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第五章④ ソフィーとペネロペとグウェナエル

 場面は夕刻のブレスト城中庭。

 訓練を終えた兵士たちが装備を片付け、疲れた表情を見せる中、グウェナエルは少し腕を組み、顔をしかめていた。

「ちっ、やっと終わった……帰るか」

 苛立ちと安堵が入り混じる声だった。そこに元気な足音と共にペネロペが駆け込む。

「グウェナエルさーん!助けてくださーい!」

 彼女の瞳は期待と焦りに輝き、手紙をしっかり握り締めている。彼女の後ろからソフィーがゆっくりと歩み寄る。

「帰らないよ! これ読んでもらうまで」

 ペネロペはジタバタしながら手紙を差し出す。グウェナエルは一瞬戸惑いの色を見せたが、すぐに態度を決める。

「……なんで俺が?」

 渋々ながらも彼は手紙を受け取り、宛名に目を走らせると文字の不思議な曲線に気づき、眉間にしわを寄せる。無言で本文を読み始め、その顔に徐々に厳しさと緊張が混じり視線は鋭くなっていった。

 グウェナエルは手紙をしっかり握りしめたままゆっくりと読み進めていく。彼の顔には初めこそ無表情が浮かんでいたが、次第にその瞳の奥に陰りが宿り、声に重みが増していった。

「……黙ってないで、声に出して読むんだってば!」

 ペネロペが背後から促す。

「……わかった」

 グウェナエルは短く返し、静かな声で読み上げ始めた。


 マクシミリアン・ブーケ隊の皆様へ


 この度は我が娘メリッサが戦場にて命を落としたこと、深くお詫び申し上げます。

 異国の地で、異国の海軍員となった彼女は隊の一員として誇り高く、最後までその義務を全ういたしました。

 遺体は無事にこちらに届き、我がカンパネッラ家の墓地にて静かに葬りました。 

 いつでもお墓参りにいらしてください。皆様のご訪問を心より歓迎いたします。


 戦乱の中、皆様のご尽力に感謝すると共にメリッサの魂が安らかであることを祈っております。


 敬具 カンパネッラ家 当主


 グウェナエルは手紙を折りたたみ、拳を軽く握りしめたまま視線を遠くに泳がせる。

 普段は無骨で感情を表に出さない彼だが、今だけは心の奥底で冷え切った何かがじんわりと解けていくような感覚があった。メリッサの死は重くのしかかる現実だが、父上の温かな言葉と「いつでもお墓参りに来てほしい」という一節に、彼女が確かに誰かの大切な娘だったことを改めて実感していた。

 ペネロペは目を細め、しばし静かに佇んでいた。彼女の明るい性格の影には、家族を失う辛さや仲間を失う痛みがひそんでいる。だが今はグウェナエルを見つめながら、彼もまた深い悲しみと責任感に押し潰されずに戦っていることを感じ取っていた。ペネロペ自身もいつか誰かにこうして温かく見守られる日が来るのだろうかと一瞬胸が締めつけられる。

 ソフィーはそっと息を吐き、目元にほんのわずかな湿り気を感じた。医療班として何度も傷と死を見てきた彼女だが、それでも大切な人の死は決して慣れるものではなかった。遠くの海を見つめる視線はどこか遠く、静かな哀しみに包まれていた。けれども、彼女はここで立ち止まってはいけないことを心に刻んだ。仲間のため、隊のため、まだやるべきことがあるのだと。

 高台に吹き抜ける冷たい風が一瞬だけ場の重苦しさを和らげる。けれどその風はあまりに切なく、そして静かに彼らの心に触れた。

 グウェナエルは手紙を読み終えると静かな決意を込めて口を開いた。

「隊長にも、すぐに報告しないと……」

 その声には重い責任感がにじみ、彼の瞳は遠くの城壁の輪郭を見据えていた。戦友を失った悲しみが胸を締め付ける中、使命感が彼の背中を押していた。

 ペネロペはまだ手紙を握りしめたまま声を震わせずに言った。

「ねえ、もう一枚あるんだけど」

 グウェナエルは目を逸らし、ため息をつきながら告白するように言った。

「これは、お前に宛てられたのものだ」

 ペネロペは驚きと苛立ちの入り混じった表情で睨みつける。

「ちょっと! なんでそんな大事なこと隠してたのよ!」

 グウェナエルは苦笑を浮かべて答えた。

「お前イタリア語読めないからな……」

 彼の言葉にソフィーは軍服のポケットを探り、小さな鉛筆を見つけ出すとそっとグウェナエルに差し出した。

「グウェナエルさん、書いてあげてください」

 グウェナエルは少し戸惑いながらも鉛筆を受け取り、ペネロペ宛の手紙に視線を落とした。イタリア語の文字をじっと見つめながら、ゆっくりとフランス語に翻訳していく。周囲は静まり返り、曇り空の下、遠くの帆船の影がゆらめいていた。重苦しい空気の中にも、互いに寄り添う温かさがほんのわずかに感じられた。

 グウェナエルは鉛筆をゆっくりと置き、静かにペネロペへ向き直った。彼の瞳は揺るがぬ決意を秘めている。

「ほら、翻訳したぞ。じっくり読んでくれ」

 ペネロペは手紙の白い紙を受け取り、文字を追い始める。最初は少し戸惑いが混じっていた表情も、読み進めるうちに徐々に柔らかくなっていった。


 親愛なるペネロペへ


 娘メリッサの死を知らせるこの手紙をどれほど心が張り裂けそうな思いで書いているか、あなたにはわからないでしょう。彼女が最後まであなたと共に戦い、仲間として信頼し合っていたこと、それだけが私の唯一の慰めです。


 メリッサはいつもあなたのことを大切な友として語り、あなたとの日々を心から誇りに思っておりました。あの無邪気な笑顔の裏に、深い絆と強い友情があったことを私は知っています。

 彼女は戦火の中でもあなたの名前を幾度となく手紙に書き、仲間たちとの暖かな時間を喜んでいました。


 どうかあなたも、彼女が残した想いを胸に強く生きてください。

 私たち家族は、あなたの存在にどれほど救われているか計り知れません。

 いつでもカンパネッラ家の墓地へお参りに来てください。

 彼女の魂は、きっとあなたの訪れを待っています。


 これからもどうか、心と体を大切に。あなたが歩む道に幸せがありますように。


 心からの祈りを込めて

 カンパネッラ家 当主


 彼女の瞳が涙で潤むのがわかる。言葉の一つ一つが、まるで心の奥底に染み込むようだった。

「……『親愛なるペネロペへ』…こんなふうに書かれてる」

 彼女は震える声で呟く。

「メリッサがあたしを大切な友として話していたこと、戦場で共に過ごした日々を誇りに思っていること……お父さんの悲しみと同時に、深い感謝が込められているみたい」

 静かな風がその場を包み込む。遠くの帆船が帆を揺らす音すら、彼女の胸の震えを邪魔しなかった。

「この手紙が来るまで、お父さんもどれだけ心配していたんだろう……そして、あたしがどれほど大切にされていたか、改めて感じるよ」

 ペネロペは深く息を吐き、手紙を胸に抱きしめるようにして閉じた。

「ありがとう、グウェナエルさん。読むことができて本当によかった」

 グウェナエルは無言で軽く頷き、ペネロペの肩にそっと手を置いた。彼らの背中を見つめるソフィーの瞳もまた言葉にならない思いで揺れていた。

 夕暮れの冷たい風が中庭を吹き抜け、遠くの帆船も静かに揺れる。ペネロペは手紙を胸に抱えたまま、ふと顔を上げてグウェナエルを見つめる。

「ねぇ、グウェナエルさん」

 少し照れくさそうに言葉を切り出す。

「いつか……一緒にイタリアに行こうか」

 グウェナエルは一瞬驚いたように目を見開くが、すぐに静かに頷いた。

「……ああ、そうだな。隊のみんなで、必ず行こう」

 彼の声には固い決意が込められていた。ペネロペの瞳がわずかに潤み、ほんの少しの笑みがこぼれる。

「メリッサのためにも、そうしよう」

 グウェナエルもまたしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと微笑んだ。

 夕暮れの柔らかな光が中庭を包み、戦いの疲れが徐々に染み渡る頃。

 ソフィーはグウェナエルの微笑む顔をじっと見つめていた。険しい戦場の中で見せるその穏やかな表情は、彼がまだ仲間たちがいる限りどんな苦難にも何度でも立ち上がれるという不屈の意思を秘めているように感じられた。ソフィーの胸にひとつの安堵が静かに広がる。

 そんな静かな空気を破るように、場違いなほどに明るい声が中庭に響き渡った。

「あ、お疲れ様でーす!」

 三人が振り返ると上機嫌なジョルジュが元気いっぱいに歩み寄ってきた。夕方の落ち着いた空気とは対照的な彼の声色に、グウェナエルは思わず眉をひそめる。しかしジョルジュはお構いなしに自慢げに続けた。

「いやーつい先ほど、ボクの射撃の技術を見せつけてやりましてね! 空の瓶をあちこちに置かせて全部命中させてやりましたよ!」

「……馬鹿野郎、弾を無駄にすんな」

 グウェナエルの鋭い視線を浴びながらも、ジョルジュは嬉々として昔話を口にする。

「そういえば、ボクがマクシミリアン隊として参加した初陣の時も、グウェナエルさんが銃の腕を見せろと言って撃たせてくれましたね。あの時は手が震えちゃって……」

 ソフィーは苦笑しながらジョルジュに小声で促す。

「ジョルジュ、とりあえず黙った方がいいかも」

 ジョルジュの背後で、まるで負のオーラが漂うかのようにグウェナエルの目が一層鋭く光る。だが、ジョルジュはさらに続けた。

「でも、納得いかない時もあるんです」

 ソフィーが訊ねる。

「うん、何が?」

 ジョルジュは少し遠くを見るように、言葉を選びながら答えた。

「今でこそ他の隊から崇められてるけど、上には上がいるって思うと心が虚しくなるんです」

 ペネロペは即座に反応した。

「あ、あの義手の男だね! やけに顔が綺麗なやつ!」

 その言葉にソフィーも思い当たった。

「ああ、マテオのことか……」

「いやー、マテオさんの射撃の腕前、マジで異次元っすよ!」

 はしゃぐジョルジュの様子にグウェナエルは腕を組み、険しい顔つきで呟いた。

「……ああ、あいつの射撃はただの技術じゃない。流派に縛られず、己のやり方を極めた者の動きだ。おそらく独学ゆえに予測不能、その動きはまるで煙のように読めん」

 ジョルジュは目を輝かせて続ける。

「距離なんて関係なし。敵の武器だけを狙って弾くこともできるし、生き物の微細な動きも見逃さないんです。観てると、こっちの呼吸も止まりますよ」

 グウェナエルは冷ややかな目で指の骨をポキリと鳴らす。

「銃は一発撃ったら装填に時間がかかる。無防備な時間を生き延びる術も、マテオは心得ている。だからこそ、奴は戦場で生き残ってきた」

 ジョルジュはやや誇らしげに言った。

「一発ずつ完璧に当てるだけじゃない。次の一発のために動きも考えて、隠れ方も完璧。だからこそ、誰もあの人に勝てないんです」

 グウェナエルの目は険しさを増し、低く言った。

「追い抜くなんてとんでもない。あいつは射撃だけでなく、敵の心理まで読む。簡単に見下すと命取りだ」

 ジョルジュは少し肩を落とし、グウェナエルは静かに締めくくった。

「忘れるな。あいつの技術は命懸けのもんだ。舐めたらいつか痛い目を見るぞ」

 ジョルジュは強く拳を握りしめた。

「はい、わかってます。だから、もっと頑張ります!」

「お前……あの美青年海賊、しかも重要危険人物且つ指名手配犯を追い抜きたいのか?」

「それもあるんですけど、あの人には恐れにも近い尊敬の念があって、ちょっと畏まっちゃうんですよね……」

 グウェナエルは静かに指の骨を鳴らし始め、ジョルジュは慌てて言葉を遮る。

「え、まって、いや、ごめんなさい!」

 グウェナエルの低く重い声が続く。

「いいか? お前がマテオを追い抜くなんざ叶いっこない。マテオが銃の扱いをやめない限り、その差は埋まらんだろう」

 そう言い放つと、グウェナエルは先にその場を去っていった。ジョルジュは背を見送りながら、ぽつりと呟く。

「ううん、やっぱりそうなるよなあ……」

 ソフィーは首をかしげつつジョルジュに尋ねた。

「銃について詳しくないんだけど、マテオってそんなに強いの?」

 ジョルジュは少し誇らしげに答える。

「うん、銃の扱いは抜群に上手いよ。撃ったら必ず命中させるんだから。でも、そういう人がいるからボクも諦めきれない。限界を感じながらも、もっと強くなりたいんだ」

 ソフィーは静かな笑みで頷いた。

「強い相手がいるからこそ成長できる。だから、目標があるのは大事なことよ」

 彼らの声が夕風に乗り、遠く帆船の帆を揺らした。静かな中庭に、確かな決意と尊敬の念が満ちていった。

 ペネロペは手紙を胸に抱えたまま、にこにこと顔をほころばせた。

「よーし、じゃあ強くなるためにもご飯食べなきゃ! そうだ、今日の夕飯担当ってサミュエルだよね?どんな芸術作品が出てくるのか楽しみ、先に帰っちゃおっと!」

 その言葉と同時にペネロペは軽やかに中庭を駆け出す。髪が風に揺れ、手紙がかすかにひらひらと舞った。

「ちょ、ちょっと待てー!」

 ジョルジュが慌てて後を追いかける。踏み出すたびに靴音が石畳に響き、あちこちで小石を蹴り飛ばす。

「ペネロペ!そんなに急いだら転ぶぞ!」

「だって、サミュエルの夕飯、待ちきれないんだもん!」

 ペネロペは振り返って軽く手を振ると、にっこり笑いながらさらにスピードを上げた。

 ジョルジュは息を切らしながらも必死で追う。

「お、おい! まてまてまてー! 転んだら誰が助けるんだー!」

「自分で助けるよー!」

 ソフィーはその光景を、少し呆れた表情で見送った。

「ほんと……あの二人はいつも落ち着きがないんだから」

 ため息をひとつつき、ソフィーは中庭を後にした。

 遠くで響くジョルジュの叫び声とペネロペの軽やかな笑い声が夕暮れの空気に溶けていく。

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