4.普通の人間
「アシャンは何時まで大丈夫?」
「……じじ様とお昼の鐘が鳴ったら広場にって約束があるから、」
レオは町の大時計を見上げた。
「なら、あと三十分は大丈夫だね。……雨も降ってないのに、なんでずっとフードを被ってるの?」
フードの中の私に目を合わせようと、少し体を屈めたレオに、胸の奥がドキリ跳ねた。
「……外の人とはあんまり関わらないように、って言われてるから……」
フードの端を掴みながら、そう言った。
「もしかして、市場に行くことはあまりない?」
その言葉に頷くことで答えると、レオは楽しそうに笑った。
「じゃあ連れて行くよ。ちょうど今日、市場が開いているんだ」
「で、でも、」
「大丈夫。もし変な奴に絡まれても、俺、こう見えて結構強いから。絶対に君を守るよ。だから行こう」
──デートね。楽しみだわ! ──
──彼、本当に強いのかしら ──
──何かあっても、私たちがいるわ ──
「……時間までなら……」
「よし! 決まりだ」
精霊たちに背中を押され、胸の奥が少し熱くなって頷いた私。それを見てレオは、こっちだ、と言って歩を進めた。
──彼、嬉しそうだわ ──
──デートだもの! 嬉しいわよ! ──
──手を繋いだらどう? ──
──あなた、顔が赤いわ! ──
「うるさいな!」
小声でそう言った私に、
「何か言った?」
返事をしたのはレオだった。慌ててなんでもないと、手を振る。
……ちょっと静かにしてほしい。
何となく熱い気がする顔を、手で仰ぎながらそう思った。
「ほら、ここだよ」
レオが連れてきてくれた場所は、いつもは来ない通りで。いろいろなところから賑やかな声が聞こえてきた。
「あ! ほら、これなんていいんじゃないかな? すみません、一つください。……はい、どうぞ」
どこに目をやって良いのかわからず、あちこちを見ていたら、レオが近くのお店から買ったものを渡してきた。
「なに? これ?」
「飲んでみて」
そう言われ、少し口に含むとーー
「美味しい! これ甘くて美味しいわ!」
「だろう? 最近南部から入ってきたもので、女の子に人気らしいよ」
口の中にミルクのような、甘い香りが広がった。
……こんなに美味しい飲み物、初めて飲むわ! それによく見ると、どのお店に置いてあるものも知らないものばかりだわ!
「ねぇ! あれは? あれは何?」
「あれは串焼きだよ。あれも美味しいし、食べてみる?」
「いいの?」
「君が喜ぶなら、いくらでも」
見るものも、口にするものも、全部がキラキラしているように思えた。あれもこれもって、目移りしていると三十分なんてあっという間に過ぎて。お昼を知らせる鐘が鳴り響いた。
「もう戻らなきゃ」
「……楽しかった?」
「うん! とっても! ありがとう、レオ」
そう言って見上げたレオは、目を見開いて動きを止めた。
「……どうしたの?」
下から覗き込むようにレオを見ると、片手で口元を隠し、少し眉間にシワを寄せていた。
「あー……、うん。ロアンさんが言った意味がわかるよ」
「え? じじ様?」
「……君は人混みでフードを被っていた方がいい」
レオは、いつの間にか取れていた私のフードの端を掴んで、ゆっくりと被せ直した。
私の目線に合わせるように、少し体を屈ませてーー
「他の男に見せるのは……もったいない」
レオの緑色の優しい瞳が、逃げ場を塞ぐように、真っ直ぐ私を射抜いた。
胸の奥がキュッとなって、何かを言わなきゃと口を開きかけた時。
「頭ー! こんなとこにいたんですね!」
「おわっ!?」
ドン、とレオに誰かが飛びついてきた。
「もー、探したじゃないっすか! 俺、持ち合わせ少ないから頭に奢ってもらおー、って思ってんだから!」
「はぁ……。お前、いきなりやってきて、他に言うことはないのか?」
レオがため息を吐きながら、飛びついてきた男の人を引き離した。
「えー? なんすか? 俺、今日の分はちゃんと終わらせて……って、どなた?」
「気づくのが遅い!」
コツン、とレオはその人の頭を小突いた。
「……仲間のマックスだ。こっちは雨の日に泊めさせてもらった家の子」
その紹介に頭を軽く下げて答えた。
「泊めさせてもらった、って……もしかして森の妖精!?」
「え? 妖精?」
「マックス!!」
ゴン! と、さっきよりも強く、マックスを殴った後でその胸ぐらをつかんだ。
「もう少しで用が終わるから、大人しく宿で待ってろ!!」
「……うぃーっす……」
マックスは殴られた頭を擦りながら去っていった。
「……あ、の?」
「ロアンさんが待ってるんだろう? 送って行くよ」
話を切り上げて広場に向かおうとするレオを呼び止めた。
「森の妖精って、なに?」
「……」
レオは心底困った顔をした。
「……君のことを聞かれて、わかりやすく例えるとどんなか? って言われてさ。だから、まぁ……」
そして徐々に声を小さくさせ、終いには私から顔を背けた。
「例えるなら、そうかな? って話ただけ」
レオの銀の髪の間から見える耳が、赤くなっているのがわかった。
「ふふっ」
そんなレオの姿を見たら、思わず笑い声が漏れた。それに反応して、レオが私の方を向いた。
「私は妖精じゃないわ」
「わかってるよ。妖精は屋台の串焼きなんて食べないだろうし?」
「あれはレオが美味しいって言うから!」
「でも美味しかっただろ?」
レオはニヤリ、と笑いながら私を見てきた。
「それは……、美味しかった、けど、」
「ほらね。君は妖精じゃなく人間だよ」
精霊師とバレないように、ひっそりと森の中で暮らしていた。普段はじじ様とばば様、そして精霊たちの声を頼りに生きている。それはもしかしたら「普通」とは違うことなのかもしれない、って、そう思うようになり始めていた。
「ほら、早くしないとロアンさんが心配するよ」
でもレオはまるで、私が普通の人のように話してくる。普通の人間なんだ、って言ってくる。
ただそれだけのことなのに、胸の奥が、じんわりと温かくなった。レオの何気ない一言が、妙に嬉しかった。
「なんだ、お前さんと一緒だったのか」
広場に行くと、キョロキョロと辺りを見回し私の姿を探しているじじ様がいた。
「たまたま薬屋で会ったんです」
「アシャンの薬は、そこら辺の薬とは違うからな」
「そうですね。一つ買いましたよ」
……ばば様が言っていた通り、レオと話すじじ様がどこか嬉しそうに見えた。
「これ、泊めさせてもらったお礼です」
いつの間に用意していたのか、レオがカバンの中から紙袋を出す。
「なんだ? これは」
「アシャンがすごく食べたそうに見てたフルーツです。セラさんにもぜひ」
にこやかに笑ってレオはじじ様に渡した。
「私、そんな顔してないわ!」
「そうだったかなー? 要らないなら別にいいんだけど」
「そ、んなこと、言ってないけど、」
「じゃあ次に会ったら、食べた感想聞かせてよ」
レオの言葉に、ハッと息を吸い込んだ。
次に会ったら。その言葉が、胸の中でゆっくりと溶けて広がっていく。
「まだやらんぞ」
「当然ですよ。柄にもなく時間をかける予定なんで、安心してください」
次、も、あるんだ……。少なくともレオは、そのつもりでいるんだ……。
胸の奥が、ぎゅうって締めつけられる。
帰る前にレオの泊まっている宿屋に寄ってハンカチを返してもらった。
受け取り、じじ様と二人歩き出す。少し歩いてから振り返ると、レオがまだ宿屋の前にいて、私に気づいて手を振ってきた。それが少し恥ずかしくて、小さく手を振り返した後、そのまま歩き出した。




