第27話 家族の愛と幸せと
㉗
王が崩御しメリエーラ公爵が新たな王となったと布告されたのは、それから二週間が経った頃だった。想定していたより早いのは、ルナの魔法が城の屋根を突き破るところを多くの国民が目撃していたからだろう。あれだけ派手だったんだ。長く誤魔化すことは難しい。
その布告を耳にしてすぐ、俺たちは王都を出た。ルナのおかげで顔は割れていないから、追っ手がかかるようなことはない。幸い神々も力を取り戻したルナを人間に捕らえさせようとはしていないようで、教会を通じての指名手配すらなかった。
容姿を頼りに情報を募ることくらいはしてくると考えていたけど、魔法でいくらでも誤魔化せるからな。無駄だって判断したんだろう。
だから、特に急ぐ必要は無い。一応は森を抜けた方が距離としては短いとしても、楽にいける街道を進めば良い。
そのはずなのに何故か、気がつけば森を進むルートを選んでいた。
「できたぞ」
頭上を木々が厚く覆う暗い森の中、オレンジ色に照らす焚き火の上で干し肉と干し野菜のスープを取り分ける。風が多少あるのは、まだ浅い辺りだからだろう。黒い柱状の影の隙間から月と星に照らされた王都の城壁が見える。その上の方にちらつく光は城の明かりだ。
「ありがとう。……私たちは別に無理にバランス良く食べなくてもいいのよ?」
「……それもそうだな。だけど捨てるのはもったいない。我慢して食べろ」
ルナは顔をしかめながら干し肉を一つ掬い、口へ運んだ。そしてすぐに鼻をつまんで息を止める。そうしたくなる気持ちは、凄くよく分かる。
「美味しいわ」
「涙目になってるぞ」
それだけ返して干し肉がなるだけ残らないように一気にかき込む。行儀は悪いが、こればかりはきっと母様だって大目に見てくれる。
「……臭いな」
「今度から誰かいるとき以外いれないで」
「そうする」
俺だってこれはあまり食べたくない。
「……バジリスクを討伐しに行った時を思い出すわね」
「そうだな」
あの時はルナの皿だけ肉を多めにして文句を言われた。俺も食べたくないし、ルークの分を多くするのも気が引けたから、一番気安いルナに押しつけたんだ。
あれから大して時間は経っていないのに、どうしてか酷く懐かしく思える。
「一応、今回は押しつけてはないからな」
「今回はって、やっぱり私の分だけ多かったんじゃない」
「あ、いや、……悪い」
失言だったな。言い方がまずかった。半眼で睨まれるのも仕方ない。あの時より圧が強いのも。
ルナは溜息を一つ吐き、まあいいわとスープを口に運んだ。肉は食べなかったのか、顔はしかめられていない。
今のやりとりをルークが見ていたなら、きっとまた兄姉みたいだと言うのだろう。羨ましがるのだろう。彼は、家族に愛されていないと思っていたから。
「あいつ、本人が思ってるよりずっと愛されていたな」
脳裏を過るのは、彼の兄と父の姿だ。母親は一言も話さないまま事故のような形で殺してしまったから、どう思っていたのかは分からない。
「ええ。今から自分を殺そうとしてる相手にお礼を言うだなんて、思いもしなかったわ」
「その子供達を殺したのも俺だっていうのにな」
いったいどういう思いでありがとうだなんて言ってきたのか。子供を持たない俺には分からない。子供を持っている人間でも、前世のくそ親父どもみたいなのは絶対に共感しないだろう。
いや、本当にそうだろうか? あんなやつらでも、少しくらいは同じ感情を抱くのだろうか?
……仮にそうだとしても、俺と妹が殺されたことには違いない、少なくともあの時、俺たちには一欠片の愛情も向けられていなかったと確信できる。それだけは確かだ。
それでも――
「家族が生きていても、愛されていても、幸せだとは限らないんだな」
「ルークは、ええ、そうね……」
両親や兄弟も殺すつもりだと知って、満足したルーク。もしあいつが、自分に向けられている愛情に気がついていたなら、幸福を感じていたなら、もっと抵抗したんだろうか。
分からない。知りたくても、もう聞くことは叶わない。
殺したことを後悔はしないけど、もう少し、色々と話してみたかった。弟とよく似た彼と。
冷たい風が駆け抜けていった。焚き火で温まっていたはずの体がぶるりと震える。ルナは平気らしい。神だからだろうか。俺がまだ人の範疇にあるからだろうか。
騎士たる眷属としてルナと契約した俺は、もう人と同じ時間は過ごせないのだと言っていた。既に寿命はなく、いずれ神の身に近づけば、老いることすらなくなる。亜神として、ルナと同じ時間を生きることになるらしい。
それはまあ、良いことだと思う。彼女は俺のことを家族だと思っているらしいし、俺もそうだ。家族をまた独りにするのは、気が引ける。
今はまだルナの血の繋がった家族は生きているけど、この旅の目的は、その家族を皆殺しにすることだ。だから、余計に。
「ねえ、アレク」
「なんだ」
「どうして私は、お兄様達に封印されるだけで済んだんだと思う?」
それは、以前も覚えた疑問だ。邪魔なら、鍵となる俺たちシーリング家を滅ぼそうとするくらいなら、初めから殺してしまえば良かったのに。
実の父親を殺して主神の座を奪った連中だ。それくらいしてもおかしくないと思う。
「ルナは、知っているのか?」
納得できる答えを用意できなくて、聞き返してしまう。そうかもしれないというものはあっても、復讐を願う彼女にそれを言うことはできない。
ルナは、首を横に振った。
「知らないわ。だから、これは私の予想」
膝に皿を乗せ焚き火をじっと見つめる横顔は、揺らめく影を映すせいで表情が読めない。
「たぶん、お兄様達は、私を愛していたと思うの。全員がそうではないと思うけれど、確かに、妹として見てくれていた。特にレオニスお兄様はね」
「あの日魔法を放ってきた相手がか」
「ええ」
ちらっと考えた通りだったことは喜べない。あれだけ強力な魔法を向けておいて、妹として愛しているだなんて。
……いや、あれでも、神々にとっては挨拶なんだ。人間の目から見て殺意に溢れていたとしても、神にとってはじゃれ合いでしかない。
「つまり、私もルークと同じ、家族に愛されていても幸せではない側。自覚してるって意味では違うけど」
表情は、相変わらず判然としない。声音も感情を抑えたものだ。ただ、なんとなく、自嘲しているようにも聞こえた。
思い返せば彼女が兄姉のことを語るとき、そこには憎悪以外の感情が見えていた。ずっと気がつかないふりをしてきたものだ。
しかし、今はそうすべき時ではないのかもしれない。
「……ルナ、お前、今も兄姉のことを愛しているのか?」
「ふふ、そうね。きっとそう。だけど、それでも許せないの」
お父様を殺したことは。
声を低くした彼女の赤い瞳には、たしかに暗い炎が揺らめいていた。そう確信できた。
どうやら、愛憎というのは同居できるものらしい。少し、安心してしまった。
「そうか。俺としては、途中で復讐を投げ出されなければそれで良い」
あの日、全てを奪われた日、ルナの封印を解いた時に言ったのと同じだ。やっぱりやめたなんて、許さない。
「だけど、そうだな」
復讐の為だけに共にいると言うには、時が経ちすぎた。
「その後のことは、考えておきたい。復讐を全て終えて、目的も無くなってしまった後、一緒にどう過ごすかを」
真っ赤な瞳がこちらを見た。長いまつげがぱちくりと動く。それからすっと細められて、表情がゆるめられた。
「そんなの、考えるまでもないでしょう」
月の微笑みだった。星々の瞬きの中にあって、その全てを霞ませる女神の笑みだった。
先ほどまで瞳に浮かべていた暗い色はどこにもない。ルビーのように輝く、綺麗な赤だ。
「幸せになりましょう。家族として」
トクン、と妙な高鳴りを聞いた。時々見せる妖艶さはどこにもないというのに、むしろ純粋で、何の混じり気もない笑みだというのに、記憶にあるどの時よりも惹きつけられて目を離せなかった。
それがどういう感情なのかは、気がつかないフリをする。今はまだ恥ずかしい。
だから、少しだけ沈黙してしまってから、時折わがままを言って甘えてくる彼女へ一言だけ返す。
「兄は俺だからな」
ふっと吹き出して笑いだしたルナには、きっとバレてしまっていただろう。俺のちょっと情けない心の内は。
それでも暴こうとはしないでくれて、でもにんまりと三日月のように目と口とを歪めることは忘れずに、同じく一言で返された。私が姉よ、と。
この日の風の臭いを、森の音を、月の輝きを、俺はきっと、何千年経っても忘れないだろう。例えこの身と心が、復讐の黒い炎に焼き尽くされたとしても。




