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影森ゆらは今日も死ぬ ――死後も無理やり働かされます  作者: 勇者ヨシ君
第一章 死んでからが勤務時間――蘇生費は給料から引かれます(初春)

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18/64

配信17回目 カウンセラーの手帳は白い ――プリンは無事です

学校に来ているスクールカウンセラーが、あの人だった。

偶然じゃない気がするけど、証拠もない。

穏やかで、丁寧で、怖いくらい優しい。困る。


 朝の教室って、平和だ。


 窓の外は薄曇り。校庭のラインが白く光っている。始業前のざわざわ。机の脚が鳴る音。誰かの笑い声。スマホの通知音。


 私の席に、いつものふたりがたまっている。


 夜宵やよいるなと、白澤しらさわ幽々《ゆゆ》。


 るなは机の端に頬杖をついて、購買のパンのカタログ(スマホ)を真剣に見ている。142センチの小さな体に、大きなたれ目。ふわふわした空気をまとった、うちのクラスのマスコットみたいな存在。見た目だけなら。中身はブラックホール。胃の。


「ゆらちゃん、今日カウンセラーの先生来る日だよぉ」


「そうなんだ」


 月に二回、外部からスクールカウンセラーが来る。保健室の隣にある相談室で、希望者が予約して話を聞いてもらえる制度。


 私は利用したことがない。私の悩みはカウンセリングの範囲に収まらない。借金。死亡。蘇生。怪異。時給三百円。どれを話しても通報案件だ。


 幽々が少しだけ声を低くした。


「私、今日予約入れてある」


 ゆらとるなは知っている。幽々がカウンセリングを受けていることを。詳しくは聞かない。聞かないのが三人の間のルールだ。幽々が話したくなったら話す。それまでは、隣にいるだけでいい。


 るなが聞く。


「ゆゆちゃんのカウンセラーの先生、いい人なのぉ?」


 幽々は少し考えてから答えた。


「……不思議な人。でも、()()()()()


「どんな感じぃ?」


「すごく静かで、こっちが黙っても急かさない。でも、必要なことはちゃんと聞いてくる。他の先生と、なんか違う」


「どう違うの?」


「……聞き方がうますぎる。何十年もやってる人みたいに」


 色素の薄い髪の奥で、灰色寄りの目がわずかに伏せられた。幽々は制服をきちんと着ている。いつも通り。でも「きちんと」の中に、手首を隠す長さの袖が自然に含まれている。


 私はそれに気づいている。気づいていて、何も言わない。


 カウンセラーが良い人なら、それでいい。幽々が話せる場所があるなら、それが大事だ。


 この時点では、そう思っていた。


 ――――――


 昼休み。


 三人で弁当を広げる。教室の窓際。日当たりがいい。


 私の前には母の弁当。るなの前には、弁当と、購買のパンが三つと、おにぎりが二つ。


「るな、弁当あるのに追加五品は何」


「だってぇ、四時間目おなか空いたんだもん」


「二時間目にもおにぎり食べてたよね」


「あれは朝ごはんの延長ぉ~」


「延長しすぎだろ」


 るなはメロンパンを半分に割って、片方を私に差し出した。


「はい、ゆらちゃんの分ぅ」


「……ありがと」


「もう半分はぁ?」


「おなかぁ」


「聞いた私が悪かった」


 幽々が少しだけ笑う。この子が笑うのは、三人でいる時だけだ。教室の他の場所では、幽々はいつも静かで、空気が一段冷たい。「何を考えているか分からない」と言う子もいる。でもここでは笑う。メロンパンを分け合う距離で、ちゃんと笑う。


 るなが焼きそばパンに手を伸ばしながら言う。


「ゆゆちゃん、カウンセリング何時からぁ?」


「昼休みの後半。もうすぐ行く」


「行ってらっしゃぁい」


「うん」


 幽々が席を立つ。お弁当を片付けて、小さく手を振って、教室を出ていく。背中が細い。制服が少しだけ大きく見える。


 その背中を見ながら、私はるなのメロンパンの残りをかじる。


 幽々が話せる場所がある。それを受け止める専門の人がいる。私やるなには言えないことも、たぶんある。それでいい。


 そう思っていた。まだ。


 ――――――


 放課後。


 忘れ物を取りに、保健室の隣の廊下を通りかかった。


 相談室のドアが少しだけ開いている。中から声は聞こえない。カウンセリングの時間はもう終わっているはず。中にいるのは、カウンセラー本人だけだろう。


 通り過ぎようとした。


 制服の内側で、ぬいがもぞっと動いた。


「おぬし」


 声がいつもより小さい。


「なんで——」


「この匂い。前に嗅いだぞ」


 足が止まる。


 前に嗅いだ。


 夜道で。コンビニの手前で。白い手帳を持った存在の隣で。


 心臓が跳ねた。


 相談室の扉の隙間から、中が見える。


 白い手帳。パスポートサイズ。白い革の表紙。机の上に置かれている。


 その向こうに座っている人は、白っぽい髪を肩のあたりで揃えていて、薄いカーディガンを羽織っていた。服装は前と少し違う。学校に溶け込むように、カジュアルに寄せている。でも顔は同じだ。整いすぎていて、男とも女とも判断がつかない、穏やかな顔。薄い琥珀みたいな瞳。透けそうなくらい白い肌。


 鬼灯ほおずきなゆ。


「あ」


 声が出た。


 なゆがこちらを見る。微笑む。前と同じ笑顔。穏やかで、丁寧で、どこまでも事務的。


「影森さん。カウンセリングのご予約ですか?」


挿絵(By みてみん)

 ――――――


 逃げるべきだった。朔夜さくやに「逃げろ」と言われた。


 でも、ここは学校の中だ。日が差している。廊下に生徒の声が聞こえる。この状況で、相談室から全力で逃走する女子高生。そっちのほうが通報案件だ。


 私は相談室に入ってしまった。


 なゆは机を挟んで正面に座っている。白い手帳は机の上にあるが、閉じたまま。カーディガンの下は白いシャツ。学校のカウンセラーとして、自然な服装。でも近くで見ると、やっぱり時代感がほんの少しだけズレている。清潔すぎる。皺ひとつない。人間が普通に着ている服には、もう少し生活の跡がある。


「なんでここにいるんですか」


「お仕事ですよ。こちらも」


「こちらも、って。あの帳面の仕事とは別ってこと?」


「別ではありません。ただ、現世で長く活動するには、それに見合う社会的な立場が必要ですから」


「つまり偽装」


「偽装というと聞こえが悪いですね。兼務、です」


 笑顔が崩れない。声のトーンも変わらない。怒らない。焦らない。朔夜とは全然違う。朔夜は理屈より先に態度が悪い。この人は態度が完璧すぎて、逆に怖い。


「幽々——白澤のカウンセリング、あなたがやってるの?」


「はい。月に二回、お話を伺っています」


「あの子のこと、どこまで知ってるの」


 なゆは微笑んだまま、ほんの少しだけ間を置いた。


「カウンセリングの内容は守秘義務がありますので」


「それは人間の守秘義務でしょ。あなた人間じゃないでしょ」


「守秘義務に種族制限はありませんよ」


 言い返せない。この人は論理で返してくる。しかも穏やかに。朔夜の「うるさい」「高い」「死ぬな」みたいな雑さが、今は少し恋しい。少しだけ。


「……幽々は、元気になってる?」


「私から評価を申し上げることはできませんが」


「カウンセラーとしての言い方はいいから。あの子、あなたに話してて、楽になってる?」


 なゆがまた間を置いた。さっきとは違う間合い。カウンセラーの間合いではない。もう少し、個人的な距離。


「……白澤さんは、良くなってきていると思います。少なくとも、以前より呼吸が楽そうです」


 なゆの顔を見た。微笑んでいる。前と同じ表情。でも今、ほんの一瞬だけ、笑顔の裏に何かが透けた気がした。仕事の顔ではない何か。


「鬼灯さんは、幽々のことが心配なの?」


「心配、ですか」


「死の帳簿の人が、生きてる人の心配をするの?」


 なゆは手帳に指を置いたまま、少し考えた。


「……死に近い方のそばにいるのが仕事ですから。心配というよりは、観測です」


「それ、答えになってない」


「そうですね」


 否定しなかった。


 私は立ち上がる。これ以上ここにいると、この人のことを嫌いになれなくなる。


「ひとつだけ聞いていい?」


「どうぞ」


「幽々も——あなたの帳面に、書かれてるの?」


 なゆは笑顔のまま、答えなかった。


 答えなかったことが、答えだった。


 ――――――


 放課後。三人で帰る。


 るなが「今日の購買のメロンパン、いつもよりふわふわだったよぉ。明日も買うぅ」と言っている。幽々は、いつもよりほんの少しだけ穏やかだ。カウンセリングの後はいつもこうだ、とるなが前に言っていた。


「ゆゆちゃん、先生と話した後はちょっとふわふわするよねぇ」


「ふわふわ……はしてない」


 否定しているが、声のトーンがわずかに明るい。足取りが軽い。


 なゆが幽々を助けている。それは事実だ。死の帳簿を持つ存在が、生きている少女の心を支えている。善意なのか業務なのかわからない。でも幽々が呼吸しやすくなっているのは本当のことで、それを否定する気にはなれない。


 でも、幽々もなゆの帳面に書かれているなら。


 幽々が「死に近い場所にいる」から、なゆが担当しているなら——。


「——ゆらちゃん?」


「ん」


「ぼーっとしてたよぉ」


「ちょっと考え事」


「えらぁい。ゆらちゃんが考え事するの珍しいよねぇ」


「失礼すぎる」


 幽々が小さく笑った。


 この笑顔を守りたい。でも帳簿の余白は、私の分だけじゃなく——。


 考えるのをやめた。今は、この帰り道が平和なことだけを大事にしたい。


 ――――――


 夜。事務所。


「カウンセラーとして学校に入ってた」


 朔夜の手が止まった。


「……あの鬼灯が?」


「月二回、スクールカウンセラーで来てる。幽々の担当」


 朔夜が椅子に深く座り直す。眉間に皺が寄る。


「白澤の担当か」


「知ってるの、幽々のこと」


「あの子が死に近い側の人間だってことは、前に会った時に分かってる」


「じゃあ、鬼灯さんが幽々の近くにいるのは——」


「観測だろうな。死にそうな人間の近くに張りつくのが、()()()()()()()だ」


「でも、幽々はなゆ——鬼灯さんのカウンセリングで楽になってるんだよ。実際に」


 朔夜が黙る。


「それは否定しない。だが、善意で助けてるのか、帳簿の管理精度を上げるために近くにいるのか、そんなのは本人にも区別がついてない」


「……朔夜だって同じじゃん」


「何が」


「私を蘇生してくれるの、善意なの? それとも便利だから?」


 長い沈黙。


「……両方だ」


「正直すぎるだろアンタ」


「嘘ついてもお前にはバレる」


 ため息をつく。朔夜のこういうところだけは、信用できると思ってしまう。嘘はつけるくせに、私にだけは下手な嘘をつかない。


「鬼灯さんに手を出せるの?」


「出せない。あいつは業務範囲内で動いてる。学校での身分も正規のルートで取ってるはずだ。俺が介入する理由がない」


「じゃあ放っておくの?」


「放っておくんじゃない。手が出せないだけだ」


 朔夜がスマホを弄りながら、ぽつりと言った。


「お前、あいつのことどう思ってる」


「え?」


「カウンセラーとして。人として」


「……怖いけど、嫌いにはなれない。幽々のこと、ちゃんと見てる気がする。朔夜みたいに雑じゃないし」


「俺が雑だと」


「雑でしょ。蘇生の第一声が"赤字だ"の”請求”だの」


 朔夜が不機嫌になった。目に見えて。


「あいつの話をする時だけお前は丁寧語になる。それが気に食わない」


「丁寧語?」


「鬼灯|"さん"《・・》」


 気づいていなかった。朔夜を呼び捨てにして、なゆには「さん」をつけている。無意識だった。指摘されると否定できない。


「……それ、嫉妬(やきもち)?」


「業務上の懸念だ」


「嫉妬じゃん」


「違う」


「顔が怒ってるよ」


「元からこういう顔だ」


 嘘だ。こういう顔は、なゆの話をした時だけだ。


 ぬいがソファの隅から呟いた。


「おぬしら、ほんまに面倒じゃのう」


 ――――――


 帰り道。


 スマホにるなからレインが来ている。


「ゆらちゃぁん、明日の購買でチョコクロワッサン出るらしいよぉ。二個買ってぇ」


 幽々からも一件。


「今日、ありがとう。帰り道楽しかった」


 短い。でも幽々にしてはすごく多い。


 私は二人に返信しながら歩く。


 鬼灯なゆ。笑顔で帳面を開く人。幽々のカウンセラー。朔夜が名前を聞くだけで顔色が変わる相手。


 あの人は幽々を助けている。私の借金を数えている。穏やかで、丁寧で、怖いくらい優しい。


 朔夜は「俺より優しかったから逃げろ」と言った。


 でも逃げられない。だってあの人は、幽々のそばにいる。


 私が逃げたら、幽々のそばにいる人が——帳面を持った死神だってことを、誰が気にしてあげるんだ。


 帳簿の余白は、減っている。


 私のも。たぶん、幽々のも。


 ——と、格好つけたことを考えていたのは、この日の夜九時頃までの話だ。


 ――――――


 事務所に戻ったら、朔夜が待っていた。


「サムネ用の素材が足りない。裏口の階段で"雰囲気のある写真"を撮ってこい」


「なんで私が」


「お前のスマホのほうが画質がいい」


「それ褒めてるの?」


「カメラを褒めてる」


 言い返す気力もなく、私はスマホを持って事務所の裏口に出た。


 古い雑居ビルの非常階段。錆びた手すり。半分切れた蛍光灯。確かに雰囲気はある。心霊配信のサムネにはちょうどいい。自分の職場にはしたくないが。


 三階から見下ろすアングルで何枚か撮った。暗い。手ブレする。朔夜に「センスがない」と言われる未来が見える。


 もう少し良い角度を探して、一段下がった。


 足が、滑った。


 正確に言うと、踏んだ段の感触が()()()()()()。境界の薄い段。見た目は普通のコンクリートなのに、足裏の感覚だけが二センチほど下にズレる。


 体が傾く。手すりを掴み損ねる。


「あ」


 三階分、落ちた。


 怪異じゃない。呪いでもない。ただの落下。物理。重力。ニュートン。


 意識が飛ぶ直前、思ったのは「サムネの画角、悪くなかったな」だった。


 ――蘇生。


「がっ……!」


「応急蘇生。通常料金」


「通常料金って何……」


「境界由来の事故なので割増はない。ただし現場が事務所敷地内なので出張費もない。蘇生費のみ加算」


「事務の処理が早い……」


 体中が痛い。三階分の落下の衝撃が、蘇生後の体にそのまま残っている。打撲というより、全身を一回ぐしゃっと潰してから戻した感じ。骨は折れていないらしい。蘇生の精度だけは認めたくないが認めざるを得ない。


 私はソファに倒れ込んだ。今日はもう何もしたくない。何も起きないでほしい。あとはコンビニで買ったプリンを食べて寝る。それだけでいい。


 冷蔵庫からプリンを取り出した。


 カラメルの色が照明を拾って光る。今日一日のご褒美。カフェでラテ一杯しか飲めなかった昨日の分まで、このプリンに賭けている。百七十円の希望。


 スプーンを手に取った瞬間、肩に重みが落ちた。


「甘いもの」


 ぬいだ。灰白色のふわふわした体が、肩からプリンに向かって身を乗り出している。琥珀色の目がプリンだけを見ている。


「だめ」


「ひとくちだけ」


「だめ」


「カラメルだけ」


「カラメルがいちばん美味しいとこだろ。だめ」


「けち!」


「けちじゃない。これは私のプリン。経費じゃない。自腹。私が自分の金で買った唯一の楽しみ」


「おぬしの楽しみより、わしの食欲のほうが——」


「上じゃないから!」


 ぬいが飛びかかった。私はプリンを高く掲げた。


 小さな体が腕にしがみつく。私は片手でぬいを引き剥がしながら、もう片手でプリンを死守する。ソファの上で揉み合いになる。


「離せ!」


「甘いもの!」


「離せって!」


「供物! 供物として寄越せ!」


「供物じゃない! 百七十円のプリンだ!」


 もつれた足が、床を踏み越えた。


 事務所の床には、朔夜が引いた怪異よけの結界線がある。普段は何も起きない。触っても跨いでも平気。ただし、二点以上を同時に踏み抜くと、一瞬だけ解除される。


 ぬいを抱えた私の右足と左足が、ちょうど結界線の両端を同時に踏んだ。


 ぶつん、と空気が切り替わる音がした。


 窓が開いていた。夜風が入っていた。


 その夜風に乗って、()()が事務所の中に滑り込んだ。


 首に冷たいものが巻きついた。


「——え」


 雑霊だ。窓の外をうろついていた、格も何もない、ただの雑霊。朔夜の結界があるから普段は入れない。でも今、一瞬だけ結界が切れた。その一瞬で入ってきた。


 首が締まる。


「ぬ、い——」


 ぬいは私の腕の中でプリンのカップを抱えていた。


「…………」


「助け、て……」


「…………プリンは貰ってよいか」


「人が死にかけてる時にっ——!」 ちーん。


 視界が暗くなる。また死ぬ。今日二回目。しかも原因がプリン争い。死因として終わっている。人としても終わっている。


 朔夜が奥の部屋から出てきた。雑霊を一瞥して、呆れた顔で指を鳴らす。雑霊が消えた。でも遅い。私はもう意識が飛んでいた。


 二度目の蘇生。


「がっ……!」


「応急蘇生。こちらは結界損壊に起因する事故なので、別料金」


「別料金!?」


「結界修復費込みで加算する」


「さっきの通常料金と合わせていくら!」


「合算は明日の請求書で」


「二件!? 一日に二回死んで二回請求されるの!?」


「死んだのがお前で、壊したのもお前だ」


「二件目はぬいのせい!」


「ぬいは従業員じゃないから労災の対象外だ」


「私も労災の対象外じゃん!」


 ぬいはソファの隅で、プリンを食べていた。


 カラメルからいっている。


「…………おぬし、美味いのう、これ」


「返せ」


「もうない」


「全部食べた!?」


「うまかった」


 私は怒る気力も失せて、ソファに突っ伏した。


 体中が痛い。二回死んだ分の蘇生費が明日の請求書に乗る。プリンはない。帳簿の余白は減っている。借金は()()()


 最悪の一日だ。


 いや。


 カフェでるなが笑っていたこと。幽々が「ありがとう」と言ってくれたこと。


 それだけは、良い一日だった。


 ——プリンの恨みは別として。


 続く。


*****

■今回の登場人物


影森かげもりゆら

 カウンセラー室で死神と再会した女子高生。怖いけど嫌いになれない相手が増えるのは、たぶん良いことではない。なお、この後サムネ撮影で階段から落ちて一回死に、プリン争いで結界を踏み抜いて二回死んだ。蘇生費は二件加算。プリンは戻ってこない。


夜宵やよいるな

 大食いの親友。弁当+購買のパン三つ+おにぎり二つを昼休みに完食。メロンパンの半分をくれたが、残り半分の行方はおなか。明日はチョコクロワッサンを狙っている。


白澤しらさわ幽々《ゆゆ》

 スクールカウンセラーの鬼灯を「不思議だけど話しやすい人」と評する。カウンセリングの後は少しだけ呼吸が楽になっている。帰り道の「ありがとう」は、この子にしてはとても多い言葉。


鬼灯ほおずきなゆ

 スクールカウンセラーとして学校に来ていた。白い手帳を机に置いて、生きている少女の話を静かに聞く。善意なのか業務なのか、本人にも区別がついていない。それがいちばん厄介なこと。


夜見よみ朔夜さくや

 鬼灯の話をされた時だけ不機嫌になる男。ゆらが鬼灯に「さん」をつけていることに気づいてしまった。「業務上の懸念」と言い張っている。蘇生費の請求処理だけは異様に早い。


・ぬい

 「この匂い、前に嗅いだぞ」で始まり、プリンを全部食べて終わった。観察力は一流。食い意地も一流。反省はしていない。


■今回の話の解説


 怪異案件なしの日常回です。ただし「日常の中に死神がいる」という不穏さを、学校という安全地帯に持ち込みました。

 鬼灯なゆが幽々のカウンセラーであるという接続は、「死に近い人間のそばにいる仕事」と「苦しんでいる人の話を聞く仕事」が重なることで成り立っています。善意と業務の境界が曖昧なのは、なゆ自身がいちばん困っていることかもしれません。

 朔夜がゆらの「さん付け」に気づいた場面は、朔夜が鬼灯なゆを「能力的な脅威」だけでなく「ゆらの態度を変える存在」として警戒し始めた瞬間です。

 なお、本編後にゆらは二回死んでいます。

 一回目の死因は、サムネ撮影中の階段落下。三階分。物理。蘇生費は通常料金。

 二回目の死因は、プリン争奪戦中の結界踏み抜きによる雑霊侵入。蘇生費は別料金(結界修復費込み)。

 プリンは無事でした。ゆらの財布は無事ではありません。――それに帳簿も削られます。


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