第一話:口の悪いお嬢様と、彼女を超えると誓った俺
「レイン、早くしなさいよ! ほんっと、とろくさいんだから!」
「待ってくれよクレア! いくらなんでも速すぎるって!」
朝日が眩しく照らす石畳の通りを、金色のポニーテールを揺らしながら少女が颯爽と駆け抜けていく。腰のあたりまで伸びた輝く髪と、細くスラリとした抜群のスタイル。十人が見れば十人全員が「可愛い」と絶賛するであろう完璧な容姿——
「急がないと遅れるじゃない! 初日から遅刻なんてことになったら、全部あんたのせいだからね!」
後ろを振り返り、キッと俺を睨みつける彼女の名前はクレア=フォントネル。
そして俺はレイン。今年で十五歳になる。
口の悪いこの少女は、俺の親父が仕えている一等貴族フォントネル家の一人娘だ。
貴族は一等から五等まで存在しており、一等に近いほど位が高い。その上には王族しか存在しないので、このお嬢様は、王族の次に権力を持つ父の娘ということになるのだ。
幼少期から極上の環境で甘やかされて育ったせいか、わがままで、口が悪く、その上めっぽう腕が立つ暴力的ヒロインでもある。そして哀しいかな、その理不尽なわがままの被害に遭うのは決まって俺の役目だった。
……それなのに。俺は昔から、どうしようもなくクレアのことが気になって仕方がないのだ。
生まれた時からフォントネルの屋敷の離れで暮らしてきた俺は、同じ年に生まれたクレアとずっと同じ敷地内で育ってきた。いわゆる幼なじみというやつだ。そして今日から俺たちは、一緒に「アイスライト学院」へ通うことになっている。
その名の通り、魔法と剣術の頂点を極めるための名門校だ。本来なら名だたる貴族しか入学を許されない狭き門なのだが、俺はクレアの父親——つまりフォントネル当主の特別なコネによって入学を果たすことができた。なんだかんだで、当主様には昔から妙に気に入られている気がする。もしかしたら、日常的にクレアの理不尽なワガママに付き合わされている俺への、せめてもの同情と罪滅ぼしなのかもしれないけれど。
「だいたい、なんであんたまで入学してくるのよ。ほんと、パパはレインに甘いんだから。そんな風に甘やかしたって、レインのためにならないわ!」
……どの口が言ってるんだ、どの口が。
絶句しそうになるのをどうにかこらえる。
甘やかされまくった結果、見事な高飛車ワガママお嬢様へと仕上がった目の前の実例を前に、俺はただ苦笑いするしかなかった。
「そこ、二人とも早くしなさい! 入学式が始まってしまうぞ!」
学院の門の前で、教師らしき男性が手招きしながら声を張り上げている。
「もうっ! レインのせいで初日からバタバタじゃない! なんでもっとシャキシャキ走れないのかしら!」
「はいはい、すみませんね。足が遅くって……」
心の中で「クレアが待ち合わせに遅れたんじゃないか」と呟く。
「……なんか文句ありそうな顔ね?」
「そ、そんなわけないじゃないか! ほら、急ぐぞ!」
「言われなくてもわかってるわよ!」
なんとか滑り込みで会場である大講堂へ駆け込むと、すでに新入生の大半は着席していた。一番前の席にちょうど二つだけ並んで空いていた席を見つけ、滑り込むように腰を下ろす。
すると直後、背後からひそひそと囁き合う声が聞こえてきた。
「ねえねえ、あの金髪の女の子……もしかしてフォントネル家のご令嬢?」
「間違いないよ。いやあ……噂以上の美しさだな」
隣を見ると、クレアは「ふふん」と鼻を鳴らし、ドヤ顔を隠そうともせずに胸を張っていた。しかし、次の瞬間——
「隣の男は誰かしら? お付きの人?」
「バカ言え、お付きの者がこの名門校に入学できるわけがないだろ。きっとどこかの名門貴族だよ。……二人で登校してくるなんて、もしかして婚約者じゃないか?」
——婚約者。
そのワードが空気を揺らした瞬間、クレアの頭から湯気が立ち上った気がした。ガタッ! と猛烈な勢いで椅子を蹴って立ち上がり、般若のごとき形相で後ろを振り返る。
「誰かしら今、不吉な妄言を口にしたのは! この男はただの我が家の召使いよ! お父様の気まぐれで拾われて入学できただけの、ただの雑用係! 勘違いしないでちょうだい!」
言葉遣いこそ丁寧さを装っているが、クレアの握りしめた拳はワナワナと震えていた。
「ご、ごごごめんなさい! 何も知らずに勝手なことを言ってしまいました!」
周囲の新入生たちが青ざめてペコペコと頭を下げる。
「ええ、分かってくださればよろしいのよ」
クレアは優雅にフッと微笑むと、何事もなかったかのように静かに着席した。
……フォントネル家の威光、マジで恐るべし。周りも貴族のボンボンばかりのはずなのに、クレアの一言で完全に怯えている。
壇上の教師が、額の汗を拭いながら引きつった声で告げた。
「ご、ごほん! さ、それではそろそろ、入学式を執り行いたいと思います……」
教師すらクレアの雰囲気に呑まれてるじゃねえか……大丈夫かこの学校。
厳かな、そしてどこか緊張感の漂う入学式は滞りなく終了した。小一時間ほど、えらい人たちの長い話を聞かされた後、新入生約百名は三つのクラスへ組み分けされることになった。
最初のクラス分けはランダムで、今後の定期試験や実技の結果によって組み替えが行われるらしい。俺のクラス? もちろん、当然のようにクレアと同じクラスである。
……絶対これ、親父さんの差し金だろ。「娘の暴走の歯止め役兼見張りになれ」という無言の圧を感じずにはいられない。
式が終わり、新入生たちはそれぞれの教室へと移動を始めた。
周囲がピリッとした緊張感を持ってキビキビと歩く中、俺とクレアは悠々と廊下を歩く。……まあ、のんびり歩いていたのはクレアの方なのだが。
教室の扉を開けると、すでにほとんどの生徒が席についていた。クレアの席は前方の中央。俺の席は一番後ろの窓際だった。
自分の席に向かって歩いていると、突如、俺の足元にポトンと一本の高級そうな万年筆が落ちてきた。
落とし物かと思い、拾おうと屈んだ瞬間——パラパラパラッ! と、頭の上から大量の筆記用具が降ってきた。
「いやあー、ごめんごめん! 手が滑って筆箱ごと落としちゃってさあ。拾ってくれないかい? 召使いさん。そういう作業、得意だろ?」
顔を上げると、至ることころに装飾品を身に付け、いかにも育ちの良い意地悪なボンボンといった風貌の青年が、ニヤニヤと嫌味な笑みを浮かべて俺を見下ろしていた。
……はあ。
胸の奥で苛立ちがチリッと燃え上がったが、俺はぐっと拳を握りしめて耐えた。
ここで貴族様と喧嘩を起こせば、立場が悪くなるのは俺だ。何より、コネで入学させてくれたフォントネル家に泥を塗るわけにはいかない。
「……わかりましたよ」
俺は大人の対応で、黙って床に散らばった文具を拾い集めようとした。
その時——背後に圧倒的な殺気が立ち昇った。
ん……?
振り返った瞬間、俺の視界を覆ったのは、美しい金髪を振り乱し、音を置き去りにして振り下ろされる美しい少女の拳だった。
「やっ、やめ——」
俺の制止の声は間に合わなかった。
凄まじい衝撃音が教室中に響き渡る。
クレアの拳がお坊ちゃんの顔面に寸分の狂いもなくめり込み、次の瞬間、お坊ちゃんの体は爆風に巻き込まれたかのように教室の端の壁へと激突した。
崩れ落ちるお坊ちゃん。白目を剥いて泡を吹いている。
あーあ……。ご愁傷様。
静まり返る教室の中で、クレアは不機嫌そうに手をパンパンと払った。
「私の召使いを勝手に使おうなんて、百年早いのよ! 他の皆もよく聞きなさい! こいつは私専用の召使いなんだから、勝手に使ったらタダじゃおかないわよ!」
教室中の生徒たちが、人外の腕力を見せつけられて恐怖にガタガタと震えている。
いや、そもそも俺は召使いじゃないんだが……。でもまあ、めちゃくちゃスッキリしたわ。
「クレア、助けてくれてありが——あだだだだだだッ!?」
お礼を言おうとした瞬間、髪の毛をガシッと掴まれ、そのままズルズルと引きずられてクレアの席まで連行された。クレアは、その隣の席に座っていた女子生徒へ、満面の威圧的な笑顔を向ける。
「ねえ貴女、こいつと席を替わってくれないかしら? 私の近くに置いとかないと、また他のバカに苛められちゃうみたいだから」
「ひ、はいぃッ! 喜んでお譲りしますッ!」
怯えきった女子生徒は、猛スピードで荷物をまとめて後ろの席へ避難していった。
……なんか、本当にごめんね。
心の中で名も知らぬ女子生徒に謝罪する。けれど——クレアのすぐ隣の席に座りながら、俺の胸の奥は温かくなっていた。
やっぱり俺は、隣でぷんぷんと怒っているこの少女のことが好きなのだ。口が悪くて、暴力的で、素直じゃなくて、けれど誰よりも自分勝手な正義感を持った、俺の幼なじみ。
不意に、まだ二人とも小さかった頃にクレアが言い放った言葉が脳裏をよぎる。
「ふん! 私はね、私より強い男としか結婚しないわ!」
あの日の言葉を、俺は今でも鮮明に覚えている。
待っていろよ、クレア。
俺はこの【アイスライト学院】で誰よりも腕を磨く。
そして、いつかクレアを力で圧倒して、正面からこう告げてやるんだ。
「お前が好きだ。俺と結婚してくれ。——これからは、俺がお前を守る」
いつか必ず、その言葉をクレアに届かせるために、俺の波乱に満ちた学院生活が、今始まった。
以前、投稿していた作品を練り直し、加筆修正した作品となります。
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