配信100回目 それでも私は、まだこちら側で生きていく
あれから数日がたち、世間はクリスマスムードまっさかりだった。
学校は冬休みで、街は年末の浮かれた空気に包まれている。駅前には赤と緑の飾りがぶら下がり、ケーキの箱を持った人たちが足早に行き交っていた。どこへ行っても「もう今年も終わりですね」「よいお年を」と聞こえてくる、そういう日だ。
なのに私は、朝から布団の中で「……よし、ちゃんと生きてるな」としみじみ確認していた。
普通なら、もっとマシな感想があると思う。寒いとか、眠いとか、ケーキ食べたいとか。
でも私の場合、まず最初に来るのがそれなのだから、人生だいぶ終わってんな、と思う。
枕元のスマホが震えた。母からのレインだ。
【今日、ご飯いる?早めに帰るなら言ってね】
【寒いから、あったかくして出かけなさい】
その短い文面が妙に胸へしみて、私は毛布の中で小さく息を吐いた。
戻ってきたんだな、と思う。完全に。ちゃんと、こちら側へ。
それでも、窓ガラスへ目をやった一瞬だけ、白い静けさが薄く重なった気がした。
玻璃を思わせる、あの向こう側の白だ。
「……見なかったことにしよ」
そう呟いて、私は布団から出た。
*****
昼すぎ、私は学校の近くにいた。冬休みなのに呼び出されたのは、るなたちが「クリスマスなんだから一回くらい顔見せろ」とうるさかったからだ。
「ゆらちゃ〜ん、こっちぃ〜!」
校門の前で、夜宵るながマフラーに顔を埋めたまま大きく手を振っている。...あの大きな胸も揺れている。隣には白澤幽々《ゆゆ》、少し離れたところに夏目透羽もいた。
「お前ら、呼び出し方が雑なんだよ」
「だってぇ、会いたかったしぃ〜」
「軽っ」
「でも前より顔色いいね」
幽々が静かに言う。
「ちゃんと、こっちの人の顔してる」
「褒め方が怖いんだって」
透羽が缶コーヒーを片手に肩をすくめた。
「いやぁ、でも分かる。前はちょっと遠かった。今はちゃんと近い」
「その評価やめて。私の生死判定みたいに言うの」
るながコンビニ袋を掲げる。
「ケーキ買ってきたよぉ〜。安いやつだけど、四人ぶん!」
「クリスマス感をコンビニで済ませるな」
「でもこういうのがいちばんおいしい時あるじゃん」
「透羽、それはちょっと分かる」
四人でベンチに座って、コンビニのケーキを食べた。風は冷たいし、フォークを持つ指まで冷える。でも、るなが「これ地味に当たりぃ〜」と笑い、透羽が「コンビニスイーツ界隈、普通に強くね?」と言って、幽々が「界隈の使い方が雑。」と返す、その何でもない会話がやけにありがたかった。
途中、幽々が私を見て小さく言った。
「……前より、ちゃんと笑えてるね」
私は少しだけ言葉に詰まる。
「そういうの、いきなり言うなよ」
「だって本当だし」
るながのんびり頷いた。
「ゆらちゃん、今のほうが生きてる感じするぅ〜」
「結局みんな言うこと同じなんだな」
「そりゃそうでしょ」
透羽が笑った。
「見てるこっちがずっとヒヤヒヤしてたんだから」
私はケーキの最後のひと口を飲み込んで、少しだけ空を見た。冬の空は乾いて高い。こういう普通の時間を、前よりちゃんと普通だと思える。それだけで、今日はもう十分な気もした。
*****
世界は、そのあともいつも通りに続いていた。
真琴さんは事務所でログ整理をしながら、「帰還判定は安定です。でも二度と見たくないログでした」と本気で嫌そうな顔をしていた。
ミリアは配信で「クリスマスだからって趣味悪いもんまで映えに使うほど落ちてないのよ、私は」と、らしいようならしくないようなことを言っていた。
銭原からは「本物ば使うたんやけん高かに決まっとるやろ」とだけ連絡が来たので、そのまま無視した。死ねばいいあいつは。
槙野刑事にいたっては、電話の向こうで開口一番こうだ。
『……お前らな。こっちはこっちで、いろんな事件の裏処理と書類整理が大変だったんだぞ。報告書に“白い通路に落ちました”なんて書けるわけねえだろ』
「知らないよ!」
『知らなくていい。二度と増やすな』
「私のせいみたいに言うな!」
『半分くらいはそうだろうが』
失礼な人である。
でも、そのぼやきがちゃんと現実の側から聞こえてくることに、少しだけ笑ってしまった。
*****
夕方、私は事務所へ寄った。
年末前の事務所はいつもより少しだけ静かだった。配信機材は最低限しか光っていないし、札の束もきっちり整理されている。妙に片付いているのが、逆に落ち着かない。
その静けさの中で、冥が壁際に立っていた。
「来ましたか」
「……どうも」
相変わらず、綺麗で、冷たくて、声だけ聞くと怒られる前の先生みたいだ。
冥は私をまっすぐ見たあと、視線だけで奥を示した。事務所のドアの向こう、さらに上――屋上へ続く階段の方向だ。
「夜見朔夜は上にいます」
「そう」
「その前に、ひとつだけ」
私は足を止める。
冥の声は、いつもと同じ温度なのに、今日は少しだけ言葉を選んでいるように聞こえた。
「今回は拘束しません」
「……許したって意味じゃないんでしょ」
「もちろん違います」
即答だった。
「監視は続きます。向こう側も完全には閉じていない。次に同じ線を、同じやり方で勝手に通したら、私は今度こそ夜見から止めます」
その一言に、階段の上から低い声が落ちてきた。
「分かってる」
朔夜だ。
冥は視線を上げず、そのまま続ける。
「影森さん。あなたもです」
「私?」
「“戻る”ことと“引き返す”ことは違います。もう一度向こうに手を伸ばすなら、今度は自分の意志だけでは済みません」
私は少しだけ考えてから、小さく息を吐いた。
「……うん。それも分かってる」
「ならいいです」
冥はそこで、ほんの少しだけ目を細めた。
「今日は、話してきてください。今夜だけは、私は聞かなかったことにします」
その言い方が、いかにも冥らしくて、私は少しだけ笑った。
「ありがとうございます、って言う場面?」
「好きに解釈してください」
私は肩をすくめて、階段へ向かった。
*****
屋上は、ほんとうに寒かった。
冬のビル屋上なんて来るものじゃない。金属の手すりは見ただけで冷たく、風は容赦なく頬を切っていく。空には薄い雲がかかっていて、街の灯りを鈍く返していた。
そして、雪が降っていた。
積もるほどじゃない。粉みたいな細い雪が、暗い空から静かに落ちてくるだけだ。それでも街のネオンに照らされると、白い粒だけがふっと浮かんで、すぐ消える。
「……寒っ」
「来たのはお前だろ」
振り向くと、朔夜がいた。黒いコート姿で、いつも通り腹が立つくらい顔がいい。
「呼んだのもお前だろ」
「そうだったな」
そこで会話が切れた。
風の音と、遠くの車の音だけが間を埋める。
「影森」
「なに」
「今は、お前を近くに置けない」
私は少し目を細めた。
「……そう来るか」
「監視は残ってる。向こう側も終わってない。今の距離でまた案件に巻き込めば、俺はたぶん同じことをする」
「同じこと?」
「守るつもりで使う」
その言い方が、妙にまっすぐで、私は少しだけ困った。
「だから、今は離れる」
吐く息が白い。
風が強くて、マフラーの端がぱたぱた揺れる。
「それ、お前の口から言うの、ずるいな」
「ずるくていい。言わなきゃ駄目だろ」
「……最低」
「知ってる」
雪が肩へ落ちる。
寒さに思わず身をすくめた私を、朔夜がごく自然に引き寄せた。
抱擁、と言うには少しだけ短い。
でも、寒いからという言い訳がぎりぎり通るくらいには近い距離だった。
コート越しでも熱が分かる。
それが、余計に切なかった。
「……ここにいろ」
低い声が耳元へ落ちる。
私は少しだけ笑う。
「その言い方、ほんと最初から変わんないな」
「努力はしてる」
「してそれ?」
「これでもだいぶ」
「信用はしてない」
「知ってる」
たぶん、あの時の私は少し泣きそうだった。
だから誤魔化すみたいに顔を上げた。
「……これ、貸しだから」
「は?」
背伸びして、ほんの短く、ちゅ、と唇を重ねる。
本当に一瞬だけ。
触れたかどうかも曖昧なくらい短くして、私はすぐ離れた。
朔夜が固まる。
その顔がちょっとだけ面白くて、私は先にそっぽを向いた。
「言語化したら撤回するから」
「今の、」
「黙れ!」
雪がまたひと粒、頬へ落ちた。
「……次は請求書だけじゃなくて、お前も来いよ」
言ったあとで、自分でもかなり恥ずかしかった。
でも朔夜は笑わなかった。
「善処する」
「しろ」
「努力はする」
「それ信用ならないんだって」
それでも、笑えた。
無言で、朔夜が私に自分のマフラーをかけてくれて――、
その夜が、最後の朔夜との直接対面になった。
*****
そうして年が明けた――。
私はあれだけ1年間、怪異と向き合ってきたし、毎度死んでいたのに、何もない日常の中で日々を過ごしている。るなたちと楽しく話し、学校で学び、普通に帰宅する。そんな生活の毎日だ。
なお、借金はぜんぜん減っていない。むしろ増えている気がする。
最悪である。
朔夜とは、あれから会えていない。
会えていないくせに請求書だけは定期的に届く。最低だ。
しかも今月の請求書には、
「未面会期間維持費」
「請求通知自動送信料」
「債務者状況確認費」
までしっかり載っていた。
もう一度いう。会えていないくせに請求だけは律儀なの、やっぱり、本当に最低だと思う。
でもまあ、あいつそういうとこあるよね。
そして私は高校三年生になった。
今年はいよいよ大学受験である。
受験費用って、いくらだっけ。
……やめよう。現実を直視すると死ぬ。
いや、死んでもだめだ。働かされる。
なので、バイトしなきゃいけない。
次のバイトがブラックバイトじゃないことを、心の底から祈っている。
たぶん無理だけど。
完
【最終話後書き】
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございました。
『影森ゆらは今日も死ぬ』は、これでいったん本編完結となります。
死んで、戻って、働かされて、それでもこちら側へ残ったゆらたちの一年を書き切れました。
今回の登場人物
影森ゆら
死にたくないのに死にがちで、最後までちゃんと巻き込まれた主人公。
それでも最後は、自分でこちら側を選び直しました。
夜見朔夜
使う側から、戻す側へ立ち直った怪異相談屋。
相変わらず最低だが、請求書は忘れない。
白縫冥
最後まで冷たい監視者。
でも今回は、少しだけ見逃してくれた。
夜宵るな・白澤幽々・夏目透羽
ゆらがこちら側へ残る理由だった、学校側の光。
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――ゆらの独白――
百物語が終わると、どうなるか知ってますか?
いや、私もそんな詳しくないです。
ていうか、詳しくなりたくもないし。怖いし。
できれば一話目の時点で「はい無理、帰ります」って言って、
コンビニで甘いの買って、風呂入って、布団にもぐって寝たいんですよ。
誰が好きこのんで、こんなクソ怖い話を百回も数える側に回るんだって話でしょ。
でも、百物語って、怪談をひとつ語るたびに灯りをひとつずつ消していって、
百話目で最後の明かりがなくなる――そういう話らしいです。
最初は、配信一回目とか二回目とか、ただの話数だと思ってました。
けど、ここまで来ると、さすがに嫌でも分かるんです。
増えてたの、回数じゃない。
こっち側の明かりが、少しずつ減ってただけなんじゃないかって。
私と朔夜の物語は、これでいったん終わりです。
でも、画面を閉じたあとで、
なんか部屋の空気が変だなって思ったら――
それ、多分、気のせいじゃないです。
次は、あなたのそばに――




