8.素性
「あまり気に病まないでくださいね」
遠ざかっていく公爵の足音が聞こえなくなったタイミングでメイドが困ったようにマーガレットに話しかけた。公爵の出ていった扉を見つめていたマーガレットはゆっくりとメイドに視線を移す。
ジュジュと呼ばれていたメイドは、その声音通り困ったように少しだけ眉を下げて肩を竦めた。
「あぁ見えて繊細な方なんです」
「そうなのね」
マーガレットはゆるく微笑んだまま熱い息を細く吐きだす。
「あなたはどう思う?」
「何のことでしょうか」
「私が嘘をついていると、あなたもそう思う?」
「……」
ジュジュはさらに困ったように眉を下げた。
どう言おうか迷うように少し間をおいてから、躊躇いがちに口を開く。
「…私には分かりかねます。ですが、私たちの知る旦那様は冗談を言うような御方でないことは確かです」
「…そう」
私たち。
マーガレットはシーツを小さく握りしめた。
どうやら公爵様は誠実な人のようである。「私たち」とはきっとこの邸にいる使用人たちのことだろう。もしくは彼女に親しい人たちのことだろうか。いずれにせよこの邸でのマーガレットの立ち位置は『公爵様に嘘をついたウソつき』だ。
もちろんマーガレットは嘘をついていないが、今はそれを証明する手立てがない。
公爵様もマーガレットについて調べるようだからこの疑いについては直ぐに晴れると信じているが…なぜだろう。嫌な予感がする。
「ジュジュでいいかしら?」
「はい。お嬢様」
「早速で申し訳ないのだけど父に手紙を書きたいの。紙とペンを準備して貰える?」
「…畏まりました。デザインや紙質などのお好みはありますか?」
「直ぐに準備できるものであればどんなものでも構わないわ」
もともと父には手紙を書くつもりだったが、疑われている以上すぐにでも父へ手紙を出したほうがいい。
父のことだから、マーガレットの手紙が届いたその日に迎えにきてくれるはずだ。
仮に調査が終わったあとに父からの返信が来たとしても、マーガレットの身元がより確かになるだけで無駄になることはない。
ジュジュは「後ほどお持ちいたします」と素直に頷いてくれたが、しかしすぐに意味ありげにマーガレットを見つめてきた。「なぁに?」と首を傾げるマーガレットに「いいえ」と言葉を濁す。
ジュジュは誤魔化すようにマーガレットに近づくと、すでにぬるくなっていたマーガレットの額のタオルを手早く交換した。
ひんやりとした感覚が気持ちいい。
「…旦那様が仰っていたようにお顔の色があまり優れませんね。御用がなければ私は一度下がらせて頂きますので、ごゆっくりお休み下さい」
「有難う。これからいろいろとお世話になるわ。…短い間だと思うけど、よろしくね」
『短い間』という言葉をあえて強調する。
マーガレットだって早く家に帰ることを望んでいて長居するつもりはないのだと暗に示すためだ。
先ほど飲んだ薬の影響だろうか。すごく眠い。
それにさっきから景色がぐにゃぐにゃと歪んでみえて胃がムカムカする。
歪む景色の中、使用人らしく綺麗に一礼するジュジュを見送って、ぱたり、と扉の閉まる音と同時にマーガレットは気を失うように眠りについた。
※
「ジェームズ、彼女の素性について何か分かったか?」
あれから三日。
リアムはいつものように書類に目を通しながらそばに控えるジェームズに声をかけた。
「残念ながら」と眉を下げるジェームズにリアムは「そうか」と溜め息をこぼす。
「予想はしていたが…、頭が痛い」
「私も老体に鞭打ちながら旦那様のために不眠不休でお調べしたのですが…お役に立てず申し訳ありません」
「その割には元気そうだが?」
「空元気というやつです」
笑顔で嘯くジェームズを無視してリアムは眉間を指で抑えた。
「期待はしていなかったが、あの頭のイカれた手紙も役に立たなかったし、今のところ彼女にも怪しい動きはない、となると完全に手詰まりだな」
「根比べ、といったところでしょうか」
「…勘弁してくれ」
リアムは吐き捨てると疲れたように背もたれに凭れた。ギィーと情けなく椅子が悲鳴を上げる。
昨日、ジュジュが一通の手紙をリアムに持ってきた。どうやら女が父親に宛てて書いた手紙らしい。
何も言わずとも自分のところへ持ってくるところがさすがジェームズの孫である。
『サンディルズ国 モラリス公爵閣下』
手紙の封筒には彼女がいう家名とその国名が書かれていた。わざわざ国名まで書いているのは先のリアムの疑いを意識してだろう。
サンディルズ国?一体どこなんだそれは。あの女の頭の中だけに存在している国のことか?それとも俺が引き篭もっているうちに新しい国でもできたのか?
ー…馬鹿にしている。
手紙には、自身の安否と現在ネーヴィアス領で世話になっていること、直ぐに迎えに来て欲しいことが簡潔に記されていた。
恐らくリアムに手紙を読まれることは予測していたのだろう。簡潔すぎる手紙はまるで『やましいことはありません』とリアムに伝えるためのパフォーマンスにみえた。
念のため手紙を出してみたのだが、やはり直ぐに宛先不明で戻ってきた(手紙を出すように伝えたメイドから配達員に変な目で見られたと苦情が入った)ため、問答無用で女に突っ返した。
「彼女の容態は?」
「まだ痛みはあるようですがベッドから離れて過ごす時間も増えているようですよ。昨日は我が国の歴史書をご所望になったとか」
「国の歴史書?」
リアムの目に剣呑な光が宿る。
「まさか渡したのか?」
「一般的な歴史書をお渡ししました。隠す必要のないどこでも手に入る量産されたものですよ。あとは歴史書関連について書かれた絵本もご希望だったので一緒にお渡ししました。ほら、旦那様が小さかった頃に読まれていたあの絵本です」
「はぁ?絵本?なんだってそんなものを読みたがるんだ?」
「さぁ?ご自身でお聞きになってはどうです?ご婦人との会話は練習あるのみですよ」
「お前は一言二言余計なことを言わないと気がすまないのか?」
「なにぶん性分でして」
リアムはいつものように間食用として準備されたロジェ特製の焼菓子を一掴みすると無言で口に放り込んだ。「喉に詰まらせますよ」と呆れたジェームズが紅茶を淹れてくれる。
「そういえば、お客様が午後から日当たりのよい二階東の客室に移られるそうです」
紅茶に砂糖を入れようとするリアムの手を叩きながらジェームズが報告する。
「…今日は菓子の甘さが足りない気がするんだ」
「いつもと同じです」
ぴしゃりと言われてリアムは渋々砂糖から手を離す。
「…ちょうど今日あたりにロンが帰ってくるはずだったな。あいつの報告次第では明日にでももう一度彼女と話をするべきだろう」
リアムは爽やかな苦味のある紅茶を一口含みながらもう一度焼菓子を一掴み口に頬張った。




