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約束  作者: 沢村茜
第十章
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通じ合う心

「雅哉はタイミングを見失って渡せなかったって言っていたよ」


 私はそのチェーンのネックレスに視線を落とす。


「あいつは心配になるくらい不器用だから。君に大学の話をしなかった詳しい理由は詳しくは分からないけど、志望校を変えて遠くの大学に行きたいと思ったのを君だけには言えなかったんじゃないかな。あいつが初めて好きになって付き合った女の子だったから」


「でもそれはお母さんのことがあったから誰とも付き合えなかったんだと思います」


「母親のことはゼロではないと思うけど、それでも他の誰でもない君だから好きになったし、つきあった。それってどういうことか分かる?」


 私だったからなんて今まで考えたことがなかった。


「だから、君はもっと自惚れていいし、君は自分も、雅哉も信じてみていいと思うよ」


 今まで誰にも言えなかった不安で、苦しくて、それでいて幸せな気持ちも全てが涙と一緒に飛び出してきた。


「だって、ずっと木原君は私のことをどうして好きになってくれたかわからなくて。学校でもにあわないとか、つりあわないとか言われていてすごく辛かった」


 そんな私の肩に一馬さんの手が触れる。


「君だっていろいろがんばっていたと思うよ。それに君はすごくいい子だよ。俺も百合も、晴実ちゃんも敦も君だから優しくしていたんだよ。俺は好きでもない人間に必要以上に優しくするほど心が広い人間でもないし、俺は雅哉が大事だから、君が嫌な子だったらこうやって話を聞こうとも思わない。だから、そうさせた君は十分魅力がある子なんだよ」


 泣きながらもほんの少しだけ笑ってしまった。


「だから、君は周りから優しくされていると思うなら、自信を持つべきだと思うんだよね。雅哉だけじゃない。君を好きでいてくれた敦也のためにもさ。自分が好きになった子が、何で自分なんかと自分を否定したら悲しいと思うよ」


 私は新しいことを教えられる子供のようにただうなずいていた。


「あと一つだけおせっかい。君が別れるといったとき、あいつが何も言わなかっただろう?」

「木原君から聞いたの?」


 一馬さんは否定した。


「でも、あいつの行動だけは察しが付くよ。あいつ、出て行く母親と会っていたんだ。その時、事情は分からなかったけど、彼女が出て行くつもりだとは直感的に分かったんだろうな。彼女は『行かないで』と言ったあいつの手を振り払った。文さんもそのことをすごく後悔していたって聞いた。そのことはあいつも知っているけど、幼いときの記憶って結構心に残るからさ。どこか引きずっていたんだと思う。だからあいつは引き止めることができないよ。どんなに心の中で由佳ちゃんを引き止めたくてもね。怖いのだと思う。君だけには拒絶されたくないと思っているだろうから」


 その言葉を彼から聞いた。あの夏の日に。そのとき誓ったのだ。彼を傷つけない。裏切らない、と。それなのに私は自分の都合で、彼を裏切っていた。


 私はより激しく泣き出していた。悲しかったわけじゃなく、悔しかったのだ。自分の弱さ、もろさが身に沁みていた。分かったふりをして、本当は何も大事なことを分からないでいたことも。


「私、木原君に嘘吐いて、裏切って。傷つけて」


「でも、今ならまだやり直せるし、取り戻せると思わない? 望めば君達は今すぐにでも会うことができるんだから。もし、君がそう願うなら」


 彼は私の持っていたネックレスを手に取ると、それを首にかけてくれた。


「雅哉と話す気はある?」


 私は自分の気持ちをうまく言葉にできずに、うなずいていた。


「実は雅哉は昨日からこっちに来ていて、両親と出かけているんだ。帰りにあいつだけ呼び出したから、家の外で話してくるといいよ。家の中だと俺達に気を使ってしまうだろうし。行くか、行かないかは君に任せる。それが君の出した結論なんだから。でも、いかないならメールでいいから教えて。さすがに寒い中、あいつを放置はできないから。待ち合わせすると、夜まで待つやつだから」


 彼は私に電車の切符を渡す。彼が告げた待ち合わせ場所は私と彼の出会った場所だった。


 私は彼と一緒に、玄関まで行く。彼は靴箱の上においていた車のキーを手にすると、私に見せた。


「行き先を決めたなら送るよ」


 私は首を横に振る。


「大丈夫。一人で行けますから」


 私は目にたまっている涙を拭って、微笑んだ。

 最後にあるくことで、自分の気持ちの確認をしたかったんだと思う。


「君は笑った顔が一番可愛いと思うよ」


 一馬さんの言葉にできるだけ笑顔で応える。


 外に出ると、昨日のような寒空が広がっている。こんな寂しい空でも、一年前は幸せを与えてくれるものだった。


 それはやはり木原君がいてくれたからで、私にとって彼は特別な存在だった。


 その彼の笑顔を見続けたいと思った。でも、私は逃げ出していた。理由はいろいろある。結局は私が弱くて、彼を信じられなかったんだ。彼が私にとってあまりに特別で、同じ怖さを彼も抱いていたなんて考えてもみなかった。


 枝を踏みわけ、一年と少し前に歩いた同じ道を歩く。


 視界が開け、一人の男性が立っていた。足元で枝のなる音が聞こえる。彼は振り返ると、目を見張る。


「久しぶり」


 私の言葉に、木原君は困ったような笑みを浮かべる。


「また一馬に何か言われた? こんなところまで連れてきて。代わりに謝っておくよ」


 彼は私に背を向ける。


「駅まで送る」


 そう言い歩き出した彼の腕をつかんでいたが、顔を直視することはできなかった。彼はその手を振り払うことはしなかった。


「私ね、怖かったの。傍にいなかったら私のことなんてすぐにどうでもよくなるって。だからなかったことにしようと思ったの。最初から何もなければ傷つかないから。でもどう頑張ってもそうはできなかった」


 私はそこで一呼吸置く。


「木原君のことは高校一年の四月から知っていて、ずっと憧れていて、遠い人だった。私のことを好きでいてくれると言っても実感がなかったの。だから、不安でたまらなかった」


 そのとき、目から熱いものがこぼれそうになる。その涙をこぼさないように目を強く閉じた。


 木原君の手が私の頬に触れ、涙を拭ってくれた。


「俺も同じだったよ。君を知ったのは二年になってからだけど、届かないと思っていたから、期待しないようにして、自分の気持ちを抑えていた。大学のことも、ずっと迷っていた。君と離れたら、君は大学で新しい出会いがある。そしたら俺のことなんか忘れるかもしれないと思っていた。だから言い出せなかったんだ」


 野木君や百合に幾度となく似ていると言われたのを思い出す。私と木原君は同じようなことで悩み続けていたのだ、と気付いた。


「今でもそう思ってくれているの?」


「そんなの答えるまでもないよ。君以外ありえない」


「ありがとう。私も木原君のことだけがずっと好きなの。だから、木原君にずっと傍にいてほしい。大学は違っても一緒にいたい」


 そう口にした直後、指先だけに感じていたぬくもりが体全体に伝わってくる。私は彼の傍に引き寄せられていた。彼は私の耳元で囁くように告げた。


「ありがとう。俺も君と一緒にいたい」


 私の目からもっと多くの涙が溢れてくる。


「今までどおりとはいかないけど、できるだけ君に会いに行くし、寂しい思いをさせないようにする。だから、何かあったら何でもいいから俺に言って欲しいんだ」


 不器用で、真面目な彼の精一杯の優しさだったんだろう。


「分かった。木原君も何かあったら私に言ってね。約束」


 私は彼の腕の中でもぞもぞと動くと、小指を差し出した。子供じみていて、人から聞かれると笑われるかもしれないが、こうしたかった。


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