって、決して悪ふざけじゃなく、本当に必要だと思って磨りつぶして、状態を舐めて確認して、薬草と混ぜ合わせたり、水の温度を変えたりしながら、何度も何度も、膨大な記録をとっていて、より良い調合について研究していたんです。部屋は、たくさんの記録や資料の紙束で埋もれていて――」
ユーナの目には馬鹿げたデタラメにしかみえないレシピに対する、科学者たちの真摯さをアウリは語った。
「あの人たちは本気でそれで作れると考えていた――そうだとしか思えない」
「……アウリを騙してお金をせしめるために、偽の実験を見せたんじゃなくて?」
「あの人たちの様子を見たら、そんな風には思えないです。薬草と水は入っているから、おれよりずっと昔から科学者をやっていたような、すごい人たちは、そんなレシピでもたまにポーションみたいなものが作れるんだと思います。でも、本当は違うから大抵は失敗するんだ。失敗して――ほとんどの人は生涯ポーションが作れない。おれでさえ、できるのに」
規定のレベルと正しいレシピさえあれば、誰でも作れるものが作れない。
それは、正しいレシピを知らないからなのだとアウリは主張する。
「だから、成功率の高い、おれですらほとんど失敗しない師匠のレシピの存在を知ったら、科学者ギルドは喉から手が出るほどほしがりますよ」
「ええーそうかなー」
「――そんなレシピをヘイディに教えたら、ヘイディは絶対に売りますよ」
まだやっていないことのために責められたヘイディが、びくりと肩を震わせる。
その顔色は悪かった。そんな彼女を庇うように、軒先を掃いていたレイミが戻ってきて、彼女の肩を抱いた。
「それは、ヘイディが悪いんじゃないわよ。居留民なら誰だって、どんな手を使ってでも市民になりたがるものだもの。それを知らないで金庫番を任せるやつが金を盗まれたとしたら、任せたやつが悪いのよ」
レイミはかなり酷いことを言ってはいたが、ヘイディは慰められたようだった。
項垂れながら、レイミに隠れるように身を寄せたヘイディごと、アウリはレイミを睨んだ。
「師匠はそんなこと知らない。おれたちとは住む世界の違う人なんだ。見ればわかるだろ? ――善良な師匠の無知につけこんで、おれのいないところで勝手に弟子入りしようとしたのはおまえのとこの奉公人だぞ、レイミ」
「何よ、わたしが悪いっていうの!」
「おまえの店の奉公人が客に不利益を与えようとしたってのに、叱りもしないのか?」
「どうして叱らないといけないわけ? そもそもヘイディが勝手にお願いして、勝手に引き受けたのはその女でしょ! わたしにも、あんたにだって関係ないじゃない!」
「師匠の一番弟子はおれだ! 関係ないなんてことがあるか!? おれの頭を飛び越えて勝手に師匠と話をつけやがって!」
そのアウリの怒りは、いつも聡明な彼には似つかわしくないほど激しいように見えた。
そんな彼の姿に、動揺した様子でレイミは叫んだ。
「な、なんでわたしを睨むのよ! わたしはもっと関係ないわ!」
「――おまえがそんなにも無責任なやつだとは思わなかったよ、レイミ」
ユーナの目から見ても、アウリのその言葉はレイミに大きなダメージを与えたのが見て取れた。
慌てたユーナは手をバタバタさせながら二人の会話に割って入った。
「あ、あのね、私のために争わないでいただけると――」
「師匠は黙っていてください!」
「はい」
ユーナは弟子にすごまれて即座に黙った。
そして、自分が見落としていたものをいくつも目の当たりにすることになった。
「その居留民がおれの師匠に余計なちょっかいをかけないよう、ちゃんと見ておけ! それができないなら師匠には宿を移動してもらうからなっ」
居留民という存在が、どれだけ市民という立場に憧れているのか。
そのためにどんな手を使ってのけるか。ユーナは全然理解していなかった。
ヘイディのような、幼い女の子が今の状況から抜け出すためなら他人の家の金庫を漁る可能性があるだなんて、思いつきもしなかった。
ヘイディを弟子にした末に、ユーナの知識がどのように悪用されうるのか。
その方法を、ユーナは未だ思いつきもしない。
だが、アウリの様子からして、ろくなことにならなそうだということだけはわかった。
そしてアウリの言う通り、何かが起きるのだとしたら――それはヘイディを弟子にした、ユーナの責任となるだろう。
責任は、とる。上司になる機会があるのであれば、そう言う上司になりたかった。
けれど、責任なんて、とりきれるだろうか?
モフ子のことだって、ユーナは責任逃れをするつもりはない。
ユーナのミニフレが恐ろしいことをしたのなら、その責任の所在はここにあると高らかに叫びたい。
罪の清算を終えた後なら、モフ子のお墓も作ってあげられるだろう。
「何を泣きそうな顔をされているのですか、ユーナ? この女たちのせいですか?」
「違うよドラ子……モフ子ちゃんの追善供養について考えてた……」
「ああ――モフコは果報者ですね」
ドラ子の答えは淡々としていた。仲間としての情とかはどうなってしまったのだろうか。彼は恐いくらいドライである。
「師匠、どうしました? すみません、おれ、強く言いすぎましたか?」
「いや全然関係ないことを考えていたから大丈夫だよ……」
「それはあまり大丈夫じゃないんですけど……まあ、いいです。今後は一番弟子のおれに相談なく、色々決めないようにしてください。本当に師匠は危なっかしいんで」
「はあ、そうかなあ」
「無自覚みたいですよ、ドラコ様」
「そのようだな」
アウリはどうやらドラ子を味方につけることを覚えたらしい。
必然的にユーナは二対一の少数派である。肩身が狭い。
「他の宿について、どこか心当たりなどはありますか? ドラコ様」
「さて、ユーナは前々から風呂に入りたいと繰り返し嘆いているが」
「ふろ? 貴族がやってる湯浴みみたいな? ……高級宿ならあるかなあ?」
勝手に二人が話し出す。ユーナは蚊帳の外だった。
けれど放っておかれて考える時間ができたユーナは、二つのことに気がついた。
一つはアウリについて。
彼はいつになく激しい感情を表していた。彼なりにユーナの弟子としてのプライドがあり、それを傷つけられて怒っているらしかった。
ユーナは彼との師弟関係について、もっと真剣に捉えるべきだったのだろう。
彼がとても賢く素晴らしい弟子だから、ユーナの知識を悪用しないだけで、彼としてはいくつか思いつくことがあったに違いない。
ユーナが今、弟子のことで困ったことにならずにいるのは、ただ運が良かっただけなのかもしれない。一番弟子が優秀すぎたのだ。
それに気づいて、アウリとの関係を重く捉えていれば、軽々しく新しい弟子を取ろうとは考えなかっただろうに。
ユーナが考えなしなせいでアウリには気苦労をかけてしまった。
もう一つはレイミについて。
――ユーナのせいでアウリになじられたレイミが、ユーナを嫌っているに違いないこと。
今も、もの凄い目で睨まれていて、彼女のいる方を見るのがとても恐い。
前々から、ちょっと居心地が悪いなと思っていたところではあった。
親切なラウラとマルックは癒やしなのだが、娘のレイミには警戒されている気がした。
一応恩人という立場だし、気のせいだろうと思おうとしてはいたものの――もはや気のせいでは済ませられない。
「とりあえず今日はいいとしても、移動先を探しておいた方がいいと思いますよ……それじゃ師匠、行きましょう」
どこへ行きたいのかアウリがユーナの腕を取ると、レイミの殺気が増した気がした。
それに何故かドラ子は気づかない。女だけが感じ取れるたぐいの殺気なのかもしれない。勿論アウリは気づいていない。
自分の好きな女の子の好意に気づかないなんて鈍いにもほどがある。
両片思いはユーナの好物とするところではあるけれど、間に挟まる異物の立場になると居心地悪さが桁違いだ。
ユーナはレイミと喧嘩したくはなかった。
レイミとアウリの両名は、紆余曲折を経てユーナのいないところでくっつけばいい。
本当に、早晩宿を移動した方が、精神衛生上良さそうだった。




