知らない子供
……………
時間は22時まで戻る。秘匿二課折口レイ班と違法魔術師、そしてヨシノリたちが一つの民家に潜伏し『夜叉母』の対策会議と休息を行っていた頃、そちらとは少し離れた住宅街にて、結界の端の方へと弾丸の如き力強い走り、そして魔力の痕跡ない繊細な密やかさで進む一つの影があった。
「こ、こっちをみてる……」
山口コウに背負われている10歳くらいの少年は道の先に佇む濡れた髪の女性を見て、怯えた声でそう言う。山口はその言葉を特に気にも留めず、真っ直ぐと怨霊の下へ走っていく。
その速度は怨霊が彼を感知するよりもずっと素早く、彼は目にも留まらぬ速さで怨霊の下を走り去る。そのすれ違いざま、彼は怨霊の身体を二本の指で貫き、悟られぬままに除霊を完了して過ぎ去っていった。
山口はそんな下級怨霊を倒したことよりも周辺を感知したことでわかる怨霊の数の変化と強力な怨霊の気配に気をもんでいた。
――前の二体の霊も消えたようだが、それ以上のバケモンがこの雑魚共をかなりの数出していやがるようだな……。おかげでこのガキを降ろす場所がねえ。クソッ。せっかくあの『龍』は誰にもマークされずにいるってのによぉ……。
山口はギリと歯噛みし怒りを滲ませる。その様子を察したのか、彼の背から声が響く。
「す、すみません。僕、もう降りても、大丈夫、です」
「ああ?」
山口は背負っている少年に振り向く。不安そうに震える子供の様子を見て山口はいぶかしむ。
――こうもビビられるとめんどくせえな……。一発殴るか? いや、今、加減するのはもっとめんどくせえ。クソっ。
山口は平和な場所で生きる子供というものにやや困惑していた。怯える人間は基本的に殴るなり脅すなりでいう事をきかせてきた彼であるが、戦地での経験上、子供というのは大人以上に扱いやすく殺し易い相手でしかなかった。だが、今相対している子供は戦地のそれとは全く異なる。
彼は面倒そうな様子で走りながら話す。
「町の端まで連れてってやるよ。もののついでだし、取って食うわけでもねえからそんなにビビらなくてもいいぞ。ムカついたら殴るが」
「で、でも、迷惑でしょ。僕は大丈夫、です」
山口はますます困惑が増える。
――顔色伺ってるくせに何なんだよその遠慮は。意味のわからねえガキだな……。クソッ、殴る気も起きねえし、めんどくせえっ! どっかその辺でそろそろ降ろすか。
彼は視界の先にある家を指さして言う。
「わーったよ。そこの家で降ろしてやる。そこで朝ぐらいまで隠れてろ。朝になればこの騒ぎも落ち着くだろうよ」
「は、はい、スイマセン」
山口にはその怯えた声がしきりに謝る様子が単なる自身への怯えとしか受け取っていなかった。彼の首に回された小さな腕には恐らくできてから数日経つであろう切傷と下手な貼られ方の絆創膏が幾つかあったが、それは山口にとって日常の風景であり、とくに異常性を感じることはなかった。
彼が数歩の内に数百メートルを走り切り、指定した民家へと到着したその瞬間。彼はすぐ近くに戦闘準備万端の魔術師がいることを察知する。魔力量と気配を巧妙に消し去るその手練手管から、すぐに彼はその魔術師が天出仁であることを察する。
――奴が一瞬魔力を見せた……! 恐らくは罠! 野郎、『龍』を呼ぶつもりか……!
山口の考えは当たっていた。感知範囲ギリギリの空に居た『龍』の神霊は天出仁の見せた一瞬の魔術に引き寄せられる様に頭を向け、そちらへ向かっていく。
山口コウにはそれが辛抱ならなかった。彼は今なんのためにここに居て、何を背負っているのかをほとんど忘却していた。
そして彼は荷物を降ろし忘れたまま『龍』の下へと飛び上がり、空中の見えざる足場を飛び移っていく。
「わあああ!」
山口はその少年の叫びで思い出す。背中から振り落とされかけた子供を腕で抑え、彼は一瞬のうちに考えを巡らす。
――降ろし忘れた……! だが、時間がねえ。背負いつつ戦えばいい!
「悪いがこのまま龍と戦う。落とすような真似はなるべくしねえから死ぬ気でつかまってろ」
そう言い捨てると、山口はすぐに龍を追う。背後から驚愕と恐怖と困惑の入り混じった高い悲鳴が聞こえるが彼はそれを無視した。彼にとって背負うものが人でも荷物でもさして変わりはなかった。
そして彼は空中にて龍を再び見つける。だが、龍は彼のことなど一瞥もくれず、ただ地上に立つ一人の男。ニヤニヤとした笑みを浮かべ足をプラプラと遊ばせながら龍の攻撃を待つ天出仁を見定めていた。
それに対して山口コウは咆哮をあげる。
「いいだろう。嫌でもこっちを見させてやるよッ!」
彼は黒い影となって一心に龍へと突撃を開始した。




