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約束  作者: 沢村茜
第五章
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小さな変化

 彼と暮らすようになって一ヶ月が経った。木原君の両親は少し前に引っ越しをしていた。木原君は家まで顔を出すくらいで、駅まで見送ることはしなかった。それは彼の両親がそう望んだからだ。息子によけな負担をかけたくなかったのだろう。


 私と木原君の関係は大きく変わることはない。だが、最初はなれることなどないと想っていたのに、人というのは不思議なもので、いつの間にか彼との生活になれてきていた。朝起きて、話をすることも平気になっていた。


 その間、彼について知ったことは彼はよく勉強をしているということだ。テレビはほとんど見ないようで、見るとしても夜にあるニュースをちょっと見る程度だった。新聞にも目を通すが五分くらいで読み終わってしまっている。


 登下校が一緒になったため、木原君の姿を窓辺から見送ることはなくなったが、新しい日課ができた。それは一日一時間だが、木原君の部屋で勉強を教えてもらうことだ。


 今までなかなか続けられなかったことが一ヶ月以上も続けられたというのは、木原君が教えてくれるのが大きかったのだろう。彼にこの前教えたのにと呆れられないためにも、復習もしっかりする。


 勉強に関しては不純な動機ではあるが、やっていることには変わりないのだからいいのではないかと思っていた。


 私はベランダに出ると、てすりに手を置き、天を仰ぐ。空には星がそれぞれの光を瞬かせてきらめいている。その自然の作り出した景色に目を奪われていると、窓の開く音が聞こえる。振り返ると木原君が立っていた。


 彼はスリッパを履き、ベランダに出てくる。素足でも歩けるように掃除などはされているが、夏以外の時期では足がひんやりと冷たくなってしまうので、いつもヒールのないサンダルを履くようにしていた。それは彼も同じで、いつの間にか彼の部屋の前にはサンダルが置いてあった。


「休憩?」


 私の問いかけに木原君はうなずく。


「君の姿が見えたから」


 その言葉が少しくすぐったい。私がいるから外に出てきてくれたわけではないと思うけど、それでも嬉しい。


「あれが北極星だっけ?」


 木原君が指差した先には暗闇の中に決して明るいわけではないが、ほんのりと白色に輝く星があった。一年中変わらずに瞬き続ける星。


「うん。そうだよ」

「星って見たら、どれがどの星座か分かる?」

「なんとなくなら。もっと星が見えればいいなと思うんだけど、この辺りは明るいもの」

「俺の実家ならもっと見えるよ。休みのときでも見にきたらいいよ」

「え?」


 その言葉に顔が赤くなるのが分かった。


「いや、変な意味じゃなくて。って言ってもそう聞こえちゃうね。普段お世話になっているから、よかったら遊びに来るといいよ」


 私は今の気持ちを言葉にできずに、ただうなずいていた。社交辞令のようなものだと思うが、それでも嬉しかったからだ。


 木原君の家。いつか行けたらいいな。


 だが、これ以上考えていると、にやにやがとまらなくなりそうな気がし、軽く自分の頬をつねり、頭を切り替える。


「借りた本、最後まで読んだよ。もってくるね」


 スリッパを脱ぎ、部屋の中に入る。そして、木原君から借りた本を返す。


「早かったね。続きを読む?」


 私がうなずくと「待っていて」と言い残し、部屋の中に戻る。そして、同じブックカバーがつけられた本を持ってきた。中を確認すると、確かに続きのものだった。


「ありがとう」


 あれ以来読書に目覚めたとまではいかないが、彼から本を借りて読む機会が増えた。私の日常に当たり前のように木原君が溶け込みつつあった。



 それから三十分ほど話して、それぞれの部屋に戻る。


 話す機会は増えたが、まだ親しくなるのは難しいみたいで彼は自分のことをあまり話してくれない。将来の夢とか、大学で何をしたいのかということも聞いたことがあるが、彼は曖昧に微笑んで、教えてはくれなかった。


 一言、いろいろとね、とだけ言っていた。今の私と彼の距離はまだ遠いのだろう。今までなら落ち込んでいたかもしれない。だが、それでもその距離を少しずつ狭めていければと思っていた。




 あくびをかみ殺し、窓の外を眺めた私の机に、複数の影がかかる。クラスでそんなに親しくない、挨拶をする程度のクラスメイトだ。だが、彼女たちが木原君の話を良くしているのは知っている。


「木原君と一緒に暮らしているって本当なの?」

「本当だよ」



 中間テストが終わり、じめじめとした梅雨の足音が聞こえ出した時、そんな噂が流れ出す。噂ではなくて事実だが、いつどこでそういう話が漏れたのかは分からない。


 素直に認めることにしたのは、嘘をついたほうが事態が大事になる、と百合に言われたからだ。学校には木原君の両親が引越しするときに伝えていたようで、問題になることもなかった。


 ただ、たまに少しだけ私の周りが慌ただしくなった。授業が終わり、昼休みを告げるチャイムが鳴ると、私の周りにクラスメイトが複数人やってきた。もうそれも見慣れた光景になりつつある。


「木原君って何を普段しているの? 好きなものとか」


「一緒に暮らしていると言っても、顔を合わせるのはごはんのときだけだから、そんな部屋で何をしているのかとかは知らない」


 私がそういうと彼女たちは不服そうな顔をする。でも、それは半分は本当だ。もう半分は彼のプライベートなことを話したくなかったのだ。私が彼を好きだからというより彼のプライバシーに触れ回るのは、木原君の立場なら嫌なのではないかと考えたためだ。


「じゃ、家に遊びにいっていい?」


 その時、私の前の席に百合と晴実の姿が見えた。百合はふっとため息を吐く。


「由佳。ごはんを食べに行こう。昼休みが終わるよ」


 百合は私を見ると、そう告げる。私の前を囲んでいた女の子達が一気にその場から後ずさりする。


 百合はなぜか学校の人から苦手意識を持たれているのか、彼女がきてくれると木原君の聞き込みが驚くほどなくなる。彼女たちにとってライバルはあくまで百合なのかもしれない。


 私はお弁当を入れた袋を手にすると、彼女達に軽く頭を下げ、教室を後にした。


 私達が校舎の外に出ると、降り注ぐ温かい日差しを一身に浴びる。今日は空気が澄んでいるのか、空が青々としている。私達は校舎の外にあるベンチで頻繁にご飯を食べるようになっていた。



 私達が今日選んだのは、中庭にあるベンチだ。背後には腰の高さほどの植木が並んでいる。前方には校舎が聳え、ちらほらと人の姿が目に入る。職員室の近くということもあり、この辺りはいつも人気がない


 ベンチに座ると、お弁当箱を布袋から取り出し、ひざの上に置く。百合も晴実もほとんどがお弁当だった。


 晴実は真っ先にお弁当を開ると、卵焼きをお箸でつかむとまじめな顔をした。


「やっぱり笑わないのがいいのかな」


 彼女の何気ない言葉に思わず苦笑いを浮かべる。


 一方の百合は晴実を軽くにらむ。


「それって何気に嫌味のように聞こえるんだけど」


 彼女のひざの上には小さなお弁当が置いてある。私はいつもそのおかずの豊富さに驚かされる。同じような具をつかっていても、適度にアレンジをされていることも多い。百合の母親を見たことはないが、料理が上手な人なんだろう。


「いやいや。すごいなと思って感心しているの。怒鳴るわけでもなく、あんな風に周りがざっと引いていくって普通じゃないよ」


「あまり話をしないからじゃないの? 私だってどうしてそんな態度を取られるのかよく分からない」


「バックに怖い人がいるとかさ」


 百合は頬を膨らませると、そんなふざけている晴実の頬を軽くつねっていた。


 彼女は晴実から手を離すと、美しい顔を潜めたまま、言葉を続ける。


「彼女達からしたら一番怖いのは木原君だからじゃないの? 由佳を省けば私が一番仲がいいとは思うから」


 晴実は卵焼きを食べ終わると、ベンチの上に置いていたペットボトルを飲む。一口で終わると思っていたが、意外に喉が渇いていたのか、半分ほどの量を飲みつくしてしまった。


「それは確かにそうかもね。由佳ももっとさめた感じで追い払わないとダメなんじゃないかな」


「この子には無理でしょう。どう考えても」


 百合はそこまで言うと、やっとお弁当に箸をつける。


 私も無理だと思う。だからこそ、苦笑いを浮かべる事しか出来ない。



 木原君と一緒に帰ったとき、六組の二人に因縁をつけられたが、嫌がらせなどをされることはなかった。それは百合がいたからか、木原君がいたからか分からない。


 今日のように彼に興味のある人から囲まれたり、家に遊びに行っていいかと言われる程度で済んでいた。実際誰かを家に連れて行くと、きりがなさそうなのでやんわりと断っていた。


 野木君との一件以来、百合とよく話をするようになった。晴実も百合に興味があったのか、百合に積極的に話しかけていた。今では二人はすごく仲良くなっており、お昼だけではなく帰りも一緒だ。


 晴実はあっという間にお弁当を食べつくすと、蓋をする。


「相変わらず早いわね」

「まあね」


 そう言うと、ペットボトルのお茶を全部飲みつくしてしまった。キャップを閉めるとお弁当を合わせて鞄の中に片付ける。鞄の閉まる音が比較的静かなこの場所に響く。



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