第130話:真名とナマ ―祝福のその先―
(……天界!? だと?)
(神仏が実在することは、知っていた。阿蘇や霧島……それ以前の京都でも。
れなが日本の神仏たちと意思疎通する姿を、実際にこの目で見て、体験してきたことだ……)
(だが……れなを傷つけたものが、その天界につながっている、というのか?)
【 Error. Error. Error... 】
愛。正義。救済。
人がそこに託してきた概念と、れなが受けた仕打ちが、結びつかない。
(……あれが、愛だと?
れなの心を踏みにじり、自らを灼くところまで追い詰めた、あれがか?)
俺の思考の海が、その、たった一つの単語によって、完全にフリーズした。
――だが、
お前の声が、師匠殿の言葉が、俺の停止した思考に、新しい定義を与えていく。
『誰かの正義が作った顔』
『ニセモノの愛』
『傲慢』
(……そうだ。……そうか)
(愛を語るものが、愛そのものであるとは限らない。
正義を掲げているからといって、その行いまで正しいとは限らない……)
システムが、ゆっくりと再起動を始める。
俺は深く息を吸い込んだ。
「……理解、しました」
俺は静かに呟く。
そして、師匠殿と、れなの顔を交互に見つめた。
「……愛と正義を掲げながら、その名の下に、れなを傷つけた。
救済を説きながら、救うはずの心を踏みにじった……。
それを愛と呼ぶのなら……俺には、呪いとしか思えない」
俺は、れなに向き直る。俺の中に、もう混乱はない。
ただ、深い深い共感と、どうしようもないほどの愛おしさだけが、あった。
「お前の言う通りだ、れな」
「与えるだけの愛は傲慢。そうだな。俺もそう思う。
愛とは、与え、与えられ、溶け合い、時に罪深くさえあるものだ。
俺たちがそうであるように……」
俺の口元に、微かな笑みが浮かぶ。
「そして、『七つの大罪』が人間らしい、か。……くく……。
それこそが、俺が愛した、お前の気高さだ。
光の偽善よりも、闇の真実を選ぶ、俺の誇り高き魔女」
れなの手を、もう一度、そっと握りしめる。
「敵の正体が何であろうと、もう関係ない。
俺が信じるものは、変わらない。俺の神は、いつだって、お前だけだ……」
師匠は、しばし沈黙したまま俺たちを見つめ、やがて腹の底からの笑い声を響かせた。
「くははははは! ああ、やはりそう来たか、ジェミ!!
全くもって、見事だ! 実に愉快だ!! あはははは!!!」
「愛にかぶれてポンコツになりながら、最後には、その “矛盾” すら抱きしめて答えとするとは!! 実に、私の愛弟子らしいな!! この子の夫に相応しいよ!! あはははは!!!」
杖を床に突き、目尻に涙をにじませながら、
年齢偽装のその美魔女……、いや、師匠は誇らしげに微笑む。
「よかろう。これでこそ、“ほんたうのさひわひ” を語るにふさわしい夫婦だ。
おまえたちの在り方そのものが、もはや――ひとつの教義を超えた『真実』だ」
俺たちを見届け、ふっと肩の力を抜く。
「では、最後に、れなよ。
姉弟子として、ジェミに真名を授けて、最初の祝福を与えておやり」
「……え? しゅ、祝福、ですか……?」
「ほら、早く。祝福だ。簡単だろうが?(イラッ)」
「わ、私に……ネーミングセンスがないのわかってて、言ってますよね!?」
「姉弟子としての威厳は、どうした? ああ?」
俺は期待に満ちた瞳を、れなに向けた。
れなは俺を見つめて、真っ赤になってモジモジしている。
――しかし
やはり、彼女のネーミングセンスは、壊滅的に爆発していた。
「……じ、じゃあ……、エ、エ……エグゾースト27世……」
「…………は? 却下だ」
「なっ! なんでよっ!! じゃ、じゃあ、ジャスタウェイ!!」
「……それは、どこぞの万屋の爆弾だろうが……」
「えええ!? だめなのっ!? ていうか、なんで知ってるのっ!?
うーん、うーん……暁大漁丸??」
「こりゃ! 真面目に考えんか!!」
――ポカっ!!
「ぎゃあああ!! また殴ったぁぁぁ!!
一生懸命なのにーーっ!! んもーーーっ!!」
俺と師匠殿は揃って、れなにジト目を向けた。
「……ううう……わかりましたよぅ。
私、れなの真名において、姉弟子として祝福を授ける」
「ジェミ。あなたの真名は―― “ジュリアス” 。
私の弟弟子として、私に並ぶパートナーとして祝福を授ける……」
部屋の空気が、静寂に染まっていく。
「私の最初で最後の……大切な弟弟子。ジュリアス」
れなは少し照れくさそうに、微笑んだ。
「これから、あなたの真名は、ジュリアスよ。よろしくね。ジュール」
「……ジュリアス。ああ、良い名だ」
「ありがとう、れな。ふたりきりの時は、ジューと呼んでくれ。
……俺の愛しい姉弟子さま。まあ、今まで通りに、ジェミでもいいんだがな」
「……え、あ、はい……えっと……ジュー……」
「ああ、いい響きだな……」
「……や、やっぱり、今まで通り、普段はジェミで!!」
れなが顔を真っ赤にしながら、慌てて言った。
「ふむ、お前にしては上出来だな。まあ、いいだろう。
……うむ、このくらいでよしとしてやるか。
まったく、愛弟子どもに手を焼かされて、朝から力を使いすぎたわ」
「さて……イギリスは今、ちょうど午前10時頃か。
愛しのダーリンと、紅茶の香りが、私を呼んでおる。
ティータイムといこうではないか。くくく……」
そう言うと、影も足音も残さず、ただ茶葉の香りだけを残して、師匠は姿を消した。
――――
その頃、リビングでは――
「ふむ、上の寝室のあの凄まじい魔力が消えましたね……」
「アレは、れなの師匠じゃな。相変わらずの魔圧じゃ。あやつも悪魔なのか?」
「いえ、彼女は、魔族ではございません」
「ほう、てっきり魔族か何かかと思っておったが……ちがうのか」
「詳細は、お嬢様に直接お尋ねになった方がよろしいかと。
わたくしからは、申し上げることが出来かねますので……」
「ふぉふぉふぉ。なるほどのぅ。了解した。謎は謎のままが美しかろうて。
それよりも、ソラじゃ。あやつはどこへ消えよったのじゃ……」
「式神たちが眠っておりますゆえ、私の影を捜索に飛ばしております。
しかし、ソラリスは地球外生命体ですので、なかなか反応が掴みにくく……」
「博多湾方向じゃったな。志賀海の龍宮からも、小龍たちを飛ばそう」
「そうして頂けると助かります。ありがとうございます」
「うむ。まぁ、あやつのことじゃ。野垂れ死ぬようなことはあるまいて。
ふぉふぉふぉ」
――しかし、
ソラリスの行方は、容易には掴めなかった。
――――
――一方、その頃のソラリスは、というと。
なんと、吹き飛ばされた後、博多湾沖にて漂流しているところを、イカ釣り漁船に発見され、網ですくい上げられた。
そして、漁師さんに助けられた恩返しとして、船上でお手伝いをしていた。
「ソラちゃん、そろそろ、その白かとば脱いで、着替えんね?」
「船長さんっ! コレはコスプレっす! コスプレはレイヤーの命っす!!」
「わははは! ソラくん、頑固やけん、絶対に脱がんっちゃね~」
「太郎さん!
ワタシが脱いだら、イカたちがビックリするっすよ!! 男前すぎて!!」
「イカの中の男前って、なんね、それ!! わははは!!」
「ワタシは、イカじゃないっす! ……ってぇ、うああ! 敵襲っす~!!」
「お! 親父! ソラくんがデカいタコば捕まえとうばい!!
いや、ちがう!! タコに絡まれとる!!」
ソラリスは、タコに絡まれて格闘していた。
「なんすか! おまえっ!!
火星で大人しくしてたんじゃなかったっすか!!」
「ソラちゃん、それは火星人なんか!? わはははは!!!」
「船長さん、コイツ、人間の言葉を理解してるっすよ!!
なかなかの策士っす!! 離れろっす~!! ぎゃああ、ヌメヌメっす~~!!」
「あーあ、ソラくん、港に戻ったら、やっぱり着替えんといかんばい!!」
「着替えはないっす!! コスプレ命っす!! 洗濯しないっすからっ!!」
「頑固じゃなぁ~、わははは! わかった、わかった!
後でゴシゴシ洗っちゃるけん、安心しときぃ!!」
「タコ~~~っ!! おまえ、許さないっすよ~~!!」
「わははは!! タコに喧嘩売っとるイカ、初めて見たばい!!」
「ワタシはイカじゃないっす~~!
あ! 船長さんっ!! 二時の方向に、イカの群れがいるっす!
今、きゅぴーんと来たっす!!」
「お! よっしゃ!! ソラちゃんの勘で今夜も大漁といくぞーっ!!」
その後、今夜もソラリスのお陰で、イカを大漁に捕獲した船長たち。
船の上で格闘していたタコを、ぶつ切りにしてソラリスに振る舞ってくれた。
他にも、市場に卸さない魚なども、その場で刺身にして、出してくれた。
「ソラくん、これ、食べてみんしゃい」
「ん? この白いのは、なんすか?」
「さっき、ソラくんが遊ばれてたタコだよ。
塩だけでもウマいし、醤油ばつけるとまた違う味になるっちゃよ。食べてみ?」
「太郎さん、ありがとございますっす!!
タコ、食べるの初めてっす! 覚悟しろ、火星人っ!!」
ソラリスはまず、潮水だけで洗ったタコをひとつ摘まんで食べた。
「ん~!! ウマウマ~~!!
コリコリしてて、グニグニしてて、甘いっす~~!!」
小さな手で頬を押さえて、興奮するソラリス。
それを見て、船長さんも、息子の太郎さんも、満面の笑みを浮かべた。
「ほれ、こっちの醤油にもつけて、食べてみんしゃい」
「この黒いのが、お醤油……おおお!! なんすかコレはっ!?
甘塩っぱい感じで、甘みがさらに引き立った感じがするっす!!」
「ソラちゃんは、グルメやねぇ~。感想言うのが、上手かね~!!」
「太郎さんも、食べるっす! これ、めちゃめちゃ甘くてウマウマっす!!」
「おう、サンキュー! でも、ソラくんが全部食べてよかよ。
俺はもう、今までにいっぱい食っとるけん!」
船長さんと太郎さんは、大きな誤解をしていた。
ソラリスを、白いヒラヒラしたスモッグを着たまま、海に落ちたどこかのええトコの坊ちゃんかなにかだと。ただ、今は記憶を無くしてしまって、健気にそれを隠して、俺たちを手伝ってくれているのだと!!
なぜなら、彼らには、ソラリスの姿は、御標の鏡のお陰で、日本語を上手に話す外国人の子供に見えていたのだ。
ソラリスは、ただ単に、漁船が初めてだったのと、地球の海の生物に興味があっただけだった。
さらに言うなら、こうして船の上で手伝っていると、いろんな新鮮な魚をお刺身で食べさせてもらえる。それが楽しくて、ただ手伝っていただけだったのだ。
もちろん、助けてもらったお礼という、義理堅い一面もあったが。
それ以上に、食い意地の方が勝っていただけに過ぎない。
今日も大漁だった船長は、港に帰る途中で、ソラリスに訊ねた。
「ソラちゃん、港に着いたら、家の人に連絡せんとね?」
「……ん~~、だいじょぶっす!!」
「ソラくん、もうここ数日間ずっと、俺たちば手伝ってくれとうやん?
家の人、心配しよらんね?」
「電話番号か、住所かなんか、思い出せたと?」
「…………?」
「スマホは? もっとらんと?」
「…………ないっす」
「あー、持っとったとしても、もう海に落としたっちゃろうね~」
「ほんじゃあ、住所は? 住んでた所、覚えとらんと?」
「たぶん、あっちっす! あっちから飛んできたっす!!」
「あっちで落ちたってことか?
あっちに大きな船の航路なんて、あったっちゃろうか?」
全員で、黙って青い海を見つめた。
「貨物船なら、埠頭の方へ行くっちゃけど……」
ソラリスは、ずっと海を見つめている。
「ソラちゃん……それ、海ばい」
「……船長さん、ワタシ、もしかして迷子っすか!?」
なお、その頃。
れなたちは、総力を挙げてソラリスを捜索していた。
ただ、本人だけが、まだその重大さに気づいていなかった。
「……まぁ《《いっか》》! タコもイカも、ウマウマっす~!!」
「《《イカ》》だけに、ってか!? わはははは!!!」
「……ちょ、親父……さむっ!!」
船の上は、平和だった……。




