第2章:33 『月の下で』
水面から顔を出すような感覚。それが意識の覚醒する瞬間に感じる、最初の感覚だ。
キサラギ・シンゴは水面から外の世界へと意識が浮上するとき、自分がこれから目覚めるのだと本能的に悟る。そしてそれは、今回も例外ではなく、意識した次の瞬間には――、
「お目覚めですか?」
「――――!?」
目を開くと同時にかけられた声に、シンゴは声にならない悲鳴を漏らす。
シンゴの目の前、数センチほどの位置に、今しがたシンゴに声をかけてきた人物の顔が存在していた。
自分を見下ろす、感情の読めない銀色の双眸。その双眸の主は、シンゴの意識が完全に戻った事を確認すると、その顔を遠ざける。
自分から遠ざかって行く存在にシンゴは体を起こしながら、改めて意識を、視線を向けてみる。
近すぎて認識するのに僅かに遅れたが、今ならその顔がはっきりと見て取れる。
シンゴは眼前の少女から視線を外し、辺りを見渡しながら、
「――あの……ここはどこっすか、サラスさん?」
「ここは、今日あなたがお泊りになられる予定の部屋です――キサラギ・シンゴさん」
シンゴの質問に、サラスが落ち着いた声音で答える。
現在シンゴがいるのは、どこかの高級ホテルかと見間違えそうになるほど――否、さらに広く、グレードの高い部屋だ。
だだっ広い部屋。床には高級そうな絨毯が引かれ、ちらりと部屋の隅へと視線をやれば、いかにも高級そうで、深みを感じさせる机と椅子が備え付けられている。そしてシンゴが先ほどまで眠っていた、一人で眠るのには大きすぎるベッドは、そんな広い部屋の真ん中に置かれていた。
一通り部屋の中を検分したシンゴの横顔に、窓から差し込んだ月明かりが当たった。シンゴはそれになんとなく反応を示し、窓の外を見やる。そして――
「あれ!? もう夜!?」
ばっと驚き顔で振り返るシンゴに、サラスは無言で頷く。
それを受け、シンゴは「待てよ……」と瞑目し、眉間にしわを寄せ、額に手を当てて記憶を掘り返す。
「えっと……確か俺、風呂に入っていたような……」
なんとか掘り返す事に成功した記憶の断片を呟き、シンゴはちらりと確認するように、先ほどから無言でシンゴの事を見詰めているサラスを見やる。そしてそこで、またしてもはっとし、
「なんでサラスさんがここに……?」
首を傾げるシンゴにサラスは、
「大浴場に向かわれた後、なかなか帰って来られないので、大浴場に向かいましたが、そこにあなたは居られませんでした。ですので、色々と探し回っていたところ、この部屋でお眠りになっているのを発見し――」
「最初に戻る――って事か……」
「はい」
首肯するサラスだったが、一方のシンゴからしてみれば、未だにうまく状況が飲み込めない。最後の記憶の映像は風呂。そして起きたら部屋。その間の記憶がすっぽり抜け落ちているのだ。
「ん? そういや何か、風呂で誰かに会ったような…………あ」
湯気の立ち上る白い空間にうっすらと見える人影が、徐々にその輪郭を顕にし、シンゴの記憶の中で明確な像となって結ばれる。そう、その人影は――、
「確か、変なじいさんに、人生相談したんだっけ……?」
「――変なおじいさん?」
シンゴの第三者の存在が示唆されるセリフを受け、サラスの鋭い双眸がさらにその鋭さを増す。
鋭い針で体を射抜かれるようなその感覚に、シンゴは背中から冷や汗を流し、
「ちょ……不審者じゃ――いや、モロ不審者っぽかったけど、そうじゃなくて! えと、そうだ! 確か名前を言ってたような……そう! ジャイロとか言ってた、そのじいさん!」
恐らくではあるが、シンゴの話の中に出てきた老人を不審人物――事実、不審ではある――だと認識し、サラスはメイドの使命からなのか、矜持というやつなのか、なんにせよ、その不審な老人に敵意に近いものを抱いたのが鈍いシンゴでも感じ取る事ができた。
少々、メイドの放つ敵意の度を越えていたような気がしたが、きっと異世界のメイドさんはそういうものなんだろうと無理やり納得しておく。
ともあれ、そんな危険な気を当てられ、シンゴの本能がガチで命の危険を察知。寝惚けていた脳を叩き起こし、より深い記憶を掘り当てたのだ。それが先ほどシンゴが口にした――、
「…………もしや、ジャイル、ではありませんか?」
「え? ああ、うん……確かに言われてみれば、そっちの名前だったような気がする」
たとえ危機的状況に追い詰められ、シンゴの脳が普段よりその能力を向上させたとしても、その普段がアレでは意味がなかったという事である。
しかし、そんなシンゴが口に出した老人の名を聞いた瞬間、サラスの発していた圧迫感のようなものは嘘のように霧散した。そして腕を組んで、片方の手を顎に当てて先の質問――もとい、シンゴの勘違いの訂正をしてきたのだ。
もしや、朝からの寝不足が祟り、妖精でも見えてしまったのかと思った。正直、じじいの妖精など出てこられても嫌である。嫌であるが、人生相談のおかげか知らないが、現在のシンゴの心情はイチゴの情報の件を耳にしたときよりも穏やかである。
――と、同時に、シンゴの中で一つの理解が結ばれた。
あのジャイルとか言う老人との人生相談の際、何やら眩暈のようなものに襲われた。それは当初、湯に浸かりすぎたためにのぼせてしまったのかと思ったのだが、おそらくシンゴの気付きが正しければ、あれはのぼせではなく、おそらく寝不足が原因だ。
その辺りは、シンゴの吸血鬼の再生能力の対象外のはずである。いくらかのぼせもあったかもしれないが、それを助長させたのもまた寝不足からくる疲労が原因だろう。
「――――ッ!?」
――次の瞬間、シンゴは形相を変えて背後を振り返った。その顔は恐怖で引き攣っており、顔中の汗腺が開き、大量の汗が噴き出している。
そんなシンゴの反応に対し、サラスもシンゴの見やる方向へと体を横に倒して覗き見てみるが、そこには何も居らず、ただ首を傾げるに留まってしまう。
やがて、シンゴはゆっくりと汗の伝う顔をサラスの方へと戻すと、「あはは」と笑って後頭部を掻きながら、
「一瞬、幽霊かなんか居るのかって、勘違いしただけです。いや〜、この城、呪われてるんじゃないですか?」
「いえ、そのような事は……」
「で、ですよね……」
シンゴは困ったように頬をぽりぽり掻くが、すぐさま「そういや!」と言って人差し指を立てると、
「その、サラスさん。ジャイルさんって、もしかして知り合いっすか?」
シンゴの露骨な話題転換に、しかしサラスはしばしの沈黙の後に首を縦に振り、
「はい……グリストア・ジャイル。その人は、騎士団の一員にして、その階級は副団長です」
「…………え?」
サラスの口から語られたジャイルの正体、というより立場。その予想だにしていなかった事実に、シンゴの口から呆けた声が思わず漏れる。
そんなシンゴを見やりながら、サラスは続ける。
「王家直属近衛騎士団副団長――グリストア・ジャイル。別名――『後雷のジャイル』」
「…………」
開いた口が塞がらないというのは、まさしく今のシンゴの状態を言うのだろう。
今のサラスの言った事に嘘が無ければ、妖精だの、人生相談だの、割と軽々しいというより、いっそ失礼なシンゴの評価や対応。これは下手をすれば、シンゴの首は軽く飛ばされかねないのではなかろうか――。
そんな青ざめるシンゴに、サラスは頷き、なにやら納得した様子で、
「という事は、シンゴさんをこの部屋に運ばれたのは、おそらく――」
「副団長さんに運んでもらったの、俺!?」
シンゴの罪状が新しく追加されたところで、サラスはスッと立ち上がると、
「シンゴさんの無事も確認できましたので、私はこれで失礼したします」
そう告げ、さっさと部屋を出て行こうとするサラスに、シンゴは慌てて、
「あ、あの!」
「――なんでしょう?」
振り向いたサラスに、シンゴは「えっと……」と間を置き、その間に頭の中でセリフを組み立て、
「そう、アリス達! アリス達は今、一体どこに!?」
身を乗り出し、危うくベッドから落下しそうになるシンゴをその銀色の瞳で見詰め、やがてサラスは腰を折り、
「皆さんは、すでにご就寝です」
「……あ、左様ですか」
――――――――――――――――――――
どうやらシンゴは、結構な時間、眠っていたらしい。そして、シンゴがただ眠っているだけだと分かったサラスは、変に心配をさせまいと、アリス達にはシンゴが既に眠ったと説明したらしい。
サラスの優しさが窺える対応だが、しかしアリス達もアリス達で、よくそんな事をあっさりと信じたなと思う。なにせ、結局シンゴは夕食の席にも出席しなかったのだ。普通なら部屋に訪れてもいいはずだが、サラス曰く、誰も部屋には来なかったらしい。
「俺ってもしかして、嫌われてる……?」
ガチで泣きそうになったが、よくよく考えてみれば、シンゴが寝不足な事は、アリス達は既に知っている事である。故に、そっとしておこうという結論に至ったのだろう。そうに違いない。――そう、思いたい。
「でも、やっぱ腹は減ったな……」
腹をさすりながら、シンゴは暗い廊下を歩いている。サラスが言うには、食堂に幾分か食べ物を残しておいたとの事なので、シンゴは早速、食堂へと向かっている。
本来ならサラスがシンゴに同行しなければならなかったのだが、生憎、仕事が溜まっているらしく、他のメイドを同行させると言ってきた。しかし、こんな夜遅くに迷惑をかけるのもあれなので、シンゴは一人で食堂に向かうと告げ、こうして出てきたのだが――、
「ふむ……どこ、ここ?」
迷った。
シンゴは廊下で一人寂しく佇みながら、途方に暮れる。シンゴの迷子スキルは凄まじい効力を発揮し、帰り道すら分からない始末。先ほどからずっと薄暗い廊下を徘徊しているのだ。
「――ん?」
ふと、眼前に外へと通じる、一面ガラス張りの大きな窓――というより、ドアを見つける。シンゴがそっとそのドアノブを回すと、ドアはなんの抵抗もなく開いた。
外に出ると、心地よい寒さを湛えた風がシンゴの肌を優しく撫でる。
「……バルコニーってとこか?」
そこにはお茶でも楽しむのか、白のテーブルとイスが置かれ、そのさらに先には、同じく白い手すりが備え付けられていた。
その手すりの近くに、なにやら人影が見えた。白のドレスのようなもの身に纏い、時折吹いてくる風にその裾をなびかせている。
「――――」
その人影を、先ほどまで雲に隠れていた月の光が照らしだす。
シンゴはその人物の後ろ姿に既視感を覚え、その既視感へ心当たりが脳内で像を結んだ瞬間、思わずその名を口にしていた。
「――ユピア?」
「――――!」
その人影は、月明かりに照らされて美しく輝く長い茶髪を揺らして、ばっとシンゴの方へと振り返った。
その顔は驚き、シンゴの顔を確認すると同時に、きょとんとなり、
「シンゴさん?」
小首を傾げるユピア・レッジ・ノウに、シンゴは内心ほっとしながら、気さくに片手を挙げて近付いていく。
一瞬、心の中で、本当にこの城で不慮の事故で死んだ娘の霊でも出たのかと焦ったが、その人物がユピアだと分かり、心底ほっとしたのはここだけの話だ。
やがてユピアの隣にシンゴが立つと、そんなシンゴを見やりながら、ユピアはくすりと笑い、
「よく、お眠りになられましたか?」
「ああ、おかげ様ですっきりした。悪いな……折角、招待してもらっておいて、寝ちまうなんて」
「いえ、お気になさらないでください」
ユピアは微笑を湛えたままで、シンゴの謝罪を優しく首を振って許す。そして、そのままシンゴから視線を、手すりの向こう――眼下に広がる王都の街並みへと移す。
シンゴもそれを追って眼下の景色へと視線を向ける。
――思わず感嘆の声が漏れた。
今は月が再び雲に覆われ、辺りに夜本来の闇が広がっている。しかし、眼下の王都の街は、その暗闇を押し返すほどの光を発し、シンゴの心を優しく照らしてくれる。
実際に見た事はないのだが、所謂『百万ドルの夜景』。シンゴの元の世界とはその光の色や量も違うが、それでも負けず劣らずの感動を見る者に与えてくる。
しばし無言でその夜景を眺める。
何十秒、いや、数分だろうか。それだけの時間をその光景に目を奪われ、言葉通りに時を忘れる。すると、そんなシンゴの横から、視線はその夜景に固定したままユピアが声をかけてくる。
「シンゴさん、イレナは相変わらずですか?」
「イレナっすか……」
シンゴも夜景から目を離さず、意識だけをとある少女の事を思い浮かべるために切り離す。
ユピアから聞かされた、イレナの異常性。ユピアから頼まれた、イレナを泣かせるという依頼。
――しかしシンゴは、難しい顔でユピアへ視線を移し、
「あの……俺には、あいつがそんなに異常な風には見えなかったんすけど。普通に笑って、嫌がって、怒って、落ち込んで――。ちょっと馬鹿で、明るい、そんな風にしか思えませんでしたよ」
「…………そう、なのかもしれません」
「え?」
少し間はあったが、結果的に肯定の言葉が返ってきて、シンゴは呆けた声を出し、その目を見開く。
ユピアは夜景からシンゴへと視線を移し、目を伏せると、
「確かに、私がイレナの事を全て知っている、という訳では当然ありません。私が見ていないところで、イレナはちゃんと泣いていたのかもしれません。……いえ、本当は一度だけ、イレナの泣いたところは見た事があるんです」
「…………」
思いがけない告白に、しかしシンゴは口を挟まず、ユピアの続きの言葉を黙って待つ。
そんなシンゴの意思が通じたのか、やがてユピアは伏せていた碧眼を上げ、
「でも、彼女がイレナ達の元を離れてからは、一度もそんな姿を見た事はありません。どころか、前にも増して明るくなったような……そう、これはたぶん、ずっとあの子を見てきた者にしか分からない、それくらいの変化――」
それっきり黙り込み、ユピアは夜景へとその視線を移す。シンゴはそんな彼女の憂いとも、悲観とも、もしくは他の感情があるようにも見える横顔を無言で見やる。
正直、シンゴが見た限りでは、イレナについては先に述べた通りの見解だ。
確かにユピアの言う通り、付き合いの長い者にしか分からない、そんな変化なのだろう。しかし、人間、誰しもいずれは変化する。昔と変わらない者の方が珍しいくらいだ。
――――それに、俺は……
シンゴは昔のイレナというものを知らない。当然だ。まだ知り合って、日が浅すぎる。シンゴが知っているのは、今のイレナだけだ。
そんな事を考えていた時、ユピアを見やるシンゴの目が驚愕に見開かれた。
「――ユピア、どうしたんだ? どっか、具合でも……」
「――――?」
狼狽えるシンゴへ、ユピアは心当たりがないといった様子で首を傾げてくる。どうやら本人は無自覚のようだ。――その瞳から零れる、一筋の涙に。
シンゴは一瞬、躊躇うが、それでも意を決し、ユピアの頬を流れ落ちる涙を指差した。
「――! これは……」
ユピアは自分の頬を濡らす涙に気付き、驚きの表情を浮かべる。
ごしごしとその涙を拭い、そして再び夜景へとその視線を向ける。すると、その頬を再び涙が伝う。
シンゴは戸惑い、どう声をかけたものかと頭を悩ませていると、ユピアが「ああ……」と、ぽつりと悟りの声を漏らす。
そんなユピアに気遣わしげな視線を送るシンゴに、ユピアは視線を前に固定したまま「ごめんなさい」と謝り、その涙の意味を語り始めた。
「ここからよく、父と共に夜景を見ました」
「それって、『星喰い』にあったっていう国王――?」
「はい、そうです。……シモアさんの前では、父とはそれほど親しい仲ではないと申しましたが、私は父を尊敬しておりました」
「…………」
つまりユピアは、本当は王――父親と仲は良く、父と共に見た夜景を見やり、その想いが溢れ出て涙となったのだろう。
やがてユピアは苦笑すると――、
「この時期に修道院に行きましたのも、寂しかったからなのです。イレナ達に会いたくて、安心感を得たくて……。王になりたくないというのも、単に私では父のように上手くやる自信がないから。ただ、それだけなのです……」
「そんな事は――」
――ない。と、そう言い切る事がシンゴにはできなかった。何故なら、違いすぎるからだ。スケールが。立場が。そして――住む世界が。
シンゴには理解できない。理解してあげられない。シンゴは王族でもなければ、貴族でもない。田舎で暮らす、ただの一般市民、有象無象。そして――異世界人だ。
口を噤むシンゴに、ユピアは涙を拭くと、無理やり笑みをつくって振り向き、
「ごめんなさい。突然こんなお話をしてしまって……。忘れてください」
「で――」
「でも」
――でも。そう言おうとしたシンゴの言葉の先を封じるように、ユピアが声をかぶせてくる。そんなユピアを心配げな視線で見やるシンゴに、ユピアは少し頬を染め、
「こんなに私の事を他人に話すのは、シンゴさんが初めてです。サラスにも、イレナにも話した事がないのに……どうしてでしょう?」
「い、いや……それを俺に聞かれても……」
「ふふ、そうでした。ごめんなさい」
シンゴの狼狽する様を楽しげに見やり、ユピアは再び顔を出した月を見上げた。それに釣られ、シンゴもこの世界の月を見やる。
月は優しい光でもって、二人を見下ろしていた――。
――――――――――――――――――――
「綺麗な月ですね……」
月を見上げたカワードは、そうポツリとこぼす。そんな彼の独り言に、返答を返す者がいた。
「私も、この優しい光は嫌いではないよ」
振り向くカワードの先には、白い髪を肩までで切り揃え、純白の服に身を包んだ、美しい白一色の少女が佇んでいた。しかし、その瞳は紅く、白の中に赤いインクを落としこんだような印象を見る者に与える。
そんな少女にカワードは微笑みかけると、
「いたんだね。相変わらず音もなく現れるの、やめてほしいな。心臓に悪いよ」
そう言って苦笑するカワードの傍に少女は歩みを進め、並ぶ。そして二人は月を見あげる。そして――、
「君との付き合いも、もう七年近くになるね――デプレシン」
「よく覚えているね、カワード」
「当然さ、忘れもしないよ――」
カワードはそう感慨深げに呟くと、デプレシンと呼ばれた少女の方へと向き、
「彼らの方は?」
「君の指示通りに伝えておいたよ」
それを受け、満足そうに頷くカワード。そしてはたと思い出したような反応を見せると、少女を見やり、
「念のため、護衛に騎士を雇った」
「誰だい?」
「シャルナ・バレンシール」
その人物の名を聞き、少女は首を傾げると、
「その人選の理由は?」
「一番の新人だから」
「なるほど」
二人は簡潔なやり取りを交わす。そして、カワードは近くに置いておいたワインに口を付けると、
「ところで、昨日は何をしていたんだい?」
問われた少女は、「なに――」と妖艶に微笑み、
「ちょっと、怠け者に犬をけしかけていただけさ」
――途端。カワードの顔から笑みが消える。そしておもむろに首を倒し、こきりと骨を鳴らすと、
「――いじめ?」
「違うよ、君の同類――と言えば、私が無実だと、聡明な君なら理解できるはずだ」
「――――」
少女の話を聞き、カワードの体から発せられていた異様な圧迫感が霧散する。それを満足気に見やる少女に、カワードは拗ねたように唇を尖らせる。
やがて、そのまま上目使いに少女を見ると、
「デプレシン――そろそろ」
「全く、君って奴は……」
少女は困ったように嘆息すると、頬を紅潮させ懇願するように告げるカワードに苦笑する。そして近くにあったイスに腰をかけると、そのすらりとした美しい足をカワードの前に差し出す。
「――――ッ!!」
カワード跳ねるように地面に手を着いて四つん這いになると、眼前にある少女の足を一心不乱に舐め始めた。
少女の肩が一瞬、跳ねる。そして、少し恥ずかしそうにしながら、
「全く、君の性癖には私も呆れざるを得ないよ」
そう呟く少女だが、カワードの耳にその声が届いている様子は見受けられない。そんなカワードに足を差し出したまま、少女は肩を竦める。
そして、徐々に雲に覆われて行く月を見上げ、妖艶に微笑むのだった――。




