一番ほしいもの
チャイムが鳴り、ホームルームが終わりを告げる。その日はお昼過ぎに木原君から用事ができたので一緒に帰れなくなったと伝えられたのだ。
「今日、一緒に帰らない?」
私は前の席の晴実に声をかける。
「今日、百合も用事があるらしくて、野木君と約束しちゃったんだけど、一緒でいいかな」
「私、一人で帰るよ。邪魔したら悪い」
「由佳が邪魔なんてことあるわけないじゃない」
晴実は笑顔で応える。
邪魔という言い方が失敗だったかもしれない。好きな人と二人きりで帰りたいのではないかと思い、遠慮をしたのだが、晴実は気にした様子はなかった。
私は彼女達と一緒に帰ることになり、野木君と待ち合わせている昇降口まで行く。彼は昇降口で一人でたたずんでいた。先に靴を履いてしまった晴実が声をかけ、事情を説明していたようだった。
私は靴擦れで痛む足をかばいながら、少し遅れて彼らのところに行く。彼は私がいることに驚いていたようだったがなにかを言うことはなかった。
学校を出ると、野木君が口を開く。
「雅哉の様子はどう?」
「変わりないと思いますよ」
彼と話をすることは、あの告白されて以降たまにある。
「あいつが毎朝、しっかり起きているのが意外だよな」
彼が含みのある笑みをもらしながら、そう告げたように木原君は私の家に来て、あの病気で寝込んだ日を省けば一度も誰かに起こされたことがない。一人暮らしをして問題がなかったのではないかと思うほどだった。だが、野木君が言うにはそれは考えられないことらしい。逆に私がたまに起こされる話をすると、彼は笑っていた。
自分が振った相手にそんな話をするのは無神経かもしれない。だが、野木君は私の前で木原君の話を良くしてくる。それは野木君にとって木原君は大事な友達だったからだろう。
「昨日のデートでさ、由佳がヒールのある靴をはいていってら、靴擦れを起こして大変だったんだってさ」
晴実はからかうように言う。
野木君の視線が私の足を見る。
「そういえばさっきから歩き方がおかしいよな」
私は先ほどから足をかばって歩いていた。できるだけつま先に力を込めないようにかかとから着地して歩くようにしていた。それでも、針で刺されたような痛みがたまに襲ってくるけど。
「一緒に映画を見に行ったことは聞いたけど、靴擦れね。君らしいといえばそうだけど」
「反省していますよ」
私は半ば恥ずかしくなって、目を伏せる。
「今度、靴を買いに行こうか。歩いても靴擦れしないようなもの。もうすぐバーゲンもあるしね」
晴実は私の背中を軽く押す。
「そうだね」
もうこんな失態は二度と演じないようにしないとと思うからだ。
私と晴実が並んで歩き、その少し前を野木君が歩いている。晴実はそんな彼に時折話しかける。彼は時折、彼女の言葉に返答をしていた。
晴実と野木君は傍から見ているとすごく仲がいいなとつくづく思う。
そのとき、晴実の足が止まる。いつも彼女と帰るときに分かれる交差点だ。この道を右手に行けば、晴実の家がある。私の家はまっすぐだ。
「またね」
晴実と野木君に手を振り、別れた。二人の家は途中まで一緒らしい。
彼があのとき私と交わした約束の意味は今になれば分かる。木原君のお母さんのことだったんだろう。友達にそういうことを言うのかと不思議に感じる人もいるだろうが、もう十一年目のつきあいということを考えると、不思議には思わなかった。
彼から好きと言われて一ヶ月と少し。今では友達のように話をする。その間、木原君と野木君の関係を晴実からも含めていろいろ聞いた。彼と木原君は小学校から同じ学校に通い、ずっと良い友人関係を築いているらしい。その分、野木君の木原君への思いも、普通の友人以上のものがあるんだろう。
あと野木君も女子生徒からはかなり人気があるらしい。だが、彼はほとんど女子生徒とは話をしない。百合とは木原君を通じて仲が良いようで、百合へのやっかみの一因になっていたのだろうか。
家から少し離れた公園の前を通りかかったとき、名前を呼ばれる。顔をあげると、白いシャツに黒のスボンをはいた男の人の姿があった。彼は優しい笑顔を浮かべていた。
「今日は一人?」
私は頷く。
「君にあいにきたんだけど、電話番号を知らなくて困ったよ」
「私に?」
この前の話の続きなのだろうか。
私は一馬さんに番号とメールアドレスを教えた。そして、彼の連絡先も教えてもらった。
「お姉ちゃんに聞けばよかったのに」
「そういえばそうだね」
彼は苦笑いを浮かべ、携帯を鞄に入れる。
「この前、雅哉から聞いたよ。あのときのこと、覚えていたんだね」
「覚えていましたよ。でも、あの子達が一馬さん達だとは思わなくて驚きました。百合との付き合いもかなり長いんですね」
「もう十五年か。俺の祖父と、百合のばあちゃんが親しかったんだよ。で、そのつながりってわけ。昔話はこれくらいにして、どうせなら今日、パフェ食べに行かない?」
「行きます」
私は二つ返事で頷く。
私達はこの前、百合たちと一緒に行く予定だったお店に行くことにした。晴実が買い物帰りに見かけておいしそうだと言っていたので、入った事はまだない。
お店の中に入ると、鐘の音が響く。夕方時ということもあってか、思いのほか人が多い。私達は窓辺に座ると、デザートメニューを確認する。私が選んだのはフルーツが山盛りのフルーツパフェで、チョコレートがかかっているものだった。一馬さんは飲み物を注文する。
「由佳ちゃん、飲み物は?」
「コーヒーがいいです」
彼が注文を伝えると、お店の人は会釈を浮かべ中に入っていく。
「昨日、木原君と映画に行って、これを買ってもらいました」
私は鞄からマスコットの入ったビニール袋を取り出して、一馬さんに見せる。
彼は不思議そうに首を傾げる。
「中身を出せばいいのに」
「だって、折角木原君から買ってもらったのにだしたら汚れちゃうかもしれない。明日からは家に大事にしまっておくつもりです。今日は友達に見せるために持ってきたんです」
「律儀というか変わっているね。でも、気に入っているなら鞄につけたほうが雅哉は喜ぶ気がする」
鶴の一声とは今の状況を言うんだろうか。少し違うかな。
私は袋から出すと、鞄の脇にある留め金にかけてみる。それを一馬さんに見せると、彼は笑顔で応えてくれた。
そのとき、パフェとコーヒーがそれぞれ届く。私は早速中のアイスが溶けないうちに食べることにした。口に運ぶと、甘い香りがふんわりと広がる。
「おいしい」
「そういうところがすごく可愛いと思うよ」
一馬さんは私を見て、微笑む。
彼にそう言われると、男の人から好きと言われたというよりは、身内からそう言われたようなへんな気恥ずかしさがある。お兄ちゃんがいたらこんな感じなのかもしれないと思う。
初めは木原君と似ていると思い、妙なときめきがあったが、その気持ちは今とは別物だ。
「でも、あまり女の子に可愛いと言うと、誤解されちゃいますよ。私は百合のことを知っているから大丈夫ですけど」
「言う相手は厳選しているよ。言うのは百合と由佳ちゃんと雅哉に対してだけだから」
一つ思いがけない名前が入っていて、苦笑いを浮かべる。
「雅哉は何歳になっても俺にとっては弟のようなものだから、かまいたくなるんだよね」
本当は兄弟と呼んでもおかしくない二人の関係を思い出し、胸の奥がちくりと痛んだ。
その時、彼の顔つきが真剣になる。だが、その表情がすぐに消える。
「俺は今は寮に入っているけど、今年の秋か来年には雅哉と暮らすために、一人暮らしをしようかなと思っている」
いつぞやの二人の会話を思いだし、胸が痛む。
「だからあいつが一人暮らしの話をしても君や君の家が嫌になったわけじゃないんだって前もって言っておきたくてさ。君って勘違いして暴走しそうだから」
顔から火が出る思いというのはまさしく今の状況を言うのだろう。
「そうなったらいつでも遊びにおいでよ。君ならいつでも大歓迎だよ」
私は頷く。
今の木原君との関係は楽しい。だが、この時間が永遠に続くわけではないと教えられた気がした。でも、それが一番だという事は私にだって分かる。
私はパフェを口に運ぶ。
「料理は?」
「俺はめちゃくちゃ得意なんだよね。家事は俺の仕事だったんだ。一人暮らししてから、由佳ちゃんのリクエストがあれば作ってあげるよ」
私が好きなのはもちろん木原君だ。でも、彼にはそれ以上に完璧さを感じる。落ち込みそうになった心がほんの少しだけ元気になる。
その内面にはきっと大きな悲しみや苦労を抱えているんだろう。
お店の鐘に見送られながら、お店を出る。
「ありがとうございました」
「どういたしまして」
家に帰ろうとしたとき、道路の向こうに見慣れた姿を見つける。百合と木原君だった。
私は今日、二人が放課後に会っているとは知らなかった。もちろん私に教える義務があるわけじゃない。
一馬さんは二人を一瞥すると、表情を変えずに「行こう」と歩き出す。
木原君が帰ってきたのは八時近くになってからだった。家には電話をしたみたいで、姉も両親も驚いた様子はなかった。ずっと百合と一緒にいたのだろうか。何をしていたんだろう。そんなことを考えてしまう自分が嫌でたまらない。
彼がどこで何をしようが、聞く権利なんかないのに。
私は百合や木原君にその時のことを聞けなかった。
映画館に行ったときの、木原君の問いかけの答えが今ならすぐに分かる。
今の私が一番ほしいのは、具体的な物ではなく、木原君の本心を知る方法だった。




