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虚飾のアリス ‐不死の少年と白黒の吸血鬼‐  作者: 竜馬
第3章 誘蛾灯に魅入られし少女
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第3章:21 『バベルの塔攻略作戦・幕引き』

ちょっとグロありです。

「『アイス・ズ・メイク』!!」


 イレナの手元に、氷で出来た二振りの剣が生まれる。

 それを握り締めると、イレナは床を蹴り、テラとシアに向かって走り出した。


「イレナ……!?」


 作戦は失敗した。ここから先は完全に想定外。未知の領域に突入する。

 そんな中で真っ先にイレナが動いたのは、作戦失敗の原因を生んでしまった事に対する罪悪感と、テラとシアを相手取る事が可能なのは自分しかいないと判断したからだ。


 テラとシアと交戦を始めるイレナだったが、ただでさえ格上だとウルトが言っていたのに加え、二対一の状況だ。一人目の攻撃をギリギリで躱してカウンターを狙おうとするも、二人目の刃が飛んできて防戦一方となる。


 幸いなのは、ここが敵の本拠地だという事だ。つまり、高威力で大規模な魔法をテラとシアは使えない。特にテラが使用する火の魔法は、この場に多大な被害を生んでしまう。

 水の魔法を使うシアにしても、それほど規模の大きい魔法は使えないだろう。


「く……ッ」


 しかし、戦力差は歴然。イレナの体に無数の切り傷が出来始める。

 このままではジリ貧だ。そう遠くない内に、この戦闘は終わるだろう。イレナ・バレンシールの敗北によって――。


「俺達も行くぞ――!!」


「行くって相棒……きみ、戦えるのかい?」


「んな事言ってる場合か! いいから来い!!」


 そう言って走り出すシンゴを見て、いがみは「ぼくも弱いんだけどなぁ……」とぼやきつつも、シンゴに続いて駆け出した。

 そうは言ったものの、シンゴだって勝てるなどと自惚れてはいないし、ましてやどうにかなるだろうといった、楽観論で動いた訳ではない。


 ただ、このままではイレナが危ない。せめてテラとシアのどちらかをシンゴといがみが二人がかりで請け負う事で、イレナの負担を減らそうと考えたのだ。

 そうすれば、“終わり”を少しは引き延ばす事も出来る。そうして生まれた時間を利用して、状況打破の案を考える。


 それに、シンゴは――、


「殺せるもんなら殺してみろやコラぁ――!!」


「――!」


 シンゴは真っ直ぐ、シアの後ろから殴り掛かった。何の工夫もないただの拳を放つシンゴだったが、シアは後ろを見る事無く体をズラして拳を躱すと、そのまま体をねじってシンゴの腹につま先をねじ込んだ。


「がっ――!?」


 胃を搾り上げられるような激痛に、シンゴは目を剥きながら元来た方へと吹き飛ばされる。

 地面を転がるシンゴと入れ替わるように、今度はいがみが不敵な笑みを浮かべながら、体が流れたシアに向かってカウンターの拳を放った。


「ありゃ?」


「邪魔」


 しかしいがみの放った拳は、強引に上体を沈ませて回避された。そして返す刀で、シアはいがみのがら空きの胴に剣を一閃――


「――ッ!」


 シアは剣の軌道を強引に曲げると、床に突き立て、剣を支えにして体を横にズラす。

 シアの顔のすぐ近くを、子供の拳大ほどのオレンジ色の石が横切った。

 シンゴが投擲した、予備の『爆石』だ。


「ナイス相棒、助かったぜ!」


「イレナぁ――!!」


「――!」


 生じた隙を利用して後退するいがみの感謝の声には応じず、シンゴはテラと激しい剣戟を繰り返すイレナの名を呼んだ。

 その声に反応したイレナがチラリとこちらを一瞥し、自分に向かって飛んでくる『爆石』を見て目を細めた。


 そして氷の双剣でテラの剣を強引に弾いて一瞬の自由を得ると、素早く詠唱。握られていた氷の双剣が砕け散り、代わりにイレナの手元には新たな獲物が握られていた。

 先端がスプーンのように曲がった、ラクロスで使用されるスティックのような形状だ。


「――――」


 イレナはさらに目を細めて意識を集中させると、新たに生み出した武器のスプーンのようになっている部分で、自分に向かって飛んでくる『爆石』を優しくすくった。

 衝撃を与えないように細心の注意を払って『爆石』をすくったイレナは、スプーン部分のカーブを利用して軌道を修正。さらに加速を加えながら、テラに向かって投擲した。

 テラはイレナに弾かれた反動で体勢が崩れており、すぐに回避は不可能なタイミングだ。


 ――そのはずだった。


「『ディテクション・サイト』」


「え――!?」


 テラは何事かを呟くと、飛来する『爆石』を剣で叩き切った。

 二つに断たれた『爆石』は爆発せず、そのまま虚しい音を立てて床に転がる。

 唖然として思考が固まってしまっていたイレナだったが、脱兎の如く距離を詰めてきたテラに気付き、慌てて氷の双剣を生み出す。


「ぐぅ……ッ!」


 振り下ろされた剣に対し、双剣を交差させて受け止めたイレナの顔が、思っていた以上の衝撃で苦悶に歪む。

 しかし次の瞬間、目の前にあるテラの目を見て、イレナの双眸がハッと見開かれた。


「その目……!」


 テラの瞳の中には幾何学的な模様が浮かび上がり、青白く発光していた。

 動揺するイレナと鍔迫り合いを続けながら、テラはイレナの碧い目をその変化した目で覗き込んだ。


「『爆石』には他の『魔石』よりも取り分け不純物が多い。そのため、かなり強い衝撃を与えなければ爆発しません。先ほど私がしたのは、不純物が密集する箇所を選別して斬った、というちょっとした芸です」


 『爆石』の爆発原理は、外部から強い衝撃を与え、内部に溜め込まれて変容した『フィラ』同士が激しくぶつかる事で爆発する、というものだ。

 そしてテラが言ったように、『爆石』は他の『魔石』に比べて不純物を多く内包する。そのため、かなり強めの衝撃を与えなければ爆発しない。

 ちなみにだが、より純度の高い『爆石』は名称を変えて『大爆石』と呼ばれ、威力も、起爆のし易さも段違いで、過去に不慮の事故で誤爆した例が多々ある。


 そういった事情から、『爆石』は不測の事態が起こる頻度が高い。

 残念ながら『大爆石』は希少で、ウルトは所持していなかった。だからこそ、シンゴは不測の事態に備えて予備の『爆石』を持たされていたのだ。


 余談だが、二つに割れた『爆石』が床に落ちても爆発しなかったのは、単に爆発できるだけの『フィラ』が不足――つまり、『爆石』の体積が減ったのが原因だ。

 これは、この世界における一般教養の部類なのだが、イレナがこれを理解出来ているかと言われれば――、


「説明してくれて嬉しいけど……あたし、バカだから……ッ」


「……なるほど」


「自分で言っておいてあれだけど、納得されるは――ね!!」


 鍔迫り合いの状態から、イレナは受け流すようにテラの横に体重を移動。テラの体勢が崩れた所に蹴りを入れる。

 だが、イレナの足は床から数センチ離れた所で制止した。


「な――!?」


 見れば、イレナの足の上にはテラの足が添えられており、力の起こり――つまり初動を完全に殺される形となっていた。

 そしてその一瞬の硬直を見逃す訳もなく、テラの回し蹴りがイレナを襲う。


「きゃ――!?」


 何とか手でガードするが、衝撃までは殺しきれない。

 何度も床を転がるイレナは、素早く手をついて体を跳ね上げて起き上がると、追い打ちを受ける事だけは回避した。


「う、あ……っ」


 左腕に走った激痛に顔をしかめる。動かそうとしても、あまりの激痛で持ち上がらない。

 どうやら先ほどテラの攻撃に対して取った、咄嗟の防御姿勢がまずかったらしい。

 苦悶に顔を歪ませながら、イレナは悠々と歩み寄ってくるテラの変化した目を見て、先ほど蹴りをキャンセルされた理由を察する。


「やっぱり、その目……!」


「先ほどの曲芸について説明はしましたが、自分の能力についてぺらぺらと話すほど、私は貴方のようにバカではないです」


「言って……くれるじゃない……!」


「回復を待つほど私は優しくはありませんよ? それに、私達に下された命は、貴女方の排除ですので、悪しからず――」


「いちいち説明しなくても、そこまで察し悪くないわよ――!!」


 片手をぶらぶらとさせながら、イレナは氷でトンファーのような形状の武器を作ると、駆けてくるテラに向かって突貫した。



――――――――――――――――――――



「あ……あぁ……」


 目の前で、自分を助けようとした人達が、戦っている。

 イレナ・バレンシールは左手に負傷を負い、キサラギ・シンゴと捏迷歪ねつまいいがみも果敢に挑みかかっているが、遊ばれているのが目に見て分かる。

 双方共に、終わるのは時間の問題だった。


 モプラ・テン・ストンプは、あの人達と知り合ってから、迷っていた。

 ノーミ・エコに捕まれば、きっと自分は終わる。死によって終わりがくればいいが、そこに辿り着くまでに心が終わりを迎えるだろうと察していた。


 嫌だ。死にたくない。でもこれ以上、自分の所為で罪のない人が苦しむ姿も見たくない。

 そう思いながら、どこか諦めて――いや、疲れている自分がいる事に気付いていた。


 己の人生を振り返ってみると、確かに幸福はあった。だがそれも、必ず最後には不幸で塗り潰されていくのを幾度となく見てきた。

 最初は悲しんだが、やがて感情が麻痺し、乾いたような笑みを漏らしながら、いつしかこう思うようになっていた。


 ああ、またか――と。


 そんな自分がこの『色欲・肉欲』の『大罪』を授けられた事には、最近になってようやくなるほど、と納得ができた。

 だってそうだろう。他人を幸福の頂に突き上げ、身勝手に突き落とす。まさに、自分の人生そのものではないか。


 今だって変わらない。迷惑をかけまいと抜け出して、結局捕まって。そして諦めようと思っていた矢先、差し伸べられた救いの手を呆気なく掴んでしまった。救いを、望んでしまった。


 所詮そんなものなのだ。モプラ・テン・ストンプは、どこまで行っても優柔不断で、周りに不幸をまき散らす事しかできない、そんな『大罪人』なのだ。

 だが、それでも、自分を助けようと必死になってくれた人達が、無残に命を散らすのを黙って見ていられるほど、モプラ・テン・ストンプは渇き切ってもいないし、大人でもなかった。

 だから――、


「お願い、します……! 彼らを止めて……殺さないでください!」


 モプラは、傍らに佇む緑色の悪魔に願った。


「わたしならどうなっても、構いません……! 協力もします。だから、どうかあの人達だけは……ッ」


 結局それは、目の前の大事な人達の命を取るために、大勢の命を奪う手伝いをすると公言しているに等しかった。

 それでも、どうしても、自分の権威の事を、『罪』の事を知っても、手を差し伸べてくれたあの人達を見捨てる事だけは出来ない。


 ――そんなモプラの切実な願いは、頭を足で踏みつけられるという行為で否定された。


「あっ……うッ」


「何を道具風情が私に指図しているのですか〜? 貴女はインプレグナブル・ラインを崩し、戦力の一斉投入を可能とするためだけの駒です。罪のない大勢を殺戮した『罪人つみびと』が何を人間面しているのか……もしかして、笑わせにきているのですか〜? それなら残念。私は昔からよく、笑いどころがおかしいと言われる質でしてね〜」


「そ……んな……どうか……おねが……あうッ!?」


 尚も懇願しようとしたモプラは、頭部に走る激痛に顔をしかめた。

 苦鳴を上げるモプラを無感情な瞳で見下ろしながら、ノーミ・エコは吐き捨てるように告げた。


「笑えない。心底笑えませんよ〜、貴女の在り方には。意志が伝わらなかったのなら、簡潔に纏めてはっきりと教えてあげます。――歩くだけで『死』をまき散らすおぞましい貴女は、王都の陥落を以て廃棄します。そして、不敬を働いたあの異分子達も、ここで排除します。以上ですよ〜」


「あっ……そん、な……っ」


 目の前が真っ暗に染まるのを感じながら、モプラは胸に去来する慣れ親しんだ感情に、心の中で嘆息した。

 いつものように、諦める時がきたのだ。あの人達が死ぬのは、自分の所為。王都の人がいっぱい死ぬのも、自分の所為。全て、自分の所為。


 今までのように黙って『罪』を受け入れ、諦め、そして終わろう。

 もう、疲れてしまった。


 そう、視線を床に落とした時だった――。


「おい、お前……ふざけんじゃねえぞ?」


 震えるような怒りを孕んだ、否定の声が上がった。

 首をもたげ、真っ直ぐこちらを見ている男の顔を見ようとして、寸でのところで視線を胸元で固定する。


「何がですか〜?」


 興味なさげに問い返すノーミ・エコの声に、その男から奥歯を噛み締める音が聞こえた。


「何がですか……だと? お前が言った事全部に決まってんだろうが――!!」


 大声で怒鳴るあの人は、一体何に憤っているのだろう。

 まさか、また自分のために怒ってくれているのだろうか。そうであったなら嬉しいが、そんな事を望む資格は自分にはない。

 自嘲するような笑みが漏れかけた時だ。心の中を読んでいるとしか思えない言葉が飛んできた。


「モプラ……お前も同じだ! 何を下向いて、諦めてるみたいな顔してやがんだ!!」


「――――ッ」


 図星を突くその声に、モプラの頬が強張る。

 そんなモプラに向け、彼は声をかけ続けてきた。


「いいか、諦めるな! 俺の地元には、諦めたらそこで試合終了って言葉がある! 俺はこの言葉が好きだ! 諦めない限り、救世主が現れて全部丸ごと解決してくれる可能性だって十分ある!!」


「そんな事を信じているとは、いささか楽観論がすぎませ――」


「んな事分かってんだよ――!!」


 否定しようとするノーミ・エコを遮り、彼は拳を固く握り締める。


「俺が言いてえのは、何が起こるか最後まで分かんねえから、自分からチャンスを棒に振るなって事だ! そして――」


 彼は毅然と、誇らしげに胸を張って言い放った。


「救世主を待つだけじゃ、カッコ悪い。だから、いっそ自分がその救世主になるつもりで足掻けつってんだよ!!」


「――――ッ」


 救世主を待つだけじゃなく、自分がそうなるくらいの気概で抗えと、戦う力を持たない少年は言った。

 モプラはその言葉を胸に、改めて自分の中に問いかける。簡単な質問だ。


 生きたいか、死にたいか。諦めるか、諦めずに抗い――彼らを救うか。


 答えは――。


「わたしは……!」


 自分を足蹴にする女を睨み付けるように見上げ、モプラは強い意志を瞳に宿しながら告げた。


「こんなところで終わらない……終わりたくない!」


「道具風情が何を〜……!」


 理解できないと顔を歪めるノーミ・エコを見上げていると、切羽詰まった声が割って入ってきた。


「相棒! カッコいい見せ場だってのは重々承知で言わせて! この男の風上にも置けない腰抜けチキン野郎をぼくだけで相手取るの、ちょっとキツイかな!?」


「ああ、こっち片付けたらすぐ助けに行く! だからもう少し逃げてろ!!」


「ひどい! でも、そんな相棒は嫌いじゃない! むしろ興奮したぜ!!」


 いがみがシアを言葉巧みに煽りながら、何とか逃げ回っている。戦闘力に関しては皆無の彼だが、なぜか逃げる事だけは人並み以上に卓越していた。

 しかし、人並み外れていても、そもそも人を超越している化け物相手では、さほど意味がない。


「言いたい事はまだあるけど……もうそろそろ相棒がヤバそうなんでな。さっさと終わらす。ノーミ・エコ、お前を――」


 キサラギ・シンゴはぐっと目を見開くと、床を全力で蹴って叫んだ。


「ぶん殴ってなぁ――!!」



――――――――――――――――――――



 モプラへのあんまりな言い分に、感情が抑えられなかった。

 いがみ一人にシアを任せ続けるのも無理がある。だから、さっさとあの女を沈めて、加勢しなければならない。


 最初はこの女を人質にでも取ればいいのでは、とも考えたが、テラとシア――特にシアの見えない攻撃を見破らない限り、動きが制限されて狙い打ちされる可能性があると判断し、断念した。

 だが、事ここに至れば、とりあえずぶん殴って黙らせておくだけなら大丈夫だろう。何より、シンゴがそうしたかった。


 ウルトの話では、ノーミ・エコは戦闘に関してはド素人らしい。それは先ほど『爆石』を投擲した際の反応からも窺える。

 シンゴは憤りを胸に全力で床を蹴ると、あの無表情で憎たらしい顔をぶん殴るために駆けた。


「敵に背を向ける? 神経を疑う」


「――ッ!!」


 真上から聞こえた声に、シンゴは頭上を振り仰ぐ。

 そこにはシアが飛び上がっており、今まさに、シンゴに向かって剣を振り下ろさんとしていた。


 当然だ。主に危険が迫っているのなら、そちらを優先するに決まっている。

 だが、自分の愚かしさに悔いている暇はない。振られる剣がゆっくりと見えるような錯覚の中、シンゴは思い切り横に飛んだ。しかし剣先が僅かに背中を抉り、鋭い痛みが神経を焼く。


「ぐっ……ぉ、ぁあああ!!」


 しかしシンゴはその痛みを強引に無視し、立ち上がろうとした。

 こんな所で動きを止めたら、格好の的になる。そう思っての行動だったのだが――、


「あ、は……ッ!?」


 あまり激痛に、思わず体がぐらついて体勢が崩れる。

 背中の痛みは徐々に遠ざかりつつある事から、吸血鬼の再生能力はちゃんと機能している。だが、あの翼が生じている時に比べると、吸血鬼の再生能力は遅い。


 そこに何の因果関係があるかまでは分からないが、今回はその再生の遅さが命取りとなった。

 体勢を崩したシンゴの深紅の瞳と、盲目の少年の目が重なる。

 その瞳孔からは、感情は一切読み取れず、ただただ吸い込まれそうな虚無を感じさせる。


「さっさと死ね」


 冷酷な声音と共に、刃は振り下ろされた――。


「やめてぇぇぇ――ッ!!」


「が――ッ!?」


 モプラの絶叫を背景に、シンゴの体が強引に引っ張られた。

 同時にすぐ近くで上がる苦鳴と、倒れた体の上に何かが圧し掛かってくる感覚。

 シンゴは衝撃で白む頭を振り、自分に覆いかぶさるものが何かを確認して――目を見開いて固まった。


「お……まえ」


「はは……無事で、何よりだぜ……相棒」


 そこには、顔中脂汗だらけにして苦しそうに顔を歪ませながらも、不敵な笑みを浮かべるいがみの姿があった。

 その右腕は肩から先が失われており、流れ出る血が真っ赤な絨毯をより濃く染めていく。


いがみ……おい、しっかりしろ!!」


 体を起こし、いがみをそっと床に横たえながら必死に呼びかける。

 苦痛に顔を歪め、浅い呼吸を繰り返すいがみは、青くなりつつある唇を震わせながらシンゴに微笑を向けると、


「逃げ、ろ……相棒」


「――――ッ!」


 こんな状況にも拘わらず、いがみはシンゴの身を案じた。

 後ろからイレナの悲鳴にも似た声が聞こえたような気がしたが、今のシンゴの耳には届いていない。


 ――なぜか?


 あまりの怒りに目の前が真っ赤になったからだ。


 ――何に?


 あまりにも幼稚で愚者である、己自身に。


 ――それだけか?


 当然、他にもある。一番愚かなのは自分だと、キサラギ・シンゴだと理解はしている。だが、感情は、憎悪にも似たドス黒い怒りは、今まさに後ろで涙を流すシンゴに剣を振り下ろそうとしている男に、余す事なく全て向けられている。


 シンゴは、肩を震わせながら、憤怒の形相で後ろを振り向いた。


「お……まえぇぇぇえええええええッッ!!!!」


「吠えるな、愚物が」


「殺す! ぶっ殺す! 死ねッ、死ねクソ野郎ッッ!!!!」


 シンゴは怒りに任せ、シアに殴り掛かる。

 しかし拳は全て空を切り、その事実がさらに怒りを掻き立ててきて、シンゴはさらに叫びながら突貫する。

 シアは軽々と回避行動を取りながら、心底呆れたため息をこぼした。


「お前は弱いな。そして愚かだ。こうなる事くらい想像できたはずだぞ。それなのにお前は、仲間よりも私情を取った。――それがこの状況だ」


「お前が! 斬った張本人が! えらそうに語ってんじゃねぇぇえッ!!」


「――そうか」


「ごがぁ――ッ!?」


 シアの剣が、シンゴの胴体を斜めに切り裂いた。

 痛みと熱が津波のように押し寄せ、神経を、脳を焼き、シンゴは思わずその場に膝を着く。そこに、


「そこの彼は逃げろと言った。それすらせず、感情に任せて無様を晒す。正直、見るに堪えない。僕はお前みたいな奴が……最も嫌いな人種だ!」


「あ……?」


 嫌悪に顔を歪ませ、シアは膝を着くシンゴの腹に剣を一閃した。

 一拍遅れて、ぼとぼと、という湿った音がすぐ下で鳴る。同時に肌を撫でる、温かい蒸気のようなもの。


「…………」


 恐る恐る下を見ると、そこには桃色の臓物が、湯気を上げながら腹から半分以上こぼれ落ちていた。


「お!? あっ、あ゛あ゛ああああああああああッッ!!!!」


「シンゴ!?」


「もうやめてぇ――ッ!!」


 イレナとモプラの悲鳴にも似た声が聞こえるが、シンゴは痛みでそれどころではない。

 現実を認識した瞬間に、意識が『痛い』という感覚だけに塗り潰された。

 視覚的効果もあり、シンゴを襲った精神的衝撃は計り知れない。


「――! これは……」


「あっ! ひっ! はば……あっ!」


 痙攣し、白目を剥くシンゴの様子を見ながら――いや、聞きながら、シアは眉を寄せた。

 こぼれ落ちた臓物がまるで意志を持ったかのように動き、腹の中へずるずると戻って行っている。


 同時に、絨毯に染み込んだ血が蒸発し、腹の傷がみるみる治癒していく。

 シアは盲目故にシンゴの深紅に染まった右目を見る事ができず、その所為で吸血鬼だと気付けていない。


 このタイミングでシンゴの瞳を見る事が出来ていたなら、キサラギ・シンゴが吸血鬼だと悟れたはずだ。

 それ故に、彼がこの現象を前に出した答えは――、


「そうか……これが『罪人』の権威か。本当に、お前は……」


 シアの出した結論は、至極当然のものだった。

 皮肉なのは、シンゴの正体が吸血鬼だと理解していなくとも、シアは期せずしてその結論に辿り着いた事だ。


「面倒くさい権威だな……その再生力」


 シアが出した結論、つまりそれは――、


「吸血鬼と同じ殺し方が通じるかどうか……試すか」


 そう呟くと、シアは躊躇なく剣を振り下ろした。

 シンゴの体が真っ二つに裂け、中身がこぼれ落ちる。だが、まだ終わらない。


 今度は真横に、縦に、真横、縦、斜め、縦、横、斜め、縦、横、斜め、縦、横、斜め、縦、横、斜め、縦、横、斜め、縦、横、斜め、縦、横、斜め、縦、横、斜め、縦、横、斜め、縦、横、斜め、縦、横、斜め、たて、よこ、ななめ、タテ、ヨコ、ナナメ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




「再生……しないな。死んだか」


 そこには、無数の小さな肉片となった、かつてキサラギ・シンゴだったものが汚く散乱していた――。


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