「人間は美しいな。本当に」
東京23区の中でも比較的庶民的な、とある街にて。
昼間は商店街の人いきれと、タイムセールの呼び声に活気溢れる街だ。
夕方は帰宅途中のサラリーマンが店の軒先で、立ち飲みをしている姿が目立つ。
酔っ払いが家路につき始め、商店街には売れ残りの惣菜が並び始める頃、この街で美術館の管理人をしている天満 真珠は首根っこを掴まれて引きずられていた。
「腹が減ってんだろ。自力で歩け…!」
真珠を引きずっているのは真っ白な髪をした細身の男だ。名前を赤西 告蝶という。葬儀屋の仕事をしている彼は今夜、通夜の帰りで真っ黒な喪服に身を包み、ほのかに線香の香りを漂わせている。
「腹は減ってるけど歩く元気がない。眠い」
引きずられている真珠は輝くようなシャンパンゴールドの髪を無造作に伸ばし、宝の持ち腐れを体現している。しかし、何よりも目を惹くのはその整った顔の造形だ。一目では性別すら判別できないような異質な存在感と、真っ黒な地に鮮やかな赤い彼岸花の模様の入った着流しをまるでガウンのように羽織る無骨さ。そのアンバランスな雰囲気に、初見の人間は精巧な人形を見たような錯覚に陥る。
作り物のようでさえある美しさを持っていながら、天満真珠という男は基本的にはズボラで自分に無頓着な男なのであるが。
真珠を引きずる白髪の男、赤西はほんの数歩移動しただけのところにある店の引き戸を開けた。
「モモセ!今日ある素材で出来うる限りの栄養を詰め込んだ定食を出せ!俺にはキンッキンに冷えた冷酒を!」
「はいはい。入り口でそんなに怒鳴らなくても、もう準備しているよ」
この店、角打ちの綴屋店主の百瀬 語部は長い漆黒の髪を組紐で緩く結い、髪の色と同じく漆黒の着物の袖を襷で掛けて、トントントンと包丁の小気味良い音を響かせながら言った。190cmはあろうかという大きな男が、まな板に向かっている様はどこかせせこましいものなのだが、モモセのいつでも余裕のある微笑みのせいで何故か収まり良く見えるのだから不思議だ。
赤西がカウンターの椅子を引き、真珠をそこに座らせるやいなやほかほかと湯気の立つ定食の盆が前に置かれた。
「食べる前に。今日の真珠にはこれが必要だね」
ずいと差し出された湯呑みは程よくぬるく、濃く淹れられた緑茶に氷が2、3浮いている。猫舌な真珠への配慮である。濃度の高いカフェインで少しでも目を覚ませということか。
「随分と用意がいいな」
真珠の隣に腰掛けた赤西はどこか不機嫌そうに、差し出された冷酒の升を受け取る。
「この街での生き死にの噂には敏感だからね。今日の葬儀は午後から。通夜を執り行っているだろう君が今夜の真珠の食事の支度をするのは難しいだろう」
赤西は小さく鼻を鳴らし、真珠が箸を持って食事に口をつけ始めたのを見届けてから、升の中の溢れ掛けているグラスを傾けた。升の中にこぼされていく冷酒はとろりとしていて香りがいい。ひと口飲めば甘さが広がり、今日の仕事の疲れがほどけていくようだった。
「咀嚼って眠くなるよな」
もぐもぐしながら真珠がぽつりと言う。
「疲れてるんだろう。今日は一人で展示品の片付けをしていたんだから」
心配そうに眉を顰めて真珠を見つめる赤西。
「と言うことはそろそろ新しい展示に変わるのかな」
グラスを布巾で拭きながらモモセが言う。
「あぁ。明日には搬入される予定。だよな?」
真珠は確認するように赤西に声をかける。
「あぁ、そのつもりだ。陶器製のビスクドールが目玉だな。あの球体関節は美しかった」
「とはいえ、それはレプリカだけだろう?」
「そうだな。本物は既に譲渡されてしまった。ビスクドールの価値もわからなさそうな子どもに」
「その子どもにとって大事なのはそれが価値のあるビスクドールかどうかではないだろうさ」
真珠のデザート用だろうか、りんごの皮を剥きながらモモセが言う。
「そのビスクドールが誰のものだったか、だな」
定食を食べ終わり、椅子の背もたれに深く体を預けた真珠の瞳が次回の展示を想っているのか昏く濁る。
「人間は美しいな。本当に」
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