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約束  作者: 沢村茜
第五章
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従兄弟

 「どうかした?」

 木原君の声に我に返り、首を横に振る。


 ちょうど、昇降口で靴を履きかえた時、ふと晴実から渡された映画の券のことが頭を過ぎったのだ。デートをできるならしたい。そして、私が誘えば、彼は断られないこともなんとなく分かっていた。それは私の家に彼が住んでいるから。要はそんな権利の乱用のようなことをしてもいいのかを迷っていたのだ。


「今日はいい天気だね」


 わざとらしい言葉を口にして、その言葉を心から後悔していた。木原君の困った顔を見たからだ。何も言わなければよかったのだ。


「天気はいいけど」


 そう口にした木原君の動きが止まる。彼の視線は門に向いていた。そこには紺色のジャケットにジーンズを着た長身の男性が立っていた。一見見るだけでまずひきつけるのはそのスタイルのよさだった。細身ではあるが弱々しさを感じさせない。足も長く、それでいて背筋もすっと伸びている。それが彼をより長身に見せ、帰宅している生徒が時折彼を見ていた。


「あいつ」


 そううめくようにつぶやくと、足早に彼の元へ駆け寄っていった。いつもは声をかけてくれるだが、そのときだけはそんなことはなかった。


 私も何となく木原君の後を追う。


 近くに行くと、彼の姿を間近で見ることができた。遠くから見た感じと遜色ないほど整った、それでいて綺麗な顔立ちをしていた。艶のある黒髪に、どこか優しげな目元。それでいて少し日に焼けた肌に、程よく厚みのある唇。だが、私が感じたのはそれだけではない。彼のことをどこかで見たことがあると思ったのだ。


 彼は私達を見ると、目を細める。


「久しぶり。雅哉と由佳ちゃん」


 彼のその言葉を聴いて、誰かすぐに分かる。


 木原君の家の前にいた、私の名前を知っていた人。低い声が心地よく、より彼を優しげに見せていた。聞きたいことはたくさんあったのに、端正な顔立ちに見つめられると、何も言えなくなる。


「二人とも固まってどうかしたの?」


 彼は不思議そうな顔をする。


 時間の経過とともに彼が誰に似ているのか気づき、声をあげてしまいそうになる。彼は木原君に似ているのだ。だが、そっくりというわけではない。なんとなく似ているといった程度だ。


「とりあえず離れようか。なんか先生らしき人がやってきた」


 振り返ると、体育の高林先生が足早にこちらにかけてくる。私服の男が校門前にいるため、事情を聞きに来たのかもしれない。



 私達はそこから少し離れた交差点まで足早に行くことにした。


 交差点まで来ると、私達は足を止める。さすがに学校から五分も離れたところまで来ると、先生たちも追ってはこない。


 通りすがりの人が木原君とその知り合いらしき男性をちらちらと見ていた。彼の日本人と思えないスタイルは顔と同様に目立つ。


「由佳ちゃん、雅哉に話があるんだけど、借りていい?」

「え、あの」


 私はどうしていいのか分からずに木原君を見る。


 木原君はため息をつくと彼を見た。


「一度家に帰ってからならいいよ」

「私、一人で帰れるから大丈夫だよ」


 木原君は私を気にしているのだと気付く。


「荷物が重いし、荷物を置きたいだけだよ」


 木原君はそう言うと、笑顔を浮かべていた。


「いいよ。どこか別の場所で待ち合わせをしようか」


 二人は待ち合わせ場所を相談していたようだが、なかなか決まらないようだった。どこかにいくわけでもなく、本当に話をするだけらしい。それも人気のない静かな場所を希望しているとのことだ。相談する二人に私はある提案をした。


「私の家で話をしたらどうですか? 木原君の部屋ならだれにも聞かれる心配はないと思いますよ」


「でも、迷惑をかけてしまうと思う」

「そんなことないよ。だから、そうしたらいいよ」


 その男の人は私達を見ると、笑顔を浮かべていた。



 木原君は難しい表情で彼を見ている。いつも基本は笑顔の彼がこんな顔をするのは正直珍しい。


「怖い顔するなよ。彼女だって戸惑っているよ」


 と私の頭をポンと叩いた。

 私は突然のことに驚き、彼を見た。

 だが、彼は気にしたそぶりもない。


 逆に私はドキドキしていた。彼を好きになったわけではなく、お父さん以外の男の人にそんなことをされた経験が今までなかったためだ。


 私たちは三人、木原君の部屋の中にいる。


 私が家に帰ると、家の中には誰もいなかった。私は荷物を置くためにまずは彼らと一緒に二階に行ったのだ。


 そして、飲みものを持ってくると言おうとすると、なぜか木原君の知り合いに部屋の中に入るように促され、なぜか部屋の中にいることになってしまったのだ。そして、木原君は不機嫌そうな顔をし、今に至る。


「まずは自己紹介をしないとね。俺は矢島一馬。こいつの従兄弟なんだ」

「従兄弟ってもしかして百合を好きな」


 そこまでいいかけて口を押さえた。今日、知ったばかりの情報だからか、覚えが良くすぐに反応してしまった。


「お前が言ったのか?」


 彼は驚いたように木原君を見た。木原君は苦笑いを浮かべ、首を横に振っている。


「百合から無理やり聞きました」


 聞きだしたのは私ではないが、あのときの状況だとそういうのがしっくりくる気がした。どう考えても無理に聞いたため、素直に聞きましたというのは気が引けたのだ。


 百合が彼のことを苦手だと言っていた気持ちが分からないでもない。それも木原君を好きだったなら尚更だ。性格が全く違うのは分かっていても、ふとした瞬間に木原君に言われたような錯覚に陥ってしまいそうになる。


「百合の事は否定はしないけど、今日は雅哉に会いにきたんだ。久々に会って、大きくなってびっくりしたよ」


 彼は笑顔で子供に対して言うような言葉を口にする。

 木原君の顔が少しだけ赤くなる。


「だからそうやって子ども扱いは。ついこの前、会ったばかりだろう」


 木原君は私をちらっと見る。私は意味が分からずに首をかしげていた。

 そんな私を見て、矢島さんは笑顔を浮かべていた。


「急に来ないで電話をかけたら良かったのに」

「悪い。間違って雅哉の番号を消しちゃったんだ」

「父さんか母さんに聞けば良かったのに」


 木原君は鞄から携帯を出す。


 私は「お茶を持ってくる」と言い残し、鞄を置きに部屋に戻る。そして、すぐにリビングに行く。何を出すか迷ったが、コーヒーにした。コーヒーメーカーをざっと洗い、粉をセットして電源を入れる。


 しばらく経って、香ばしい薫りがリビングの中を満たしていく。それをコーヒーカップに注ぐ。始め二人分のカップを用意したが、やはりひとり分加える。コーヒーを入れ、木原君の部屋に運ぶことにした。ノックをしようとお盆に込める力を強めたときだった。


「まあ、最初、俺からいいと言ったから仕方ないけど、やっぱり来年以降か」

「来年は一人暮らしをするから、そこに住めばいいよ。広めの部屋を借りるつもり」


 二人の会話に胸が痛んだ。

 思い出すのは彼の持っていた住宅情報誌。あれから引越しの話が出てこなくてほっとしていたけど、どこかで出て行くことを考えていたのかもしれない。


「この家、住みにくいのか?」

「そんなことはないけど、他人の家だから悪いかなって思っている。何も手伝えないし」


 嫌だからという言葉が聞こえてこなくて、ほっとする。同時にそんなこと気にしなくていいのに、と思っていた。他人と言われたのは事実だけど寂しかった。


「あの子はお前にいて欲しそうじゃないか」

「あの子って?」


 不思議そうな声。やばい。そう思うと、私はノックをするのも 忘れて、思わず扉を開けていた。二人が私を見る。木原君は突然扉が開いたことに驚いたのか目を見開いていた。一方、木原君の従兄弟は苦笑いを浮かべていた。私が立ち聞きをしていたのに気付いたのかもしれない。


「コーヒー持ってきました」

「ありがとう」


 そう言ったのは木原君だった。私は部屋の中に入り、コーヒーを一人ずつに出す。二人分を出し、残ったひとり分を部屋に持ち帰ろうとしたとき、私の腕を矢島さんがつかんだ。


「用がなかったらここにいたら?」


 強引なところがあるが、それでも嫌な気分はしなかった。私は彼の言葉にうなずくと、木原君と矢島さんの間に、ちょうど三角形を描くようにして座っていた。


「お前はなれなれしすぎなんだよな。勝手に田崎さんのことを名前で呼んだり、そうやって強引に引き止めたり」


「名前で呼んで欲しくないなら呼ばないけど。どう?」


 彼は綺麗な瞳で私の顔を覗き込んできた。別に名前で呼ばれるのはドキッとするが、どうってことはない。ただ、彼が木原君に少しだけ似ているのは、心臓に悪い。


「嫌じゃないから気にしないでください」


 上ずりながらもなんとか返事をする。


 その言葉に彼は優しい笑みを浮かべる。


「そうだ。お前も名前で呼べばいいんじゃない?」


 矢島さんは木原君にとんでもないことを言い出した。そんなことを言わないでという気持ちと、どこかで呼んでほしいという気持ちが交錯して言葉が出てこない。


「そんな失礼なことできないって」


 木原君はあっさりと彼の提案を一蹴する。

 お姉ちゃんは名前なのに、私はどうしてダメなんだろう。


「相変わらずだな。お前は。呼び名くらいそんなに深く考えなくてもね」


 本当は何度もうなずきたかったが、曖昧に微笑む。


「いただくね」


 彼は背筋を伸ばしたまま、コーヒーを手元に引き寄せると、口をつけた。


 木原君もだが、彼も品があるというのか、動作の一つずつが絵になっている。


 彼は私と目が合うとくすっと笑う。すごく綺麗に笑う人だった。彼の笑顔は大人びていて、辺りの空気を優しくさせる。


 彼はコーヒーをあっという間に全て飲むと、それを床に置く。


「そろそろ帰ろうかな」


 彼はひざを床につけると体を持ち上げようとした。


「私、部屋に戻りますから、気にしないで話を続けてください」


 二人の会話の邪魔になっているかもしれないと考えたためだ。


「いいよ。気にしなくて。今日は二人の顔を見に来ただけだよ」


 二人というのは木原君と誰のことなんだろう。彼が会ったのは私だけど、私をわざわざ見に来るとは思えない。もしかして百合に会いに来たんだろうか。


「それに面白いものを見れたからいいよ」

「面白いものって?」

「それは秘密」


 彼は一見フレンドリーに話しかけてくるのに、きちんと線引きをする人だと思った。野木君とは違うタイプだが、こういう人の本心もまた分かりにくい。


「送っていくよ」


 木原君はそう言うと、立ち上がった。いつの間にか彼のコーヒーカップも空になっていた。

 木原君が先に出て行き、矢島さんがその後を追うように立ち上がる。だが、彼の足が部屋の出口のところで止まった。彼がゆっくりと振り返ると、屈託のない笑みを浮かべる。


「君って、百合と親しいの?」

「はい。友達です」

「そっか。百合のことをよろしく頼むよ」


 彼はそう言うと、部屋を出て行った。


 木原君が帰ってきたのはそれから一時間くらい後だった。まだ家には誰にも帰ってきていない。

 彼はわざわざ私の部屋まで来ると、深々と頭を下げていた。


「今日はごめん。一馬が勝手におしかけて」

「気にしないで。でも、顔は似ているのに、全然性格は似ていないね」

「よく言われる。従兄弟なのに兄弟に間違えられていたから」


 木原君は苦笑いを浮かべていた。


「あの人ってまだ百合のこと好きなの?」

「多分ね。昔からずっとらしい。でも、好きになった要因が要因だから、北田はあまり快く思っていないだろうな」


「原因?」


「一目ぼれだったんだってさ」


 一目ぼれという言葉に胸が痛んだ。私もそうだったからだ。


 百合はあまり顔を褒められるのをよく思っていないようだ。彼女は今でも可愛いというとすごく難しい顔をする。きっとそれで嫌な思いをたくさんしてきたんだろうなって感じるほど。


 だが、帰りがけに見せた彼の笑顔は百合への思いの深さのような気がしたが気のせいだろうか。


 そして、彼がどうして私の名前を知っているのか聞けなかった。

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