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影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます  作者: 勇者ヨシ君
第一章 死んでからが勤務時間――蘇生費は給料から引かれます(初春)

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配信20回目 呪物屋の借りは高い ――五万円の領収書

銭原さんに連れられて、闇市に行った。

呪物と怪異グッズと、名前のない薬が並ぶ場所。

この人の「昔」は、思ったより深かった。

 放課後の教室は、いつもの平和な空気だった。


 窓の外は曇り。校庭のラインが白く光って、運動部の掛け声が遠くから聞こえる。私の席に、いつもの二人がたまっている。


 夜宵やよいるなは、購買で買ったシュークリームを二個並べて、どちらから食べるかを真剣に悩んでいた。142センチの小さな体。大きなたれ目。ふわふわした空気。この子がシュークリームの順番に悩んでいる時間が、世界でいちばん平和な時間だと思う。


「ゆらちゃん、カスタードとチョコ、どっちが先がいいと思うぅ?」


「好きなほう先に食べなよ」


「どっちも好きなんだよぉ」


「じゃあ同時に食べれば」


「天才」


 るなは本当に両手にひとつずつ持って、交互にかじり始めた。天才ではなく暴挙ぼうきょだ。


 白澤しらさわ幽々《ゆゆ》は、窓際に座って静かにスマホを見ていた。色素の薄い髪。灰色寄りの目。制服をきちんと着ているが、どこか生活感が薄い。この子は三人でいる時だけ、空気が少しだけ柔らかくなる。


「ゆらちゃん、今日バイトぉ?」


 るながシュークリームの合間に聞く。


「たぶん。呼び出しがなければ自由」


「最近忙しそうだね」


 幽々が静かに言う。


「まあ、色々あって」


「ゆらちゃんのバイト先、ブラックすぎるよぉ。転職したらぁ?」


「借金があるから辞められない」


「えぇ〜、借金ぅ? ゆらちゃん何したのぉ」


「上司の備品壊した」


「高かったのぉ?」


「四千九百八十万円」


「よんせん!?」


 幽々が無言で私の肩をぽんと叩いた。(ねぎら)いなのか同情なのか。たぶん両方。


 スマホが鳴った。朔夜さくやではなく、知らない番号。出ると、聞き覚えのある陽気な声がした。


「お嬢ちゃん、今日暇か~?」


 銭原ぜにはら呪助じゅすけ。呪物道具屋。闇市ブローカー。関西弁と九州弁のちゃんぽんで喋る、陽気なのに目が笑っていない男。


「どうして私の番号知ってるの」


「商売人は顧客情報くらい管理するばい」


「私は顧客じゃないんだけど」


「朔夜に言うとくけど、今日お嬢ちゃん借りるけんな」


「勝手に予定を組むな!」


 電話が切れた。有無を言わさない。数秒後に朔夜からレイン。


「銭原に付き合え。仕入れ先が揉めてる」


 絵文字なし。説明もなし。いつもの温度。


 るなが「またぁ?」と心配する。幽々が「気をつけて」と言う。ゆらは「今回は死なないと思う……たぶん」と答えて教室を出る。


 シュークリームのかけらがるなの口元についていた。拭いてあげる余裕すらなかった。


 ――――――


 事務所に着くと、銭原が待っていた。朔夜もいる。


 銭原はいつもより身なりを整えていた。といっても柄シャツは柄シャツだが、ジャケットが少しだけましなものに変わっている。サングラスは磨いてある。金歯がひとつ、蛍光灯の光を拾って光る。片耳のピアス。細いヒゲ。


 いつ見ても胡散臭い。でも今日は、胡散臭さの下に「商談の緊張感」みたいなものがある。


「朔夜、なんで私が銭原さんに付き合わないといけないの」


「銭原の仕入れ先が、うちが前に潰した案件の影響で取引を停止した」


 前に。あの闇バイトの子が開けた保管庫のことだ。あの箱の中に入って、組織的な保管庫を見つけて、銭原が「まだ残っとったんか」と顔を変えた、あの案件。


 ※配信16回目「闇バイトの報酬は届かない」参照


 あれをつぶしたことで、銭原の仕入れルートの一部に影響が出ているらしい。


「それ銭原さんの問題でしょ」


「銭原の仕入れが止まると、うちの呪具の調達にも影響が出る。つまり俺の問題でもある」


「じゃあ朔夜が行けばいいじゃん」


「俺が行くと相手が構える。銭原の仕入れ先は"怪異を封印する側"を嫌ってる」


「封印する側って……」


 銭原が口を挟む。


「うちの仕入れ先はな、怪異を()()側やなくて、()()()側の人間が多いんよ。朔夜みたいなのが来ると、"商品を壊すやつが来た"ちゅう空気になる」


「活かす側」


「怪異を封じるんやなくて、保存して売る。育てて価値を上げる。そういう商売をしとる連中ばい」


 あの保管庫と同じだ。怪異を棚に並べて番号を振って、温度管理までして保存していた、あの場所と。


「で、なんで私が」


「お嬢ちゃんがおると場が和むけん」


「和まないって前も言ったよね」


「和むんよ。女子高生がおると、殺伐さつばつとした商談でもみんなちょっと丸くなるとよ」


「私を()()()にするな」


 朔夜が低く言った。


「影森。ついでに相手の様子を見てこい。最近"上が動いてる"という話がある。そのあたりの空気を拾え」


「上?」


「いいから行け」


 説明が雑。いつものこと。


 ――――――


 銭原に連れられて、街の中心部からやや外れた区画に入った。


 再開発から取り残されたエリア。大通りから一本裏へ入ると、急に時間が古くなる。この街はいつもそうだ。高架の影。古い雑居ビル。シャッターが半分降りた商店。路地の奥に、蛍光灯の切れかけた看板がいくつか並んでいる。


 銭原は迷いなく歩く。この辺りの道を全部知っている足取り。


 古いビルの裏手に回る。駐車場の入口。「月極」の看板がびている。使われていない。でも奥へ進むと、鉄の扉があった。


 銭原がノックする。三回、二回、一回。


 扉が開いた。


 中に入る。


挿絵(By みてみん)


 広い。もとは地下駐車場だったスペースに、仮設の棚やテーブルが並んでいる。照明は最低限。裸電球はだかでんきゅうがいくつかぶら下がっていて、オレンジ色の弱い光が棚の上の品物を照らしている。天井が低い。地下の空気。コンクリートの匂いに、何か甘いような、焦げたような、名前のない匂いが混じっている。


 棚に並んでいるもの。


 呪符じゅふ護符ごふ。小瓶に入った液体。乾燥させた何か。巻物。古い箱。ラベルのない缶。名前のない薬品。見たことのない道具。木製の札束。銀色の針。紙で包まれた石。


 そして、ガラスケースの中でかすかに動いている——何か。


「……ここ、何」


「呪物の卸売市場おろしうりいちばみたいなもんやな。小売はうちみたいな店がやるけど、仕入れはここで回っとる」


「こんなのが、この街にあったの」


「あるとよ。お嬢ちゃんが知らんだけで」


 人がいる。十人ほど。銭原のような派手な格好の人間ばかりではない。スーツ姿の人もいれば、作業着の人もいる。白衣っぽいのを着た人もいた。年齢もばらばら。


 共通しているのは、全員が私を見て「部外者」だと一瞬で判断したこと。視線が刺さる。品定めではなく、警戒。知らない人間がここに入ってきたことへの反応。


 銭原が軽く声を上げた。


「うちの嬢ちゃんや。手ぇ出すなよ」


 視線が少しやわらいだ。銭原の顔が利いている。この場所で嫌われてもいるが、同時に一目置かれてもいる。出入り禁止にはなっていない。つまり商売として必要とされている。


 ぬいが制服の内側で震えていた。


「ここ、やばいぞ」


 小声。灰白色の体が、布越しに縮んでいる。


「怪異の匂いがあちこちからする。全部封印されとるが、いつ起きてもおかしくないのもおる」


「起きないでほしいんだけど」


「祈っとけ」


「祈りで解決した案件ある?」


「ない」


「だよね」


 銭原が棚の間を抜けて、奥のテーブルに向かった。そこに男が座っている。四十代くらい。地味な服装。髪を短く刈っている。顔に傷はないが、目つきだけが鋭い。銭原とは違う種類の胡散臭さ。こっちは陽気さがない分、かえって怖い。


 銭原が私を紹介する。


「うちのバイトや」


「バイト? 呪物屋がバイトを連れてくるのか」


緩衝材かんしょうざいやな」


「やめろ」と私は小声で言ったが、無視された。


 卸元おろしもとの男と銭原が交渉を始めた。


「あんたの客が、うちの倉庫を潰した」


「俺の客やない。朔夜はうちの取引相手や」


「取引相手の仕事で、うちの保管庫がひとつ消えた。損害は出とる」


「そら申し訳なかったばってん、あの保管庫は放棄品ほうきひんやろ。誰も管理しとらんかったから闇バイトの小僧が入れたんやないか」


「放棄品でも帳簿上は生きとった。上がうるさい」


 「上」。その言葉が出た。朔夜が言っていた「上が動いている」という話。ここでも聞こえる。


 銭原は顔色を変えずに続ける。


「うちも困っとるんよ。仕入れが止まると店が回らん。あんたとこだって、うちが買わんくなったら在庫が腐るやろ」


「……まあ、そうやな」


「今回のことは水に流す。ただし条件つきや。うちの保管庫ほかんこにはもう手を出さん。それと、今後朔夜が動いた案件の情報は、先にうちに流してくれ。こっちで仕入れに影響が出るかどうか判断する」


「情報を先に流せ、か。高くつくぞ」


「高い安いは後から決めればええ。まず、取引を再開してくれ」


 交渉は噛み合ったり外れたりしながら進む。銭原の口調は陽気だが、内容はシビアだ。笑いながら相手の弱いところを突き、押されそうになると話題を変え、最終的に自分の条件を通す。この人が呪物の売買で生き残ってきた理由がわかる。口だけで戦える。


 交渉の間、私は闇市の中を見て回った。銭原に「触るな、買うな、名前を聞くな」と言われている。三つとも守れる自信がある。触りたくないし、買えないし、名前を知りたくない。


 棚の間を歩く。品物には値札がついているものとついていないものがある。値札がないほうが高いらしい。「値段を聞かないと買えないものは、聞ける人間にしか売らない」という仕組み。


 古い木箱の前を通りかかった時、ぬいが「止まれ」と小さく言った。


「何」


「あの箱、匂いが似とる」


「何に」


「おぬしが前に入った保管庫の箱に」


 前に入った保管庫。あの闇バイトの子が開けた、封帯箱ふうたいばこ


 ※配信16回目「闘バイトの報酬は届かない」参照


「……同じ出所でどころ?」


「同じかは分からん。でも、同じ()()の匂いや。作った場所か、管理していた場所が近い」


 つまり、あの保管庫と繋がっている品物が、ここにも流れてきている。個人の持ち物ではなく、組織的に管理されていた呪物の一部。


 棚の反対側に、スーツ姿の男女が立っていた。


 さっきから気づいていた。この二人だけ、闇市の客ではなく「視察」に来ているような空気がある。品物を見ているふりをしながら、私のほうをちらちらと見ている。


 ()()()されている。


 商品を見る目。私を「何かの候補」として測っている目。あの保管庫の管理システムが私を「管理者」にしようとした時と、同じ種類の視線。


 ぬいがささやく。


「あの連中、おぬしのことを見とる。商品を見る目じゃ。近づくな」


 近づかない。でも、見られていることは分かる。体の芯が少しだけ冷える。


 ――――――


 交渉がまとまった。銭原が条件を飲む形で取引再開。ただし「保管庫に手を出すな」という条件が加わった。


 卸元の男が立ち上がる。帰る間際、銭原に近づいて、低い声で言った。


 聞かせるつもりはなかっただろう。でも、私の耳に入った。


「銭原。あんたも知っとるやろうが、最近上が動いとる。()()のほうや。あんたが昔おった頃とは規模が違う。あの嬢ちゃん、あんまり連れ回すな。目ぇつけられるぞ」


 蒐集しゅうしゅう


 初めて聞く言葉。でも銭原の顔が一瞬だけ固まった。口元の笑みはそのままなのに、目の奥だけが止まった。この人のこういう反応を見るのは、あの保管庫の台帳を見た時以来、二度目だ。


「……知っとるよ」


「知っとるなら、なおさらや。あの嬢ちゃん、境界きょうかいに入れるんやろ。そういう人間は、あっち側では"商品"以上の価値がつく」


 商品以上。


 銭原は黙ってうなずいた。それだけ。


 卸元が去った後、銭原はしばらく動かなかった。テーブルの上に残ったコーヒーカップを眺めている。中身はもう冷めている。


「銭原さん」


「ん」


「聞こえてた。さっきの」


「……耳がいいのう、お嬢ちゃん」


「蒐集って何」


 銭原は私を見た。それから闇市の出口を見て、立ち上がった。


「ここでは話さん。出るぞ」


 ――――――


 闇市を出た。夜の街。古いビルの影が長い。高架の下を歩く。車の音が遠い。


 銭原はしばらく黙って歩いていた。この人が黙っているのは珍しい。いつもは黙る隙がないくらい喋る人だ。


「銭原さん。"蒐集"って何。さっき"昔おった"って言われてたけど」


「…………」


「銭原さんが昔いた場所って、あの保管庫を作った人たちと同じ?」


 銭原が立ち止まった。高架の下。街灯が一本だけ点いていて、足元だけが明るい。


挿絵(By みてみん)


「昔な」


 声のテンポがいつもと違う。陽気さが抜けている。


「怪異を封じるんやなくて、集める側におったことがある。呪物を仕入れるんやなくて、()()側や。怪異を見つけて、保存して、育てて、値段をつけて流す。本物を見分ける目は、そこで覚えた」


「……なんで辞めたの」


 長い沈黙。高架の上を電車が通る。音が頭の上を流れていく。


「売ったらあかんもんを、売れと言われたことがある」


「売ったらあかんもの」


「ああ」


「何を」


「……それは、まだ言えん」


 銭原は歩き出した。自販機の前で足を止めて、缶コーヒーを二本買った。一本を私に渡す。


「おごりや。今日はよう付き合うてくれた」


 温かい缶。手のひらに熱が伝わる。


「銭原さんは、私のことも"商品"だと思ってる?」


「思っとらん」


「ほんとに?」


「商品にしては文句が多かばい。値段つけようがなか」


 笑っている。でも目は笑っていない。今日ずっとそうだ。この人の本気は、口調がいつも通りの時に出る。


「お嬢ちゃん。今日見たことは朔夜に報告してええ。ただし、"蒐集"の名前は、もうちょっと後にしてくれ」


「なんで」


「朔夜が先に動くと、俺のほうが立場がなくなる。順番があるんよ」


「順番って……」


「商売人にはな、情報を出すタイミングちゅうもんがあるとよ。今はまだ、早か」


 缶コーヒーの温かさが、少しずつ手のひらに馴染なじんでいく。


 銭原は相変わらず笑っている。金歯がひとつ、街灯の光を拾う。


「もうひとつだけ」


「なに」


「あのスーツの連中。闇市でお嬢ちゃんを見とった二人組」


「気づいてたの」


「当然じゃ。あの手の連中は、うちが昔おった側の人間や。今は別の形で動いとる。あれに声かけられても、絶対ついて行くなよ」


「……怖いこと言うね」


「怖いんやなくて、()()のことを言うとるだけばい」


 銭原は缶を一気に飲み干して、空き缶をゴミ箱に投げた。入った。


「ほな、帰るか。朔夜が待っとるやろ」


 ――――――


 事務所に戻る。朔夜は机に向かっていた。


「どうだった」


「闇市、行ってきた」


「見えたものを報告しろ」


「……すごかった。怪異が商品として棚に並んでた。封印されてるけど、中には生きてるのもあった。あの保管庫の箱と同じ匂いのする品物もあった」


 朔夜の目が動く。


「同じ系統か」


「ぬいがそう言ってた。作った場所か、管理してた場所が近いって」


「他には」


「スーツの男女が私を見てた。品定めする目で。あと、卸元が"上が動いてる"って言ってた」


「上の名前は出たか」


「…………」


 銭原に「まだ言うな」と言われている。でも朔夜にも嘘はつきたくない。


「銭原さんに、もう少し待ってくれって言われた」


 朔夜のまゆかすかに動いた。


「銭原が隠しているということは、銭原にとってもまずい名前だということだ」


「朔夜は知ってるの?」


()()はできる。だが確定は銭原から引き出す」


「引き出すって、また値段交渉するの?」


「情報にも相場がある」


「この事務所の人間、全員金の話しかしないの?」


「金は共通言語だ。怪異より通じる」


「通じ方が間違ってるんだよ」


 ぬいがソファの上で欠伸あくびをした。


「おぬし、今日は死んどらんな。珍しい」


「珍しくない。今日は戦闘案件じゃないし」


「それでも銭原がらみで死なんかったのは奇跡じゃ」


「銭原さんそこまで危険じゃないでしょ」


「あの男の周りは、あの男自身より()()のほうが危険なんじゃ」


 否定できない。闇市で感じた視線を思い出す。


 朔夜が言った。


「今日の分、銭原に日当を請求しろ」


「え、もらえるの?」


「お前が同行したのは銭原の依頼だ。銭原に請求しろ」


「いくら」


「五万」


「五万!? いつもの時給とけたが違うんだけど!」


「闇市の同行は相場が高い。命の危険があるからな」


「今さら命の値段が上がるの腹立つ」


 銭原にレインを送る。


「今日の日当五万円ください」


 返信。


「三万」


「三万って言ってる」


 朔夜が私のスマホを取り上げて打つ。


「五万。払わないなら次の仕入れに協力しない」


 返信。


「四万」


 朔夜が打つ。


「五万」


 返信。


「四万五千」


 朔夜が打つ。


「五万」


 返信が来るまで三十秒。いつもの銭原なら即答する。三十秒黙ったということは、本気で悩んだということだ。


「……五万。払うばってん、領収書りょうしゅうしょくれ」


「領収書!? この事務所に領収書なんてあるの?」


「ある。経費処理に使う」


「経費処理がちゃんとしてるの逆に怖い」


脱税(だつぜい)はしない。怪異案件で脱税して税務署ぜいむしょに入られたら、そっちのほうが面倒だ」


「怪異より税務署が怖いんだ」


「税務署は怪異より()()()()()


 五万円。


 私のバイト代としては()()だ。時給三百円の世界で生きている人間にとって、五万円は百六十時間分以上の労働に相当する。百六十時間。ほぼ一ヶ月分だ。


 ただし借金は四千九百八十万円(蘇生そせい費の加算でもう少し増えている)。焼け石に水。でもないよりまし。


「……今日は死ななかったし、五万円もらえたし、るなのシュークリームもおいしかったし」


「おぬし、人生のハードルが低くなっとるのう」


「低くしないとやってられないんだよ」


 五万円の領収書を朔夜が書いた。宛名は「銭原呪助殿」。但し書きは「同行費」。


 この事務所は、怪異を封印して、心霊配信をして、死んだバイトを蘇生そせいして、闇市の領収書を発行する。


 何でも屋にもほどがある。


 でもまあ、今日は五万円もらえた。


 それだけは、良い一日だった。


*****

【後書き】


■今回の登場人物


影森かげもりゆら

 銭原に連れられて闇市に初めて入った女子高生。品定めされ、商品以上の価値があると言われ、五万円の日当をもらった。命の値段と日当の落差がひどい。


夜見よみ朔夜さくや

 銭原の仕入れ問題が自分の呪具調達に影響するので動いた。情報にも相場があると言い切る男。税務署を怪異より怖がっている。領収書は書けるらしい。


銭原ぜにはら呪助じゅすけ

 呪物道具屋。今回は仕入れ先との交渉にゆらを同行させた。「昔、集める側にいた」「売ったらあかんもんを売れと言われた」の二言だけで過去を匂わせた。笑っているのに目が笑っていない日だった。五万円は三十秒悩んでから払った。


夜宵やよいるな

 シュークリームを両手で交互にかじる天才。四千九百八十万円の借金を聞いて「よんせん!?」と叫んだ。


白澤しらさわ幽々《ゆゆ》

 ゆらの肩をぽんと叩いた。労いか同情か。「気をつけて」と言った。


・ぬい

 闇市で「やばいぞ」と震えていた。保管庫の箱と同じ系統の匂いを嗅ぎ分けた。銭原がらみで死ななかったことを奇跡と呼んだ。


■今回の話の解説


 銭原回です。怪異案件なし、戦闘なし、死亡なし。でも「怖い」の質が違う回。

 闇市という場所を通じて、この街の裏側に怪異を商売にしている世界があることを見せました。銭原はその世界の出身であり、今も片足を突っ込んでいる。

 「蒐集」という言葉が初めて出ましたが、名前だけで実態はまだ明かしていません。銭原が「まだ早い」と情報を止めたのは、この男なりの商売人の判断です。

 スーツの男女がゆらを品定めしていた場面は、今後の伏線です。

 あと、五万円の領収書は実在します。たぶん。それにゆらもこの後バイトで死んでます。絶対。

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