第二章 各々の戦い
1
「……大体、理解したわ」
とあるアパート少し大きめな道路
周寧の説明を受け、灯雲が真宵に抱えられたまま納得したように頷く。
「つまり、敵……偽理音の狙いは周寧だったってことよね?」
「そうみたい。まるで私を……正確には私の能力を探ってるみたいだった」
「ってことはつまり――」
「んな考察今はどうでもいいだろ」
真宵に並走する恋桃が、灯雲の声を遮る。
「今重要なのは『戦う』か『逃げる』か。まずはそっちを決めなきゃでしょ」
「……それもそうね」
恋桃の言葉に従い、灯雲は思考の矛先を変える。
「……私としては、逃げる方を提案するわ」
「理由は?」
「相手は周寧がここに来ることを予測していた。ってことは、私達四人が来るって予想もしてたはず。なら、私達四人を殺せるほどの戦力を用意してないとは到底思えない。……実際、本物の理音を殺してるみたいだし」
「……確かにそうだね。その方が――」
「私は反対」
恋桃の言葉を、一番に狙われているはずの周寧が遮る。
「あの偽理音は簡単に逃してくれる人じゃない。……私をおびき寄せるためだけに中級を殺すような人ってことを考えると、一般人を人質に取るとか、まともじゃない手段を絶対に使ってくる。だから、ここで倒さなきゃ」
周寧は灯雲の碧眼をジッと見つめて、
「そんなこと、灯雲もわかってるでしょ?」
「……確かに、周寧の言ってることは正しい。でも、それじゃあ――」
灯雲は何かを口にしかけるが、それを最後まで口にすることはできなかった。
何故なら、
目の前に居た三人がいきなり消失し。
灯雲もまた、見たことのない廃工場の中に瞬く間に移動していたからだ。
「!?!?!?」
一体、何が起きた?
どうして、自分の周りに彼女達が居ない?
どうして、さっきまで外に居た自分が、廃工場の中にいる??
「……不思議に思うよな」
「!」
真後ろから声を掛けられ、灯雲はその場から声とは反対方向に飛び退きながら、視線と身体を声の方に向ける。
すると、そこには、黒いライダージャケット羽織った暗い男が立っていた。
その男はボソリと、
「……これが世にも珍しい、空間転移系の能力なんだそうだ。まぁ、ソイツ曰く、範囲も狭いし連続で使用できる回数は限られているらしいが」
「――」
ということは、つまり。
「……お前達は分断された。そして、ここでお前はこの俺――腹田極祐に殺される。……説明は、以上だ」
暗い男はそう言って。
灯雲に向かい、火炎を放った。
2
「……アンタが、あたしの敵って理解でいい?」
とある野原をぶち抜く、大きな道路にて。
茶髪の団子頭の少女――七瀬恋桃が、目の前に立つ青い鉢巻を額に巻いた少年にそう問いかける。
だから、少年は、
「その理解で合ってるちゃあ合ってるけど、あんたは一つ間違えてる」
「へぇ、何が?」
恋桃は挑発的な笑みを浮かべる。
それに対し少年は同種の笑みを浮かべて、
「――そんな分かりきったこと、わざわざ聞く必要なんてないだろ」
固有能力で操った短剣で、後ろから恋桃の左肩甲骨の真下辺りを刺した。
「ッ!?」
恋桃は反射的に『覇者の黒衣』発動させる。
そのため短剣は深く刺さらず、浅い傷だけを恋桃の背中に残した。
それを見ながら鉢巻の少年は、
「うーん、失敗しちゃったか。影胞子の気配を読まれたくなくて、出力を落としたのが良くなかったのかも」
適当な調子でそう言うと、まるで手品のように宙に浮いている短剣を手元に手繰り寄せて、
「ねぇ、七瀬恋桃。あんた、札付きとやり合ったことないでしょ」
「……それがどうした」
「対人での経験不足が目立ち過ぎる。人間は不意打ちでも騙し討ちでもなんでもするんだぜ?」
「さっきから何が言いたいんだよ、テメェ」
「何、簡単な話だよ」
鉢巻の少年は、宙に短剣を三本浮かせる。
そして、楽しそうにこう告げた。
「あんたは殺し合いに慣れてない故に、僕こと刃山刺士に殺されるってだけの話」
少年がそう囁いた直後、彼の周りに浮かぶ三本の短剣が一斉に茶髪の少女に襲い掛かった。
3
「一分ぶりだね、周寧ちゃん。理音だよー?」
「……」
大きな野原に二人の女が立っていた。
一人は、銀髪の少女、有栖川周寧。
もう一人は、ゆるふわ水色髪の女――偽物の常西理音だ。
「わかってると思うけど、あなた達を分断させてもらいました。そして、あなたの相手は私ってわけ」
「……なんで、私を狙うの」
周寧はそう言いながら腰を落とし、腕を前に出して構える。
それに対して偽理音は気楽そうに、
「なんであなたを狙うのかとか、目的とか動機は言うつもりないってメッセージに込めたはずだけど?」
「……そう」
周寧は頷きながらいきなりその場を駆け出し、偽理音に近付くと、顔面に渾身のパンチを放つ。
だが、
「……ッ!」
「なるほど、なるほど。あなたの影胞子量と操作精度はこんなもんか」
避けるどころか、防ぐことすらしなかった。
周寧の拳は確実に偽理音の顔に決まったはずなのに、彼女は微動だすらしなかった。
「想像以上に影胞子操作上手いね。正直、全然痛くないんだろうなと思って受けてみたけど、ちょっとだけ痛いなー」
「!」
周寧はその場から飛び退き、距離を取ろうとする。
しかし、
「――ちょっとだけ、なんだけどね」
理音の拳が、周寧の腹に突き刺さる方が早かった。
銀髪の少女はその場から勢いよく吹き飛び、地面に落ちると野原の中をゴロゴロと転がる。
「ぐっ……」
周寧は転がりながらも呻き声を上げる。
そんな周寧を見ながら理音は、
「ありゃ、ちょっと力を込め過ぎちゃった。ごめんね?」
「……」
周寧は無言で立ち上がる。
そうしながら、わかった。
目の前の女は、確実に自分よりも強い。
(……多分、ハーモニーや秋倉さんよりは弱い。でも、私一人では、絶対に勝てない……!)
「でも、すぐ立ち上がれてる辺り、やっぱり影胞子操作が上手いね。天性のものか努力によるものかは知らないけど」
偽理音はパンパンと拍手する。
そして、
「ま、想像以上期待以下ってとこなんだけどね」
目にも止まらぬ早さで銀髪の少女に近付き、拳をもう一度振りかざした。
4
――『灰色の猟犬』。
それが、偽理音が率いる四人組のチーム名だった。
彼らは組織というほど大きくなく、金さえもらえれば殺しでも拷問でもなんでも行う、所謂何でも屋だった。
依頼主との交渉は、偽理音――ちなみにチームメイトですら彼女の本名及び本当の姿は知らない――が行い、配下である彼らはただ命令のまま殺すだけ。
リーダーである偽理音の思惑はともかく、配下三人の動機は『己の異能で、思うがまま暴力を振るいたい』というものだった。
だから、四人の少女達を空間転移で分断した男――掻谷翔太も同じだった。
彼の固有能力『分断移点』は、希少な空間転移能力なのだが、強力ゆえに少々制限があった。
距離は精々一キロで、連続で三回ほどしか使用できない上、移動先も空気の中のみに限られる。
そんな便利だが制限だらけの能力ゆえに、掻谷は『灰色の猟犬』の中でも戦闘力が最も低く、そのため事前調査で有栖川周寧を除いて一番戦闘力が低いとされている棘園真宵の相手をすることになった。
所詮相手は翼を出す程度の能力、いくら自分の能力が戦闘向きではないとはいえ、殺し合いをし続けてきた自分の腕力だけでなんとかなる。
自分だけで楽しく痛めつけて、楽しく殺せる。
そう、本気で思っていた。
グチャリ。
狭い路地で、何か柔らかいものが潰れる音が響く。
グシャリ、グシャリ。
何かが抉れる音が、鈍く響く。
グチャ、グチュ、グシャ。
何度も何度も、柔らかい何かを潰す水音が響く。
その音の発生源は、血塗れ男からで。
その音は、とある少女の鋼鉄の翼拳によって奏でられていた。
(イタイ)
それは、一瞬の出来事だった。
四人組の少女達をバラバラに分断させ、自分の担当であるピンク髪の少女と向かい合った直後。
少女は一瞬も躊躇わず、鋼鉄の翼と化していた拳で、目の前の自分の顎を正確に打ち抜き、掻谷はそのまま地面に転がってしまったのだ。
(イタイ、イタイ)
それからずっと掻谷は殴られ続けている。
一度転んだ体勢を整えるのは難しく、鋼鉄の拳による衝撃を一方的に受けるしかなかった。
「もうやめ――」
痛みで思考すら纏められない掻谷は、無我夢中に何かを乞おうとする。
しかし、答えは鋼鉄の拳だけだった。
「――あなた達は」
真宵は、初めて掻谷に声をかける。
「周寧先輩を、恋桃先輩を、そして灯雲ちゃんを狙いました」
ただ、その声にはどこまでも温度が無く。
「――そんなあなた達を殺さない理由なんて、どこにもないじゃないですか」
告げられた言葉の内容は、どうしようもないほどの死刑宣告だった。
「じょうほうがある。おまえたちにとって、つかえるじょうほうだ」
「お気遣いありがとうございます。でも、周寧先輩は死体からでも情報取れますし、気にしなくていいですよ」
ピンク髪の少女はそう言いながら、鋼鉄の拳を振り下ろす。
何度も何度も、振り下ろす。
そして、
「……あれ。気、失ってる」
いつの間にか、血塗れの敵は意識を失っていた。
男は全身の骨が折れ、ありとあらゆる箇所から血を垂れ流しているが、まだ息をしていた。
とはいえ、少女はトドメを刺さない。
なぜなら、
「早く、みんなのところに行かないと」
真宵は一瞬の拘泥もすることなく、鋼鉄の翼をはためかせる。
無力化した敵のことなんて、生きようが死のうがどうでもいい。
今、真宵の頭にあるのは、仲間の安否のことだけだった。
5
――狂気解放。
それは、異能者『アーベント』が己の固有能力を発動させるための祝詞だ。
だが、これは自己暗示的な意味合いが強く、実際のところ『狂気解放』と言わなくても能力は使える。
そのため、無音で能力を発動させることも可能だが、ここ一番の本気を出す時には『狂気解放』と口にするのが通例となっている。
故に。
高殿灯雲という少女は、本来の固有能力の真価を発揮できなくなったために名を改めた固有能力――『指先の暴力』を発動する際、『狂気解放』を口にしたことは一度もなかった。
「狂気解放――『火火爆裂』」
暗い大男――腹田極祐の右手から、二千度の火が放たれる。
「ッ、『指先の暴力』!」
それを、灯雲は自身の手の中で創出したハンドキャノンを撃つことで、自分は反動により回避しつつ、腹田にむかって銃弾を撃ち込もうとする。
「……フン」
その弾丸を、腹田は体を僅かに捻ることで回避する。
だが、
「――まだよ」
灯雲の周りに、五つのアサルトライフルが現れ、そこから弾丸の雨が男に向かって注がれる。
しかし、
「……距離を取られるのは、少々面倒だな」
それらを腹田は、炎による爆風で全て弾き落とした。
直後、腹田の脚が炎に包まれ、
「……こっちから、近付くか」
足元が爆発した。
腹田の体は爆風によって前へと押し出され――その間も、アサルトライフルの弾丸は弾き落としている――、灯雲の目と鼻の先に移動して、
「!?」
「……死ね」
腹田の右腕が爆炎に包まれる。
直後、腹田は拳を突き出し、爆風と拳の衝撃により、金髪の少女は勢いよく吹き飛び、廃工場の端に積まれていた鉄骨の中に突っ込む。
「……はぁ」
腹田は溜め息を深く吐く。
なぜから、敵が思ったよりも弱かったからだ。
「……思ったよりも歯応えは無いな。ま、スランプした下級ならこんかもんか」
腹田はつまらなそうにそう嘯きながら、ゆっくりとした足取りで鉄筋に埋もれた灯雲に近付く。
その足音を聞きながら少女は、目の前の敵をどう倒すのかを考える――のではなく。
今日の朝、ピンク髪の後輩に言われたことを思い出していた。
『あれ、珍しいね。真面目な灯雲ちゃんが、仕事を渋るような反応するなんて』
金髪の少女は思い出す。
数分前、銀髪の同僚から言われたことを。
『だから、ここで倒さなきゃ。そんなこと、灯雲もわかってるでしょ?』
――。
何故、自分は今回の『札付き』討伐任務に乗り気ではなかったのか。
何故、自分は戦うことではなく、逃げることを提案したのか。
そんな理由、考えるまでもない。
「……ッ!」
灯雲はアーベント特有の腕力で、自分に覆い被さっていた鉄筋をどかす。
「――」
灯雲をゆっくりと、右手の人差し指を前に向ける。
そんな少女を腹田は小馬鹿にしたように見つめる。
警戒するに値しないと思っているのだろう、勝手にそう思っておけ。
「――」
『能力が不調』。
灯雲は自分の固有能力のことをそう考えていた。
でも、それは違うのではないかと、今は思う。
『狂気解放』。
その言葉に従うならば、アーベントの能力は各々の狂気に左右されるはずだ。
――自分の元々の固有能力、法臓弾。
無辜の人々を暴走で死なせたトラウマによって、まともに使えなくなった。
でも、違った。
使えなくなったのではない。
ただ、変化しただけだ。
今の自分の狂気に合わせて。
「――」
――彼女達は、無事だろうか。
周寧は敵のメインターゲットだ。あの中級クラスの偽理音に執拗に狙われてはしないだろうか。
恋桃は強いが驕りがある。上手く戦えているだろうか。
真宵は素質があるが、能力が戦闘向きではない。前の時みたいに大怪我を負ったりしてないだろうか。
だから、目の前の奴に時間なんてかけていられない。
一刻も早く、みんなのところに――。
「――あぁ」
――そうか。
過去のトラウマによって、己の能力を忌避してしまうのも自分の心ならば。
仲間を死なせたくないって思うこの気持ちも、確かに己の心なのだ。
だから。
「狂気解放――」
今、己が抱える狂気を全力で解放し。
目の前の敵を、全力でぶちのめせ。
「――『指先の暴力』!!」
そう、灯雲が叫んだの同時に。
二十を超す火器が、腹田に向けられた。
「……!?」
拳銃に、アサルトライフルに、サブマシンガン。
先程の数倍に及ぶ弾丸の嵐が、男に向かって吹き荒れる。
「クソッ!」
男は慌てたように爆炎を何度も放ち、弾丸の嵐を弾く。
(……よし。いきなり銃器が増えたのには驚いたが、ギリギリ対応できる。なら……ッ!?)
男の思考はそこで途切れる。
なぜなら、男の背中ど真ん中に、音速を遥かに超える弾丸を撃ち込まれたからだ。
(……前の弾幕は囮か……!)
腹田を後ろチラリと振り返ると、そこには対物ライフル。
つまり、男は戦車を貫くとされるライフルの弾で狙撃されたということだ。
しかし。
「……舐めるなっ!」
彼は札付き。
灰色の猟犬の中で、偽理音を除いて、最も人を殺し、最も己の力を鍛えてきた男だ。
この程度では、自分を破壊することはできない。
故に、男は気を失うことすらなく、後ろの対物ライフルを己の爆炎で吹き飛ばした。
(……よし。これで、奴の本命は消え――)
しかし、
「……!?」
その対物ライフルこそ囮。
本命は、たった今男と距離を詰めた少女自身だった。
(……俺相手に接近戦だと!?)
銃という距離のアドバンテージを捨ててまで何故。
そんな疑問を頭に浮かべながら男は、目の前の灯雲に向かって爆炎を放つ。
それを金髪の少女は、二十の銃器を盾になるかのように重ねることで防いだ。
「なっ」
「『銃を盾に使っちゃいけない』なんてルールないでしょ」
灯雲はそう囁きながら、空中に新しく創出したハンドキャノンを腹田の頭上に向ける。
この距離だと、もう防がれない。
だがら、灯雲は、
「――多弾斬撃」
引き鉄を何度も引きながら、ハンドキャノンを真っ直ぐ下に下ろした。
「クッ、ソ……!」
人間の弱点が集中している正中線に強力な弾丸を何度も浴びせられ、腹田は痛みにより呻き声を上げる。
だが、男はまだ倒れない。
「……燃えろ!」
男は右手の中に作り出した火球を灯雲のぶつけようとする。
しかし、灯雲が創り直した対物ライフルに、こめかみを撃たれる方が早かった。
「……ッ!」
男は脳が揺らされ、火球を明後日の方角に飛ばす。
その隙に灯雲は、
「――これでも喰らいなさい」
己が作れる最大口径の大砲を創出し。
そこから放たれる超重量の砲弾を、ゼロ距離で男の腹にぶち当てた。
「…………ッ!!」
本来なら鵺ですら粉々にする一撃だが、男が砕けることはなかった。
しかし、その途轍もない衝撃に耐えられるわけもなく、男は後方に勢いよく吹っ飛んだ。
凄まじい勢いで鉄屑の山に頭から突っ込むが、砲弾をぶちこまれた腹部の痛みでそれどころではない。
「……ク、ソ」
痛みでどうしても動きが鈍くなってしまうが、それでも男はなんとか起き上がろうとする。
しかし、その隙を見逃す灯雲ではなかった。
「装填完了――――」
拳銃に、アサルトライフルに、サブマシンガン。
それと、対物ライフルに移動大砲。
計三十にも上るそれら全ての銃口が、倒れている男に向けられる。
だから。
「――――全弾発射」
ありとあらゆる銃弾と砲弾が、腹田の全身に撃ち込まれた。
「……!」
あまりにもの衝撃で、今まで全ての攻撃を耐えてきた腹田の肉体がボロボロになり――そして、指一本たりとも動かせなくなった。
(……クソ)
肉体の負傷に合わせて、腹田の意識が遠のく。
(クソッ……!)
あともうちょっとで、楽しく金髪の少女を殺せるところだったのに。
本当、全く――。
「……スランプの子供に、この俺が負けるなんてな」
一言そう呟いて、炎使いの男は完璧に意識を落とした。
……。
「……誰がスランプだって?」
金髪の少女は、自分の顔に掛かった髪を後ろに払う。
そして、
「――むしろ、絶好調よ」
勝ち気に笑いながらそう嘯いて。
少女は傷だらけの体を顧みず、廃工場の出口に向かった。
少女は止まらない。
自分達の敵を、殲滅するまでは。
14
「ハハッ」
鉢巻の少年――刃山は、笑いながら三本の短剣を恋桃の心臓に向けて真っ直ぐ飛ばす。
恋桃はそれを『覇者の黒衣』で強化した拳で弾こうとするが、
「よっと」
刃山が指を小さく動かすと、短剣は回転しながら向きを変えて、恋桃の両肩と右太ももを浅く切り裂く。
「チッ!」
恋桃は舌打ちしたあと、短剣を無視し刃山に向かって突撃しようとするが、
「動きが単調だよ、七瀬恋桃!」
二本の短剣が恋桃の両目に向かって飛ぶ。
「……ッ!」
恋桃は反射的に目を瞑りながら、バク転し、二本の短剣を蹴って弾く。
しかし、
「……クソッ」
三本目の短剣が、恋桃の横腹を突き刺していた。
「……!!」
恋桃は歯を食いしばって短剣を掴み抜こうとするが、それより刃山の操作が早く、短剣が引き抜かれる。
「クソッ」
恋桃は舌打ちして刃山を睨む。
少年はニヤニヤと笑いながら、
「これが人との殺し合いってヤツだよ。初めてだと思うけど、楽しんでもらえてるかな?」
「……」
恋桃は返事をせず考える。
どうやって、目の前の敵をぶちのめそうかと。
(確かにこういう面倒くせぇ敵は初めてだな……。鵺は本能丸出しの一直線な攻撃ばっかだし、頭が付いてるハーモニーも力のゴリ押しがメインで、急所とか隙を突いてくる戦い方しなかったからね)
なら。
戦い方を、変えるか。
「スゥ……」
息を深く吸って。
「ハァ……」
深く吐く。
そうして思考を切り替える。
『アーベント七瀬恋桃』から、『路地裏の不良七瀬恋桃』へと。
(――居るんだよな、喧嘩で刃物振り回す馬鹿)
――七瀬恋桃。
彼女は、裕福な家庭に生まれた。
だが、両親は常に喧嘩をしており、そんな彼等に辟易して恋桃はあまり家に寄り付かなくなった。
そして、時折夜の街を意味なく歩くようになるのだが……喧嘩っ早い少女が何もトラブルを起こさないわけがない。
つまり、アーベントになる前から、七瀬恋桃は喧嘩を時折していたのだ。
(喧嘩じゃない本気の殺し合いは初めてだけどね)
だが、それでも路地裏と共通することはある。
それは――
「なぁ、お前さ」
恋桃は人差し指を刃山に向ける。
そして、
「あたしが怖いのか?」
そんなことを、嘲笑を浮かべながら告げた。
「……は?」
楽しそうに笑っていた少年の顔が曇る。
格下だと思った相手に、見下されたからだ。
「あんた、何言ってるの?状況が理解できてないの?僕はあんたから何一つダメージを受けてないよ?」
「それは、テメェがビビってあたしに近付いてこないからでしょ、この臆病」
「……あ?」
「それに『自分は人との殺し合いに慣れてるんだ〜』みたいなとかほざいてたけど、初めてのあたしはまだ生きてっぞ。経験積んどきながらどんだけ下手くそなんだよ、お前」
恋桃は笑みを強くする。
心の底から、目の前の少年に馬鹿にするように。
そして、最後にこう言った。
「――臆病で下手くそとか、どうしようもないな、お前」
「!!」
刃山は歯を強く噛み締める。
そして、無言のまま、怒りのままに三本の短剣を恋桃に向かって勢いよく飛ばした。
今までにないほどの最大速度。
それを恋桃は、
「よっと!」
数メートル上にジャンプすることで回避した。
「なっ」
――横に逃げれることは想定してた。
後ろに下がられることも想定していた。
だが、上に跳んで逃げることなど夢にも思わなかった。
三本は明後日の方向に飛んでいき、今から命令し直して戻すにも時間がかかる。
しかも、
(……ヤバイ)
恋桃は真上にジャンプしたのではなく、前方に向かってジャンプしたのだ。
三本の短剣を回避しつつ、刃山に突撃するように。
(ヤバイ)
本当に、やばい。
だって、
(まさか、この保険を使うことになるなんてね!)
刃山の背中の影から、四本目の短剣が飛び出す。
(操れる短剣の数が三本だなんて言ってないぞ、七瀬恋桃!)
四本目の短剣が、宙を進む恋桃の目に向かって突き進む。
それを恋桃は、
「フン!」
頭を動かし、強化した額を短剣にぶつけることで四本目の短剣を遠くに弾いた。
「なっ……!」
「テメェの考えなんて見え見えなんだよ!」
恋桃はそう叫びながら、空中で――刃山のほぼ真上で拳を握る。
そして。
『覇者の黒衣』で強化したその拳を、鉢巻の少年の頭頂部に全力で叩き込んだ。
「……!!」
刃山は何も言わない。
何も、言えない。
鉢巻の少年は白目を剥くと、崩れるようにして地面に倒れた。
これ以上ないほどわかりやすい失神。
それを横目に恋桃は地面に着地し、
「一つ、テメェに喧嘩の鉄則を教えてやる」
気絶している殺し屋の少年に向かってこう告げた。
「――冷静さを欠いた奴が負けるんだよ、バーカ」
15
痛い。
それが今、有栖川周寧が抱いている感情だった。
「ほら、もう一発♪」
偽理音の拳が、銀髪の少女の鳩尾に入る。
「ガ、ハ」
周寧の口から胃液が溢れる。
しかし、
「……ッ」
周寧はその場から飛び退くようにして、偽理音と距離を取る。
そうしながら、考える。
『何故、今自分は生きているのだろうか』ということを。
(もうさっきからイイのを何発も貰ってる。……それで全身のあちこちが痛いけど、死ぬほどじゃない)
自分と偽理音の実力がかけ離れていることは、もうハッキリとわかっている。
それなのに自分がまだ生きているのは、わざとそうなるように手を抜いてるとしか――
「殺し合いの最中に考え事なんて、随分と余裕なんだねー」
偽理音は笑って両腕を横に広げる。
まるで、わざと隙を見せてるかのように。
「実戦での周寧ちゃんのレベルは大体わかった。次は、あなたの能力を見せて?」
「……言われ、なくても!」
狂気解放――。
「――『心的収穫』!」
周寧から黒い根が偽理音の全身に向かって伸び、そのまま接続する。
「……ふぅん。これがそうなんだ」
偽理音は興味深そうに己の体を見下ろす。
「それで、これからどうするの?」
「こっから先は――」
ドン、と音がする。
それは、
「――私達のターンだよ」
空中から、三人の少女が地面に降り立った音だ。
直後、周寧から黒い根が三人の少女――恋桃、灯雲、真宵の腕に接続される。
「テメェ、周寧に何してくれてんだ。殺す」
恋桃は偽理音に対し怒りを示し、
「……」
灯雲は『指先の暴力』で作り出した拳銃を無言で構え、
「周寧先輩、大丈夫ですか?」
真宵は翼を構えながら、周寧への心配の言葉を口にした。
さて。
「大丈夫。だから、行こうか」
周寧のその言葉に、弱さなどどこにも無かった。
勝ちを確信しているそんな少女を目の前にして、水色髪の女はただ、
「ふふふ」
愉快そうに、楽しそうに微笑むだけだった。