戻らない時間
徐々に冬の気配が近付いてきた。
木原君は何度か両親の家に帰り、母親を見舞っていたようだった。少しずつ母親とも話ができるようになってきたらしい。
それがいいことなのか分からない。だが、木原君が自分で実家に帰るようになったのは彼自身にとって何か変化が起こったのだろう。彼と付き合ってから一緒に遊びに行くことも未だにできなかったが、今はそんなことを考えている場合でもないと分かっていた。
私はそんな彼に負担をかけさせたくなくて、いつも教えてもらっていた勉強を毎日から週に三回に変更した。
晴実たちからデートをしたのかということをからかわれなかったことも、私にとって随分と大きな助けとなっていた。
修学旅行の日程もあっという間に過ぎさり、後は受験モードに突入だけになる予定だった。だが、私には気がかりなことがあった。
「私、木原君に誕生日をあげてないんだよね」
晴実は口をぽかんと開ける。
「だって木原君の誕生日って夏だよね。もうすぐクリスマスだよ」
「夏っていろいろあったじゃない。百合のこととか、木原君の家のこととか。彼にほしいものを聞いて買おうと思っていたらいつの間にか、こんな時期になっていて。今更、話題にも出せないよね」
「木原君の誕生日ってつきあう前だから、別にいいんじゃないの? 今更あげるのも違和感あるかも」
私は目の前のジュースを口に含む。口の中にオレンジの酸味が広がり、ジュースの残量が目に見えて減っていく。
彼とつきあっていることは学校や家では内緒にしている。照れ臭いのと、なんとなく木原君を好きな子に知られたくないと思ってしまったからだ。
木原君の誕生日は家でケーキを食べたけど、そのままタイミングを逃してしまいプレゼントのことを言いだせなかった。だからその分をクリスマスで心持ち挽回しようと思っていたが、ほしいものを聞いたら別にないと言われてしまったのだ。
またジュースを口に含むと、ストローが底に触れた。
それを晴実につげると彼女は苦笑いを浮かべる。
「木原君ならいいそう。悪いとかじゃなくて、本当にほしいものとかなさそうなイメージ」
「だよね」
彼がほしがるもののイメージがわかない。
「難しく考えないで食べ物にしたら? それなら邪魔にならないし」
「でも、最初のプレゼントは形に残るものあをあげたいなって思うの」
「これから長く付き合うつもりなら、そのうち聞けばいいよ」
彼女の言っていることは最もだと思う。
それに今は彼自身、そんな気分ではないはずだ。それに彼の足手まといだけにはなりたくないと思っていた。
そこで晴実の飲むグレープジュースも底をつく。
私達はお店を出ることにした。
冷たい風が追い立てるように私達の背中を押す。その目の前を手をつないでいるカップルがいた。すごく幸せそうに見えた。あたりを照らすイルミネーションが余計に二人を幸せそうに映し出していた。
「そのうち、由佳達もデートができると思うよ」
晴実はそういうと、明るく笑う。私と木原君がこうしたデートができるようになるのは、彼が母親のことを気にする必要がなくなったときだろう。だから、彼とデートをしたいと思うことはそれだけでいけないことのような気がしていた。
「大学は一緒なんだしさ」
私は彼女の言葉に頷いた。私が暗い顔をしていたので、元気付けるために言ってくれたんだろう。
「そうだね」
私と木原君は学科は違えど、志望大学は同じだった。大学に入った時、彼のお母さんがどうなっているかはあえて考えないようにして、私は幸せな未来を夢見ようと決めたのだ。
その時、洋服を売っているお店が目に入る。
「セーターはどうかな」
「いいと思うよ。今から買いに行く?」
笑顔で言ってくれた親友の言葉に、うなずいていた。
町中を華やかな音楽が流れる日、私は緊張をしながら木原君の部屋の前にいた。だが、手ぶらでプレゼントは持っていない。彼に話をして、部屋からもってこようと決めたからだ。
拳を作り、軽く叩くと木原君が顔を覗かせる。
「どうかした?」
「話があるの。いいかな」
彼は不思議そうな顔をしながら、私を招き入れる。私は彼に断り、部屋に荷物を取ってくると言い残し、部屋に戻る。晴実と買ったプレゼントを持ち、木原君の部屋を覗いた。
彼は携帯を手に誰かと話をしていた。私と目があうと、手を顔の前に持っていき、謝るような仕草をする。
「分かった。じゃあ、明日帰るよ」
彼の瞳に一瞬だけ、悲しみが映るのが分かった。私はその電話の内容がなんとなく分かってしまった。
「本当の母親が亡くなったらしい」
彼女は何度か体調がよくなっていたが、そう簡単にはいかなかったようだ。
私はプレゼントを後ろに隠す。彼に何かを言いたいと思っても、言うべき言葉が見付からない。
「大丈夫?」
「大丈夫だよ」
木原君はそういうと、悲しそうに笑っていた。
彼は翌日の午前中に実家に戻ることになった。
その日の夜、いつもはそんなことがないのに夜中に目が覚めてしまった。木原君のことが気になっていたからかもしれない。
気分を取り直すために飲み物を飲もうとリビングに行くと、窓から光が差し込むのに気付いた。その先には星がきらめいていた。
「木原君も見ているのかな」
今は離れているけど、空はこの世界に一つしかない。だから、この空の下に彼もいるんだということにほっと胸をなでおろす。
不意にリビングに光が宿る。
振り返ると父親がそこに立っていた。
「まだ起きていたのか?」
「さっき目を覚ましたところ」
彼はそうかと言うと、食器棚に行き、コップを取り出すと、ダイニングテーブルの上にあるコーヒーメーカーからガラスの容器を取り出し、コーヒーを注ぐ。
そして、ソファに腰を下ろし、私が先ほどまで見ていた窓を見ていた。
「お父さんは木原君の家のことを知っているの?」
「まあ、大学時代からの友達だからね。一通りは」
「そっか」
彼は木原君のことを考え、今回のことを提案したのかもしれないと思っていた。
「でも、前から知っていたなら紹介してくれたらよかったのに」
「奈々さんが若いから、紹介はしにくかったんだよ。ただの後妻というだけならともかく事情が複雑だからね。母さんは何度か彼の家に行ったことがあったけど」
「ずっと気になっていたんだけど、お父さんが木原君をこの家に呼んだのはそのことがあったからなの?」
「それもあるよ。雅哉君の前で本当の母親の話題をすることをどうしても避けていたんだ。だが、これからはそういうわけにもいなかくなる。かといって家を借りてしまうとお金がかかるし、いざ向こうに住みたいと思っても、身軽に転校できなくなる。だから、この家に住んだらということになったんだよ。彼が一人で悩んでいるとき、いつでも彼の両親に教えられるし、話し相手にもなってあげられると思ったからね。結果的にそれがよかったのかは分からないけど、毎週自発的に向こうに戻っていることを考えると、よかったのかもしれない」
能天気だと思っていた父親から聞く、久々に真面目な話だ。実はいろいろと木原君のことを考えてくれていたんだろう。
私はこの家に生まれて、木原君に会うことができてよかったと心から思っていた。
年が明けてから、彼は戻ってきた。彼は疲れているのか、何かを考え込んでいるように見えた。母親が亡くなったのだ。恐らく保険金の話なども聞かされたのだろう。だから彼は思い悩み、何かを考えているのだと思っていた。
私は彼のために買ったセーターを渡すことができなかった。実の母親を失い、悩んでいる彼にクリスマスだの、誕生日プレゼントだの言い出せるわけもなかった。私はセーターの入った袋を引き出しの中に片付け、そのうち渡そうと決めた。




