3・・・1日目:ゼストレイド=スヴェトラーナ
夜が明けた。
本日は快晴なり。
……爽やかに晴れ渡る魔界の空を見上げるマルセルの胸の内は、魔王が臍を曲げた時の空の如き、暗雲立ち込めた色で占められてはいるが。
朝からマルセルは大変だった。予定していた起床時間よりものすごく早くに執事に起こされ、侍女達が寄って集って、やれお肌の肌理が細かくて羨ましい、やれ奥様譲りの御髪のなんと光り輝いて美しいこと、だの言いながら、マルセルが頼んでもいない見合いの為の身支度を終わらせた。
言わずもがな、母ニコレッタの差し金である。
襟の高いミッドナイトブルーの上下の襟や裾、合わせ目に施された金の刺繍が歩く度に揺れて、侍女や屋敷の外で待ちうけていた御者にため息を吐かせ、煌めく金髪と一部で美人と称される貌は、見合いの場所に設定された庭を持つ屋敷の人々を釘付けにした。
「流石は女であれば傾国の姫もかくたるや、と囁かれるウェイセンフェルトのマ」
血が飛んだ。
うっかりと心の声を口にしてしまった品性に欠ける使用人(男)は、その瞬間女主人に首を飛ばされた。
心配御無用、胴から首をブッた斬られたくらいで大抵の魔族はすぐに死にはしない。ただしこの男はこの瞬間、肉体的にだけではなく社会的にも「首を飛ばされた」わけだが。
平謝りする女主人に案内されながら、こそこそと自分を見る目に閉口しつつ、花と緑がうつくしい中庭にセッティングされている白いテーブルセットへと通された。
マルセルはここまでで既に疲労困憊していた。
これなら城で上司相手に書類の催促をしている方が10倍は楽だと思える。
「朝から一度も母上を見なかったということは、恐らくこの屋敷の、この庭がよく見える部屋の窓にでもへばりついてこちらを観察しているに違いない……この屋敷の奴等にも見合いのことは伏せると約束した筈なのに、何故こんな「いかにも」な中庭の茶席!」
「まあ、夫人は私達の「お見合い」がみたいのですから、仕方ないですねぇ」
ブツブツと一人呟いていたマルセルに応えを返してきたのは、本日の見合い相手、ラーライン卿ことゼストレイド=スヴェトラーナ侯爵ご本人だった。
「ご無沙汰しております、ラーライン卿」
「ええ、お久し振りですね侯爵……ええと、マルセルとお呼びした方がいいかな」
「ああ…そうですね、クマ男と被るのは困りますし」
「ははは!お父上を熊呼ばわりとは、ふふふ」
挨拶と握手を交わしながら穏やかな笑顔をみせる男は、マルセルが最後に会った時と変わらなかった。父親よりも赤みの落ち着いた赤茶の髪。前髪を緩くサイドに流したその下の肌はやや青白いが、涼しげな彼の美貌にはよく合っている。
敢えて以前との相違を挙げるならば“男の艶が増した”だろうか。
穏やかさの中に、以前にはあまりみられなかった、狡猾さ…妖しさのようなものがマルセルには感じ取れた。
「私のこともゼストでいいですよ。知らない仲でもないのだし、堅苦しいのはご免です」
言いながらラーライン卿…ゼストは椅子には座らず、ティーポットを手にしてお茶の準備をはじめてしまう。
それに気づいたマルセルはすぐに謝った。
「っすみませんゼスト、先に席に着いた私がするべきところでしたのに」
予め辺りの人払いがなされているのは双方わかっていた。建前、「内密の会合」あたりにされているのだろう。
ゼストレイドは茶器に目を向けながら小さく笑う。
「いえいえ、屋敷では普段から自分でやっていることなので気にしないで。あんなラーラインなんて辺境にいるからお客もそう来ないし、こんな時こそ腕を奮っておかないと」
ラーラインは隣国との国境を目前に控える、西の辺境地域である。
かつては国境争いが絶えず、防衛の要のひとつとされ、隣国と不可侵の約束を交わした今もそれは変わらない。爵位持ちの中でも実力があり、且つ、真に国を愛する者が配され続けた場所で、多くは社会的な地位から勇退、隠居した大物などが終いの住処にと移っていった土地なのだが、ゼストレイド=スヴェトラーナは、若くして伴侶も持たないままラーライン領に移り住んだ「才ある奇人」といわれている。
「いくらかの使用人は雇っておられるのでしょう?」
丁寧に差し出された茶に礼を述べつつ、疑問を口にする。
「まあいないこともないけれど、信用出来るごく僅かだよ」
私も命は惜しいからねえ、と椅子に腰掛けながらゼストレイドがのんびりと続ける。
「……「世間話」をご希望ですか」
「そう、見合いついでにね」
マルセルが即座に結界を張り周囲の空気が遮断される。
「助かるよ。君程の腕がないと、高位魔族以外には判らない程の結界を瞬時に張る、なんてできないからね」
そこらの一般魔族が視ればおそらく「マルセルとゼストレイドがのほほんと挨拶を交わしながらお茶をしている」光景だが、実際は幻だ。結界が解除されるまで、一定の時間の残像を延々と繰り返し再生されている状態、そして「それに気づかない」よう、視た者にかかる幻術オプション。
マルセルのように結界を張り、幻術を操り、空気振動による音声伝達を断つという複数の事を「瞬時に」行えるのは、実力と才能が比例した者だけであり、それを正しく視破れるのも、魔力が濃く、高く、微細な魔力の流れを読み取れる実力と才能がある者だけである。
「毒に弱いわけではないのだけど。たまにエグいものを混ぜてくれる子がいたりするものだから、好きなお茶だけは自分で淹れるようになってね」
それを聞き、毒物系にすこぶる強いマルセルは、先に黙って茶を一口飲んでからゼストレイドに勧めた。毒もなにも混ざっていない、微かに花の香るお茶だった。
「難儀なことですね」
「そうでもないよ。御蔭で君にこうしてお茶を淹れてあげられた」
にこりと微笑んでそう言ったゼストレイドにマルセルは白い目を向ける。
(こいつ、僕とどうこうなりたいとか言わない、まともな野郎じゃなかったのか?口説きたいならそこらの餓えた雌共にしやがれ。僕は姉上にお茶を淹れてもらいたいっつうの)
「……母の戯言にわざわざ付き合わずとも、クマ…我が父にお会いになれば宜しかったと思うのですが?」
「侯爵ご本人だけならなんの問題もなかったのだけどね。余計なのが付いてくるのが面倒でねえ……」
行儀悪く頬杖をつくゼストレイドの瞳が此方を見る。彼の瞳は琥珀色なのだとマルセルははじめて気がついた。
………以前も琥珀色、だったろうか?
「父の秘書官のピュストルあたりですか」
問うと、ゼストレイドが微笑んだ。
「残念ながらもう一人、副官のザムス伯爵もです」
はああぁぁぁ……、とマルセルは大きく息を吐いた。
人界に限らず人事には金が動くものである。魔国も然り。一人を廃し、一人を配す、それだけの為に何枚の書類と労力と経費が必要か。
それがよりにもよって、宰相・ウェイセンフェルト侯爵付きの秘書官に、副官。
「……なにが起きているのですか」
声がぶすったくれるのは許してもらいたかった。マルセルの頭の中は今、そう遠くない未来に捌かねばならないであろう書類と、その催促と、経費交渉が3割、姉4割、そして残りの3割は帰ったらとりあえずクマ男をブッ飛ばすことで埋まっている。
(判っていて放し飼いにしてんだかどうだか知らないが僕の迷惑なんだよクマ男!!!)
恐らくその科白を正面から言えば、クマ男はショック死するだろう。
「謀反、国家転覆の企て有り、ってとこですかね。赤の魔国の貴族が後ろ盾のようで」
ゼストレイドの指先はお茶請けに出されているクッキーを摘まんで玩ぶ。
赤の魔国の領土はラーライン領の目と鼻の先。
「成程、貴方がラーライン卿になられたのはそのためですか」
「半分くらいはね。ウチの「出張」する連中が出入りしやすい処がいいなあ、と思って。みな、共に育ったので心配なのですよ。怪我してないかなあとか、食事は摂れているだろうか、とか。
君も姉君のことは気になるでしょう?」
……姉の話が絡んだマルセルは水を得た魚状態になりやすいため要注意である。
たちまち彼の二つの眼がキラキラキラキラ…やたら輝いた。
「勿論ですとも!しかし我が愛しい姉上はあらゆることに完全且つ万全な方ですので私が気にする暇もありません。少々懸念すべきは姉上に集る虫ケラですが姉上と私は固く愛と信頼で結ばれているので仮令王女であろうがタラシの上級淫魔だろうが大した障害にもなりませんよ」
「すばらしい」
ゼストレイドは微笑みを浮かべながらマルセルのドヤ顔ノンプレスマシンガンにその一言を返し、そして言った。
「ならば裾を引かれるのは君だろうね、マルセル」
「………は、?」
「父は宰相、姉は魔剣士団長、そして君本人はこの国の財布を預かる財政省の長官お抱えの精鋭一級文官。君一人取り込むだけで、政治、武力、経済を混乱させることが可能だ」
マルセルの周囲の温度が明らかにどっと下がった。彼の魔力が、白い大蛇がとぐろを巻いているように渦巻いていく。姉はマルセルの言う事をなんでもホイホイと聞く―――そのように言われた、姉が侮辱を受けた、と解釈したのだ。
マルセルは、父母も己も如何に誹られようとかまわないが、姉に関してだけは電波並だ。褒められたことではないが。
「姉上を愚弄する気ですか」
「いいや、君に粉をかけようと考える輩が愚かだ、ということさ」
睨みつけるマルセルの口元に、ゼストレイドは摘まんでいたクッキーを差し出した。
マルセルは青筋を浮かべる。
「宰相殿は……まあ並の奴なら取り込もうなんて自殺行為はまず考えないね?姉君は王女殿下が大層ご執心だ。ある意味それが防御壁となって迂闊に手は出せない」
「……舐められたものですね」
「仕方ないさ。付いている眼が粗悪品だから、姉君に夢中な年若い君は巧くやれば御しやすい相手だろう、と思い込む。そういう輩に限って“取り込むついでに美貌の上級魔族と関係を持ちたい”とも思ったりするだろうし……ねえ?」
うげ。
マルセルの顔が苦虫を潰したが如く歪んだ。魔力のとぐろは既に霧散している。
「ゼスト、あんた僕の見合いの話を、向こうに流したりしていないだろうな」
「しませんよ?」
にこやかに返すゼストレイドの指先は、依然、クッキーを突き出したままだ。
……食えというのか。
「そんな“無駄なこと”はね」
「……………」
どういう意味だ。
遅かれ早かれ向こうからの接触はあるだろうから、まあ適当に。
……というオチで、見合いという名の会合……野郎の密会、という名の見合いは終わった。
「姉上の耳にだけは入れないよう母上にもう一度釘を刺しておくべきか…」
「おや、姉君には内緒で来たのかい?」
ぐったりと萎れているマルセルをきょとんとした目でみたゼストレイドは本心から意外そうだ。
「当たり前です。母上の趣味とはいえ、婚約者の僕が男と見合いした、なんて姉上が知ったら……」
「知ったら?」
「姉上は僕が同性を好きなんだと思って男性体になる!わかりきっているから余計知られたくないんです!」
やけくそ気味に言ったマルセルの目線はどこか他所を向いている。
「別にいいじゃないか?姉君は、性別固定がされない、珍しいタイプだったよね。説明して女性に戻ってもらえばいいだけだろう?」
「母上と王女がみたら暴走する!!」
「あー……」
なるほど、と、空を仰いでゼストレイドが呟いた。
マルセル達家族は何度か見たことがあるのだが、姉の男性体はすこぶるつきの美青年だ。母ニコレッタが男性体同士で結婚しなさい、と二人に言いだし、危うくマルセルと血で血を洗う親子喧嘩に発展しそうになった……のは家族の記憶にそう遠くない。
ちなみにこの時は姉が「たまにならまた男になってあげるから、落ち着こうか」と母を諫めて収束した。
王女は見たことがないのが幸いだ。見ればきっと無理矢理婿に!と実力行使→魔族間抗争に発展→終いに国家瓦解となりかねない。
「でも、バレるより先に説明しておいた方がいいと思うよ。同じ嫉妬を抱くのでも、事情を知っているのと知らないのとでは違うから」
「嫉妬……だと?」
「え?」
「姉上がししし嫉妬だなんて!そんな美味しいことをしてくれるだろうか是非見たい味わいたい!」
けっこう大事なことを言っているゼストレイドそっちのけでマルセルは一人萌え状態である。
すっかり茶の席からも離れて舞い踊っているマルセルをなんとか宥めすかすことに成功したゼストレイドは、さすがに苦笑いを浮かべた。
「やれやれ、好きすぎるのも困りものだね」
すっかり長居しすぎた二人は、いい加減お開きにしよう、となった。
結界を解き、暫くは王都で遊んでいるから、というゼストレイドと握手を交わしたマルセルがさあちゃっちゃと帰ろうと足を踏み出したところへ、後ろから「あ、」という声が聞こえた。
振り向くと、琥珀色の瞳と目があう。
「そうそうマルセル、良かったら君の血をもらってもいいかな?
領地に居ると、なかなか若い子の美味しい血って味わえないんだよねえ」
マルセルは思い出した。
ゼストレイド=スヴェトラーナは吸血種族だということを。
ゼストとお姉ちゃんと似ているところは温和なのにさり気に強気なとこだと思われる。




