表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/17

最終話:始点

 闇。果てのない一面の暗黒。

 そこには何もない。

 虚無。

 それこそが、命が最後に行き着く処。

「……終わった、か……」

 それは声ではない。少年の思念である。

 この黒こそが、彼の死が在る場所なのだ。音というものさえ存在し得ないのだ。

 不安と恐怖。その象徴たる闇に在って、不思議とその意識は穏やかだった。

 そこは、自身に出せる総てを出しきって至った暗闇なのだ。

 死に至る直前の行動が、どのような結果に辿り着いたのか。

 少年にそれ知る術はないが、それは必要のないこと。

 彼にとっては省みることなど、何もないのだ。

 不意に。

 ――トクン。

 闇が揺れる。闇がうごめく。

 ――トクン。

 闇が、騒ぐ。

「……くっ!」

 痛覚などないはずなのに。

 音などないはずなのに。

 ただ、虚無であるはずの世界なのに。

 確に、その意識は感覚を、知覚を、存在しているものだと認識していた。

 それをもたらすものは、鼓動だった。

「……何を悟っている?」

 思念が割り込む。別の意識のものではない。同一人格の意識に、同一人格の意識が反応しているのだ。

 それは普段、故意に押し殺された少年の意識なのだろうか。それとも深層心理というものだろうか。或いは、死の淵に潜む人をたぶらかす存在なのか。

「黙れ」

 不機嫌そうに、一つは返す。

「黙れないさ。俺なんだから」

 それは、酷く彼じみて伝える。

「ふざけるな!」

「ふざけてないさ。認めろ。お前は恐怖している。このまま果てることを拒絶している」

「黙れと言っている!」

 それはその意識を取り繕うように怒鳴った。

「……怖いんじゃないな。真の孤独を避けたいだけだ」

 だが、それはただ、蔑み嗤う。

 鼓動は益々、闇に激しく響いた。それに呼応して、世界そのものが、一面の黒そのものが、激しく揺れ蠢く。

「俺は――」


 足掻けよ。無様だろうが。

 すがれよ。忌み嫌う力だろうが!


 交わる思念。統合される意識。どちらともなく。


「鈴が必要な限りは…… おまえは死ねないだろ?」

「どこまでも俺を縛る……厄介な(じゅばく)だな! ……」


 

 鼓動は。虚無の闇に光を産んでいた。





 降り頻る雨の中。

 傘も差さずに、それに打たれ。歩み始めた青年の足が止まる。

「なんだと!? ――」

 あり得ない感覚を覚え、蒼司は驚きを漏らした。

 その感覚の正体は邪気。

 人ならざる『魔』の撒き散らす瘴気だった。

 彼の愛刀。邪気の源は、少年の体から引き抜かれた童子切の発するものでは、決して違う。

 地べたに横たわらせた、黒衣の滝口を振り返る。

「――お前か……」

 その言葉を呟いたときには、蒼司は薄く笑っていた。

 確かに。人であるはずの少年から、その邪気は産まれていたのだ。

 青年の視線の先。少年を死へと至らしめた、童子切で刺し貫いたはずの、左胸が驚くべき速度で復元、再生されていく。

「……なるほど、な……詩緒。私とお前とは、ここまで対極にあるのだな……」

 人の姿のまま、邪気を発する少年。

 蒼司は解する。

 自分は外部から『魔』の力を取り込み、力として利用した。対して、少年は内に秘めたその力を、人のまま使う可能性を秘めていたのだと。

 渡辺詩緒という人間が『魔』に堕ちるとすれば。少年のよく知る、その成れの果て。鬼へと変じるはずである。

 青年の感じる瘴気は、正にその魔性の発するものであった。しかし、少年はその姿を人ならざるモノに変える気配はない。

「……恐ろしい男だな。この場は私の負け……そういうことか」

 ふっ、と一つ笑う。

 戦闘能力の増強たる力を、文字通り断たれた青年と。それを未だ秘めていた少年と。

 この後、再戦を行ったところで、結果は明白である。

 加えて、純粋な剣術という戦いに於いても、少年は瞬間的にとはいえ、青年を遥かに凌駕して見せたのだ。

「……その力を完璧に使いこなす、お前を待たせてもらおう……」

 蒼司は止めていた足を、再び先へと向けた。

 荊棘(けいきょく)の道の果て。死という結末を以って。止められることを望んでいた、かつての滝口には、新たな道が開かれていた。

 それは唯一無二であった親友の代わりとなることに近い。

 敵対者として、ではあるが、青年は少年にとって、明確な標となるだろう。超えるべき壁となるだろう。

 そして、青年にとっても。

 限界を感じつつあった自身に、少年は未来さきを垣間見せたのだ。

 そして、何よりも。

「……共に高め合う、か。悪くないだろう? 詩緒……何れ、私とお前の力は必要となるはずだ……」

 振り返ることなく。蒼司は呟いた。

 断ち斬られたはずの。消失したはずの童子切の刀禍。

 だが、その青年の手にある鞘へと納刀された妖刀は、薄くではあるがそれを再び発生させていた。

 徐々に、徐々に。

 呪は明瞭なものへと変じている。

 それが示すのは、ただ一つの凶事。

 伝説にある、その名刀で首を刎ねられ、滅したとされる鬼の王。その鬼の王は未だ存命し存在している。その事実。

 死した者の怨念であるのならば、こうして再び、刀禍が生じるはずはないのだ。

 生霊。元凶はまだ、その刀を生きながらに怨み続けている。だからこそ、呪は再生される。

「――また、相見えよう」

 何時か。青年の歩む先に、再び少年と相対することを確信して。

 青年の姿は雨の中、夜闇の中に消え失せた。





 少女は直向ひたむきに走る。

 鍛えられていたはずの体力も、実戦――命のやり取りを初めて行ったということに、予想以上に消耗していた。

 いつもよりもその足が重い。

 思うように距離を縮められない。

 それでも懸命に走り抜くも、少女が目的地に辿り着いた時には、すでに雨は上がっていた。

 スコールのように激しい雨を降らせた分厚い雲は流れ、空には薄雲の幕の上に、月がその輪郭を朧に浮かび上がらせていた。

 大きな屋敷の並ぶ住宅地。

 深夜と呼べる時間帯に達していたその場所は、ただ静まり返っていた。

 その中でも一際大きな、少女の眼前の屋敷。それは内部に生在るモノの気配を感じさせず、まるで異界への入口の様に大きな門を開け放っていた。

 琴音は息を呑む。

 呼吸を整える時間を使い、覚悟を決める。

 この中には探し続けた兄がいるはずなのだ。

 しかし、それは感動の再会には程遠いものになる算段が極めて高い。

 なによりも。この門をくぐるということは、日常との決別を意味することになるのかも知れないのだ。兄は世界の裏に生きる人間なのだから。

 それでも。

 深呼吸を大きく一つ行うと、琴音は敷地へと足を踏み入れた。

 直後、緊張がその身を支配する。

「何!?」

 自身の存在を悟られぬようにと思いながらも、しかし、小さく声を漏らしていた。

 前方から近付いて来る足音が、その耳に聞こえたのだ。

 雲間から覗いた月が迫り来る者、その姿を鮮明に映し出す。

「……え?」

 歩み来ていた人影。差し込んだ月光が照らしたのは、一人の少年であった。

 酷く汚れ、あちこちを裂かれ原型をほぼ止めていない衣類に反して、少年の体には傷一つない。

 優しい輝きが照らすのは、その美しい顔立ち。

 幻想的にさえ、少年は少女の目に映る。

「……渡辺、くん?」

 少女は、彼の名を呟いていた。

「……源琴音……」

 無表情に。詩緒は少女の名前を口にする。

 少しづつ、縮まる二人の距離。

「あ、あの! お、お兄ちゃんは?」

 頬を染め、少ししどろもどろ気に琴音は訊ねた。

「ここには、もういない」

 詩緒の歩みを止めずに、端的に答えだけを返す。

「そ、そう……そう、なんだ……」

 消え入るように小さく語尾を呟くと、少女の表情は曇った。

 安堵と落胆と。複雑な心境だと本人は思っていたのだろうが、その実、後者の感情が明らかに強いらしいことが見て取れる。

 俯いた少女と、歩みを止めなかった少年が擦れ違う。

 限りなく近い距離。

 だが、日常と非日常の果てしなく遠い隔たりが、そこに在る。

「渡辺くん。お兄ちゃんと……戦ったの?」

 顔を上げ、振り向き様に琴音は口を開いた。そんなことが聞きたかったわけではない。

 ただ。

 ここで何の約束もなく、この少年と別れてしまうと、二度と逢えない気がしていたのだ。

 何でもいいから。そう思って、口から出た言葉がそれだったに過ぎない。

 そこに在る隔たりを超えて。

 また逢いたい。

 琴音には、確かにその感情が芽生えていた。

「……お前には関係ない」

 琴音の耳に、微かに鳴った鈴の音と。その音に混じり、少年の冷く突き放す声が聞こえた。



 少年は他人との交わりを極端に嫌う。

 誰も巻き込まないようにするために。

 例え、どんなに優れた人間でも。例え、どんなに強い人間でも。

 世界の裏を知る者は、それに呑まれ、死に行く可能性が極めて高い。

 自身に眠る、忌むべき『魔』の鼓動も。

 そして、柾希の最後も然り。

 兄は親友を救えず、止められず。その悲しみに囚われ、鬼に堕ちて詩緒に斬られたのだから。

「この鈴は笑顔のカタチ。……君が護った笑顔でもあるんだ」

 近い人間を世界の裏に巻き込むことを嫌い、孤独を通した弟に、兄はこれを託した。


 だから。

 誰も近づけさせない。


 兄の真意は決して他者を拒絶しろというものではない。

 弟が孤独でないことを教えたいだけだったはずだ。

 詩緒もそれは悟っている。

 だが。

 自身が孤独を貫くことで、護れた笑顔がそこにあるのなら。


 それが、少年の選択した答。


 鈴は戒め。

 鈴は心の結界を形成する核。


 

「ま、また……また逢えるかな? 上着! 返さなきゃいけないでしょ!?」

 会話を取り繕うように。少年の足を止められるように。それでも、少女は言葉を送る。

「……それはやる。そして、忘れろ。俺のことも……源蒼司のことも」

 だが、少年の足は止まらず。

「――それでお前の悪夢は終わる」

 去り際に、鈴の剣士が残した言葉。

「……それが私のためになるのかな?」

 それに問う、少女の言葉に返事はなく。

 少年を視線に追う少女と。振り返ることのない少年と。

 そして、琴音と詩緒の距離は、ゆっくりと、確実に、開いて行く。

「……忘れないよ……」

 小さく零した言葉。

「忘れない!」

 そして、その背中に少女は叫んだ。

「私、河原くんのことも、お兄ちゃんのことも忘れない! ――私、滝口になる! 私がお兄ちゃんを止める!」

 新たな決意を宣言する。

 一瞬。ほんの一瞬だけ。

 その声に、詩緒の足が止まった気が琴音にはした。

 そして、直後、その姿は闇に溶けた。

「……だから、貴方のことも忘れないよ」

 詩緒の消えた闇に。琴音は微笑んだ。

 それは暖かい。そして、美しい微笑みだった。








 朝のホームルーム。

 琴音はぼんやりと、窓の外を眺めていた。

 教壇に立つ担任の声は、単に音として聞こえ、その意識を明瞭とさせるには至らずにいる。

 教室の片隅。河原潤一の机。

 あの夜以来、当然、その主は姿を見せてはいない。

 もう何も残されていない存在なのだ。

 その翌日。彼の父親である代議士、河原剛三が何者かに殺害されたと、大きく報道された。河原潤一という少年は、その事件に巻き込まれ、行方不明になったとされている。

 初日こそ、クラスの中でもその話題で持ちきりとなったが、結局、一週間も経過した今では、誰も話題として取り立てずにいる。

 窮地に陥った琴音の前に、颯爽と現れた黒衣の滝口。

 クラスメイトたちの中の潤一という少年と同じように、あの少年もいつかは自分の中で色あせ、風化していくのだろうか。


「ごめんなさい。占いに関して、嘘はつきたくないから……正直に言うわよ?」

 そう一言、断りを入れて。

「……その人と琴音が再び出会う可能性はないみたい……」

 幼馴染の少女はそう答えた。

 生まれて初めて出会った、気になる異性。その相手との恋愛運を診てもらった結果である。

 単に最近、出会った相手だと偽り。全ての情報を伏せて、占ってもらった結果がそれだった。

 彼女と彼は知り合いらしかった。

 だから。という訳でもなかったが、琴音は占い師にそれを告げることが出来なかったのだ。

 それも隔たり、なのだろう、と琴音は思う。

 世界の裏と表と。


 琴音が吐いた大きな溜息は、教室内のざわめきに掻き消された。

 そのざわめきに、ようやく琴音は自分の世界から呼び戻される。

 当たり前のこととして、何が起こったのか理解できてはいない。

 原因を探るべく、教壇の方に視線を送る。

「あ」

 呟いた言葉と共に、状況を把握する。

 そのざわめきは、そこにいる人物が起こしたのだと。

 そういえば噂に聞いていた。

 今日、転入生が一人、新しくクラスメイトになるのだと。

 その生徒がそこに立っていたのだ。

 それは美しい少年だった。

「渡辺詩緒です。よろしく」

 担任の教師に促され、少年は挨拶をする。

 無表情に。ただの決まり文句として。

 世界の裏に生きる少年と、世界の裏に踏み入る決意をした少女。

 不意に交わる二人の視線。

 気がつくと、琴音はあの夜と同じ微笑を向けていた。










評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ