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『「絶対に好きにならないでね」と契約結婚したはずのクールな美少女妻が、毎晩俺の寝顔にキスしているのを知っているのは俺だけだ。〜両片思いのジレジレ甘々同棲生活〜』  作者: 藤原朝臣御神常陸介釋寛浩


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第22話 寝不足と微熱

 体調が悪いと認めるのは、意外と難しい。


 特に、朝の時点ではまだ普通に立てるし、食欲もあるし、熱があると決まったわけでもない場合はなおさらだ。


 ただ、のどが少し引っかかる。


 体が少し重い。


 頭の奥がぼんやりする。


 それくらいなら、たぶん寝不足で片づく。


 俺はそう判断した。


 少なくとも、自分ではそう判断した。


「高坂くん」


 朝食の席で、凛音が箸を止めた。


「ん?」


「声、少し変」


「そうか?」


「昨日より低い」


「寝起きだからじゃないか?」


「寝起きでも、いつもはもう少し普通」


「俺の声の通常値まで把握してるのか」


「観察」


 凛音は真顔で言った。


 俺は味噌汁を飲みながら笑いそうになる。


 でも、笑うと喉が少し痛んだ。


 それを誤魔化すように、もう一口味噌汁を飲む。


「大丈夫だよ。ちょっと寝不足なだけ」


「昨日、ちゃんと寝た?」


「寝た」


「何時間?」


「……たぶん、そこそこ」


「具体性がない」


「七時間くらい?」


「それは嘘」


「即断?」


「目の下」


「そんなに出てる?」


「少し」


 凛音の言う「少し」は、だいたい「かなり」の手前くらいだ。


 俺は苦笑して卵焼きを口に運んだ。


 今日は甘さが控えめだった。


 風邪気味の喉には、これくらいがちょうどいい。


 ……いや、風邪気味ではない。


 ただの寝不足だ。


「食欲はある?」


 凛音が聞く。


「ある」


「卵焼きは?」


「うまい」


「味、わかる?」


「わかるよ。今日は少し控えめ」


 そう言うと、凛音は少しだけ安心したように息を吐いた。


「なら、まだ大丈夫ね」


「まだって何だよ」


「経過観察」


「俺、患者扱い?」


「予備患者」


「嫌な分類だな」


「早期発見は大切」


 凛音はそう言って、俺の湯飲みに温かいお茶を足した。


 何気ない動きだった。


 でも、こちらが頼む前にそうしてくれるあたり、やっぱりよく見ている。


「今日は水分を多めに取って」


「はい」


「のど飴、いる?」


「持ってるのか?」


「ある」


「なんで?」


「……生活管理」


「俺の喉まで管理対象なのか」


「同居人の健康は、生活維持に関わるから」


 凛音は少しだけ視線を逸らして言った。


 言い方は堅い。


 でも、心配してくれているのはわかる。


「ありがとう。でも本当に大丈夫」


「無理はしないで」


「わかってる」


「高坂くんの『わかってる』は、たまに信用できない」


「けっこう厳しいな」


「事実だから」


 朝食を終え、いつも通り時間をずらして家を出た。


 玄関で靴を履いていると、凛音が小さな袋を差し出してきた。


「これ」


「何?」


「のど飴」


「本当にあるんだ」


「あと、予備のマスク」


「準備よすぎないか」


「たまたま」


「間違えて多く買った?」


「……そういうことにしておく」


 凛音は少しだけ目を逸らした。


 俺は袋を受け取る。


「ありがとな、凛音」


 家だから、そう呼んだ。


 凛音は一瞬だけ固まったけれど、すぐに小さく頷いた。


「……行ってらっしゃい」


「行ってきます」


 いつものやり取り。


 それが今日は少しだけ、いつもより温かく感じた。


     ◇


 学校に着いたころには、体の重さは少し増していた。


 電車の中が妙に暑かったせいかもしれない。


 あるいは、朝から少し気を張っていたせいかもしれない。


 教室に入ると、佐野がすぐにこちらを見た。


「高坂」


「何」


「顔色悪くない?」


「そうか?」


「悪い。昨日の二秒見つめ合いで魂抜けた?」


「違う」


「声も変だぞ」


「寝不足」


「お前、最近ずっと寝不足って言ってない?」


 返す言葉に困った。


 それはそうだ。


 実際、最近ずっと何かしらで眠れていない。


 寝たふり耐久戦。


 名前呼び練習会。


 告白目撃。


 好きな人がいる発言。


 全部、健康的な睡眠には向いていない。


「大丈夫だって」


「本当かよ」


「本当」


「無理すんなよ。今日体育ないけど、顔やばかったら保健室行け」


「お前に心配されると変な感じだな」


「殴るぞ」


「元気出た」


「それはよかった」


 佐野は軽く笑った。


 けれど、その目は少し心配そうだった。


 一時間目、二時間目。


 授業は普通に受けられた。


 ノートも取った。


 ただ、いつもよりペンを動かす速度が少し遅い。


 頭の回転が鈍い。


 休み時間に水を飲み、凛音にもらったのど飴を一つ口に入れる。


 甘い。


 はちみつ味。


 袋の中には、何種類か入っていた。


 俺の好みを考えたのか、それとも単に家にあったのか。


 たぶん前者だろう。


 そう思ってしまう自分が、だいぶ凛音に甘えている気がした。


 昼休み前。


 スマホが震えた。


 凛音からだった。


『体調は?』


 短い。


 でも、心配が詰まっている。


 俺は廊下に出て、周囲に誰もいないのを確認してから返信した。


『平気。のど飴助かった』


 既読はすぐについた。


『本当に?』


『本当』


『声が変でした』


『朝よりまし』


『熱は?』


『測ってないから不明。でも大丈夫』


 少し間が空いた。


 そして返事。


『大丈夫という人ほど、大丈夫ではありません』


 俺は思わず笑った。


 その瞬間、喉が引っかかって咳が出た。


「こほっ」


 小さな咳だった。


 でも、廊下の向こうで凛音がこちらを見ていた。


 移動中だったらしい。


 目が合う。


 学校だから、一秒。


 ……のはずなのに、彼女の視線は一秒では終わらなかった。


 心配そうな目。


 俺は軽く手を上げて、大丈夫だと示す。


 凛音は少しだけ眉を寄せた。


 学校でそこまで表情を出すのは珍しい。


 俺は慌てて前を向いた。


 まずい。


 このままだと、白川さんに見られる。


 そう思った直後、やはり凛音の隣にいた白川さんがこちらを見ていた。


 完全に見られた。


     ◇


 昼休み。


 弁当箱を開けると、今日は卵サンドではなく、おにぎりと卵焼き、それから小さな野菜スープの入った保温容器だった。


 朝、凛音がいつの間にか鞄へ入れてくれていたものだ。


 いつもより消化に良さそうな内容。


 つまり、朝の時点で凛音は俺が体調を崩す可能性をかなり高く見ていたということだ。


「……すごいな」


 思わず呟く。


 佐野が覗き込んできた。


「今日、優しい弁当だな」


「優しい弁当って何だよ」


「いや、病人用っぽい」


「病人じゃない」


「じゃあ予備病人」


「なんでお前まで同じようなこと言うんだ」


「誰かにも言われたのか?」


「……別に」


「ふーん」


 佐野は怪しそうに俺を見た。


「高坂、午後きつかったら本当に言えよ」


「大丈夫」


「その大丈夫が怪しいんだよな」


「大丈夫って言葉、信用なさすぎないか」


「今のお前に関してはな」


 俺は苦笑してスープを飲んだ。


 温かい。


 野菜の甘みがあって、少しだけ生姜の香りがした。


 体が内側から温まる。


 凛音らしい味だった。


 それを考えた瞬間、胸の奥がじんわりした。


 ただ、同時に体のだるさも増した気がした。


 五時間目。


 眠気ではないぼんやり感が来た。


 黒板の文字が少しだけ遠い。


 ノートを取る手が止まりそうになる。


 佐野が横から小さく紙を送ってきた。


『保健室行く?』


 俺は首を横に振った。


 紙に返事を書く気力も少し面倒だった。


 それでも授業は最後まで受けた。


 放課後。


 鞄を持って立ち上がると、少しだけ頭が重くなった。


 机に手をつく。


「高坂」


 佐野がすぐに気づいた。


「やっぱり顔色悪いぞ」


「ちょっと疲れただけ」


「家帰れ。寄り道禁止」


「もともとしない」


「ならいい。送るか?」


「大丈夫だって」


「本当に?」


「駅まで普通に帰れる」


 佐野はしばらく俺を見ていたが、やがてため息をついた。


「無理だったら連絡しろよ」


「おう」


「あと、例の親戚にも言え」


「親戚じゃない」


 思わず言ってしまった。


 佐野の目が光る。


「へえ」


「……今のは忘れろ」


「忘れない」


「忘れろ」


「無理」


 しまった。


 体調が悪いと、口が滑る。


 俺は佐野の追及から逃げるように教室を出た。


     ◇


 帰りの電車は、いつもより長く感じた。


 座れたのは幸いだった。


 窓の外の景色が流れていく。


 頭が少し熱い。


 スマホが震える。


 凛音からだった。


『帰っていますか?』


『帰ってる』


『寄り道していませんか?』


『してない』


『顔色が悪かったです』


『佐野にも言われた』


 すぐに返信。


『帰ったら熱を測ってください』


『了解』


『測るまで、夕食の相談は禁止です』


『厳しい』


『健康優先』


 俺はスマホを見ながら、小さく笑った。


 凛音らしい。


 でも、その細かさが今はありがたかった。


 駅からマンションまで歩く道のりが、今日は少し遠い。


 足取りが重い。


 のどの奥が熱い。


 これは、もしかすると本当に風邪かもしれない。


 そう認めた瞬間、急に体が余計に重くなった。


 人間の体は、気持ちに影響されすぎる。


 マンションに着き、エレベーターに乗る。


 壁にもたれそうになって、なんとか踏みとどまった。


 大丈夫。


 部屋まであと少し。


 玄関の前に立ち、鍵を出す。


 指先が少しだけもたついた。


 鍵を開ける音。


 扉を開ける。


「ただいま」


 いつも通り言ったつもりだった。


 でも、声が思ったよりかすれていた。


 リビングの方から足音がした。


 凛音がすぐに出てくる。


 制服のまま、エプロンもつけていない。


 たぶん俺の帰りを待っていたのだろう。


「おかえり」


 そう言った凛音の顔が、すぐに険しくなった。


「高坂くん」


「大丈夫。ちょっと疲れただけで」


 靴を脱ごうとして、視界が少し揺れた。


 あ。


 と思ったときには、体が横に傾いていた。


「高坂くん!」


 凛音の声が近くで響く。


 次の瞬間、細い腕が俺を支えた。


 思っていたよりも強い力だった。


 俺は玄関の壁に手をつきながら、なんとか倒れずに済む。


 凛音の顔が、すぐ近くにあった。


 いつもの無表情ではない。


 完全に心配している顔。


「ほら」


 凛音の声が震えている。


「大丈夫じゃない」


「……悪い」


「謝る前に、座って」


「うん」


「熱、測るから」


「はい」


「はいは一回」


「……はい」


 いつもの返しをしたつもりだったのに、声に力が入らなかった。


 凛音は俺の腕を支えたまま、ゆっくりリビングへ連れていく。


 その手は少し冷たくて、でもとても頼もしかった。


 俺はぼんやりした頭で思った。


 これはもう、完全に看病される流れだ。


 そして、たぶん。


 凛音は絶対に手を抜かない。

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