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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第3章 誘蛾灯に魅入られし少女
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第3章:25 『拡大する騒乱の予兆』

「さて、と~……」


 騒ぎを聞き付けて、ようやく上がってきた警備兵達にキサラギ・シンゴ達を追うように指示し、ノーミ・エコは壁に開いた穴から『ウォー』の街並みを見渡した。

 流れ込んでくる朝の涼しい風が、すす汚れていても尚、美しさを損なわない彼女の緑髪をふわりと揺らす。


「…………ッ」


 同時に、先ほど言われた一言が思い返され、心の表面を無遠慮に引っ掻かれるような不快感を意識し、ノーミ・エコの美貌が歪む。

 叫び、鬱憤を解消したくなる衝動を堪えようと噛み締められた唇の端から、赤い血が艶めかしく白い肌を伝った。


「弱者……弱者ですか〜、そうですか〜……」


 ぶつぶつと『弱者』という言葉を繰り返し、親指の爪を噛む。

 爪が割れ、口の中に血の味が広がる。舌の上でその鉄臭い味を転がし、ノーミ・エコは不意に微笑みを口元に浮かべると、


「いいでしょう〜。貴方が蔑んでくれた弱者が、そう……桃太郎のように協力者を仰ぎ、鬼を……強者を討ち滅ぼしてやりますよ〜」


 目を憎悪に爛々と輝かせ、ノーミ・エコは口から血だらけとなった指を離すと、


「ただし、桃太郎がそうであるように、私もとっておきのお団子を使わせていただきますよ〜」


 独り言を呟く毎に、ノーミ・エコの唇が歪み、口角が吊り上げられていく。


「私が率いるのはむしろ、性質としては“鬼”の方に近いかもしれませんが、そこは仕方がないですよね〜」


 そう締め括ると、ノーミ・エコは肌を撫でる澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込み、胸の内にくすぶっていた、苛立ち、屈辱感、怒りを、呼気と共に外へと吐き出した。

 そして表情を改めると、頭を両手で抱えるように、耳の上――こめかみ辺りに手を添える。


 次に目を瞑ると、意識を己の奥へ、更に奥へと向けていく。

 最深部にまで意識を浸透させた後、そこから己の精神を一気に解放する感覚で、厳かに詠唱した。


「『リード・ウィスパー』」


 騒乱は『バベルの塔』を飛び出し、『ウォー』全体へと拡大せんとしていた――。



――――――――――――――――――――



 ノーミ・エコが何かしら始めようとしていた時、シンゴ達は大通りを歩いていた。


「シンゴ……大丈夫?」


「ああ……なんとか」


 イレナの心配げな声に、シンゴは額に手を当てて首を振りながら気丈に答える。

 先ほどまではイレナといがみの二人に支えられていなければ歩けない状態だったのだが、今となってはもう一人で歩けるまで回復していた。


「…………」


 シンゴはチラリと己の右肩に視線をやる。そこにはもう炎の翼はない。イレナ達の証言によれば、地面に無事降り立ってすぐに霧散したらしい。

 時間制限でもあるのか、それとも力を消費し切れば消えるのか。詳細のほどは分からないが、火の粉を散らすように消えるのはいつもの事だ。


 そう、炎の翼に関してはある程度理解はある。だが、イレナ達の証言によるとそれだけではない。

 曰く、なんとシンゴは、あのテラとシアを一人で圧倒したらしい。


 ――らしい、とは、実はその時の記憶が曖昧なのだ。


 シアに剣で切り刻まれ、その後あの校舎でカワードに首を絞められた所までは記憶はしっかりしている。しかし、その後が非常に曖昧だ。

 例えるなら、夢を見ていたような感じに近い。夢とは普通、その内容を覚えている事の方が少ない。もし覚えていたとしても、細部までしかと説明できる者はほとんどいないだろう。


 シンゴの場合もその例に漏れず、確かにおぼろげにではあるが覚えている。しかしその記憶は濁り、混ざり、曖昧で、ふわふわとしていて現実味がない。

 記憶が明瞭となったのは、二人に支えられて人ごみを掻き分けて進んでいる所からだ。


 ――『貴方の要望に応じて、協力すると言ってるんですよ』


 ふと、脳内で再生されるあの男の声。

 協力とは、一体何だったのか。この体に残る虚脱感と何か関係でもあるのだろうか。

 そうして一人唸るシンゴに、心配そうな視線を送ってくるのはイレナとモプラだ。


 ――そう、モプラ。


 瓦解したかに思えた『バベルの塔攻略作戦』は、記憶にないもう一人のキサラギ・シンゴとも呼べる自分の活躍により、一応の解決は成す事が出来た。

 実感はほとんど無いに等しいが、結果よければ全てよし。シンゴは早々に、この成果が上がりそうにない思考を打ち切ると、隣を歩くいがみに尋ねた。


「なあ、俺達って今、どのあたりにいるんだ? ……というかお前、何で腕生えてんだよ」


「いやだなぁ、相棒が治してくれたんじゃないか」


「そうなのか?」


「うん、あの翼で一撫でされただけでこの通りさ。しかも服も再生されるというおまけ付きだぜ? 相棒には頭が上がらないなぁ」


「そうか……そういや、俺も服が再生してるな」


 己の体を見下ろしてみると、そこには傷一つないこのピスト・リドルワーツ産の生地で出来た黒い制服がある。

 過去を振り返ってみてもこのような現象は一度もなく、服までも再生されたのは今回が初めての事だ。

 何か、自分に未知の変化が起きている。そう感じずにはいられない。


「――と、ぼく達がどこにいるかって質問だったね。今は『バベルの塔』から伸びる大通りを北に直進してる最中さ」


「北に……?」


「そうよ。元々その方針だったでしょ?」


 会話に入ってきたイレナが、進んでいる先を指差しながら言う。

 確かに北から『ウォー』の外に出る手筈だったが、それはあくまで最終的に、だ。


「いや、アリス達との合流は?」


「もちろんするわよ。でも、あの場に留まるのはよくなかったから、最終的な目的地の方角に移動したのよ。本来の計画とはかなりズレたから、どうしようかなって思って、とりあえず、ね。それに、シンゴもかなりふらふらしてたから……」


「あー、そうね……その節はどうもで」


 申し訳なさそうに謝るシンゴに、イレナは「ううん」とツインテールを揺らしながら首を振る。


「別にいいわよ。元はといえば、あたしが『ゼロ・シフト』を不発させたのが悪いんだから。シンゴがいなかったら、今頃どうなってたか……」


「ん―……」


 物憂げな表情で視線を逸らすイレナ。そんな彼女に、なぜ『ゼロ・シフト』が成功しなかったのかを尋ねるのは、少々気が引けた。

 とりあえず作戦は成功したのだし、全て終わってから改めて検討すればいいだろう。

 それに、褒められるのは素直に嬉しいが、それが記憶にないのものだから、シンゴとしても反応に困ってしまう。


「あ、あの……」


「あ、おう……どした?」


 恐る恐るといった様子で、モプラが挙手しながら声をかけてくる。

 現在モプラは、その頭部の兎の耳と額の痣を隠すため、いがみの着ていた『幻惑のローブ』を借り、頭まですっぽりと覆っている。

 本来はいがみ専用に調節されているので、モプラが着用する分には普通のローブと同じだ。


 ちなみにシンゴの『幻惑のローブ』だが、制服は再生されたのに対し、ローブは再生されなかった。

 思うところがないではないが、再生の原理についての考察は後回しだ。今は、モプラの意見を聞く方が先決だろう。


「その……シンゴさん。もう、走れますか?」


「……そうだな。もうだいぶ怠さも取れたし、大丈夫だと思うけど……何でだ?」


「決まってるじゃないか相棒。ぼくらには追っ手がかかってるんだぜ?」


「あ、そうか、追っ手か……追っ手!?」


 大声を上げたシンゴに、周りの強面さん達の視線が突き刺さる。

 シンゴは愛想笑いで「す、すいません……」の周りに会釈しておき、いがみに詰め寄ると、極力抑えた声で問いかけた。


「追っ手って……誰だ?」


「たぶんだけど、テラは確実だろうね。シアは分からない」


「は? テラとシアは俺が倒したんじゃねえのかよ!?」


 倒したと思った敵に背を向けた途端、後ろから刺された気分だ。

 完全に追っ手の予想候補から外していた二人の名が上がり、シンゴは鼻白みながらイレナにも確認するように顔を向けた。


「シンゴは覚えてないでしょうけど、弱い者いじめは嫌だとか、時間がないとか言って、そのままあたし達を……抱えて……その、飛び降りたのよ!!」


「……なにやってんの、俺」


 なぜイレナに怒鳴られたのかは分からないが、完全にフラグを置いてきてしまったようだ。この不始末、記憶にない自分を無性にぶん殴りたくなる。

 それに何やらイレナ様子がおかしい。頬を赤らめ、唸るシンゴから距離を取ったかと思えば、何やらチラチラと窺うように見てくる。


「これはたぶん……」


 おそらくではあるが、記憶がない間に何か粗相をやらかしたとみていいだろう。

 一体自分が何をやらかしのか、その内訳が非常に気がかりではあるが、今は他に気になる点があった。


「弱い者いじめ、か……」


 それは、あの男を強烈に意識させるフレーズだ。まさか、自分はカワードに体を乗っ取られていたのだろうか。

 そうして思案していると、深呼吸を繰り返して調子を取り戻したらしいイレナが、少しだけ赤みの残る顔で咳払いをした。

 何だ、とシンゴがイレナの方を見ると、当の本人は前を向いたまま神妙な面持ちでこう告げた。


「シンゴね……あの男と同じように、目が紫紺になってた」


「な――」


 イレナの告げたその衝撃の一言に、シンゴが目を見開く。

 絶句しながら見詰めてくるシンゴに、イレナはチラリと視線だけを返し、「それに……」と目を伏せると、


「喋り方も、一人称も、雰囲気までも、どこかあの男とそっくりだった……」


「……そう、か」


 イレナのその告白を受け、シンゴは難しい顔で俯くと同時に、やはり先ほどの考察は幾分か正しかったのでは、と考えた。

 まだカワードに精神を乗っ取られたと確信したわけではないが、おそらく何かしらの影響を受けた事はほぼ間違いないだろう。


 ただ、明確に確信が出来た事が、他にもう一つだけあった。

 それは、精神状態がどうであったにしろ、シンゴは”使った”のだろうという事だ。

 一体何を使ったのだと言われれば、それはもちろん――、


 ――『激情』を、だ。


「…………」


 あの校舎でカワードも、そのような事を匂わせる発言をしていたのを覚えている。

 なるほど、確かに『激情』を発動させたのであれば、テラとシアを圧倒出来たのも頷ける。


 どうして自分が『激情』の権威を使えるのかについてだが、おおよその察しはついていた。というより、今になって全て繋がった。

 きっとシンゴは、意図せず継承したのだ。カワードが死んだあの時、シンゴの中に潜り込んできたモノの正体。おそらくそれが『激情』だ。


 さらに付け加えるなら、校舎の中にいつの間に住み着いていたカワードの亡霊も、その件と何かしら関係があるに違いない。

 しかし今は、こんな考察に時間を割いている場合ではない。そう考え、シンゴは吐息と共に頭の中をリセットしようとして、ふと重大な事実に気付き「あっ」と顔を上げる。


「こんな呑気に歩いてる場合じゃねえじゃん!?」


 そうだ。こんな悠長に話しながら歩いている場合ではない。追っ手がかかっているというのに、一体何をしているのだ。

 急激に芽生えた焦燥感と危機感をシンゴが百面相で表現していると、いがみがやれやれ――と苦笑し、


「だからさっき、モプラちゃんは走れるかって相棒に聞いたのさ」


「は、はい……」


「あ、ああ……そういう」


 つまり、こんなのろま行進をしている理由は、体調が芳しくなかったシンゴを慮っての事らしい。

 事情が事情なだけに、シンゴの居たたまれなさと申し訳なさのゲージは振り切り、うまく二の句が継げなくなる。


「とりあえず、シンゴの体調が回復してくれてよかったわ。これで走って移動しても大丈夫ね。なら、これからの行動方針は……」


「イレナちゃん達がはぐれたっていう、迷子のお仲間さん達との合流だね」


「うん。アリスとカズ……二人とは、一刻も早く合流する必要があるわ」


 シンゴの復調を機に、これからの方針が手短に練られる。

 どうやら当初の計画通り、アリス達との合流を目指す方向で固まりそうだ。

 そうなると、やはり予想していた通り時間がかかるだろう。その間に、追っ手に見付かる可能性も徐々に高くなる。かといって、路地裏などを使って移動していては、アリス達を見付けられない。


 つまり、追っ手に見付かるリスクを常に背負いつつ、アリス達との合流を目指さなければならないという事だ。

 『バベルの塔攻略作戦』は、本当の意味では終わっていない。むしろここからが難しく、正念場とも言えるだろう。


「まあ、折り返し地点までは来れたんだ。このまま一気にゴールま――?」


 簡易作戦会議を締め括ろうとした時だ。言葉の途中で頭の中に何か違和感を感じて、シンゴはこめかみに手を当てて顔をしかめる。

 見れば、イレナ達も同じようなものを感じたらしく、シンゴ同様に頭に手を当てて眉をひそめている。


「これは……」


 違った。そうじゃなかった。

 この頭の中に別の誰かの意識が割り込んでくるような感覚を感じているのは、シンゴ達だけではなかった。

 辺りを見渡せば、通行人は足を止め、店先の店主も顔をしかめ、付近にいる者達全員が頭を抱えていた。


「何よ……この気持ち悪い感じ……ッ」


「さ、さぁ……」


「うぅ……変な感じです」


 三者三様の、この不快感に対しての感想を聞きながら、シンゴは胸中を過る嫌な予感を意識していた。

 シンゴ達の想像の範疇を飛び越えた、“何か”が始まる。これはその前兆なのではないだろうかと、シンゴはそう予感した。


 咄嗟に何か手を打たなければならないと本能が告げてくるが、この不鮮明な状況で一体どんな手を打つのが正解なのかさっぱり分からず、シンゴは勇み足を踏むしかない。

 そうして困惑している間に、タイムリミットが訪れた。


『――親愛なる【ウォー】の諸君。私の名はノーミ・エコ。【バベルの塔】を治める者です』


 ――脳内に直接響いたその声が、更なる騒乱の幕開けを告げようとしていた。


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