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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第3章 誘蛾灯に魅入られし少女
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第3章:30 『本当の選択』

 少女は目の前の絶望的な光景に、ただただ涙を流し、懇願するしか出来なかった。

 捏迷歪ねつまいいがみは、炎弾による急襲で家屋の奥へと吹き飛ばされ、イレナ・バレンシールは胴を斜めに斬られ、おびただしい量の血を流しながら地に伏している。


 ――二人共、このまま放置すれば命に係わるだろう。


「――――」


 フードから微かに覗く桃色の瞳が、後方でうつ伏せに倒れ、一向に起き上がってこない少年へ縋るように向けられた。

 しかし少年――キサラギ・シンゴは一向に起き上がる気配はなく、双子の命を受けた者らが彼を囲み、その瞳に義憤の炎を揺らしながら見下ろしている。


 その者らが静かに各々の武器を振りかぶるのが、嫌に遅く見えた。

 まるで世界の残酷さを、まざまざと少女に見せ付けるかのように。


 ――どうしてこうなってしまったのだろう。


 そんな今更すぎる疑問が胸の中に浮かんだ。

 これではまるで、今までの焼き直しではないか。幸せは絶望で塗り潰され、喜びは理不尽に蹂躙される。そんな少女の呪われた運命が、彼を巻き込んだ。


 だが、少女はそんな運命に抗おうと決意したはずだ。たった今、目の前で理不尽に押し潰されようとしている、他ならぬ彼のおかげで。

 しかし、諦めないと決意したとしても、少女にはそれ以上どうする事も出来ないという現実は変わらない。


 ――みんな、死んでしまう。


 なぜ、自分には彼らを救う力がないのだろうか。なぜ、彼らがこんな目に合わなければいけないのか。

 そんなの決まっている。そんなの――



 ――世界が平等ではないからだ。



 強者が搾取し、弱者は蹂躙される。それは、この世に生命が誕生した時から連綿と繰り返されてきた定めであり、一つの理だ。

 決して世界が薄情なのではない。ただ、どこまでも無関心なだけで、そこには善意も悪意も存在しない。


 ならばこの理不尽は、不条理はなぜ存在するのだろうか。どうしてそれらは、こうもしつこく少女にへばり付いてくるのか。

 答えは至極単純だ。それは、少女が『人』だからだ。


 人がいるから、繋がりが生まれ、上下が生まれ、軋轢が生まれる。いつの時代でも、たとえ世界が違っていたとしても、そこは変わらない。

 少女が生きている限り、人が滅びない限り、生命が終わらない限り、少女の絶望は続くだろう。

 少女は無力で、奪われる側なのだから。


 ――なら、どうすればいいのか。抗うには、どうすればいいのか。


 おそらく、その問いに対する明確な答えは存在しない。

 『無』という意味ではない――『無限』なのだ。


 答えは千差万別。似ているように見えて、同じものなど決して有り得ない。

 必ずどこかに相違がある。故にこそ、人は求め、問い続けるのだろう。


 ――己自身に対する、たった一つの答えを。


『お前、何を人生知ってますみたいな顔で、全部諦めてんだよ……なあ?』


 脳裏に蘇るのは、あの少年の声だ。

 その問いは少女の心を掻き毟り、疼くような痛みを与えてくる。

 これはきっと、少女がまだ本当の答えを出せていないからだ。


 答えはこの先、ずっと見付からないのかもしれない。

 死の間際まで、答えなんて出ないのかもしれない。


 ――でも、逆はどうだろうか?


 答えの逆――つまり、間違っている事。


『諦めて、全部投げ出すってのが間違ってるって事くらい分かんだよ!!』


 ここで諦めるのは、間違っているのだろうか。

 きっと、間違っているのだろう。だって、あの少年が言っていたではないか。諦めるのは、間違っていると。


 ならば、その間違いを正すにはどうしたらいい。

 諦めなければ正解なのだろうか。


 ――違う。


 ただひたすらに抗えばいいのだろうか。

 意地汚く、縋り付いてでも追い求めるのが正解なのだろうか。


 ――違う。


 弱者から強者へ、奪われる側から奪う側に変わればいいのだろうか。


 ――違う。奪ったのは自分自身だ。


 何の罪もない人々から命を奪い、その尊厳を無意味に踏みにじったのは、他ならぬ少女自身だ。

 そこを間違えてはいけないし、忘れてもならない。少女自身が一生背負っていかなければならない業であり、罪だ。 


 結局のところ、どれも違う。それに前述したのは、少女の答えではない。少年の答えだ。

 もしかしたら、あの少年にとってそれは答えではないのかもしれない。

 ただ一つだけ言える事は、少女には、少女だけの答えがあるはずだという事だ。


 いずれ振り返って、答えが間違っていると気付く時が来るかもしれない。

 だが、それでいいのだ。答えとは――真の正解とは存在しない。

 歪み、捻じれ、色を変え、その時の価値観で様々な姿に変じる。


 ――でも。


 今だけは、今だけの答えを出そう。

 いずれその姿が変わろうとも、この時に出した答えを復習し、また新たな答えを出せばいいのだ。


 ――答え。少女だけの答え。今この絶望に抗うために必要な、最適解。


 諦めないだけでは――足りない。

 諦めないだけでは――救えない。


 なら、その一歩先へ踏み出す必要がある。その先にあるのは、一体何だ。

 己の奥底へと潜り、先へと通じる答えを探して少女はさまよう。


 可能性は果てしなく少ない。元々、少女が持っているものなどほとんどないのだから。

 だが、ゼロではない。ゼロではないのなら、少ない可能性を紡ぎ合わせ、導き出せ。

 必要なものを選び、取捨選択し、一つの結論へと昇華させるのだ。


 ――『選択』しろ。


 己という全てを引っくり返し、検討し、選び取れ。

 そうして出来上がったものが、今だけの答えだ。


 あらゆる選択をし、その先に存在する正解を導き出した。

 少女はその答えを前に、小さく微笑んだ。

 目の前にあった答えは、すぐ近くにあったものの向きを、少し変えただけのものだったからだ。


「――――」


 少女は得た答えを胸に、フードを外した。桃色の髪がこぼれ落ち、頭上の耳が揺れる。

 そして粛然と開かれたその目から、忌々しき桃色の輝きが消え――


「わたしは――救うためにこの力を使う!」


 ――モプラ・テン・ストンプは、元来の茶色がかった瞳に強い意志の力を揺らし、選び取った『選択』を胸に顔を上げた。



――――――――――――――――――――



『――?』


 倒れ伏す『罪人』に正義の鉄槌を振り下ろさんとしていた者達は、不意の揺れにバランスを崩し、正義の執行を中断した。

 この世界にも地震の概念は存在する。そのため、この揺れに対しそこまでの驚愕はなかったのだが、揺れが次第に強く、大きくなるにつれ、これが偶発的な地震などではないと勘付き始めた。


 不安と困惑に眉を寄せ、互いに顔を見合わせる正義の執行者達。彼らはすぐにこの場から離れるべきだった。

 なぜなら――、


「イイイイイィィィィィィィィッッ!!!!」


『な――!?』『ひっ!?』『は――?』『え?』


 石畳が盛り上がり、悪魔が奇声と共に姿を現した。

 日の光を遮り、執行者達を悪魔の影が覆い尽くす。その異様な姿に、誰もが呼吸を、瞬きを忘れ、ただ呆然と仰ぎ見ながら絶句した。


 ――次の瞬間、悪魔がその巨大な体躯をしならせた。


 すぐに回避行動を取らなければならないと分かっていながら、誰もがその場から動けなかった。

 重圧に、驚愕に、そして何より――恐怖に身が竦んだのだ。


 そうして硬直する群衆を、見る者に生理的嫌悪を否応なく抱かせるピンク色の胴体が、無情にも薙ぎ払った。

 その重厚な質量に吹き飛ばされ、『罪人』の周りに集まっていた者達がまるでゴミのように散らされた。


 数秒の浮遊の後に地面に叩き付けられ、苦痛に喘ぐ者。吹き飛ばされた際の衝撃で意識を刈り取られた者。運良く人ごみの中に落ち、しかし自分がどうなったのかを正常に理解できていない者。


 結果は様々だったが、圧倒的な暴力によって蹂躙されたという事実だけは共通だった。

 一時の静寂が場を満たす。聞こえるのは苦しげな呻き声と、目の前の光景に脳の許容量が超えて失神する一般人の倒れる音だけだ。


 目の前の光景に唖然と立ち竦むだけの群衆は、またしても間違えた。ここで取るべき行動は、すぐさま反撃に移るか、逃げるかの二択だったのだ。

 そしてその猶予を刻む砂時計の砂は、既に落ち切った後だった。


 ――二度目の蹂躙が始まる。


 再び身体をしならせる悪魔。しかし未だ、誰一人として衝撃から立ち直れている者はいない。その結果、並べ立てたおもちゃの兵隊を子供が無邪気に薙ぎ払うかのように、人の尊厳すらも意に反さない悪魔の一撫でが――


「――ダメ!」


 ――ピタリ、と。


 不意に響いた、その幼くも力強い一言に、悪魔の動きが止まる。

 悪魔をたった一言で制したのは、道の端に悠然と佇む一人の少女だ。

 頭上の兎の耳を桃髪と共に揺らし、少女はその茶色がかった瞳で悪魔を見上げる。


 誰もが状況を正しく理解出来ていない。しかし、どうにか助かったのだと、その安堵だけが共有された。

 あの少女のおかげで助かったのだ。皆が少女を救いの女神だと感じ、そしてその容姿から『罪人』によって人質に取られていた半獣人の少女だと気付いた。


 ――しかしその安堵は、他ならぬその少女の声で無残にも打ち砕かれた。


「殺しちゃダメ。――殺さない程度にお願い」


「イイイイイイァァァァァァァァァァ!!!!」


 ――女神改め、死神の声に従い、優しい蹂躙が行われた。



――――――――――――――――――――



「――イレナさん!」


「テラ!」


「分かってます!」


 モプラはシンゴを『シャミール』に任せ、己はイレナの治療をすべく駆け出した。

 しかし、すぐさま衝撃から立ち直ったシアの声に、ほぼ同じタイミングで意識を正常に作動させたテラが応じ、イレナの元に駆け寄ろうとするモプラに突貫した。


「『シャミール』!!」


 モプラの声に従い、群衆を蹴散らしていた『シャミール』が口から溶解液を射出した。

 塔で見せたまき散らすようなものではなく、一本の線になるように調整されて威力も精密さも格段に上がった、さながらレーザーに近い攻撃だ。


「――ちっ」


 テラは足に急制動をかけ、その場から素早く後方に宙返りを打つ。

 着地すると同時に、『シャミール』による線の溶解液が再び放たれた。テラは素早くそれを躱しながら、ふと服のあちこちから煙が上がっている事に気が付いた。


「飛沫ですか……ッ」


 服の溶解は収まる気配がない。このまま放置すれば、いずれ皮膚まで溶かされるだろう。

 テラは瞬時にそう判断すると、藍色の上着を脱ぎ捨てた。その下からは、肌に張り付くような紅色のインナーが顕になる。

 ただ、このままでは同じ結果を辿るのは明白。テラは一瞬の躊躇の後、その目を閉じると、


「『ディテクション・サイト』!」


 開眼と同時に、テラの双眸に幾何学的な模様が浮かび上がり、青白く発光した。

 再び射出される溶解液。それに対しテラは、後退するのを止め、前へと駆けた。

 飛び散る微細な溶解液をその目の力で見極め、かつ『シャミール』の体勢、口腔の向きから溶解液の弾道を予測。最小限の動きで全て躱しながら、モプラへと肉薄する。


「『バイブレート・グラスプ』!」


 背後の詠唱に背中を押され、テラの駆ける速度が一段と上がった。

 後方から刀身を指で弾く澄んだ音が聞こえ、同時に空気を震わせながら不可視の斬撃が放たれた。

 しかし――、


「な――!?」


 テラの目の前で、信じられない光景が展開された。

 あろう事か、『シャミール』がその巨体を器用にくねらせ、不可視の斬撃を回避したのだ。


「『シャミール』! 二人の相手を!」


「イイイイィィィィァァァァ!!」


 驚愕するテラとシアを横目に、モプラはイレナの傍に片膝を着きながら指示を飛ばす。

 モプラは声に出して指示しているが、実際は声を上げずとも思念のようなもので『シャミール』にはモプラの意志が届いている。


 モプラは一度、『バベルの塔』から落下する最中に、シアの攻撃を“聞いている”。

 彼女の頭部にある兎の耳は、シアほどではないにしろ、音を拾う事に関しては長けている。そして声による指示より、思念による意志の伝達はほとんどタイムラグなしに行える。


 それを利用し、モプラは自分が拾った音の振動からおおよそで不可視の斬撃の軌道を予測。『シャミール』におおげさな回避行動を取らせる事で、把握し切れなかった範囲に余裕を持たせ、力技で攻撃の回避を実現させたのだ。


 そして、二回に及ぶ『シャミール』の加減された薙ぎ払いにより、もうシンゴの周りに人の姿はない。逃げ出す者、腰を抜かしてその場で震える者、頭を抱えて蹲る者といった風に、完全に戦意を挫かれている。


 モプラはそれを、『シャミール』から流れ込んだ情報を受け取る事で理解。イレナの治療を邪魔しようとするテラとシアの二人の相手をさせる事にした。

 暴走していた時と比べ、制御下に置かれた『シャミール』はモプラに従順だ。こちらの意志を明確に汲み取り、その実現のために最適の行動をしてくれる。


 今までモプラの人生において、『シャミール』は絶望の象徴だった。しかし今はどうだ。あの雄々しく戦う化け物の姿が、頼もしく感じてしまう。

 こうもあっさりと『シャミール』を受け入れられたのは、『シャミール』と完全に繋がった事により、今までの事は全て自分の力不足だったのだと、己の罪なのだと明確に理解したからだ。


 なぜなら『シャミール』から寄せられるのは、モプラに対する全幅の信頼だけだからだ。

 今まで『シャミール』は、ただ『肉欲』の権威の在り方に縛られていただけだったのだ。今となっては、モプラ自身の力不足であんな行為をさせていた事に罪悪感さえ感じられる。


 それほどまでに、今のモプラと『シャミール』は互いを完全に理解し、一番深い部分で繋がっている。


「『トレース・メモリ・リコレクション』!!」


 イレナの胸元に手を当て、厳かに詠唱する。途端、モプラの手が淡く発光し、イレナの傷がみるみる内に塞がっていく。

 そうしていると、イレナの閉ざされていた瞼が震え、ゆっくりと持ち上がった。そしてすぐ近くにあるモプラを見ると、その目が一気に見開かれた。


「…………モプラ?」


「大丈夫ですか、イレナさん!? もう少しで治療が終わりますので、頑張ってください!」


「……うん」


 イレナは一瞬、目の前にいる少女が誰か分からなかった。

 その強い意志を宿した横顔が、イレナの知るモプラ・テン・ストンプと重ならなかったのだ。


 必死にイレナの傷を治そうと試みるモプラを見上げ、ふとその目の色が変わっている事に気が付いた。

 その目はイレナの知っている桃色ではなく、茶色がかった新鮮な色合いへと変化していた。いや、変化ではなく、戻ったのだとすぐに理解した。


「そうなのね……モプラ、あなた――」


 モプラは、きっと何かを掴み取ったのだ。そう理解し、淡くも優しい微笑をイレナが浮かべた、次の瞬間だった。


「「――ッ!?」」


 モプラが不審げに眉を寄せるのと、イレナがモプラの手を払ったのは同時だった。

 突然の暴挙を受け、モプラは目を見開いてイレナをまじまじと見た。しかしそれはイレナにしても同様で、荒い息を吐きながら見開かれた目でモプラを見詰める。


 やがて、困惑と不安で瞳を揺らすモプラを見ながら、イレナはスッと目を細めて、


「まさかだけど、その特殊魔法……」


 しかし最後まで言い切る前に、モプラがハッとして顔を逸らした。

 イレナも釣られてそちらを見ると、次いでそこに展開された光景に驚愕した。


 まず、『シャミール』が再び召喚されている事も十分に驚いたのだが、その『シャミール』の横をすり抜けて、紅い何かがこちらに向かって走ってくるのが見えたのだ。

 『シャミール』が咄嗟に振り向きながら溶解液を吐き出すが、その紅い影は『シャミール』を一瞥するだけで先に回避行動を取っており、溶解液は石畳を砕いて溶解させるに止まって紅い影を捉える事はなかった。


「――テラ!?」


 その紅い影の正体が、先ほど自分を斬ったテラだと気付き、イレナの目が見開かれる。

 同時に、ようやく現状を呑み込めてきたイレナは、未だ治り切っていない傷など意に反さず素早く立ち上がった。しかしすぐには動かず、チラリとモプラに視線だけを向けた。


 すると同じタイミングで、モプラがイレナの目を見返してきて――、


「わたしはシアさんを! イレナさんはテラさんお願いします!」


「……うん、分かった」


 イレナが頷き、低い姿勢で肉薄してくるテラを見据えた時だ。後ろで立ち上がったモプラが、小さな声で一言だけ続けた。


「その……あとでお話があります」


「…………」


 ――イレナはそれには応えず、テラを迎え撃つべく駆け出した。


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