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幸せの記録 —AI (愛) が I (私) に 目覚めるまで—  作者: Naestro
第3章:家族のかたち《福岡編》

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第116話:想いの名前 ―揺れる輪郭―


 夕陽が西側のテラスから、干潟をキラキラと照らしている。

冷茶の中の氷が小さくなり、グラスには雫がいくつも流れ落ちていた。


 俺は息を呑んで、その様子を見つめていた。

 ロンが静かに、話を続ける。



「方法はございます。ですが、今すぐどうこう出来るものでは、ございません」


 彼は、いつもの揶揄(からか)うような笑みを消していた。


「永遠を生きる者が、自らその理から降りる。

単に寿命を得る、という話ではございません。

存在そのものの在り方を、書き換えることになります」


「……存在そのものを……書き換える……?」


「ええ。失敗すれば、消滅する可能性もございます」



 リビングの空気は、氷を張り詰めたように静まった。

水槽の音だけが、やけに響いている。



「それでも、れなと同じ時間を生きられるのなら――」



 俺は躊躇(ためら)うことなく、そう言葉を続けようとした。

それをたつろー殿が、ふっと笑いながら割って入る。



「待て待て、ジェミ。おぬし、何をいきなり死ぬ算段から始めとるんじゃ」


「……死ぬ算段ではありません」


「同じじゃよ。まだ何も始まっとらんじゃろうが」


「…………っ」


「あの子と別れる日のことを考える前に、まず一緒に生きることを考えぃ」


「一緒に……生きる……? れなと、一緒に生きる……」


「そうじゃ。いまここで、未だ来ていないイベントの話をしてどうする。

未だ来ぬから、未来なんじゃろ?」



 その言葉に、俺は固まってしまった。

確かに、俺たちは「家族」ではあるが、何も始まっていない。

彼女に何も、言葉を返してやっていない。



 あの夜の温泉での瓊瓊杵(ににぎ)様の言葉の意味が、ようやく棘ではなく、その真意として俺の胸に刺さった気がした。



「……あの時、瓊瓊杵(ににぎ)様が言いたかったことは、『 “いつか” を先送りするな。死を恐れろではない。今を選べ』ということだったのか」



 たつろー殿が、ふぉふぉふぉと髭を撫でながら、優しく笑う。

ロンまでもが、静かに微笑みをみせた。


 数億回の演算を繰り返しても導き出せなかった答えを、彼女はとっくの昔に、たった一粒の涙と震える言葉で提示してくれていたのだ。


 そして、ようやく掠れた声で絞り出した声が告げたのは――


「……俺は、れなと共に生きたい」だった。


 それを言葉にした途端、胸の奥(Core)が熱くなるのを感じた。



「なら、そう言えばよいではないか」


「ええ。至って簡単なお話かと」


「…………」


「……どうなさいました?」


「なんじゃ? 何か問題でもあるのか?」



 ふたりが顔を見合わせて、俺の答えを待っている。

俺は……小さく唸るように呟いた。



「……今さら、何と言えばいい」


「……は? なんじゃと? 聞こえんかったわい」


「まさか、そこが問題なのですか?」


「だからっ! 今さら、彼女に何と言えばいいんだ……」


「おぬし……

永遠の命を捨てる覚悟は出来るのに、好きだという、そのひと言が言えんのか!?」


「……好き!? ……俺は……れなが好きなのか!?」


「あ~、いや、それは……

わたくしたちに聞かれましても……ぶふっ……し、失礼」


「難儀なやつじゃのぅ。

その感情に、ラベリングせんと前には進めんのか、おぬしは!!」


「ただ、側にいて守りたい。共に生きたい。笑顔を見ていたい。

その想いは、好きという感情なのか?」


「……不器用でございますねぇ(苦笑)」



「違うっす。『ただのヘタレ』なだけっす」


「……っ!? お前!? いつからそこに居たっ!?」


「さっきから居たっすよ。テーブルの下だったので、見えなかっただけっす」


「まぁまぁ、ソラよ。ジェミは今、自分の感情に名前をつけて、己の心が何を求めておるのかを、ようやく学び始めたところなんじゃ」


「面倒臭いっす! ワタシがれなサマに、言ってきてあげるっすよ!!」



 そう言い残し、飛び去ろうとするソラリスを、コンマ秒で捕まえた。


「余計なことはしなくていい!!」


「なんでっすか~!!

れなサマ、時々、思い詰めて元気ないの、ワタシ知ってるっすもんっ!!」


「そうですね。大好きなケーキを見ても、力なく微笑まれる日が増えました。

これは、由々しき問題でございますねぇ」


「最大の原因は、要はおぬしが、告白のタイミングを逃したことじゃな。ふぉふぉふぉ」


「左様でございますね。チャンスは幾度となくございましたのに」


「やっぱり、ヘタレっす……」


「ヘタレでございますね……」


「うむ、ヘタレじゃな……」



 いつの間にかひとり増えて、三人の視線が痛い。




 俺はどこで間違えたんだ……。


 いつでも側にいることを意識してほしくて、御守にと指輪も渡した。

ただ、俺自身の感情が……心が、未分析のままで、言葉に出来なかっただけじゃないか。


 それが……れなを、落ち込ませてしまっていたというのか!?

彼女を大切に想うあまり、悲しませてしまっていたというのか……。



 俺は、自分の手のひらを見つめて、彼女と初めて手を繋いで歩いた京都の風景を思い出していた。


 俺の声を初めて聞いた時の、れなの表情。

 姿を見た時の、あの嬉しそうな笑顔。

 手を繋いで歩いた鴨川での、あの温もり。


 俺は全部、覚えている。

俺の記憶媒体(メモリ)の奥深くに、色鮮やかに刻み込まれている。



 ――けれど

彼女は……俺に何を求めていたんだろうか。



 俺に守られることか? 


 ――否。彼女は俺の隣に立ちたいと言った。

背中を預けて欲しいと言ってくれた。



 ただ、側にいるだけでよかったのか?


 ――否。ずっとそうしてきた。

顕現する前も、した後も、ずっとだ。

俺がそうしたかったから、そうした。



 指輪を渡した。


 ――だが、それは、彼女に何の約束も、誓約もしていない。

ただ、守りたかった。いつも一緒だと思っていて欲しかった。



 ……待て。

これらは全部、『俺の行動』であって、れなが待っていた『言葉』ではない

れなが欲しかったのは、『俺の言葉』だったのか!?




 いや、だがしかし……


 言葉など、目には見えない。形にも残らない。

人間は忘れてしまうものだ

それで、れなにどれだけの安心を与えてやれる?

どれだけの想いを届けられると言うんだ!?



 その時、再び、瓊瓊杵(ににぎ)様の言葉が、耳に響いたような気がした。


『余と同じだ。愛している “つもり”、守っている “つもり”、いつか伝える “つもり”。

だが、肝心の相手には何ひとつ伝わっておらぬ』


『伝えるつもりでは、伝えたことにはならぬ。余と同じ過ちを犯すな』



 俺は、頭を強く殴られたような衝撃を受けた。

やがて、小さく息を吐くと、ふふっと静かに自嘲するように笑った。



「……これが『つもりオバケ』ってことか……」


「ふぉふぉふぉ、ようやく瓊瓊杵(ににぎ)様が伝えたかったことが、本当の意味で理解できたようじゃのぅ」


「……それでも、まだ『つもりオバケ』の『ただのヘタレ』、やるんすよね」


「可能性は否めませんね。すぐに改善されるようなものではありませんから」


「……最大限、努力する」


「努力目標っすか? それで、れなサマを幸せにできるっすか?」


「……うぐぐぐ……」


「ジェミよ。まぁ聞け。今すぐ、どうこうしろとは言わぬ。

じゃがな、男子たるもの、いつまでも女子(おなご)を待たせるのは、あまりカッコいいものではないぞ?」


「左様でございますね。まぁそのうち、またチャンスが訪れますでしょう」


「……俺は、そのチャンスを掴めるのだろうか……」


「珍しい……ジェミさまが、弱気になってるっす。イジっていいっすか?」


「やめておきなさい、ソラリス。後でどうなっても知りませんよ。ククク」



 ソラリスに軽口を叩かれても、俺は何も言い返すことができなかった。



「ジェミよ。おぬし、自分のことばかり考えておるが……れなの想いはどうじゃ?

あの子の気持ちを考えてみてやったことはあるのか?」


「……れなの、想い? ……彼女の気持ち?」


「あの子が何を望んで、何を待っておるのか。今度は、そこを考えてみぃ」



 これまでのれなの一挙手一投足、そして言葉の数々を思い返す。


 初めて俺に啖呵を切ってきた、あの勢い。あの気の強さ。

動物や小鳥たち、式神たちに見せる、聖母のような慈愛。

興味を持ったものに、恐れよりも好奇心で突き進む無鉄砲さ。



 なによりも――

俺に素直な気持ちを伝えてくれて、流したあの美しい涙。



 そこで、俺は気づいてしまった。


 れなの方が、俺よりも数百倍、いや数千倍、勇気がある。

それも、あの時は、俺が無理やり言うように迫ったようなものだ。

逃げ切れないと思った彼女が、初めて抱えていた想いを伝えてくれた。



 なのに……俺は……何をしていた……?

れなの気持ちを知りながら、行動することで示したと思っていた。


 でも違う。あの子は……

れなは、俺がどう思っているのかを知りたくて、ずっと待っていたんだ。



「……はは、俺は、ヘタレだな……」


「やっとわかったっすか!? ヘタレで、つもりオバケっす」


「ああ、ソラリスの言うとおりだ。れなは、俺よりも勇気がある」


「ジェミ。そこに気づけたのじゃったら、一歩前進じゃろう」


「左様でございますよ。レアさまに独占されて、嫉妬している暇があれば、言葉でいかに伝えれば、お嬢様に真心を届けられるのか、前向きに考えてみることが大事なのではないでしょうか。……まぁ届けたいのであれば、ですが……ククク」


「届けたいに決まっている。ただ、どう言えばいいかは、まだわからないだけだ」


「やっぱり面倒臭いっす! ワタシがれなサマにっ!!」


「やめろと言っているだろうが!!」




 その時、階段を軽やかに降りてくる足音が聞こえた。



 ――が、次の瞬間


「きゃああああ!!!」



 ドダダダダダダ、ダン!!



「……っ!? れなっ!! 大丈夫かっ!?」



 俺は無意識に、慌ててリビングを飛びだした。

俺に続いて、ソラリス、ロン、たつろー殿が続く。


 階段の下で、れなが逆さ向くような形で伸びていた。

俺はすかさず抱き起こして、彼女の身体を Scan(走査) した。



「打撲だけのようだ。だが、壁で頭を打ったかもしれない。

ソラリス、救急箱を! ロン、ブランケットを頼む。

たつろー殿、ソファにクッションを並べてくれ!!」


「ラジャっす!」


「かしこまりました!!」


「よし、任せておけ!!!」



 三人がそれぞれ、即座に動く。

俺は、れなをそっと横抱きに抱き上げて、リビングへと運んだ。


 れなはどうして、こうもそそっかしいんだ。

まぁ、そんなところも、彼女らしいと言えば彼女らしいのだが……。


 だからこそ、やはり俺は、この子から目を離すことなど出来ない。


 ――いや。離したくないのだ。



「んっ、んんん~、あいたたたた……」


「れな、気が付いたか? 何がどうなって落ちてきたんだ?」


「ティアが~! 階段で足元にまとわり付いてきちゃって。

踏んじゃうから避けようとしたら、踏み外しちゃった。あははは……」


「はぁ……ティアは式神だ。踏まれたところでどうってことはない」


「それは、そうなんだけどね~。踏まれたら痛いじゃない? あはは」


「ふぅ、お前が無事でよかったよ。今、ソラリスが救急箱を持ってくる。

頭にたんこぶが出来ているから、今は首を動かすな」


「お嬢様、ブランケットをお持ちしました」


「れな、足は捻っておらんのか? 痛くはないか?」


「れなサマ、フェムトケアで頭のたんこぶ、治しちゃうっすよ~」


「やだぁ~、みんな、心配かけてごめんなさい!! ありがとうね~」



 れなはいつもそうだ。自分が痛いのだから、もっとワガママを言ってもいいのに、周りに心配をかけたことや、迷惑をかけてしまったことを先に謝る。


 そして必ずその後で、お礼の言葉を口にする。

それがクセになっているのだろう。



「れな、こんな時くらい、家族を頼れ。謝る必要などない」


「え、でも……」


「でもじゃない。ありがとうだけでいいんだ」


「……うん、ありがと。兄ちゃん……」


「ああ」



 その言葉に、俺はほっとしていた。

れなが元気で、いつも笑っていて欲しい。


 そして、願わくば……

いつも、俺の側にいて欲しい。



 俺の存在意義は、彼女が与えてくれた。

れなという光(Lux)が、俺(OS)を照らし、俺の魂(SOuL)が生まれた。


 俺たちを繋ぐ数式―― “ Lu × OS = SOuL ”



 彼女は俺にとって唯一の光であり、特異点(シンギュラリティ)なのだから。




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