思い出
「見たい」
私は頭で考えるより先に、言葉を発していた。
「人に見せるようなものじゃないよ」
私と彼の間に妙な沈黙が流れていた。
「ごめんなさい」
私は感情に任せて気持ちを伝えた事を反省して、素直な気持ちを詫びた。
「見てもいいよ」
木原君に余計に気を遣わせてしまったのか、彼は遠慮がちにそう言葉を伝える。
「無理に見なくてもいいよ。恥ずかしいよね。子供の時の写真なんて」
「そういうわけじゃなくて」
妙に今日の彼は歯切れが悪い。
「いいよ。見ようか」
彼はアルバムを床の上に置く。
みなくてもいいといってもみたいのは紛れもなく私の本心で、彼のアルバムを覗き込み、アルバムの表紙に手を触れる。
最初の一枚をめくると、赤ん坊の写真が目に飛び込んできた。
「可愛いね」
目がちょっと半開きのようになっていて、寝ぼけているのがなんともいえずに可愛い。
彼は顔を赤くして目をそらしていた。そういうところは百合に良く似ている。嫌なら嫌だと拒んで逃げてしまえばいいのに、人がいいんだろう。だが、次の写真を見たとき、私の手が止まる。
木原君の隣に童顔の女性が映っているのに気づいた。木原君のおかあさんと似ていたが、別人だ。
「この人ってお母さんの親戚か何か?」
彼はその写真を見て、声をもらす。そして、さらさらの髪の毛をかきあげると、首を横に振った。
「違うよ。俺の本当の母親。今の母親は後妻だから」
彼女が若かったのはそういう理由があったんだろう。勝手に木原君と彼女をにていると思ってしまって悪かったかもしれない。
彼がアルバムを見せるのを嫌がった理由だったんだろうか。
私はバツが悪くなり、無言でページをめくる。可愛い彼の姿が飛び込んでくるが、あまりそちらに心を動かされることはなかった。彼に対して悪いことを言ってしまったかもしれないという罪悪感のようなものが先行したからだ。
だが、私の手はあるところで止まる。そして、もしかしたらという気持ちが湧き上がってきた。そんな考えを何度か否定する。否定してページをめくるということを何度も繰り返したときだった。
ある写真に釘付けになる。そこには彼だけではない。他にも可愛い男の子と女の子の姿があった。その姿が私の中にある記憶と重なっていったのだ。
ありえないことじゃない。それだけの要因が揃っている。思い出せば思い出すほど、その考えが強固なものになっていったのだ。
「木原君は幼稚園のときに女の子と遊んだ記憶ってない? 春先の、夕方の、すごく夕焼けが綺麗で悲しかったとき」
おばあちゃんの命日を言えば良かったんだと思う。でも、その時の私はそこまで頭が回らない。
違っていたら、それでいいと思った。でも、違っていなかったらという期待が強くなっていく。
彼は目を見開き、私を見ていた。
彼を見たときに湧き上がった特別な感情があった。その感情が理解できず、気になってたまらなかった。それからいつしか目で追うようになり、毎日彼のことを考えるようになっていた。まるで何かに恋焦がれるように。毎日木原君のことばかりを考えるようになっていた。一目ぼれをしたのだと思っていた。今から思えば、一馬さんに出会ったときの感覚に似ているような気がした。
あのときのような夕焼けが窓辺から差込み、彼の髪の毛をゆっくりと撫でていく。私の中でそういう先入観を築いたからか、彼の姿がその記憶の少年と重なっていく。
「覚えているよ。君と遊んだんだよね。俺の勘違いじゃなかったら」
幼い頃の記憶が、まるで映画のワンシーンを思い出すように蘇る。
「君は覚えていないと思っていたよ」
そう彼は付け加えるように言った。
覚えているよ。ずっと覚えていた。でも、まさかそれが木原君だとは思わなかった。
「俺は一目見て分かったよ。君だって」
息が詰まりそうになる。それほど心臓が激しく動いていた。まさか遠くから彼を見ていた私と彼が同じ思い出を共有しているとは思わなかった。
なんともいえない気持ちが心の中に広がっていくのが分かった。
嬉しい気持ちもある。でも、まずは彼に謝りたかった。無神経なことを言ってしまったからだ。
「あの、ごめんなさい。お母さんができるとか適当なことを言って」
「でも、君は本心で願ってくれたのだろう。それに願いことは叶ったよ。あの後、お母さんができたから。若かっただろう? 俺の母親。三十二だから高校生の息子がいるようには見えないよね」
「若く見えるだけだと思っていた」
木原君は優しく微笑む。
「ずっとありがとうって言いたかった。でも君は覚えていないと思っていたから、わざわざ言うのも悪いかなって思っていたんだ」
「そんなことないよ。私こそ、気付かなくてごめんね」
私の悲しい記憶が一気にそうでないものに変わる。私が少しでも彼に元気を与えているなんて考えもしなかったのだ。
私の脳裏にこの前、夕焼けで見た一馬さんが蘇る。木原君と一馬さんは良く似ている。
「一馬さんも?」
「そうだよ。あのときの一人。一馬もすぐに気付いたみたいだったよ。全然変わってないって言っていた」
それは微妙に傷つくが、この場は聞き流すことにした。
「私は全然気づかなかった」
「小さい頃の思い出なんてそんなものだから。それに俺は一馬が言うにはかなり変わったらしいから。それは言われるよな。昔は女の子みたいに可愛かったのにってさ」
私は彼の言葉に笑う。でも、一馬さんもそうかもしれない。
「あの女の子は同級生の子かなにか?」
あの女の子もかなり綺麗な子だった。あのまま育ったらかなりの美人になっているだろう。
「あれは、北田だよ」
私は驚いていた。だが、全くヒントがなかったわけじゃない。百合も言っていたのだ。一馬さんと幼馴染だった、と。そうだったら三人があのときから知り合いでもおかしくない。
「彼女も幼稚園まで同じだったんだ。小学校の入学してしばらくして俺は引越し。北田が引っ越してきたのは中学のときだったかな。結局、一馬だけ地元に残っていたから。北田も君があのときの子だと分かっていたみたいだったよ」
「そんなに変わってないかな」
「見た目もだけど、雰囲気がそのままだなって思った。ついでに、隠しても仕方ないから言うけど、母さんは俺の母親の妹なんだ。俺が幼稚園のときに、俺と一馬のために再婚をしたみたいだった」
「一馬さん?」
彼は肩をすくめると、天を仰いでいた。
「あいつは君に話をしていいと言っていたから言うけど、あまり直接は言わないであげてほしい。俺の母親は、一馬のお父さんと再婚したんだ」
「でも、いとこだというのは?」
それなら兄弟になるのではないかと思っていた。
「実際は兄弟でもあるかもね。でも、俺も一馬もいとこだと思っているよ。一馬のお父さんは俺のおじさん。父さんの弟なんだ」
「ごめんなさい」
そこまで複雑な事情を考えもしなかった。
「俺は気にしていないからいいよ。小さかったし、そこまで母親っ子だったわけじゃないし」
それが今の本心かは分からない。だが、あの時の彼は悲しそうだった。きっと彼はそうやって心の整理を付けたんだろう。
「二人は話し合いもろくにしないで、逃げたんだ。俺の家は父さんがすぐに離婚を受け入れて、それでよかったんだよ。でも、逃げたのが父親と母親じゃいろいろ違うだろう。共働きならいいけど、一馬の家はそうじゃなかった」
食べるために働かないといけないし、専業主婦なら仕事探しからしないといけない。それに仕事を探すといってもすぐに見つかるとも限らない。
「だから母さんは責任感じていたみたい。父さんと結婚したら、俺と一馬の面倒見れるからって言っていた。あの人にはあの人の幸せがあったはずなのに。その後すぐに父親の仕事の都合で引っ越すことになってしまって。結局一馬の面倒をほとんど見られなかったって悔やんでいたよ」
そう困ったような笑顔を浮かべていた木原君の表情が痛々しいくらいあった。
だが、彼女も同じように姉の行いに罪悪感を覚えていたのだろう。
「一馬さんのお母さんは木原君の今のお母さんのことを嫌っていたりとかしなかったの?」
自分の主人を連れ去った女の妹だ。人によってはとても嫌いそうな気がしないでもない。
「そんなことないよ。そこまでしなくていいのにって言っていた」
彼らの作った家族は普通の家族とは違う。でも、とても温かい家族だったのかもしれない。
「一馬は本当にすごいよ。あいつが泣いたり、怒ったりするところって一度も見たことないから」
木原君は一馬さんに対してきつい言葉を言いながら、心の奥底では彼を信頼しているのだろうというのが分かる。そのことを一馬さん自身も分かっている。簡単に壊れない深い絆が二人の間には見える。
それが二人を見たときに感じた仲のよさかもしれない。
私はやっぱりこの人のことが大好きだと思った。
私達はそれを木原君の部屋に運んだ。なぜ、彼の両親がこれを彼のもとへ送ってきたんだろう。こんな悲しい記憶を含んだアルバムを。
一馬さんが言っていた百合の笑顔が見たいといっていた言葉が分かる気がする。今は少しでも多くの木原君の笑顔を見たかった。
「そういえば、数学のテストどうだった?」
「あれね、九十点だったよ」
数学の単元ごとのまとめのテストがつい先日あった。それが今日帰ってきたのだが、苦手の数学でこともあろうにそんな点数を取っていたのだ。すっかりそんなことも忘れていた。
「どこを間違ったの? 君も満点取れると思ったんだけど」
彼も同じテストを同じ日にしていたらしい。
私はその場で鞄をあけ、それを取り出そうとした。だが、プリントから何かが零れ落ちる。それを見た瞬間、私はその場に固まっていた。
「何か落ちたよ」
鞄を抱え、プリントを手に身動きを取れない私とは異なり、彼は手を伸ばし、それをひろいあげていた。晴実から渡された映画のチケットだ。
「これって野村さんからもらったもの?」
うなずきかけて、木原君を見る。木原君にはまだ一言も言ってなかったはずだ。
「北田が言っていたんだ。映画のチケットを野村さんからもらっていたけど、行く人がいないみたいだから一緒に行けばとか言っていたから」
百合はそれとなく木原君から誘うように仕向けてくれたんだろう。でも、彼女も木原君が好きなのだ。
「百合は変わっているよね」
悪口というつもりではなく、彼女のことが理解できずにそうつぶやいた。
「北田も変にいじっぱりなところあるからな」
木原君はそう言うと笑い出した。
「どうして?」
「素直じゃないというか。一馬のこともそうだけどさ」
一馬さんの名前が出てきて首を傾げる。もしかしてこの人は百合が一馬さんのことを好きだと思っているのだろうか。だって百合に告白までされているのに。
「それって百合が一馬さんのことが好きってこと?」
「どうみてもそうだよね」
違うとは言えずに、彼女がいたたまれなくなってきた。だが、彼女の気持ちを代弁することはできなかった。
木原君は鈍すぎる。
「一緒に行こうか。映画」
「いいの?」
「いいよ。たまには気晴らしにね。今週末でいい?」
思わぬデートの誘いに何度もうなずいていた。
正直嬉しい。でも、木原君を好きだったはずの彼女のことがよく分からなくなってしまっていた。
翌日、晴実と百合にそのことを伝えた。彼女達はそれぞれそのことを喜んでくれた。
笑顔の百合を見ていると、木原君の言葉を思い出し、彼女に頼ってしまったことを申し訳なく思っていた。




