第2章:37 『駆け抜けろ』
「あっ、おおぉぉぅぅぅうぐぃぃッ!! いっ、アツ、ぁぁあぁ、あ゛あ゛ああああああああああああああ!!!!」
「…………」
切断面を黄色い炎で焼かれながら、キサラギ・シンゴは狂ったように床でのた打ち回る。
そんなシンゴを凛とした赤い目で見詰める少女は一体いつからそこに居たのか、現れた瞬間を認識することができなかった。
ただ黙ってこちらを見やる少女、その体から発せられる異様なプレッシャーが、まるで深海の水圧に押しつぶされるかのような重さを伴って、アリスとカズを襲った。
顎を伝う汗。しかしカズは、そのプレッシャーを跳ね除けるように空気を肺いっぱい吸い込むと、
「シンゴォォッ!! 歯ぁ食いしばれぇぇえッッ!!!!」
背中に担いでいた錆びた大剣を引き抜くと、転がり回るシンゴの背中を踏み付けて固定し、僅かに残った肩から十センチほどのシンゴの腕に狙いを済ませ――
「あ゛あ゛あ゛あああああああああああああああああああああああッッッッ!!??」
バヅンッ――と、肉と骨を断つ鈍い音が響き、シンゴの右腕と呼べる部分が完全に無くなる。
ホールに響き渡るシンゴの絶叫にカズは顔をくしゃりと歪ませながら、今しがた切り落としたシンゴの腕十センチほどに、未だに纏わりつくその黄色い炎――『陽焔』とやらに再びシンゴが触れてしまわないように、大剣で横へと弾き飛ばす。
「どうだ!?」
「ぐぅぅぅぅぅぅぅうううううぅぅッッ――――!!」
カズが汗の滲んだ顔でシンゴの傷口を見やる。すると、カズの視線の先で、ぐじゅりと湿った音を立てながら、グロテスクな色を流動的に蠢かせながらこの世の物理法則に、この世の常識に逆らった超再生が始まった。
そしてものの数秒で――、
「はっ、はっ、はっ……はぁ、うぅ……」
遠ざかる熱と激痛に、シンゴの荒く、短い間隔で行われていた呼吸のリズムが徐々に落ち着きを取り戻していく。
シンゴは汗でびっしょりになった、憔悴し切った顔で己の右腕を見やる。今度はちゃんと右腕が網膜に映り、カズの咄嗟の判断が正しかった事がこれをもって証明された。
そして切り落とされたシンゴの腕は、煙を上げて灰となって消えた。
シンゴは、ぼうっとする視界の先で剥き出しとなった右腕を動かし、眼前に持ってくると、正常な動作が可能がどうかを確認するために握ったり開いたり、折り曲げたり伸ばしたりしてみる。
――結果、特にこれと言った不具合は見つけられず、シンゴはここで初めて安堵の息を吐く。
「――あなた、まさか……」
「――――?」
前方から聞こえてきた声に、ここで初めてシンゴは眼前の少女の存在を認識する。
シンゴが顔を上げると、眼前に金と赤の豪奢な装いをした少女が、驚愕に染まった顔でその赤い瞳をさらに大きく見開いていた。
少女は顔を上げたシンゴの右目――“真紅の瞳”を指差し、睨み付けるように、
「吸血鬼――『星屑』ですか?」
「……は?」
先の衝撃からまだ立ち直り切れていないシンゴは、少女の言っていることの意味を理解するのにいくばかの時間を要した。
そんな風に現状に置いて行かれかけているシンゴなどそっちのけに、少女の言葉は続く。
「どおりでわたくしの『陽焔』があれだけの効果を発揮したのですね。おかしいとは思っていましたが、あなたが吸血鬼なのであれば、当然と言えましょう」
「…………」
ぺらぺらと推測を並べ立てる眼前の少女の言っている意味が理解できず、シンゴはただただ疑問に眉を寄せることしかできない。
すると、そんな少女の言葉に待ったをかけるように、アリスがはっとして声を上げる。
「君は確か……シャルナ・バレンシール?」
「あぁ……確かに、あの演説をやってた奴じゃねぇか!」
アリスの言葉を受け、カズの顔にも理解と驚きの色が浮かぶ。
本来の二人なら、もっと早く彼女の正体に気付けたはずなのだが、状況が状況だったため、眼前の少女の素性に関しての考察と気付きが今まで後回しになっていたのだ。
そして、そんな二人の言葉を肯定するように、少女は厳かに頷くと、
「ええ、確かにわたくしは、シャルナ。王家直属近衛騎士団副団長――シャルナ・バレンシールです」
「…………バレンシール?」
少女とは初対面の、名前すら初耳のシンゴがシャルナの姓にぴくりと反応する。
そんなシンゴの呟きに、アリスが眼前の少女から目線を離さずに、
「ボクも修道院の名前を聞いた時、何らかの関連性があるんじゃないかって思ったんだ。でも、イレナにそのことを訊いてみたら、関係ないって言ってたんだ」
「……そうなのか?」
「――ああ」
シンゴの問いかけに、カズが頷く。
この二人の話から、おそらくその会話はシンゴがユピアの鉄拳で気絶していたときに交わされたのだろうとシンゴは推測する。
「――――?」
小声で交わされるシンゴ達の会話はギリギリで聞こえていないのか、シャルナは不審そうに眉を寄せている。
本人に問い質すのが一番手っ取り早いのは確かなのだが、今はそんな悠長なことをしている暇はない。早いところ、先にこの屋敷に入ったアンリを見つけ出し、リドルとアルネを助け出すのが何よりの優先事項だ。
そしてここに来て分かる通り、どうやらアンリは、シャルナ・バレンシールには遭遇せずに屋敷内部に入り込んだらしい。
先ほどの気配を悟らせない消え方といい、今回の無難な侵入といい、アンリにはそっち系の才能があるのかもしれない。何が何でも、彼女には開花してほしくない才能の片鱗である。
そんなことを考えながら、シンゴは震える足に力を込めて立ち上がろうとする。しかし、上手く力が足に伝わらず、軽くよろめいてしまう。
すると、咄嗟に背後に回ったアリスがそんなシンゴの背中を支えてくれる。
アリスにお礼を告げつつ、シンゴは今度こそ立ち上がると、
「今はあいつの素性を尋ねてる暇はねえ。すぐにでもアンリ達を探さねえと。――でも……」
シンゴが立ちあがったのを見て、眼前のシャルナが再び濃密なプレッシャーを放ち始める。
「簡単に通してくれはしねえだろうな……」
歯ぎしりするシンゴだったが、そんなシンゴの耳に背後からアリスがその唇を近付け、
「シンゴ、君はあの階段まで走るんだ」
「――アリス?」
突然何を言い出すんだと、シンゴが眉を寄せてアリスに振り返る。
すると、数センチほどの至近距離にあったアリスの顔に一瞬、驚くが、それでも今はそんなことを気にしている場合ではないと、シンゴは己の心臓がリズムを上げるのを無視し、視線でその言葉の意味を問いかける。
「当然だけど、彼女はボク達を簡単には進ませてくれないと思う。だから、ボクとカズがここに残って彼女を足止めする。でも、君を守りながら戦うのは正直キツイ。それほどまでに彼女は――シャルナ・バレンシールは強い」
シンゴはアリスの言葉を聞き、シャルナ・バレンシールがおそらくシンゴ達を通してくれないこと。そして、ここにシンゴ自身が残ることの無意味さを理解する。
悔しいが、アリスの言う通り、シンゴがここに残っても足を引っ張るだけだろう。
だから、シンゴは自分のちっぽけなプライドを心の奥底に押しやり、アリスの案を受け入れることにした。
でも、一つだけ分からないことが――、
「階段に向かえって言うのは……?」
「さっきも言ったけど、彼女は間違いなく強い。そんな彼女の背後にある廊下に君を送り出すのは、正直、厳しい。だから、少し遠回りになるかもしれないけど、階段を上がれば、きっと上からでも彼女の後ろの廊下の先に行ける道があるはずだと思うんだ。――そうでなくても、アンリが階段を上がった可能性も十分あり得る」
「なるほど……」
アリスの言っていることは非常に理に適っており、むしろ、わざわざこの状況でシャルナの背後の廊下に進むことしか考えていなかった自分の頭の足らなさが恥ずかしい。
シンゴは頷き、アリスの作戦に同意の意を伝える。そして、勝手に役目を決められたカズにも、アリスは視線で「いいかい?」と問いかける。
「ああ、異論はねぇ」
「……ごめん、カズ。たぶんボク一人じゃ、彼女を抑え込める自信がないんだ……」
眉尻を下げるアリスに、カズは苦笑すると、
「分かってるさ。アリスが言わなきゃ、オレがその案を提案してたところだ。だから落ち込むな。今は目の前のことに集中しろ」
「……うん」
アリスは頷くと、その表情を引き締め、
「合図はボクが出す。そうしたら、シンゴは階段に向かって走って。ボクとカズは、彼女を全力で足止めする」
「分かった」「ああ」
作戦がまとまると、三人はシャルナへと視線を向ける。
それに対し、シャルナは不敵に微笑むと、
「作戦会議は終わりましたか?」
「律儀に待っていてくれるなんて……余裕だね?」
アリスのそんな挑発に、シャルナは目を伏せ、次いで開眼と共に力強く、
「わたくしは騎士です。不意打ちなんて外道なマネはいたしません!」
凛として声を発するシャルナに対し、カズは意地の悪い笑みを覗かせ、隣のシンゴを親指で指し示すと、
「その割には、この馬鹿の腕を不意打ちでぶった切ってくれた訳だが……矛盾してんぜ、シャルナさんよ?」
「あ……」
カズの指摘に、シャルナがぽかんとした顔になる。――その瞬間をアリスは見逃さなかった。
「今!」
「――――ッ!」
アリスの合図を受け、シンゴが階段に向かってスタートを切る。
「な――!? 行かせませんッ!」
階段に向かって走り出したシンゴに、シャルナが即座に反応。信じられない速度で肉薄する。
シンゴの真紅の右目と、シャルナの真っ赤な双眸が一瞬だけ交差する。――しかしその邂逅も本当に一瞬で、シャルナはその長剣を上段からシンゴに振り下ろした。
迫る長剣。このまま行けば、シンゴの頭蓋はスイカのように割られ、脳漿をぶちまけて一度は死を迎えるだろう。そうなれば、この作戦は失敗に終わる。
――しかし、シャルナの剣がシンゴの頭蓋に到達する前に、横から吹き抜けた“風”がシャルナの剣の腹を蹴り飛ばした。
「――――」
今度はアリスとシャルナの視線が交錯する。
――しかしシャルナは、そのまま蹴られた剣と同じ方向へ体を捻ると、後ろ蹴りをアリスに向かって繰り出す。
「う――ッ」
どうにか両手で体を守るが、“風”を纏ったアリスが軽々と後方へ吹き飛ばされた。
それでもシャルナは止まらず、さらに体を捻り続け、その正面に再びシンゴを捉える。そして、回転による遠心力が加わった、先ほどよりも強力な斬撃をシンゴに繰り出した。
「させっかよぉッ!!」
「――――!!」
硬化魔法で体の強度を上げたカズが遅れて割り込むと、錆びた大剣を横に倒し、刃のない側面を下から腕で支えるようにして、シャルナの斬撃を受け止めた。
目を剥くシャルナにカズは獰猛に笑み、シンゴに向かって叫ぶ。
「行けぇ!!」
「わりいッ!!」
シンゴは振り返らず、階段に向かって残りの距離を走り抜ける。
それを横目に見送り、カズは咆哮と同時に鍔迫り合いの状態からシャルナを弾き飛ばす。
しかし、まるで風船を打ち払ったような手応えのなさに、カズは振り抜いた大剣の重さでたたらを踏む。
シャルナはどうやったのか、カズの大剣の力を全て自分のものにして、軽やかに背後に跳躍する力へと還元。空中を後方宙返りの要領で回りながら飛び、最初の位置にふわりと音もなく着地する。そして剣の切っ先を床に着け、柄に手を置くと、最初と同じ体勢になる。
「――――」
シャルナはそのまま、ちらりと階段へと視線を向ける。そこには既にシンゴの姿はなく、シャルナはその表情をむっとさせる。
そして視線を眼前のアリスとカズへと向け、そこで目を細める。
「なるほど……“あなたも”でしたか」
「…………」
アリスの真紅の染まった両目を見据え、シャルナがそうこぼす。
カズがアリスのもとへと、シャルナに視線を固定したまま駆け寄り、
「大丈夫か?」
「うん、問題ないよ」
そんな二人のやり取りを見て、シャルナは嘆息し、
「まさか、吸血鬼が二人もこの王都に入り込んでいるとは。……いえ、先ほどの男の方は片目だけが紅かった。彼は何らかのイレギュラー体ですかね……」
「――――」
意外と洞察力も高いシャルナに、アリスはただ沈黙を返すしかできない。もちろん、アリスとシンゴが『星屑』などという事実はどこにもないのだが、傍から見れば、次期国王候補の屋敷に忍び込んでいる時点で説得力など皆無だろう。
それにおそらく、この屋敷にこれといった衛兵がいないのは、このシャルナ・バレンシールが強すぎるせいで、他の戦力が必要ないというのが主な理由なのだろう。もし他に理由があったとしても、この推論は必ず含まれているはずだ。――いや、むしろ彼女からしたら、一人の方がかえってやりやすいのかもしれない。ようは、シャルナからしたら他の衛兵などは邪魔で、ただの足かせにしかならないのだ。
そんな怪物と対峙しながら、しかしアリスの関心はまったく別のところにあった。
「カズ、どうしよう……」
「どうした? まさか、お前まで傷が治らねぇのか!?」
焦るカズに、しかしアリスは首を横に振り、
「いや、ボクは大丈夫だよ。おそらくさっきのシンゴの症状は、『陽焔』とかいう黄色い炎によるものだと思う。――そうじゃなくて、ボクが今、考えているのは……」
「――――シンゴか?」
「うん……」
頷くアリスに、カズは「くそっ」と毒づく。
今の短いやり取りで、シンゴの身に何か良からぬことが起きようとしているのだと、カズは察する。
次に次にと湧いてくる問題に、カズは歯ぎしりしながら、
「当然、勘なんだよな?」
「……いや、分からない。いつもより弱いような、そんな不確かな感覚なんだ」
眉を寄せるアリスに、カズは「とりあえず……」と眼前のシャルナに視線を向け、
「副団長様をなんとかしねぇと、あの馬鹿んとこには行けねぇのは確かだ。だから、さっさと片すぞ!」
「――うん」
改めて見据えてくるアリスとカズの視線を受け止め、シャルナは長剣をくるっと回して正面に構える。
一瞬の沈黙が場に満ちる。その間に交わされる、相手の呼吸の読み合い。
そして――
「「「――――ッ!!」」」
一瞬の気迫の交換の後、二人と一人は正面からぶつかった――。




