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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第3章 誘蛾灯に魅入られし少女
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第3章:31 『選択の果てに見たモノ』

「…………」


 モプラがかけた言葉には反応を返さず、イレナ・バレンシールはこちらへ向かってくるテラを迎え撃つべく、その手に氷剣を二振り生み出すと、そのまま駆けて行った。

 接敵した二人へと吸い寄せられる視線を強引に切ると、モプラは今しがたの接触でイレナに対して抱いた不審感を胸の奥底に押しやり、自分のすべき事へと焦点を合わせる。


「――『シャミール』!」


「イィィィ」


 モプラの鋭い呼びかけに応え、『シャミール』がどこか甘えるような声を発しながら近寄ってくる。そしてそのままモプラの傍で首をもたげると、今度は威嚇するような低い唸り声を上げ、その強大なプレッシャーを遠慮なく敵へと叩き付けた。


 一人と一匹の敵意を浴びながらも、その男――シアは、涼しげな顔で悠然と佇むだけだ。

 現在シアが立っている場所、そのすぐ後ろにある家屋は玄関部分が倒壊している。そう、そこは先ほど捏迷歪ねつまいいがみが炎弾に吹き飛ばされて突っ込んだ所だ。


 いつの間に移動していたのか、何とも冷静な男だ。姉のようにもう少し感情的ならば、そこへ揺さぶりをかける手もあったかもしれない。

 しかし大前提の話、モプラにはそのような狡猾な考え自体が思い浮かばない。それはこの場ではマイナスかもしれないが、決して転じてはいけないプラスでもある。


 だが、さほど猶予がないのもまた事実だ。早くいがみを治療しなければならないが、ああにも堂々と家屋の前に構えられては、いがみを巻き込む可能性がある溶解液はおいそれと使えない。

 となると、残された道は、接近して無理やりあの場からどかすしかないのだが、シアには不可視の斬撃がある。


 今のところその不可視の斬撃を『シャミール』に回避させるには、ある程度の距離――余裕が必要だ。技の発動から斬撃の着弾までの間に、軌道を完全に予測するのは難しい。

 しかし、大ざっぱでもその不可視の斬撃の軌道を読む事が出来るだけマシだ。贅沢は言っていられない。


 一方で向こう――シアから見てだが、モプラは一応、捕獲対象のはずだ。そうなると、迂闊に強力な攻撃はしかけられないはず。『シャミール』に対しては遠慮してこないだろうが、モプラに対しては攻撃の手を緩める可能性がある。


 ――そこが狙い目だ。


 モプラが必死に頭の中で作戦を組み立てていると、今まで沈黙を守っていたシアがこちらに剣先を突き付けてきた。


「――まずは、『シャミール』を無力化する。その後はお前だ、『肉欲』」


「……っ」


 抜き身の剣を構えるシアの宣言に、モプラは頬に一筋の汗を垂らしながら息を呑む。同時に視線が、自然と別の方向へと向けられる。

 その視線の先では、キサラギ・シンゴがうつ伏せのまま地に伏しており、未だ起き上がってくる気配がない。


「意識が俺から逸れたな……舐めるなッ!」


「――っ!」


 モプラの視線が自分から逸れた事を鋭敏に察したらしいシアが、その盲目の瞳の奥に憤激の炎を宿し、刀身を指で力強く弾いた。

 キン――と澄んだ音が響くと同時、モプラは意識を頭部の耳へと集中。放たれた不可視の斬撃が生み出す空気の振動を素早く拾い、タイムラグなしに『シャミール』へと伝達。予測し切れなかった軌道を補うため、大げさな回避行動を取らせた。


 ――次の瞬間、背後の建物が音を立てて倒壊した。


「――ッ」


 その威力はいちいち背後を確認せずとも明白だ。まともに喰らえば、いくら『シャミール』といえども一撃で沈められるだろう。

 その事実にモプラは静かに歯噛みするが、直後に己の見立てが甘かったと悟らされる事になった。


「『アクア・ズ・ペネトレイト』」


「――ッ!?」


 振り抜いた剣から片手を外し、人差し指で拳銃の銃口を模したシアが、流れるように詠唱したのだ。

 咄嗟に横へ飛ぶが、判断が遅かった。シアの指から射出された高密度の水が、モプラの右ひじを撃ち抜く。


「あ、ぐ……っ」


「『アクア・ズ・ペネトレイト』」


「……ッ」


 神経を貫く激痛に苦鳴を漏らし、傷口を手で押さえる。その痛みに歯を食いしばって耐えている暇もなく、シアが立て続けに魔法を放ってきた。

 灼熱のような痛みと猛烈な吐き気に意識を蹂躙されながらも、モプラは数少ない取り柄であるその足を懸命に動かし、辛うじて攻撃を回避する。


「イイイイイィィァァァァァァ!!!!」


「いちいち吠えるな、耳が痛い」


 主の危機に、『シャミール』が咆哮を上げながらシアへ突貫――ではなく、回り込むように横へ横へと這い出した。

 その行動を受け、不審げに眉を寄せていたシアだったが、すぐさま好都合と判断し、モプラを無力化すべくその人差し指を持ち上げ――、


「意識……逸らしましたね!」


「――!」


 顔に玉のような汗を浮かび上がらせつつ、モプラは奥歯を噛み締めて痛みに耐えながらも、不敵に笑った。

 そんなモプラの意趣返しのようなセリフに、シアは己の失態を悟ると、下げていた剣を素早く石畳に叩き付け、生まれた振動を瞬時に増幅。そのまま振り上げるようにして不可視の斬撃を横へ飛ばした。


 振動の斬撃は真っ直ぐ進み、道半ばで何かを迎撃――破裂させた。

 びちゃびちゃと粘着質な音を立てながら辺りに水滴が降り注ぐ。そしてその水滴が触れた部分は、例外なく煙を上げて溶解した。


 たった今シアが迎撃したのは、横に回り込むように移動する事により、背後のいがみへ被害が及ばないように立ち位置を調整した『シャミール』が放った溶解液だ。

 そうしてシアが『シャミール』に対応している間に、モプラは己の腕の治療を終えている。


 敢えて治療するタイミングを先延ばしにし、移動する『シャミール』から捕獲対象である自分の衰弱した姿へとシアの注意を誘導する事で、何とか気取られずに事は上手く運んだ。

 絶対的な安心を得ている場合――この場合は溶解液を放たれる心配がない、つまり遠距離攻撃はないと油断していたのが、シアの判断ミスだ。


 本来ならば、『シャミール』の行動に不審を抱き、モプラの意図に気付かれたはずだ。しかしシアは手負いのモプラへと意識を引っ張られ、チャンスを与えてしまった。

 この判断ミスを招いた最たる要因は、彼の身に蓄積されているダメージだ。


 『バベルの塔』で豹変したキサラギ・シンゴに負わされたダメージがかなり尾を引いているのか、普段の彼の冷静な判断が阻害されているのだ。

 そして先ほどからその場から動かず、固定砲台となっている点も、モプラがこの賭けに踏み切る判断材料の一つとして用いられた。


 ――結果、モプラは賭けに勝った。


「まだまだ行きます! ――『シャミール』!!」


「イイイィィィィィィァァァァ!!!!」


 宣言を放つと同時に、モプラはシアに向かって駆け出した。

 一見すると無謀にも見えるモプラの行動だが、今は『シャミール』の溶解液が牽制で使用できる。


 『シャミール』がモプラの意志を汲み取り、シアに向けて圧縮された線の溶解液を撃ち出す。シアはそれを躱すか、迎撃するかの二択しか取りようがない。躱せば地理的優位性を失い、迎撃すれば駆けるモプラの秘策が炸裂する。


 極限の集中力が実現させる、緩慢な世界の中。モプラは、シアが剣先で地面を軽く叩く確かな音を聞いた。

 シアが選んだのは溶解液の迎撃。そして溶解液の射出に伴う威力と不可視の斬撃は先ほどの交錯から、双方が相打ちになるのは既に分かっている。


 つまり、溶解液を散らして不可視の斬撃が『シャミール』に届く心配はない。

 そしてそれが意味するのは、今からモプラが行おうとする新たな試みに対し、集中力のリソースを遠慮なく割けるという事だ。


「――――」


 極限まで高められた集中力の中で呼吸さえ忘却しながら、こちらに向かって拳銃を模した人差し指を向けてくるシアに対し、モプラはまるで鏡合わせのように右手を拳銃に模して掲げた。

 シアの盲目の双眸が、目の前の少女の姿を反射して押し開かれる。


 この距離ならば、狙われる場所によってはモプラが回避するのは不可能だ。確実に被弾してしまう。しかしモプラの取った構えは、シアに少なくない動揺を抱かせた。

 なまじシア自身が愛用する『アクア・ズ・ペネトレイト』と同じ構えだ。それに加え、シアはモプラを主の命により殺せないのに対し、モプラは躊躇いなく急所を狙える。


 それはつまり、相打ちでもシアの敗北は必至だという事を意味している。

 故にシアは、迷った。このまま足を撃ち抜いてモプラの動きを封じ、残った体力の全てを使いモプラを捕縛しに接近するか。はたまた、安全策を取って、守り続けたこの場から退くか。


「――ッ」


 ――シアは、退く事を選択した。


 無暗に魔法を放って事故でも起これば最悪だ。そう考え、シアは掲げた手を下げながら、悔しげに顔を歪ませ、その場から飛び退こうと足に力を込めた。


「――?」


 その瞬間、シアを襲った困惑の大きさは計り知れない。

 なぜならば、足裏に感じていた硬い感触が不意に消失したからだ。

 なんの前触れもなく、原因すら不明で、彼の鋭敏な聴覚をもすり抜けた、まさに不可知の攻撃。


「ぁ――」


 現実を正常に受け止める間もなく、シアの体を襲ったのは浮遊感だ。

 ゆっくりと落下しながら、シアはようやく己の失態とこの不可知の攻撃の正体を悟った。


 失態――それは、躊躇した事。迷い、咄嗟の判断を鈍らせ、不可知の攻撃を放つ余裕を与えてしまった事。

 そして不可知の攻撃の正体――これは、『肉欲』の権威の力である、石を自在に切り取る力だ。


 モプラ・テン・ストンプは、シアの足元の地盤を丸ごとくり抜き、即席の落とし穴を完成させたのだ。

 そしてこの落とし穴の術理が解明できれば、自ずと先ほどモプラが見せた真似事の真意も判明する。

 おそらくあの拳銃を模した指の形は、座標の微調整に使われたのだろう。


 盲目故にシアは、モプラの指先がシアではなく、その足元に狙いを定めるように向けられていた事実に気付けなかった。

 そしてそれらの積み重ねが、今までの比ではない規模の『肉欲』の権威の行使――その成功へと繋がったのだ。


 足を地に触れさせる事で接触という前提条件をクリア。そしてシアの魔法から着想を得た座標固定法で狙いを定め、引き金を引いた。

 こうして文字に起こせば簡単そうに見えるが、モプラは数少ない可能性を繋ぎ合わせ、駆け引きで勝利をもぎ取り、そうして初めて作戦を成就させたのだ。


 ――これは、モプラ・テン・ストンプの完勝と言っても過言ではないだろう。


「――そこまで深くはないはずですので……ごめんなさい」


 暗く、ぽっかりと開いた穴を一瞥し、モプラは憂いを乗せた瞳を伏せながら謝罪文句を口にする。

 しかし感傷もすぐに切り上げ、倒壊した家屋へと駆ける。いがみの治療に向かうその後ろ姿がどこか大人びて見えたのは、決して気のせいではないだろう――。



――――――――――――――――――――



「――いがみさん!!」


 倒壊した玄関口に乱雑する家具などを押しのけながら、モプラはいがみの名を呼んで懸命に進軍した。

 中はどこか焦げ臭く、肉の焼けた生々しい香りが充満している。


 モプラは顔をしかめて鼻をつまみながら、胸中に湧き上がる不安に思わず喉を鳴らした。

 努力したとは言え、最初にいがみが炎弾を喰らってからかなりの時間が過ぎている。ただでさえ『フィラ』が枯渇し、衰弱している状態だったのだ。


 ――はっきり言って、生存は絶望的だ。


「違う……大丈夫」


 激しい焦燥感に胸の内を掻き荒らされながら、モプラは嫌々と首を振って否定の言葉をこぼす。


「絶対に無事……いがみさんは絶対に無事……!」


 己にそう言い聞かせるように呟きながら、干上がって詰まる喉に唾を通して潤し、モプラは震える声でいがみの名を呼びながら奥へと進んだ。



――――――――――――――――――――



「…………」


 ――それは、粉塵漂う廊下の奥に、壁に背を預けるようにして転がっていた。


「……そ」


 肉は完全に焦げ、水分が干上がって乾燥したその身体からは、未だに黒い煙が上っている。

 衣服の類は完全に焼け落ち、体毛もその例に漏れず。皮膚が溶け、筋肉が剥き出しとなった顔は苦痛に引き攣っており、顎が外れんばかりに絶叫したのだろうか。普通なら有り得ない大きさで、口が開いたままだ。


 しかし絶叫など聞こえなかった事から、おそらく喉が焼けただれて塞がっていたのだろう。証拠に、その喉元は爪で掻き毟った痕が痛々しく残っており、その苦痛の程度を雄弁に物語っていた。



 ――捏迷歪ねつまいいがみの焼死体が、そこに転がっていた。



「……うそ」


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