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第三章② それぞれの場所で

 ブレスト城全体は緊迫感に包まれていた。

 前回の戦闘での痛手が皆の心に重くのしかかり、各部隊の兵士たちは表情を硬くし、怒りと決意を胸に秘めていた。

 司令室は活気に満ちているものの、その空気は張り詰めていて、緊張感が人々の動きを支配していた。


 城の屋上では、ユルリッシュ・ルソー准将が司令官と対峙していた。眉間に皺を寄せ、鋭い眼光を向けながら声は低くも力強く響く。

「ブレスト海峡付近を偵察する部隊には鳩を飛ばしたか?」

「はい、すでに通達済みです!」

 司令官の声ははっきりとしていて任務の重さを理解していた。

 ルソーはその言葉を聞き、鋭く頷く。

 今回の作戦では防衛だけでなく、ブレスト海峡に部隊を先行させる策を講じていた。

 地形上、敵は必ずこの海峡を越えねば城には到達できない。

 そこで先回りして敵を一網打尽にするという狙いだ。

「もし戦闘が始まったら、火の手が見えるはずだ。火の手が見え次第、ブレスト城側も直ちに戦闘態勢に入れ」

 数人の司令官が声を揃えて答えた。

「は!」

 ルソーの瞳は血潮のように燃え上がり、その肉体を熱く震わせていた。

「いつでも来いよ。相手になってやる」

 外は夜の帳が降り、辺りは静寂に包まれ始めている。しかし、その静けさの中で城周辺では兵たちが松明の準備に追われていた。

 火の光がともれば、すぐにでも戦が始まるだろう。息を呑むような緊張がこの夜の闇に染み渡っていく。


 ブレスト海峡付近は、闇に包まれたまま静寂が支配していた。

 第一艦艇部隊の二つの部隊と、第七艦艇部隊の数隻が息を殺して海峡を睨みつけている。

 第一艦艇部隊の甲板にはルソーの副官アンドリューが立っていた。

 彼は今回の作戦で第一線のリーダーを任されている緊張感から、部下の声も聞こえぬほどに神経を尖らせていた。

 部下の一人が小さなため息をつき、ぽつりと呟く。

「アンドリューさん、なかなか来ないですね……」

 アンドリューは鋭い目で海を見つめたまま応える。

「油断は禁物だ。どれほどの数が来るか、まだ分からんのだからな」

 しかし、夜は深まり時間だけが過ぎていく。

 海峡に海賊船らしき帆影は一向に見えなかった。


 一方、ブレスト城でも似たような空気が流れていた。

 城の一室では、エリオット大元帥が苛立ちを隠せずに呟く。

「遅いな……」

 アルフォンスが静かに頷く。

「はい」

 イザベルも静けさを実感しつつ答えた。

「静かですね……」


 さらに砲撃陣地ではサミュエルが眉をひそめて呟く。

「遅いな……」

 ジョルジュがうなずく。

「そうですね……」

 ダヴィットも周囲を見渡し、落ち着かない様子で言う。

「静かだな……」

 マクシムは額に手を当てて考え込む。

「おかしいですね……この状況で、五鬼衆が嘘をついているということでしょうか」

 リラが真剣な表情で頷く。

「あり得ますね」

 シャルルも同意を示した。

「うむ」

 グウェナエルは重い口調で語り出す。

「ソフィーが五鬼衆の、あのクソガキの話を信じて報告したんだ。あのクソガキも手紙で呼び出すくらい必死だったはず」

 マクシム隊の面々は驚きを隠せずに一斉にグウェナエルの顔を見つめる。

 その中で、ペネロペが感嘆の声を漏らす。

「それってつまり、グウェナエルさんはソフィーを信じてるってこと?」

 メリッサが目を輝かせて興奮気味に言う。

「え、グウェナエルさん!? もしかしてソフィーさんと仲直りできたんですか? やったー!」

 ジョルジュは驚きと戸惑いが入り混じった声で呟く。

「え、嘘でしょ、あなたが……」

 シャルルは呆れたようにため息をつく。

「はあ、なるほどな」

 一瞬で柔らかな空気に包まれた。

 隊員たちは嬉しそうに笑みを浮かべながら、グウェナエルを茶化している。

 ペネロペは両手を腰に当てて、にこにこと目を細め、いたずらっぽくからかうように声をかけた。

「よかったねー!」

 彼女の声にグウェナエルは眉をひそめ、口元を引き結ぶ。厳つい顔が少しだけ崩れ、ちょっとした苛立ちと照れが入り混じった表情だ。

 サミュエルは腕を組みながら、くすくすと笑い声を漏らす。目尻に小さな皺が寄り、まるで少年のような楽しげな様子。彼が「おやおや、珍しいな」と声をかけると、グウェナエルはそれを睨みつけるもどこか嬉しそうで眉間の皺が和らぐ。

 リゼーヌは静かな微笑みを浮かべて両手を胸の前で軽く組み、穏やかに場を和ませようとする。「まあまあ、二人のことだから」と優しく言葉を添える。

 ジョルジュはやや大きめの声で目を輝かせながら勢いよく言った。

「いやあ、嬉しいですよ! グウェナエルさんの反応って、普段あまり見られないから!」

 彼は眉を上げて、口角を大きく上げ、まるで宝物を見つけたかのようにキラキラした表情を見せている。グウェナエルは顔をしかめ、鋭い目でジョルジュを睨みつける。苦々しさを隠せない様子。

「……後でお前だけはしばくからな」

 マクシムは満面の笑みで目尻が少し下がり、楽しげに話し始めた。

「コリンからの手紙には、僕とソフィーが指定されていたんです。正直、僕が行くつもりでしたけど、せっかくだからあなたに行ってもらったんです」

 彼の声は明るく、自信に満ちている。口元の微かな笑みは作戦の勝利を確信しているかのようだ。

 その時、グウェナエルを含め数人から一斉に「は?」という声が上がる。

 グウェナエルは両腕を組み、口元を引き結び、眉を寄せて呆れ顔。目は少し細められ、半ば呆れ、半ば挑戦的だ。

「お前、離れられないって言ってただろ」

 マクシムは得意げに胸を張る。

「僕の脱走履歴と手腕を舐めないでいただきたいですね」

 リラは腕を組みながら少しだけ首をかしげ、苦笑交じりに目を細める。

「自慢するところじゃないですよね、隊長」

 マクシムは楽しげに続ける。

「僕は士官学校時代から脱走の名人ですから」

 ダヴィットは半ば呆れた顔で眉をひそめ、苦々しい笑みを浮かべている。

「そんな称号、喜んでいいものじゃないでしょうに…」

 マクシムは楽しそうに胸を張り、目を細めて顔に自信満々の笑みを浮かべた。

「まあ、とにかく! 二人に仲良くなってもらいたくてね」

 彼の笑顔には部下たちをまとめたい兄貴分のような温かみが宿っていた。

 グウェナエルは鋭い目を細めてマクシムを睨み、口元に不満を浮かべた。

「……悪魔かよ」

 その言葉には呆れと少しの敬意が混じっている。

「まあいい。俺は警戒を緩めるつもりはない。望遠鏡でずっと見張ってるからな」

 グウェナエルがぶっきらぼうに言い放ったその時だった。

 シャルルが軽く片眉を上げ、穏やかながらも鋭い視線でグウェナエルを見据えた。

「せいぜい頑張りなさい」

 シャルルの言葉は見張りのこと以上に含みのある励ましのようだった。

 自分の背後で隊員たちの賑やかな声が飛び交う中、グウェナエルは一切耳を傾けず手にした望遠鏡をじっと覗き込んでいた。夜の闇は深く、静まり返った海面は何も映し出さないかのようだった。

「……ん?」

 彼の声にわずかな戸惑いが混じる。

 いつもなら微かな月光や星の反射で海面は煌めくはずだった。だが今は真っ暗で、何も見えない。

 グウェナエルは望遠鏡のピントを幾度も調整し、視点を左右、上下に動かす。視界を変え、遠近感も変えてみるが、海面はただの漆黒の闇だった。

 その時、彼の挙動不審さが視界に入ったのか。グウェナエルの横からシャルルの声がかかった。

「……グウェン? どうかしたか」

 グウェナエルは一瞬考えを切り替え、ふと望遠鏡を上向きに持ち上げた。

 宵闇にかすかに揺れる旗の影が目に入る。

 それは、真紅の旗。血のような鮮やかな赤。

「……嘘だろ?」

 シャルルが急き立てる。

「どうしたグウェン! 今すぐ報告しろ!」

 グウェナエルはその場で大声を張り上げた。

「敵襲だ!」

 その声は陣地の隅々にまで響き渡り、緊張の波紋が広がっていく。

 同時に、ブレスト城の眼前の海域が突如として赤く輝き始めた。

 無数の松明の灯りが海面を照らし出し、数多の海賊船が押し寄せてくる。

 どの船も血のような赤い旗を高々と掲げていた。

 暗闇に赤い光が踊り、鋭い風が荒れ狂う海に音を立てて打ちつける。

 戦いの幕が今、切って落とされたのだった。


 ブレスト城の最上階、屋上。

 冷たい夜風が城壁を吹き抜ける中、エリオットは険しい表情で地図を見据えていた。激しい動揺が声に滲み出ている。

「どういうことだ!? ブレスト海峡に展開している部隊へ、今すぐ鳩を飛ばせ!」

 司令官は鳩を掴んだまま慌ただしく返答する。

「はい、しかし……逐一の報告ではそれらしい船影は一切確認されておりません!  ただいま、海賊の出現を報告するとともにこちらへ応戦を要請する鳩を送り出すところです!」

 ルソーが激昂した声で叫ぶ。

「あの野郎、いつの間にブレスト海峡を突破しやがった!? 海上の部隊は無事なのか、しっかり確認しろ!」

 イザベルは冷静に指示を出す。

「不自然極まりない。だが今はその確認が優先事項ではない。ブレスト城の防衛部隊に、ただちに砲撃準備を命じよ!」

 司令官は即座に応じる。

「かしこまりました!」

 やがて城内に低く鳴り響く鐘の音が広がる。

 夜の静寂を引き裂くように、鐘の音は不気味な余韻を残しながら街中に響き渡っていった。

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