番外編
◇◇◇◇
ゴステア城をあとにし、帰都して10日目の夜。
やれやれ、とばかりにフレイアはベッドにダイブした。
野営のテントでもなく、攻略されかかった城のベッドでもない。
公都にある城の、自分用のベッドだ。
(ようやくここで眠れる……!)
戻ってきたというのに、事務処理が忙しく、会議室で仮眠をとったり、移動の馬車の中でウェイドにもたれて眠ったりの日々がまだ続いていた。
枕に顔を押し付けると、懐かしい匂い。
メイドたちがベッドメイキングした後、枕の中にラベンダーの香袋をいれてくれれている。これは幼いころから変わらない。
(姉上のところは、特別に調合した香袋だったっけ……)
ふとそんなことを考えるのは、今日、姉の元婚約者を、こっそり姉の墓の隣に埋葬できたからだろうか。
帰都する途中で宰相と合流し、公都に戻ったのだが。
そこからは怒涛の忙しさだった。
まずは公国民にたいしての戦勝報告。対外的な戦勝報告。当然、セジェルからは異議が唱えられたが、それ以上のことをしてはこなかった。
そのあと、姉の葬儀、埋葬。
宰相と外務大臣はセジェル王国に対して保障問題や、今後の関係性についての会議を提案。それは早速受理され、近々開催される予定だ。
(……スムーズに物事が進みすぎているのが怖いな)
ハドリアヌス王がなぜいきなり撤退したのか。
その理由は、どうやら国内においてなにかが発生し、その対応のためのようだが。
その内容が気になる。
(まあ……。情報が集まり次第、というところだな)
いま、軍務大臣と外務大臣に命じて密偵を放ち、様子を探っているところだ。
それよりもなによりも、国内立て直しの方が急務だ。
そんなことを考えていたら。
急にがちゃりと扉が開いた。
フレイアはうつぶせたまま、亀のように首だけ起こす。
姿を見せたのはウェイドだ。
「あ、大公。いたのか」
にこりと笑う彼に、フレイアは顔をしかめた。
「ここは私の寝室だ」
「俺たちの、だろ?」
まあ、そうか。
そう考えなおしている間に、ウェイドはさっさとベッドに近づいてきた。
ごろりとフレイアの隣に横になる。
重みで少しベッドが傾いだ。
「仕事、落ち着いたか?」
肘枕で尋ねられた。
彼も入浴を済ませ、すっかりリラックスモードだ。
金砂をまぶしたような髪は潤み、シャツとズボンというラフな姿。
「ああ。そっちは?」
「こっちは二日前ぐらいからもう平常だ。明日から騎士たちは休暇」
そうか、とフレイアはうなずき、ウェイドと向き合うように横になった。
「メンフィス王に礼状はお送りしたが……。改めて礼にうかがわねばな」
彼と増援部隊を派遣してくれなければ、セシル城でうっかり命を落とすところだったのだから。
「喜ぶんじゃないか?」
はは、とウェイドは笑うと、腕を伸ばしてフレイアを抱き寄せる。
ふわ、と。
温かさに包まれた。
寝間着を通じて彼の胸板の厚さや、腕の太さを感じる。
フレイアも腕を動かし、彼を抱きしめる。
顔を彼の身体に押し付けて呼吸をすると、やっぱりミントの香りがした。
「殿下」
「ん?」
「殿下はどうしてミントの香りがするんだろう」
「俺? するか?」
いぶかし気な声。抱き着いているからくぐもって聞こえるが、その声が鼓膜に心地いい。
「うん」
「大公はあれだな」
言うなり、首元に顔をうずめてくるからくすぐったい。
「ラベンダーの匂いがする」
「それはこの部屋にいるからだろう? ちょ……。こそばゆい」
身をよじろうとしたのに、がっしりと抱きしめられて動けない。
ちゅ、と。
ウェイドはリップ音を立てて何度も首元にキスをした。ちく、と時折小さな痛みがある。
「跡をつけるなよ!」
「キスマークどころか、噛みつきたくなるな」
押し返すと、少しだけウェイドは腕を緩めてくれる。
だが、距離はほぼ無いに等しい。
鼻先がくっつく近さで彼はフレイアを見つめた。
その目が髪と同じく潤み、飢えたような、獣のような。そんな光を瞳の奥に宿している。
なんとなく。
フレイアは目をそらし、わざとうそぶいた。
「変態か」
「それぐらいフレイアの肌は柔らかくて気持ちいい」
はっきりと言われて、なんだか顔が熱くなる。
それが恥ずかしくて。
逃れようとするのにウェイドの腕は許してくれない。
仕方なく彼の身体に顔をうずめて隠そうとしたら。
唇を重ねられた。
最初は、いつものように軽いキスだった。
重ねては離れ。
まるで小鳥の求愛のように、ちゅ、ちゅ、と角度を変えて重ねあう。
だがそれは次第に。
深く、長くなっていった。
甘く食まれ、舌でなぞられ、やわらかく何度も求められる。
一度唇を重ねると、ずっとあわせているので。
息ができない。
合間に息継ぎするように、フレイアは呼吸をした。
ん、と声を漏らし、あ、と喘ぐと。
いつの間にかウェイドはフレイアにのしかかってきた。
「フレイア」
名前を呼ばれる。「ん」。はあ、と深く息を吸い込んだ。ふらり、と。どこか酔ったような気分で返事をする。
「出会えてよかった」
不意にそんなことを言われた。
フレイアはしばらく無言で彼を見つめる。
豪奢な金色の髪。夜明けの空に似た眸。すっと伸びた鼻筋。いつも笑みをたたえている唇。
その彼が自分を見つめ、言う。
「今日こそ、夫婦になろう」
と。
「そうだな」
フレイアも笑みを浮かべてうなずいた。
ウェイドは素早くシャツを脱ぐと、フレイアに覆いかぶさってくる。
彼の裸身は、まるで名工がつくりあげた彫像のようだ。
日焼けした肌も、引き締まった腕も。鍛え上げられた腹筋も。
どこか人間離れしているような気がするほど、美しい。
そんな彼の。
藍色の瞳に映るのは、自分だけ。
こんなに完璧な身体を持つ彼が、いま欲しているのは自分だけ。
不完全で、まったくもって彼とはなにもかもが違いすぎるのだけど。
そんなフレイアが欲しいのも、彼ひとりだった。
フレイアは腕を伸ばし、ウェイドの首に回す。温かい。彼の肌は温かく、心地いい。
そっと引き寄せると、彼はふたたび唇を重ねてきた。
彼の指がフレイアの寝間着を剥ぎ、肌にじかに触れる。不意に胸にふれられ、「ん……」と息が漏れた。
キスをしていたはずなのに、彼の唇はいつの間にか身体のいたるところに花びらを落としていく。
その数が増えるにつれて、フレイアは熱いと思ったし、その熱に浮かされて声が漏れた。
殿下、なんだか目の前がくらくらする。
そう言ったのか、それとも感じただけなのか。
何度も何度も快感の波にのまれ、そのたびに溺れないようにウェイドの背中にしがみついた。
「フレイア」
果てるまで、彼は幾度も名前を呼び、「愛してる」と告げた。
それを。
いったいどれほど繰り返しただろう。
穏やかなのに、甘く、そして陶酔する夜の中。
フレイアとウェイドはゆっくりととろけていった。
その数時間後。
ふと。
フレイアが目を覚ましたのは、額になにかを感じたからだった。
ゆっくりと目を開く。
ぼやけた視界がしだいに焦点を結び、そしてウェイドと目が合った。
「……おはよう」
そう言うと、ウェイドがまぶたにキスをするからまた目を閉じることになる。
「すまん。寝顔を見てたら、前髪が邪魔で……。こう、そっとどけようと思ったら」
指があたって目を覚ました、ということらしい。
「人の寝顔を勝手に見るな」
言いながら、フレイアは彼の素肌に顔を押し付ける。
「いいじゃないか。夫婦なんだから」
「夫婦……」
……なんだよな、とついそんなことを考えたことに気づかれたらしい。
「まさか男の純情を弄んだのか⁉」
「いや、そうじゃないが」
「いまさら夫婦じゃないとか言うなよ⁉」
「夫婦、夫婦」
「軽い! 言い方が軽い!」
「気のせいだろう」
「いかん、これはいかん!」
言うなり、ウェイドはがばりと上半身を起こした。
「大公! 結婚式を挙げよう!」
「……まだそんなことを言っているのか」
シーツを引き寄せ、フレイアはあきれ顔でウェイドを見上げる。
「カネがかかる」
「カネがかかったほうがいい!」
「はあ?」
「そしたらあれだろう、大公! 『せっかくあんなにカネをかけたのに離婚するのもなぁ』とか思うだろ⁉」
「……………」
「思うんかいっ! まあ、それでもいい! 離婚の抑止力になるのなら、結婚式をしよう!」
「えー……」
「カネなら兄上からふんだくってくるから安心しろ! 俺の持参金もあるしな!」
言うなり、ウェイドはフレイアの頬にキスをひとつ落とすと、ベッドから立ち上がった。
さっさとシャツとズボンを身に着けると、「ロクラン!」と大声を張る。
「はい」
いつから廊下に控えていたのか、彼の声が聞こえるからフレイアはぎょっとした。
「カネの算段だ! 結婚式をする!」
「さようですか」
「宰相にも会合の連絡を!」
「宰相ならもうすぐこちらにいらっしゃるそうですよ」
「は⁉ 何用で!」
フレイアは慌ててベッドから立ち上がり、寝間着をかき集める。扉のむこうで、相変わらず平坦な声のロクランが答えた。
「ご報告したいことがあるとかなんとか。あと、殿下。本国から連絡も来ております」
「げ……。国王に、なんか報告忘れてたか?」
ウェイドが眉根を寄せる。
それを一瞥し、バサバサと服を着ながら、はあ、とフレイアは深くため息をついた。
初夜のあとだと言うのに、まったくもってゆっくりできない。
ほかの貴族のご令嬢もこんなかんじなのだろうか。
着替えながら顔を向けると、ウェイドと目が合った。
彼は愉快そうに笑う。
「大公は大変だ」
「だが夫と一緒だから半減だ」
フレイアは肩を竦めて笑った。
そう。
これからもずっと、彼と一緒なら大丈夫だ。
そんなことを思った。




