4.女嫌い
ー⋯空は快晴。暖かな光が差し込む午前十時。
ネーヴィアス公爵リアム・ネーヴィアスは、大人の男が二人は座れそうなほど大きな特注の椅子に身を沈めながらいつものように領民から届く報告書や嘆願書に目を通す。
害獣被害。資源不足。街路修繕依頼。先月の作物収穫量。領民の増減による影響。領地開拓にむけた人材確保ー…。
毎日届く領民の声を拾い上げながら、リアムは淀みなくペンを走らせる。
「そういえばマーサの体調はどうだ?」
「3日前に女の子を無事出産したそうですよ。母子ともに健康だそうです。旦那様に大層感謝していましたよ」
「そうか」
「昨日怪我から復帰したロジェも旦那様に深く感謝していました。『療養中も手当を出してもらえたおかげで家族を路頭に迷わせずに済みました』と。直接御礼を言わせてほしいと言付かっております」
「問題がなかったのならそれでいい。わざわざ私に礼を言う必要はないと伝えてくれ」
「畏まりました」
執事長は頷く。どうぞ、と淹れたての紅茶を空いている机の上に置くと、次いで焼き菓子が山のように盛られた皿をカップの隣に添えた。
「今日のお菓子はロジェが作ったそうですよ。この紅茶と一緒にぜひ召し上がって欲しい、と」
長方形の焼き菓子は表面の砂糖衣がつやつやと輝いていて美しい。
リアムは執事長に言われるまま焼き菓子をひとつ手に取って食べた。
しっとりとした生地からじゅわりと染み出す甘い蜜が舌を愉しませる。すかさず爽やかな紅茶を一口含めば、豊かな渋みが甘さを軽やかに引き立て、とてつもなく美味い。
「…ロジェは凄いな。こんな美味いもの、どうやって考えつくんだ?」
「彼は旦那様の好みを熟知していますからねぇ。療養中も旦那様にお作りする料理のことばかりを考えていたと笑っていましたよ」
「ジェームズも食べるか?紅茶と一緒に食べると美味いぞ」
「私は旦那様ほど甘い物が得意ではありませんので遠慮しておきます」
「そうか…」
困ったように眉を下げる執事長にリアムは「残念だ」と差し出していた皿を下げた。
山のように盛られた焼き菓子はリアム一人で食べるには少し多い。…いや、食べきれないのかと聞かれたら余裕で食べきれてしまうのだがー⋯。
リアムは自分のせり出した腹をちらりと見た。
今にも弾け飛びそうな釦に、菓子へ伸ばしかけた手をぎりぎりのところで理性が押し留める。
なんとか焼き菓子から目を逸らして、中断していた仕事に取り掛かろうとペンを握り直した、その時ー…。
突如、執務室の扉がバンッとけたたましい音を立てながら開かれた。
「リアム!お前、女を連れ帰ったって本当か!?」
開けた扉の先から転がり込むようにして入ってきた青年はリアムを見るやいなや弾む息を整える間もなくそう叫んだ。
リアムは溜め息をつきたい気持ちをぐっと堪える。
「…五月蝿いぞ、ロン。静かにしろ」
「女嫌いのお前が! 女を! 連れてきたんだぞ!? 声も大きくなるだろ!」
リアムの従兄弟で侍従でもあるアーロン・ネーヴィアスは、走ってきたそのままの勢いでリアムの座る執務机にバンッ! と激しく両手をついた。
余程慌てていたのだろう。もともと癖っ毛の茶色の髪は鳥の巣のように絡まり、シャツの釦は掛けちがえてる上に半分は留められてすらいない。
「詳しく説明してくれ!」と喚くアーロンに「まずは身なりを整えろ」と冷たく吐き捨てる。
わたわたと釦を留め直す従兄弟を一瞥しながらリアムは疲れたように息を漏らした。
「はぁ…。誰だ、こいつに喋ったのは…」
「小さな邸ですから噂が広がるのも早いのですよ」
「お前か? ジェームズ。噂話を管理するのも執事長の仕事だろう。分かってて放置したな」
「話題が話題ですから。それにいずれは知られてしまうことです。隠し通すだけ無駄だと判断致しました」
にこりと笑う執事長にリアムは大人しく口を閉じた。図星だった。正論に反論するほど愚かではない。
黙り込んだリアムに、アーロンは衝撃を受けたように「マジかよ…」と呟いた。
「じゃぁ本当なんだな? お前が女を連れ帰ったっていうのは。一体どういう風の吹きまわしだ?俺達がどんなに言っても結婚どころか婚約すらしなかったくせに…」
いや、そうじゃないな。とアーロンが慌てて首を横に振る。
「そんなことが言いたかった訳じゃない。えっと…そうだ! 俺が言いたかったのは、おめでとうってことだ! どんな理由にせよ、やっとお前にも愛する人ができたんだ。嬉しくないわけがない!それこそ寝起きで走ってくるくらいには興奮してる。そうだ! それでお前の愛する女性はどこにいるんだ? 早く会わせてくれ!」
「…一つ言っておくが」
リアムは苛立ちを抑えるようにして地を這うような低い声で言い放った。
椅子の背もたれにどっしりと体重を預けてアーロンを見あげる。
この馬鹿の口を誰か縫い付けてくれ、と内心で呪いながら。
「俺は人助けをしただけだ。変な勘違いをするな」
「人助け?」
「庭の林の中で倒れているのをヴァングが見つけたんだ。放っておいてそのまま死なれでもしたら寝覚めが悪いからな。仕方なく邸に連れてきただけだ」
「…はぁ〜!?」
なんだそれ!とアーロンが叫ぶ。
「じゃぁ恋人じゃないのか!?」
「最初からそう言っているだろ」
「俺はてっきりお前がついに恋人を連れてきたんだとばかり…」
アーロンはただでさえ鳥の巣のようだった髪の毛をさらにくじゃぐしゃとかき混ぜると、がっくりと肩を落として疲れたように深い溜息をついた。
そして、自分を無視して手元の書類に目を通し始めたリアムにムッとする。
ふと、リアムの机の上に美味そうな焼き菓子があるのをみつけたアーロンは、ひとつ摘むと口に入り込んだ。
たが、飲み込んですぐに喉がカッと熱くなる感覚に思わず顔を顰める。白い砂糖でコーティングされた焼き菓子は想像よりもかなり甘い。
「あっま…。これほとんど砂糖じゃん。いや、砂糖っていうか蜜の塊? お前、朝からよくこんなの食えるな…」
「紅茶と一緒に食べると甘さが和らいでさらに美味いぞ」
「いや、俺はもういいや。そりより、お前また太った?」
「……」
「その椅子、少し前までもう少し余裕あっただろ。服も新調したばっかなのにパツパツだし。今にも釦が弾け飛びそうじゃん」
大人の男が二人は座れそうなほど大きいはずの椅子は、窮屈そうに座っているリアムの巨躯のせいで、実物よりもかなり小さく見える。
リアムは肉に埋もれた小さな目を忙しなく左右に動かして、丸々としたソーセージのような指で器用にペンを操っては、流麗で美しい文字を連ねていく。
リアムに完全に無視されたアーロンは、まぁいいやと肩を竦めた。
「それで?その女はなんで林の中なんかに居たんだ? そうそう簡単に入れるような場所じゃないはずだろ?」
「さぁな。素性を調べさせてはいるが…本人に直接聞いたほうが早いだろうな。今はまだ眠っているが、目を覚ましたら話を聞くつもりだ」
「可愛い?」
「は?」
「見た目だよ!見た目。お前より年下? 年上? 貴族? それとも平民か? なぁ、見に行ってもいいか?」
「……ジェームズ」
「はい」
執事長はいつの間にか部屋の扉の前まで移動すると、ニッコリと微笑んで「お帰りはこちらです」とアーロンのために扉を開けてみせた。
「なんだよジェームズ。お前だってリアムに結婚してほしいだろ!?」
「勿論でございます」
「女を寄せ付けないこいつのせいでこの邸にくる女は顔見知りの既婚者か老人ばかりじゃないか。舞踏会や茶会にだって滅多に顔を出さないから出会いだってありゃしない。折角組んだ縁談だって無視しやがるし。そんな時に女の客人が来たってんだから、これを利用しない手はないだろ! その女本人とどうこうならなくたって、何かしら伝手ができるだけでも万々歳だ!」
「さようでございますね」
「ほらみろ! なぁリアム。お前、その女のこと見てるんだろ? なぁどう思ったんだよ。正直に教えてくれ!」
「はぁ…」
リアムは頭痛をこらえるように眉間を押さえた。
ジェームズは扉を開けはしたものの、無理やりアーロンをつまみだそうとする様子はない。つまるところ、この老獪な執事長もアーロンと同意見ということだ。
アーロンはこうなればリアムが話すまでてこでも動かない。
リアムは諦めたように重い口を開いた。
「…若い女だ。髪は淡いブロンドで、長さは腰まである。身なりをみる限り、それなりに高い身分の出だろう。ドレスも装飾品も、どれも一級品だった」
「貴族の娘ってことか」
「恐らく。医者の話では命に別状はないが、随分と消耗しているとのことだ。世話をさせた使用人の報告では、足に細かい擦り傷が無数にあったらしい。何かから必死に逃げてきたのかもな」
「獣か?」
「そこまでは知らん」
「で?可愛い?」
「……一般的にいえば容姿はかなり整っている」
「可愛いんだな!」
「私は一般的な話をしたんだ」
「じゃぁお前自身はどう思ったんだよ!」
「どうも思わん!」
「旦那様」
声を荒らげたリアムを遮るように、執事長がにこりと微笑んだ。
「お客様がお目覚めになられました」




