一番の幸せ
その日は家に帰っても何もする気がしなかった。ベッドに横になり、百合と一馬さんのことだけを考えていた。百合が今、悲しい思いをしていなければいいのに。
そのとき、ドアがノックされる。返事をすると、木原君が扉を開けた。
私は思わず体を起こし、乱れた髪の毛を整えていた。
「今から出かけてくるよ」
「どうかしたの?」
「一馬のお母さんが今日、こっちに来るはずだったのに、来ないらしい。どこかで迷っているかもしれないらしくて、探しにいくよ」
「大丈夫? 私も行こうか」
「大丈夫。一応知らせようと思っただけ」
「気をつけてね」
そのとき、ベッドの上においていた携帯がランプを点す。発信者は百合だった。そのことに胸をドキッとさせながら、電話を取った。
「頼みがあるの」
いつもの彼女らしからぬ歯切れの悪い声だった。
「どうかした?」
「一馬さんのお母さんが私の家にいるのね。だから、彼にその事を伝えてほしいの」
「百合の家にいるの?」
私はドアのところに立っている木原君に手招きした。
「いるよ。だから、連れて帰って欲しいの。ホテルをとっているみたいだから、そこにでも」
私は百合に少し待ってというと木原君に事情を簡単に説明する。
「分かった。一馬に伝えておく」
彼はそこで言葉を切る。
「俺が迎えに行こうか?」
百合に気を使ったのだろう。
「木原君が迎えに行こうかって言っているけど」
彼女がその言葉にほっと息をつくのが分かった。私は電話を切った。
「私も行っていい?」
「いいけど、どうして?」
「一馬さんのお母さんってどんな人なのかなって思って」
「イメージのままだよ。彼女も君に会いたがっていたから喜ぶと思うよ」
「私の事を知っているの?」
「一馬と、もしかしたら母さんからも聞いているかも」
「なんて言ったのかな」
「普通の話だよ。俺の彼女ってことと、百合の友達ってこと」
彼女という響きに照れてしまっていた。私は鏡で自分の姿を確認すると、親に友人の家に行くと言い、彼と一緒に家を出る。木原君と一緒だからか、特に何も言われることはなく、遅くなるようなら連絡をするようにとだけ言われた。
木原君は一馬さんに電話をしていた。自分達が迎えに行くから、一馬さんにはまっていろと伝えるためだ。
電話を切ると百合の家に急ぐことにした。
彼女の家は和の赴きの祖母の家とは一変し、洋風の家だった。茶色のインターフォンを押すと、すぐに玄関の扉が開き、タイトスカートに白のシャツを着た少女が飛び出してきた。今日は長い髪の毛を横で一つに縛っている。
彼女は困り果てた顔で、黒色の柵を開けてくれた。
彼女に急かされ、家の中に入る。彼女は私達にリビングの中に入るように言うと、階段の影に隠れてしまった。
状況が飲み込めない私とは異なり、木原君は何か考えるところがあったのか、私の肩を軽く叩く。
「どうせ原因は一馬のお母さんだから、中に入ろうか」
私は首をかしげながらも部屋の中に入ることにした。だが、扉を開けると、思わず声を上げる。そこには今日、いろいろ話をした女性がソファにすわって腕組みをていたのだ。部屋の中には百合のお父さんがいるくらいだった。
彼女は立ち上がると、リビングの入り口までやってくる。
「はじめましてじゃないわね。今日、二度目かな。由佳ちゃん」
私は木原君を見た。
「一馬のお母さんだよ」
私は当の本人にあれこれ言ってしまったことになる。彼女はもちろん百合の気持ちを知っているわけで。
私は思わず扉を閉めていた。バタンという音が室内に響く。百合を彼女の視界から隠すことがせめてもの償いだ。
「今日は本当にありがとう。一馬と話をする前に百合ちゃんの気持ちを確認しようと思ったんだけど、逃げ出しちゃって。どうせ部屋に逃げられなくて、廊下辺りにいるんだろうけど」
彼女は百合に一馬さんのことをどう思っているかを、それもおそらく父親の前で聞いたんだろう。
私の想像の一馬さんのお母さんとは全く違っていた。もっと繊細で、おとなしい人を想像していたのに、美人だけど少し真逆の印象だった。
「百合ちゃんが話をしてくれないなら、一馬に聞くしかないわよね」
彼女はバッグから携帯を取り出した。一馬さんを呼ばれるのも、それはそれでまずい。
「呼んできますから、電話をしまってください」
そう言葉を搾り出す。だが、口にしてもう少しマシな言葉があったんじゃないかと思った。彼女に別の話をしましょうとか、そうしたこと。口にしてしまった後ではどれだけ反省してしまっても手遅れだったが。
「よろしくね」
満面の笑みを浮かべた彼女は私に言い訳する隙を与えなかった。
私は嫌な期待を背負い、廊下に出る。外に出るとすぐに扉を閉めた。
廊下では百合が体を壁に預け、俯いている。彼女は顔をあげる。会釈をするが、目が笑っていなかった。
私はこうなったであろう事情を説明する。
百合の顔が青ざめていく。
「いいよ。私から事情を話すよ」
彼女は嘘をつこうと思っているんだろう。
百合のお父さんと一馬さんのお母さんの結婚生活が上手くいかなかったら私のせいだ。私はどうしてこうなんだろう。あのとき、一馬さんに言われたようにすぐに学校に行っていたらよかった。
私の携帯に電話がかかってくる。発信者は一馬さんだ。私は百合から顔を背け、電話を取った。
「母さんは? 迷惑かけてない?」
私は言葉に詰まる。
彼はそれで何かを察したようだ。
「今、近くにいるから連れて帰るよ。押しが強い人だから、雅哉じゃ無理だと思う」
私も彼の意見には同感だった。私は百合に一馬さんが近くにいると伝え、彼がくる許可を貰う。そして、待っていると告げると電話を切った。
「部屋に戻っている?」
私の言葉に百合は首を横に振る。
二分ほどで、玄関のチャイムが鳴る。私が扉を開けると、一馬さんがいつもより息を荒げた状態で立っている。
一馬さんの視線が、一度家の中に向かい、すぐに私を見た。百合の姿を見つけたのだろう。彼が靴を脱いでいるときに百合を見たが、百合は一馬さんと目を合わせようとしない。
一馬さんのお母さんはリビングにいると伝えると、彼は「ありがとう」と言葉を残し、リビングに入っていく。
私は百合の肩を叩く。
「部屋に行こうか」
彼女は首を縦に振る。
私たちが階段を上がろうとしたとき、リビングの扉が開く。木原君がリビングから出てきたのだ。彼であったことにほっとしたのもつかの間、眉をひそめると、リビングの扉を閉めてしまった。
「北田に大事な話があるからって呼んでいるんだけど」
百合はため息を吐くとリビングに入っていく。私と木原君は目を合わせ、後に続いた。
一馬さんのお母さんと、百合のお父さんがソファに座っていて、一馬さんはそこから少し離れたダイニングテーブルに腰を下ろし、頭を抱えているようだった。
一馬さんのお母さんは私たちを一瞥する。
「話がいつの間にか飛躍していることは置いておくわ。信明さんと話し合って、結婚はしないことにしたの。一馬は百合ちゃんのことが好きなのよね」
一馬さんの表情が暗くなる。
「もう忘れたよ」
百合の顔が強張る。私は思わず百合を見ていた。そしてもう一人彼女を見ている存在に気付く。一馬さんのお母さんだ。
「私が再婚したとしても、あなたたちが恋愛しようが気にしないとは思う。でも、諦めるとか諦めないとか本人たちが気にするなら、それが足かせになるなら、結婚なんてする必要はないの」
「だからもう終わったことなんだよ」
「でも、肝心の百合ちゃんがそう思っていないようだけど。一馬のことが好きなのよね」
「何言ってんだよ。百合を好きなのは俺で、百合は何とも思ってない。百合に迷惑かかるから、しつこく言うのは止めてくれ」
「これから先、百合ちゃんは一馬がそう思ったままでいいの?」
その言葉に百合が今まで以上に顔を強張らせた。泣いてしまうのではないかと思う程。
「だから」
そう口にした一馬さんの言葉を打ち消したのは誰でもない百合だ。
「迷惑なんかじゃないよ」
室内が一気に静まり返る。
「いつからか分からないけれど、すごく好きだった」
「これでも再婚に賛成する? 多分、百合ちゃんは再婚したら、それで自分の気持ちを終わらせるつもりだと思う」
「百合への気持ちは片思いだと思っていたから。だから諦めるためにって」
一馬さんはそう言うと黙ってしまった。
一馬さんのお母さんは優しく微笑んでいた。だが、彼女は真顔に戻ると、腕組みをする。
「でも、こうなったそもそもの発端は一馬なのよね。相談した翌日に百合ちゃんに諦めるって伝えるなんてね。そもそも私と信明さんは付き合ってもないのに」
「だって再婚って」
「そういう話が出たのは本当よ。付き合うなら再婚を前提に付き合いたいと。でも、お互いに家族がいるから、その意に反することだけはしたくなった。一馬の気持ちは信明さんも知っていたから、まず一馬に伝えて、百合ちゃんにはその後に相談しようと話し合ったの」
一馬さんは居心地の悪そうな顔をしている。
「でも、一馬の長い片思いが実って良かった。私にとっては今年一番の嬉しい出来事ね」
一馬さんのお母さんはそうにこやかに笑う。そんな一馬さんのお母さんを見て、百合のお父さんも笑っていた。
私と木原君は用事も済んだので、家に帰ることした。だが、門を出たとき、一馬さんのお母さんに呼び止められる。
「今日はありがとう。知らないままだったら一生後悔したと思う」
私は首を横に振る。
「再婚、良かったんですか?」
「私は納得しているわ。一馬が幸せになれるなら、それ以上のことはないの」
彼女の笑顔には自分を偽ったり、良く見せようとする気持ちが全く感じられない。紛れもなく彼女は一馬さんのお母さんだと思ったのだ。
私達は彼女と別れ、家に帰ることにした。
「本当にあれでよかったのかな」
幸せそうな顔を見れて嬉しい。でも、自分のしたことが正しいかと問われれば分からない。
「それはあの二人にしか分からないけど、一馬たちが自分の親を気遣っていたように、彼女たちも自分の子どものことを気にしていたのかもしれないな。本人達がそれでいいというなら、それでいいんだと思うよ。少なくとも四人とも、すごく嬉しそうだったよ」
私は木原君の言葉に頷いていた。
◇◇
「あの人と付き合うことにしたの?」
翌朝、学校で百合からそのことを聞かされた晴実の第一声だった。
「大きな声出さないでよ」
百合は顔を背けて外を眺めている。教室内から好奇に満ちたまなざしが集まってくる。
晴実もそれを感じ取ったのか苦笑いを浮かべていた。
「意外。百合に憧れていた人はみんな失恋決定だよね」
「そんな人いないから」
百合は即効で否定する。百合は素でそう思っているようだ。今まで告白をされたのは一馬さんを含めて二回のみ。高校に入ってからはそんな経験は一度もないらしい。そもそも彼女に告白しようと思う男の人が少ないんだと思う。
一馬さんと百合は誰も近寄れないお似合いの二人になるだろうけど、これから一馬さんがいる限り、百合は一生誰からも告白なんかされないだろう。あの一馬さんから彼女を奪おうと普通考えないと思う。それに幸せそうな百合を見ていると尚更だ。
晴実が突然何を思ったのか、私と百合を交互に見る。
「私以外、みんな彼氏がいるってこと?」
私は晴実の言葉に相槌を打つ。
「私は私の道を行くからいいけどね」
晴実は肩をすくめて微笑んでいた。
その一週間後、私は木原君からこんな話を聞いた。
「一応法律的にはね、親が結婚しても二人は結婚できるらしいよ」
私は驚きを隠せなかった。それなら結婚を止める必要はなかったのではないだろうか。
「なら、どうして?」
「あの二人は真面目だから、きっと法律的には可能だと言っても、気にするだろうし、今後何らかの障害になる可能性もゼロじゃない。だから、その障害にはなりたくないとね。それに一馬のお母さんと北田のお父さんにとっては、一番幸せなのは自分達の子供が幸せになってくれることなんだってさ。だから、二人とも、納得しているらしいよ」
「きっと二人は幸せになるよね」
私の言葉に木原君は頷いてくれた。
彼女たちの決断が正しいか分からない。でも、彼らの選択がこれ以上ない幸せな未来へと繋がることを願っていた。




