クリスマスパーティ
かじかんだ手をインターホンに近づける。ガチャと重いドアが開くと、茉莉と勇児が立っていた。もこもこの服に赤いスカート。サンタさんみたいな格好をした少女は思わず口元が緩むほど可愛らしかった。
「いらっしゃいりこちゃん、いっくん! はいってはいって」
「寒かっただろう? 鼻赤い」
あはは、と笑う勇児をみると、彼は黒いめがねをかけていた。そうだ、目が悪くなったんだっけ。逢うのは久しぶりだからなんだか気恥ずかしい。わたしがなにか言う前に樹が口を開いていた。
「茉莉ちゃんこんばんは、すごくかわいいよ」
「……樹が言うとなんか薄っぺらいんだよなー。娘を口説くなよ」
腕を組んで勇児は言う。立派なお父さんの顔だ。彼がお父さんになってから5年もたつのに、彼の大人姿はいつ見ても慣れない。昔と違って、優しく静かに笑うようになった。めがねをかけて、落ち着いた色の服を好むようになった。綾によると最近腰痛がひどいんだとか。すっかり年老いた彼の仕草や表情の片隅に、中学の面影をつい探してしまう。茉莉と樹は手を繋いで中へ入ってしまった。わたしはなんだか勇児の後姿をぼーっと眺めてしまう。
「……璃子? 冷えるぞ、入れ」
「あ、うん。おじゃまします」
ドアを閉めて靴を脱ぐと、勇児はわたしが昔から好きだった笑顔を浮かべていた。そして思う。ああ、少し姿は変わっても彼は彼のままなのだと。鼻をよくすすったり、右耳の後ろを掻く癖。はにかんだ時の目尻とか、唇の形に、昔の面影が残っていて安心するのだ。わたしが好きだった勇児だ、と。
クリスマスプレゼントであるテディベアを渡すと、茉莉はとっても喜んでくれた。鼻が高い。ちらりと樹の目を覗くと観念したようによかったね、と呟く。わたしは大きく頷いた。
綾の手料理はとてもおいしかった。パーティなのに家庭料理が多く、あたたかいごはんだった。毎日これが食べられる茉莉と勇児は幸せだね、と笑うと二人とも心から頷いていた。
「家庭っていいなあ……」
無意識の一言だった。ぽろっと、ドロップのようにころん、と口から零れたのだ。安堵することに樹は茉莉と勇児と一緒にリビングで遊んでいた。キッチンにはテーブルの上で頬杖をつくわたしと、皿洗いをする綾だけだった。
「なになに、ついに家庭に憧れを求めるようになった?」
「そんな大げさなことじゃなくて! ただ、子どもがいて、大好きな人と3人で暮らせたら幸せだろうなって」
慌てて否定する。しかし「家庭」というものに憧れがないわけではない。わたしだって26だ。結婚も子どものことも関心はあるし、親にもよく目を向けろと釘をさされる。それでも、今までずっと踏み切れなかったのは。
「璃子、来年卒業でしょ? もう少しじゃない」
「うん、やっと学生終了だよ。長かった。無理言って院まで行ったんだもん」
タオルで手を拭き、正面に綾は座る。ひとつにまとめた髪をほどき、お茶を差し出してくれる。彼女との付き合いも長い。そっと話せる空気をつくってくれる。カップの中を覗き込むと、水面は円を描いていた。
「5年前に樹と婚約したの知ってるでしょ? 5年だよ、同棲してた時期もあったけど、お互い時間がすれ違って今は一人暮らし。樹は仕事がノリに乗ってたし、わたしは就職活動や論文、レポートなんかで忙しかった。今は安定して、逢う時間も、逢う機会も増えた。樹も喜んでくれてるよ、それはすごくわかる」
彼の優しさと気遣いは院に進み勉学に励むわたしをどんなに支えてきたことか。時には離れ、時には甘えさせてくれた。彼がいなかったらもっとつらい生活だった。バイトをやめて家賃が払えなくなったときは一緒に住ませてもらったり、うまくいかない出来事で募る不安や憤りを受け止めてくれたのも彼だった。
「結婚の話は?」
「……してない。婚約してからだいぶ経つし、このままなのかなとも思う。事実婚ってやつ?」
「それでいいの?」
綾は首を傾げて静かに言った。覗き込むように、心の奥底に問いかけるように。わたしはだんだん目尻があつくなってきてしまったので、鼻をすすり顔を上に向けて、明るい調子で言葉をつむぐ。
「うーん、どうだろう。結婚、したいよ。したい。ちゃんと籍いれて一緒に暮らしたい。子どももほしい。でも、わたしこれから就職だよ? 結婚したとしても忙しいし、きっとまた樹を待たせることになるよ」
樹がアメリカ人みたいにおどけたようにわたしもおどける。あははと力なく笑う。情けない、こんなことで涙が出そうになる自分が。彼に迷惑をかける自分が。
「璃子は樹を待たせていることがつらいんだよね?」
「うん。彼が親に結婚を迫られているのも聞いた。電話での言い合いも聞いた。わたしのせい。わたしと樹、付き合っていていいのかなって、思い、はじめて」
ぽつりと零れた本音と一緒に一粒涙が零れた。胸にひっかかっていた思い。やっと口に出せた不安。口にすることでリアルが増し手が震えた。そんなわたしを綾は抱きしめてくれた。
「だいじょうぶだよ。不安なときはいつも支えてくれたんでしょ? だったら話してごらんよ。樹ならきっと受け止めてくれるよ。こわくないよ」
その甘いミルクのような言葉にわたしが感じていた恐怖は溶けて消えてしまった。