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約束  作者: 沢村茜
第五章
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20/51

 彼女は鞄を閉めたあと、右手の人差し指をあごに当て、何かを思い出したのか声を漏らす。


「百合のあの噂は本当なの?」

「噂?」


 その言葉に百合は形のよい眉をひそめていた。

 晴実は私をチラッと見る。だが、すぐに百合に視線を戻していた。


「百合は今まで彼氏がいたことないんだよね」

「一度もないよ」

「木原君と百合がつきあっていたって噂」


 百合は苦笑いを浮かべて、ふっと息を吐く。


 私もその噂は聞いたことはあった。でも、その噂は多種多様で、百合が振られただの、木原君が振られただの、ただの振りだっただの多くのパターンが流れていた。その中でよく聞くのは中学時代に木原君に告白した彼女が振られたというものだった。


「あれはデマよ」


「それはなんとなく分かるけど、そのほかにも変な噂があるよね。中学時代の噂」


 その言葉をきいたからか、百合の動きが止まる。彼女お箸を箸入れに戻すと、蓋をする。そして、お弁当箱も蓋をし、鞄の中に片付けていた。彼女は長いため息をついた。


「どこで聞いたのよ」

「クラスの子が話していた。大人の彼氏がいたって」

「大人? 大学生とか?」


 思わずそれに過剰反応してしまった私を見て、また困ったように笑う。


「あれも噂。実際は違うの」


 今まで見たことのない彼女の姿に新鮮味を感じながらも会話の中身が見えてこない。一方の晴実は興味津々と言いたそうな顔をしている。


「そういえば、小学校は同じだったの?」


 二人の中学が違うことは知っていた。私がそう思ったのは晴実と木原君が同じ小学校ということを知っていたからだ。百合と木原君の家は同じ公立中学だったので、そんなに遠くないのだろう。


「中学は別だよ。私、小学校の卒業と同時に引っ越したの」

「私は中一のときに引っ越してきたから」


 晴実と百合が順に答える。二人は入れ違いになったというわけなのか。


「私は中学のとき、塾の先生と付き合っているという噂があったの」


 百合は肩をすくめる。


「本当に?」

「実際にはそんなことないし、誰ともつきあったことはないの。ただ、変な先生がいてね、それで私をじろじろ見ていたのは知っている。それで、まあいろいろあったのよ。つきあってくれと言われたり」


「何歳くらいの人?」

「二十四とかその辺りだったと思う。はっきりとは覚えてないけど。それは断ったんだけど、向こうがあきらめてくれなくて、大変だったの」


 気が強い百合をそこまで困らすというのは相当押しが強い人だったんだろうか。


 美人な彼女は高校生に見えなくもないが、大学生と言われても違和感はない。きっと中学のときから相当大人びていたのだろう。


 彼女は長い髪の毛を耳にかける。そのとき、かけそこなった髪の毛がさらりと落ちる。


「そんなときに木原君が、自分が彼氏ってことにしたらいいって言い出したんだよね。私が困っていたから助けてくれたんだと思う。だから、つきあっているとか、二股をかけているとかそんな噂が流れていたの。晴実が聞いたのもそういう話なんだよね」


 百合は晴実を見た。


「そうそう。木原君を含めて、三股、四股かけてたって聞いた」

「人、増えているね」


 と言ったのは私。噂はかなりいい加減なものだと思う。



「それに、一応言っておくと、私、彼には中学のときにきっぱり振られているから気にすることもないから」

「木原君、百合を振ったの?」

「そうだよ。だから今は友達ってわけ。また変なこと考えないでよね」


 百合は返事をした晴実ではなく私を見て、念を入れる。つい最近の記憶に心が痛む。


「この子には前科があるからね。一人で暴走してしまうっていう」


 百合は肩をすくめる。


「要は余計なことを気にするなってことなんだけどね」

「分かっているよ」


 百合を振ったという噂は本当だったんだ。同時に気になったのが、彼氏の振りをしていたという話だ。普通のクラスメイトのためにそこまではするのか分からなかった。友達だったら当たり前なのだろうか。


「でも、普通そこまで庇う? そんなに仲良かったの?」


 晴実はストレートに百合にそう尋ねる。

 百合が苦笑いを浮かべていた。


「いや。なんというかね、いろいろあるのよ」

「そんなこと言ったらこの子が心配するよ」


 晴実がチラッと私を見る。彼女が本当に私を気遣っているのか、ただ知りたいのかは彼女の妙に輝いている瞳を見る限りは微妙なところだった。


 百合はため息混じりに私を見た。嫌ならそれでも逃げればいいのに、こうやって返事をしようとするところが彼女のいいところなのかもしれない。


 百合の血色の良い唇がかすかに動いた。


「彼と昔から知り合いだったからだと思うよ。それに、はっきりとは言わなかったけど従兄弟のためでもあったんじゃないかなと思うんだ」

「従兄弟?」

「あ、いや」


 百合が明らかに顔を引きつらせ、口ごもる。


「木原君の従兄弟? どんな人?」


 百合は少しだけ考える素振りをしたが、即答していた。


「変な人」

「もしかして好きとでも言われたことがあるの?」


 いつも冷静な顔を崩さない彼女の顔が明らかに引きつる。しまったという言葉がついてきそうだった。


「何で分かったの?」


 私の問いかけに晴実は笑顔で返す。


「顔に書いてあった」


 晴実は百合の腕をつかんだまま離さない。


「従兄弟って年上なの? 同じ年?」

「今、大学一年」


 彼女の声が次第に暗くなっていく。だが、晴実はそんな百合の様子に臆したこともなく、次々にあれこれ聞いていく。


 彼女が告げたのは私の姉の通っている大学名だった。だが、学年が違うので、面識はないだろうけど。


「じゃあ、その人を振ったんだ」

「だって好きじゃないし。変な人だし」


 彼女は頬を赤めながら、膨らませる。文句を言っているというよりは照れているような気がした。それに今日二度目となる変な人という言葉に違和感を覚えていた。彼女は人のことを悪く言うことは滅多になかったのだ。彼女との付き合いが短いからといわれればそうなのかもしれないけれど。


「でも、さっきから思っていたけど百合が誰かのことをそんな風に悪く言うなんて珍しいよね」


 私の心の中を見抜いたように、晴実が言う。


「何度言っても足りない程、本当に変な人なのよ」


 彼女は困ったように肩をすくめていた。木原君の従兄弟ってどんな人なんだろう。今まで彼からその話を聞いたことはなかった。イメージ的にものすごくまじめそうな気がするけど、百合の話を聞いていると、それは私の想像にすぎないのだろう。


「まあ、それ以上は追求しないでおいてあげる。でも、かっこいいんだろうね。木原君のお父さんもかっこよかったし」

「顔はね」


 そんな百合の様子を見て、晴実は笑っていた。


「そんなにかっこよかったらもてるんじゃない」


「もうこの話は終わり」


 未練がありそうな晴実に、百合ははっきりと断言した。


 晴実は口を割らない百合に諦めたようだ。突然、何かを思い出したように鞄をあける。そして、チケットを二枚取り出すと、私に渡す。


 私が見たいと思っていた恋愛映画で、それも二枚ある。


「由佳にプレゼント。木原君と行けば? 中間テストかなり良かったんだから、そのお礼ということで」


 晴実や百合も私が木原君に勉強を教えてもらっている事は知っている。そして、私のテストの結果が今までよりも全体的に二割ほどあがっていたことも含めてだ。


 親からは驚かれ、木原君は私の両親から感謝されていた。


「こんなの無理だよ。誘えない。三人で行こうよ」

「私は恋愛映画には興味ないから、二人でいけば?」


 百合は淡々と返す。


「私も興味ないの。でも、人気あるらしいからおもしろいんじゃないかな。由佳は好きなんでしょう?」

「好きだけど」


 恋愛映画なんてベタなものに彼を誘うことなんてできない。


「いらなかったら、お姉ちゃんにでもあげてくれればいいから。私はいらないからさ」


 結局、私はチケットを受け取ることになる。見に行けずに上映期間の終わりに姉と一緒に見に行く羽目になりそうな気がするが、鞄の中に入れておく。


「随分、家でも打ち解けてきた? 最初は彼の性格を考えると、結構難しいかなと思っていたけど」


 百合はお茶を飲むと、そう軽くたずねてきた。

 そのことで思い出したのは昨日のことだった。今日、晴実たちに言おうと思っていたのだが、百合の過去の話ですっかり忘れていたのだ。


「昨日、お姉ちゃんさ、木原君に料理を作らそうとしたんだよ。どれだけ料理ができないのかみてみたいとかいって、じゃがいもをボールいっぱい渡してさ」


「それをむいたの?」


 そういったのは百合だった。真っ先に彼女が反応したのは彼が料理ができないことを知っているからだろう。


「二つだけね。一つむくのに十分くらいかかるし、てつきはあやしいし。ひやひやものだったんだよ。怪我するんじゃないかって」


 昨日のことを思い出しながら、無性にお姉ちゃんのしでかしたことに苛立っていた。

 私がもうしなくていいと言っても、姉は良く分からない理論で私を黙らせる。


 百合はその姿を想像したのか、表情を和ませる。


「木原君って相変わらず不器用なんだ。でも、木原君が一緒に住むようになってから、楽しそうだね」

「うん。楽しいよ」


 以前と同じ家にいるとは思えないほど楽しいし、ずっと一緒に住んでいたいと思う程になっていた。


「最初はなきそうな顔ばかりしていたのにね」

「だって緊張するもの」

「でも、なじめているみたいでよかった」

 そう百合は優しい笑顔で微笑んでいた。

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