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第拾四話:問答

 河原邸。

 兄の愛刀を持つことを決意させた少年の敵は、ここで待つと少女を介して告げて来た。

 海を一望できる閑静な住宅地。高級住宅地として名を馳せ始めている、その土地の一角に、それは在った。

 塀越しにも解る、広い敷地を持つ邸宅である。

 江戸彼岸の広場を後にしてから、それほど時間は経過してはいなかった。

 ここに到着するのに、少年が迷うことがなかったからだ。

 ご丁寧にも敵は、指標にしろとばかりに邪気を発生させ続けていたのだから。

 今にも振り出しそうな、厚い雨雲が夜空を覆う。

 正門は、少年を誘うように開け放たれていた。

 左手に握られた刀を、小さな銀色の鈴を少年は見遣る。そして、躊躇することなく、その大きな木製の門をくぐり、内部へと侵入した。

 静まり返った敷地内。そこに広がる手入れの行き届いた和風の庭園。その中道を黒衣の滝口は玄関へと向かい、一歩一歩、進む。

 道すがら、数人の遺体が転がる。それは斬殺された護衛の人間。

 その全てが見事に、一刀の下に斬り捨てられていた。

「……遅かったか」

 少年は無表情にぽつりと零す。

 この国では違法とされる兵装。しかし、それに身を包む者、例えそれが犯罪者であろうとも。少年にとっては、その相手が『魔』と呼ばれる敵である以上、護るべき対象でしかないのだ。

 ぴたりと、足を止める。

 少年の、その鋭い視線の先。玄関を照らす門灯の下に、一人の青年が立つ。

 手にしているのは、少年と同じく一振りの刀であった。

 その刀の鍔元に飾られた、古ぼけた木製の桃華がゆらり揺らめく。

 その華は単に装飾物ではない。

 封印の証。そして、それは刀禍だけを抑制したものではないのだ。

 まだ見ぬ、その青年の本気。

 それを抑止している枷でもあるのだと少年は、理解していた。

 青年自身が邪気を発することは在りえないからだ。

 滝口たちの言うそれは、この世ならざるものたちの気配のことである。青年はあくまで、純粋な人間でしかないのだから。

 青年は先日の接触において、その刀の力を解放していない。しかし、邪気を生じさせる、つまりは少年をこの場所に案内ナビゲートするのに、その力を行使して見せたのだ。

 敵は、その刀に封じられた鬼の王の呪さえ自在に操れる。

 それは、その証明。

「ちっ……」

 少年は舌打ちをする。計り知れない青年の底を知り、そして、その力を使わずに尚、翻弄された自分の不甲斐なさを漏らす。

 桃華の吊られた刀。それこそが妖刀と成り果てた、退魔の名刀。

 その銘は童子切安綱。

「……遅かった、か? 安心するがいい。そいつらは死んで当然の者たちだ。詩緒。お前が悔いることはない」

 童子切を持つ青年が、静かに口を開いた。

「……お前が決める事じゃない……」

 詩緒はゆっくりと、手にした刀を抜き放つ。鮮やかに光を反射する、その刀身。

 この地に現れた目的は、明瞭としている。

 滝口としての役目を果たすこと。目の前の『魔』を排すること。それだけのはずだ。

 最早、会話は必要ない。その動作は少年の返答。

「ほう――」

 その刀を見て、蒼司は満足げに微笑んだ。

「――鬼切、だな……」

 それは詩緒の持つ刀。かつて彼の無二の親友が、少年の兄が振るった愛刀の銘。

「……ならば、私も本気でお前の相手をするときが来た、ということか……」

 言いながら、童子切を抜刀する。

「来い」

 殺気などなく。そして、ただ冷静に蒼司は告げた。

「……後悔するなよ」

 詩緒は蒼司を射抜くように見据え、駆ける。斬り込む。

 鈴は小さく音色を奏でていた。





 血の跡が水面へと続く。

 風の痕跡が地面に痛々しく描かれている。

 いつもの夜の静けさを取り戻した広場。

 少女は二人、その広場の主の下にいた。

「……そう。(アレ)は、潤一くんだったの……」

「……うん」

 瑞穂の声に、琴音はこくんと頷いた。

「瑞穂? 潤一くんは、もう――」

 問い。琴音の台詞が完全な意味を成す前に、瑞穂は小さく首を振って、それを止めた。

「……この世成らざるモノは、死して何も残さず、唯、塵に消える……」

 そして、陰陽師の少女は口を開く。その言葉通りに鬼の姿は、跡形もなく消え失せていた。

 鬼を始めとするあやかし、妖怪、怪物、魔物。

 古今東西を問わず、それら闇の住人たちは、死して躯などの痕跡を残すことはない。

 それはこの世界自体が、彼らの存在を忌み嫌い、排除しようとしているからなのか。それとも、彼らの体が在るべき世界に還るからなのか。

 真相は解明はされてはいない。

 だが、それは覆すことの出来ない事実であった。

 河原潤一が、この世界に存在した証明。

 それはすでに、少女たち、彼に関わった人間の思い出にしか残されていないのだ。

「そんな……」

 涙目で琴音は呟いた。

「……私たちの存在る世界は、そういう世界ところ……琴音。優しすぎる貴方には、厳しすぎる世界なのよ――」

 アイツと同じで。そう続けそうになり、瑞穂は口を噤んだ。

 悲しい出来事の多い世界。

 死という耐え難い決別が、いつも隣にある世界。

 滝口は、陰陽師はそういう世界に生きている。

 そして、何もそれは、その世界に生きる自分たちだけに起こりうる事態ではない。

 否。むしろ、自分たち以外に発生することの方が、多いくらいなのかも知れない。

 憎しみは連鎖する。

 復讐という名の下に、彼らに親しい無力な者に、その世界から魔の手が伸びることも多いのだ。


 アイツはそれが嫌で、一人でいる。

 一人ならば、復讐の標的は自分でしかありえない。

 だから、孤独と向き合い、抗い、耐える。

 それがアイツの選んだやさしさの形。

 孤高の剣士。そういう風に彼を評する仲間もいた。

 でもそれは違うと、瑞穂は確信している。

 良く言えばそういうこと。

 しかし、瑞穂に言わせれば、詩緒は逃げているだけなのだと思う。

 それは幼馴染という自分との関係でさえ、任務だけの繋がりでしかないという事実が物語っている。


 いつかは――。


 瑞穂は自分の頭を過ぎった想いを途切らせ、琴音を見た。

 彼女の兄は、少女をよく理解しているのだと思う。そして、深く愛しているのだと思う。

 彼は琴音に、この世界に踏み入る一切を封じていたのだ。

「……ごめん……」

 気が付けば瑞穂は呟いていた。

 世界の裏には、とても似つかわしくない少女。彼女がそこに引き込まれることを、防ぎきれなかったこと。そのために自身は、ここに現れたはずなのに。

「瑞穂が謝ることじゃないよ」

 そのやさしい微笑みが、瑞穂の悔恨を溶かす。

「ううん……琴音には、いろいろ黙ってたし……」

「……私のため、なんでしょ? ……解ってるよ」

 その笑みに、一片のかげりも無かった。

「やっぱり琴音はやさしすぎるよ……」

「そうかな?」

「うん」

 彼女は敵でさえ許したのだ。

 琴音は当麻を殺めはしなかったのだ。

 あの後。瑞穂が風の力を封じた直後。二人の勝負は一瞬で決した。

 僅か数手の攻防。その攻防で、琴音は当麻の両腕を負傷させ、八卦衆の剣士を無力化させたのだ。

 実戦。確かにその経験は琴音にはなかった。しかし、真剣を用いた訓練なら幾度となく行なっていただろう。

 そして、その相手こそ、瑞穂の知る最強の剣士なのだ。

 少女の剣の師は、その剣士、源蒼司に他ならない。

 負け惜しみとしか聞こえない捨て台詞を残し、逃走した当麻を、琴音は追いはしなかった。憐れむように彼を見送るだけで。

 もっとも、当麻は広場に面した大池へと飛び込んだわけで。

 瑞穂でさえも、その気を失くしたわけなのだが。

「……瑞穂。教えて。もう隠す必要もないでしょ?」

 不意に琴音は、真剣な表情で訊ねた。

「私、もう知ってるよ。滝口のことも、『魔』のことも。今、お兄ちゃんは瑞穂たちの敵なのよね? どうしてなの? 理由を教えてよ。そうしてくれないと、私はどうしていいのか、解らないよ……」

 儚げに。そこに八卦衆の剣士を撃退て見せた、強さは皆無で。琴音は、ただ真っ直ぐに瑞穂の目を見詰めていた。

「……ええ。そうね……分かったわ」

 瑞穂は頷くと、彼女が知る源蒼司の情報を語り始めた。





「蒼司。お前は何故、獅子王を捨てた?」

 その理由を詩緒は、瑞穂は知らない。

 いや。その真相を知る者は、今や当人以外、誰一人と存命してはいないのだ。

 鬼切を走らせ、詩緒は動く。

 戦況はまだ、大きくは動いてはいない。

 やや後手に回りながらも、詩緒は蒼司と殺陣を繰り広げていた。

「鬼切、か……少々、厄介な獲物ものを薦めたか?」

 しかし、童子切の剣士は笑っていた。

「……いや。迷いを捨てただけか?」

 満足げに独りごちる。昨日とは異なる青年の内面。余裕があるわけではない。この攻防は単に、渡辺詩緒という滝口の真なる実力がもたらした結果。

 蒼司が認識した通りに、今の少年には気負いや、力みはないのだ。

 兄、柾希。その人物や過去のしがらみはなく、ただ本当に一人の剣士として立ち合っているだけのこと。

「……昨日の台詞は虚言か?」

 雨に身を濡らしながら。兄とは関係なしに、ただ滝口として、自分の前に立ち塞がったと告げた少年。

 しかし。

「かもな」

 口元を、ほんの一瞬だけ歪め、少年は呟く。その声を掻き消すかのように、刃音が響いた。

 蒼司の降るう白刃を、詩緒は鬼切の刀身で止めたのだ。

 直後、滝口は全身の力を緩めると、その身を半身ずらした。同時に、鬼切の刀身で童子切を流す。刹那、刀を返し、薙ぎ払う。

 その一撃を蒼司は地面を滑走するかのように低く短く移動し、回避していた。続け様、片足を軸にし身を捻る。その勢いを生かし、手にした妖刀を走らせる。

 詩緒は最小限の動作で後方へと逃れ、その凶刃を避けていた。

 再現。

 それは唯一、蒼司と柾希が命を賭して争った、あの日の流れと酷似していた。

 既視感デジャビュではない。その挙動は。その太刀筋は。

「……なるほど……」

 青年は悟る。親友が残した言葉に偽りはなかったのだ、と。

 正眼に童子切を構え直すと、蒼司は薄く笑っていた。

 意識した笑みではない。

 自然と。ただ、自然と。

「……詩緒。お前にとっての『魔』とはなんだ?」

 それは現れたのだ。蒼司が待ち侘びた相手。親友と。渡辺柾希と同じ感覚を感じさせる相手。それはこの少年以外に在りえない。

「……資格を得たということか?」

 その少年は言葉を返す。

「……どうだろうな」

 浮かんでいる笑みは、しかし、肯定でしかない。

「……私が斬るのは『魔』を産み出す者、それを含む『魔』。例えそれが、滝口の定義するものに反しようとも――」

 ただ無表情に戦っていた詩緒の眉が、蒼司の言葉に、ぴくりと動いた。

「――例えば、この館の主がそうだ。その者が振りかざした権力という力は、魔性の力となんら変わりはない。その力に、どれだけの人間が犠牲になったと思う?」

 独白のように。蒼司は言葉を紡いだ。

「それが理由か?」

 知りたかった答。それは彼の兄が、最後の戦いを決意した想いに繋がるもの。

 しかし、それを知った詩緒に表情はない。

「……私が力を振るえば、救われる人間がいる。……滝口の定義では救えない人間。お前も感じているはずだ。嘆いているはずだ」

 それこそが、棟梁であったころに蒼司が感じていた葛藤の正体。

「とんだ偽善だな。だったら警察か、裁判官にでもなればいい」

 だが、冷たく放つと詩緒は地面を蹴った。

「そういう者こそ、それを楯にする。ならば誰が彼らから人々を守る……」

 言葉に応じた青年との間合いを詰めると、黒衣の少年は鋭く突きを穿つ。一つ、二つ、三つ。そして、四つ。それは一足にして繰り出される四段突き。

滝口おれたちにそんな権利などあるものか」

 その一手は、その思想の拒絶。その意思表示。

「……お前にも、その力は十分あるはずだぞ? 詩緒!」

 蒼司は言葉を残し、攻撃をかわすべく後方へ跳躍する。

「そんな力は持ち合わせていない!」

 詩緒は逃がさず。距離を作らせないように動いていた。

「……理解出来ぬようだな。その様な輩を生かせば、際限なく『魔』は産まれる。排除すべきなのだ! 奴らは! 何故、解らん!?」

 童子切が閃く。その担い手の感情の昂ぶり。それは詩緒の得意とする戦術を容易にしていた。

 読み取れなかった殺気、気配をそれは露にしているのだ。

「一つ、はっきりした」

 その刃を易々と往なし、滝口は下段から鬼切を跳ね上げた。刃風が走り、蒼司の身を裂く。

「……源蒼司。やはり、お前は『魔』だ」

 続ける言葉。しかし、先の一撃は踏み込みが甘かった。いや、外されたのだ。避けた者こそ褒めるべき攻防だったに過ぎない。

「――偽善を振りかざし、滝口の、童子切の力を使う『魔』に過ぎない」

 僅かに裂かれた蒼司の左胸部。和服が斬られ、血が流れる。しかし、浅い。戦闘になんら支障はない。

「……ならばどうする?」

 その傷を戒めとし、冷静さを取り戻すと、蒼司は突きを放っていた。

 それは無拍子に、動作を悟らせることをさせぬような神速の一撃。

「お前をすまでだ」

 首の皮一枚を斬られつつも、その刃を流した詩緒は返答する。


 月が。星が見えない夜空。

 そこは今だ、厚い雲に覆われて。

 しかし、まだ。雨は降り始めてはいなかった。 





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