last.自由を捨ててドキドキを
土日を挟むとようやく亜希がその姿を教室に現した。どうやら風邪はすっかり完治して、今では元気もりもりみたいだ。
「キィ、会いたかったよ」
亜希はイケメンみたいな台詞を挨拶代わりにしながら私の頬を手の平で挟むと、潰したり揉んだりと散々いじくり回してきた。私はその手に自分の顔を委ねながらどんな言葉を返してやろうかと考える。
どうせなら亜希を思いっきり感動させるようなことを言いたい。学校に来られなくてずっと人恋しい思いをしていたはずだし、親友として心の隙間を埋めてあげるぐらいのことはしないとね。
私の頬を挟む亜希の両手を、私は自分の両手でさらに挟み込む。そうして亜希の目を見つめると言葉を選ぶことなんてすぐに忘れて、気づけば胸の内から湧き上がる思いをぶちまけていた。
「私も……すごく、すっごくすっごく……会いたかったっ!」
亜希が目を丸くして私を見ている。自分の目の縁に涙が溜まっていることに気づいた。
私ってこんなに涙もろかったっけ……。
「こんなとこで泣いてどうするのよ」
すると亜希の口が私の耳元に寄せられる。聞き逃してしまいそうなほど小さな声で、誰にも聞こえないようにそっと囁いてきた。
「後で泣くほどいじめてあげるから」
こういう軽口が叩けるのも元気になった証拠かな。胸から鼓動の音を聞きながら、顔が湯気に当たったように熱くなるのを感じた。
授業と授業の合間の短い休み時間。
その子はいきなり私の膝に乗ってきたかと思うと、何が言いたいのか「ほら。ほら」と繰り返している。
「どうしたの、ハマちゃん」
「遠慮しないで。ほらっ」
わざわざ密着してきたりして……もしかしてハマちゃんは人肌が恋しいのではないだろうか。
暑いのを我慢してそっと抱き締める。もう寂しくならないようにとたっぷりの愛情を注ぐ。
「違うっ。暑い!」
私の腕が振り払われた。愛に飢えているわけではないようだ。
「はっきり言わないと分からないでしょうが」
ちょっとだけきつめの口調の亜希はハマちゃんの頭に握り拳をぐりぐりと擦りつけた。ハマちゃんは痛そうに顔を歪めて亜希の攻撃に耐えている。
「こら亜希、そんなことしなくたっていいでしょ。痛がってるじゃん」
「なっ、なによ……」
時々乱暴になるのが亜希の悪いところだ。風邪を引いてちょっとはしおらしくなってるかと思ったけど何も変わってない。
「私が休んでる間にハマちゃんとずいぶん仲良くなったみたいじゃん。ふんっ、よかったね!」
私に怒られたのが気に入らなかったのか、亜希はそれだけ言い捨てると教室を出てどこかへ行ってしまった。追いかけようとも思ったけどハマちゃんが膝に座ってるせいで席から離れられない。
まあ、しばらくしたら戻ってくるよね。
「ところでハマちゃん、さっきからどうしたの?」
「……くすぐって」
「え?」
耳を疑った。ハマちゃんの言葉を聞き間違えた気がして疑問形の声を返すと、膝の上のハマちゃんは恥ずかしそうにもじもじしながらまた口を開いた。
「くすぐっても、いいよ……」
一体どういうつもりだろう。この前は夕方になるまでくすぐり続けたせいで、いざ帰ろうという時にはなかなか立てなくなってしまったほどのダメージを受けたはずなのに、今度は自分からくすぐってほしいだなんて。
「あのね、普通にくすぐるんじゃなくて、ちょろちょろって触るだけでいいの」
「それって、こんな風に?」
私は指の腹をハマちゃんの脇に当て、そっと撫であげる。
「はぁっ、んんっ……もっとして……」
まるで貪るように私のくすぐりを堪能している。すっかり癖になってしまったようだ。
ハマちゃんの喘ぎ声にクラスメイトが注目している。
なんだかすごくいけないことをしているような気がするんだけど、このまま続けてていいのかな……。
「今度はあれして。耳にふって吹くやつ」
言われた通り、私はハマちゃんの耳に口を近づけて、葉っぱも飛ばないくらいの弱い息を吹きかける。
「はぁん」
まあ、ハマちゃんは楽しそうにしているし、別にいっか。
休み時間が終わると、ハマちゃんはぼーっとした顔とふらふらした足取りで自分の席に戻っていく。大丈夫かなぁ。
授業が始まってしばらくすると、後ろの席から亜希が声をかけてきた。
「キィ、キィ」
「なぁに」
私が板書をテキパキ書き写していたのもお構いなしにひそひそと話を続ける。
「あんたさ、自分が何やってたか分かってんの?」
「何のことよ」
「キィがやってたことは、ABCで言うとBなのよ。それを女子相手に、しかもこんな人前でするなんて!」
「?」
前にハマちゃんとMがどうのって話をしたことがあるけど、それと似たようなことだろうか。
「ハマちゃんがねだってきたのかもしれないけど、自重しなさいよね」
「う、うん」
やっぱりいけない行為だったみたい。亜希の言う通り、もうハマちゃんの身体をさわさわするのはやめることにする。
ハマちゃんの鳴き声、結構好きだったんだけど。
放課後になるやいなや私と亜希は二人で教室を出て行った。ハマちゃんが物欲しそうな顔で私のことを見ていたので、バイバイと軽く手を振ってから行く。
やがて屋外プールの近くまでやって来る。プールの真下は更衣室で、その周りを歩いて行けば更衣室の壁と学校の敷地を囲う塀の間に隙間を見つけることができる。道にしては細すぎるそこを奥へ入っていけば教室一つ分くらいの空間が広がった。
ひょっとしたら何かに使うために用意されたスペースなのかもしれないけど、相変わらず木が一本といくつかの茂みがあるだけで他には何も無い。やっぱり大工さんの設計ミスかも。
「ここに来るのも久しぶりだなぁ」
「私は今朝来たばかりよ」
亜希が茂みに隠してあった鞄から物を取り出している。手に持ったのは私を縛るための縄の束だ。
いつもは一つだったそれが二つに見える気がする。
「とうとう手に入れたのよ。キィもお待ちかねの新しい縄をね」
とっても嬉しそうで得意げな顔だ。まるでバッタを拾ってきたちびっこのよう。
縄を広げて私に迫ると、胸のあたりにぐいっと押しつけてくる。心臓がドキンっと跳ね上がった。
「早く言いな。私にどうしてほしいの」
見た目は細くてしなやかだけど、身体に巻きつけられるとどんな力持ちでも抜けられない。自由を奪われたら最後、誰にも抵抗できなくされてしまうんだ。
「何も言わないなら、私は何もしないわよ」
亜希の目がこの上なく意地悪に笑った。手に持った縄で頬を撫でられる。こんなにおちょくられて悔しいはずなのに、どうしても胸が高鳴って止まらない。
緊張するあまり息が詰まってしまう。最近はご無沙汰だったせいなのか、縄を見た時から興奮が止まらない。
私はやっとの思いで自分の気持ちを絞り出した。
「その縄で、私の身体をがっちりと……絶対に動けないように縛って」
「任せて」
途端に亜希は私の手首をつかみ取り、背中に無理やり回させた。力尽くで無力な体勢をとらされたことに驚いたのも束の間、流れるように手際よく縄を巻きつけられる。そのうえさらに胸の上や下に縄を掛けていき、まるで接着でもされたかのように、腕が背中にくっつけられてしまった。
さっきまで自由だった腕が動かない。抵抗する気なんて最初から無いけど、あったとしてもこれだけ動けなくされてしまえば諦める。それだけ厳重な縛めだった。
身体が熱くなる。こんな目に遭っているのに、どうしていつも喜んでしまうんだろう……。
「なーに顔赤くしてんのよ。治った風邪が感染ったわけでもあるまいし」
亜希は花柄模様のレジャーシートを地面に広げながら言った。すると私の背中を支えてゆっくり座らせる。両足の靴を脱がしてくれると、スカートのポケットに突っ込んでいたもう一つ縄束を取り出した。
「今日はここからが本番でしょうが」
いよいよと思った。亜希は私の足首をその縄でしっかり束ねると、縄尻を膝まで持ってきて縄を掛ける。
「んっ」
次はスカートをたくし上げて太腿を締めつけられる。そうやって脚の三箇所を縛られた。
「変な声出しちゃって、どうしたの?」
太腿を縛る時、亜希が腿と腿の間へ無遠慮に手を突っ込んだからだ。平気でそういうことができるんだから、デリカシーが無いというか何というか。
「なんでもないからっ。もう……」
とりあえず脚を動かしてみる。自由に動けないのはもちろん、これでは立つことさえままならない。右足を曲げれば左足がついてくるし、左足を上げれば右足もつられてしまう。
縄のぎちぎちと軋む音を聞いていると、心臓の鼓動が強くなり、頭がだんだんぼーっとなり始めた。
「それにしても、遅いわねぇ。何やってんのかしら」
亜希が何か言ってる。よく理解できなくて、そのうち考えることをやめた。
あれだけしなやかだった縄が固く身体に食い込んでいる。その感触が全身を這いまわっているせいで、他のことなんてまともに考えられない。
すっごく、気持ちいい……。
「あ、来た来た。先輩、早く早くっ」
「亜希ちゃんったら、あんまり無茶言わないでちょうだい。これ借りるの大変なんだから」
華宮先輩だ。壁と塀の細い道から先輩がやってきた。亜希に呼ばれてきたのかな。
「その辺に関しては後でいくらでも労うから、早く! 今縄酔いしてていいとこなのっ」
「あら本当。これは撮らなきゃ損ね」
先輩は手に持っていた機械を操作したかと思うと、それを私に向けてきた。
機械にはレンズが付いている。よく見たらそれはビデオカメラだった。
「や、やめ……何やってるんですかっ、撮らないでください!」
眼鏡越しに片目でカメラを覗きながら、もう片方で切れ長の瞳が笑ってる。
こんな姿、記録になんか残されたくない。もしかしたら全く関係ない誰かの目に届いてしまうかもしれないのに。本当は絵にされるのだってすごく恥ずかしかったのに、映像にされるなんて耐えられない……!
「可愛いわ……いい、すごくいい……もっとよがってごらんなさい、キィちゃんの全部を撮り尽くしてあげる」
考えてみれば私のスカートは亜希にたくし上げられたまま、太腿の全てを露出してしまっている。下着こそ見えていないだろうけど、カメラを逃れようと動いてしまったら確実に粗末なものを写されてしまうっ。
「亜希……」
私は亜希にカメラを止めさせようと声をかける。だけど亜希はフェイスタオルを手に持って、それを軽くねじり上げながら私に近づいていた。
「ほら、口を開けて」
猿轡で言葉を封じる気だ。そんなの嫌だ。亜希の悪戯がエスカレートした時、喋ることができなきゃとても止められない。
私は唇を固く食いしばって抵抗する。諦めてくれるまで口なんか開けるもんか。
燃える決意とは裏腹に、次の瞬間には口を開けてしまっていた。不意に背後から伸びてきた手が私の脇腹を刺激をしたのだ。
「あっあははははははっ」
私をくすぐった犯人が華宮先輩だと知った時には、既に私の口は猿轡で塞がれていた。
「むううううっ!!」
しまった……。
「先輩、ナイス」
「亜希ちゃんもね」
なんなのよそのコンビネーションは。よく口喧嘩してるくせに、こんな時ばっかり仲良くなっちゃって!
「そんな怒ったような顔しないでよ。安心して。前みたいにキィを晒し者になんかしたりしない」
亜希が耳元で囁いた。泣いた子供を落ち着けるように、私の髪の毛を手櫛で整えながら話を続ける。
「あくまで私達三人の間で遊ぶだけ。キィの服を脱がしたり、裸を動画に撮ったりなんて酷いことも絶対にしないから。ね?」
「う……」
これだけ真剣な亜希の言葉まで疑う気は無い。そんなに言うなら、大人しくこの身を任せてみようかな……。
「だけど、ちょっとした悪戯くらいなら許されるわよね?」
言いながら亜希の手が私の両肩をそっと押して、レジャーシートの上に寝かされてしまう。シート越しと言えど地面は固くてちょっと身体が痛い。
こんな風に押し倒したりして、亜希は何をするつもりだろう。
「キィがあんな教室の真ん中でハマちゃんにしていたことなんだから……文句は無いでしょ」
亜希の指が脇腹に触れられた。
「ふうっ」
一瞬だけ笑い声が出てしまう。だけど亜希の手つきは私をくすぐるつもりなんか無いようで、私の身体を指だけで撫で回している。
思わず身体をのけぞらせてしまうほどの刺激が走った。
「むうっ、んっ、ああん」
身動きできないだけに刺激をどこへも逃がすことができず、体内で耐え難い感覚が暴れ回っている。こんなのを繰り返されたらおかしくなってしまう……。
「あむううっ!」
お願い、やめて!
身体に触れるか触れないかのところで撫でられてるだけなのに、それがこんなにもつらいなんて。ハマちゃんは私が与えた拷問にも思えるこの仕打ちを何時間にも渡って耐えてたんだ……。
「キィもくせになっちゃうかもね。基本的にマゾなんだから」
「ううっ」
そんなこと言わないで。亜希の言葉に、マゾの一言に反応して、この異常な感覚はさらに膨らんだように思えた。
自分でも自分の状態をろくに理解できない。だけど一つだけ分かることがある。
昇ってくる。底の底から私を狙って、正体不明の感覚が急激に追いかけてきている。
「うっ、むうううう……っ!」
逃げなきゃいけない。そう思っているのに、逃げられない――。
「亜希ちゃん、それ以上は駄目っ!」
先輩の叫ぶ声が聞こえた。それを打ち消すような甲高い声が、私の喉から放たれる。
「んあああああああああああああああああああああああっ!!」
私を襲う刺激は絶頂を越えた。
身体がヒクヒクと震えている。顔を左右によじらせると、地面と結び目が擦れてタオルが取れた。
「はぁ、はぁ……なに、これ……こんなの初めて……」
亜希の手が離れている。
宙に浮いているような気分だった。あまりに気持ち良くて、しばらく余韻に浸っていた。
味わったことのないものが身体の中を満たしてくれる。縛られた先にこんな世界があるなんて信じられない。
ふと思った。もしも亜希と出会っていなかったら私はどうしてこの幸せを手に入れられただろう。もっと欲しい。いつまでも亜希の手を感じていたい。
「キィ、大丈夫……?」
亜希を見つめる。なんだか不安そうな表情をしてるので、私はにっこり笑って見せた。
「もっとやって」
肩で息をしながら青空を仰ぐ。もう退屈なんてありはしない。そんなもの、この身の自由と一緒に捨ててしまった。
鳴りやまない鼓動に耳を傾けて、私はそっとまぶたを閉じた。
――まだ、ドキドキしてる。
以上でこのお話を終わります。
SMにもっとライトなイメージが定着しますようにと願って書いた小説ですが、いかがだったでしょうか?
ここまで読んでいただいてありがとうございました。また何か書くと思うので、その時はよろしくお願いいたします!




