暗殺2-2
新月の晩。
城塞の静寂を切り裂くように、警戒警報が鳴り響いた。
兵舎に詰めていた兵士たちが、けたたましい音に叩き起こされる。そこへ息を切らせた伝令が駆け込み、自身も耳にしたばかり知らせを告げた。
「将軍が暗殺された! 犯人は滞在中だった観光客の二人組だ!」
その報を聞いた兵士たちは、一瞬の沈黙の後、にわかに色めき立った。彼らの敬愛する上官が、どこの馬の骨とも知らない余所者に殺されたのだ。
ある者は涙を流し、ある者は天を仰いだ。憤怒、悲哀、絶望。様々な感情が渦を巻いて兵舎を駆け巡るが、彼らの抱いた結論は一つだった。
すなわちーー
「「殺せ!」」
誰からともなく雄叫びが上がり、小銃を掴んだ兵士たちが表に駆け出した。下級士官たちが隊をまとめようとするが、彼らの言葉は激昂した兵卒たちには届かなかった。三々五々に散り、不埒な下手人の姿を探す。
そんな中、殺気に満たされた城塞内をコソコソと移動する人影があった。
テオとエナだ。二人はかがり火の明かりを避けるように、影から影へと暗がりを渡り歩いていた。
「テオ、大丈夫なの?」
エナが心配そうに小声で尋ねる。
テオの右のニの腕には、破れたシャツがきつく結びつけられていた。もともと白かった生地は鮮血を吸い、赤黒く変色している。
「問題ない、掠っただけだ」
テオは無表情に短く返す。
「......とはいえ、かなり痛むな。傷を負うのは久しぶりだ」
額の脂汗を拭いながら顔をしかめた。
「もうここらで退散しちゃっても良いんじゃない?」
エナが立ち止まり、物陰で兵士をやり過ごしながら言った。それは提案とも、誘惑とも取れる問い掛けだった。
テオは逡巡するように虚空を見つめ、
「そういうわけにも行かないだろう」
外套の懐を軽く叩いて、物陰を飛び出した。
「まったく馬鹿ね」
エナは呆れたように呟き、その背中に続く。
二人はロール状に巻かれた干し草の束を伝って走り、厩舎に侵入した。軍馬を閉じ込める丸太の柵を外し、テオが宙に杖を掲げる。
パンッ
途端に乾いた音が響き渡った。
目を充血させ、興奮した軍馬の群れが、雪崩を打って厩舎を飛び出した。それから少しして、外にいた不運な兵士たちの悲鳴が上がった。
「エナ、今のうちに逃げるぞ」
テオが一頭だけ残していた軍馬に轡を嵌めて叫んだ。
鐙に足をかけて鞍に飛び乗り、左手でエナを引き上げる。厩舎の出口に立つと、軍馬の硬い腹をブーツの踵で力いっぱい打った。
軍馬の暴走で混乱していた兵士たちの横を、風のように通りすぎる。兵士たちが銃を構えた頃には、射程圏外に逃げ出していた。
「うまくいったわね」
エナがため息を漏らす。
しかしホッとしたのも束の間、機転を利かせた兵士の一人が、携行していた警笛を鳴らした。警報には幾分劣るものの、それでも鋭く高い音が間断なく城塞に轟く。
「クソッ」
テオが舌打ちを漏らし、馬の腹を蹴って加速を促した。
軍馬の筋肉が盛り上がり、二人の身体に後ろ向きの力が加わる。直前までエナの頭があったところを、弾丸が唸りをあげて飛んでいった。
「きゃっ!」
エナが短く悲鳴を上げる。
まるでそれを合図に待っていたかのように、笛の音を聞いて集まってきた兵士たちが、一斉に集中砲火を始めた。連続する破裂音が警報を掻き消し、無数の銃火が闇夜を照らす。
テオとエナは馬上で身を屈め、少しでも面積を減らすよう努めた。銃声に怯えた軍馬がいななき、二人を振り落とさんばかりに速度を上げる。
「見えた!」
暗がりの先に城門を認めたテオが叫ぶ。
次の瞬間、銃弾を浴びた軍馬が転倒し、二人は空中に投げ出された。
「ぐうっ!」
「ーーっ!」
勢いそのままに地面を転がり、全身を強かに打ち付ける。
「こんなの割に合わないわよ」
軍馬の影に横たわるエナが愚痴をこぼした。それを咎めるかのように、飛来した弾丸が軍馬の眉間を穿ち、その頭を破裂させる。
「もうっ、何なのよ!」
熱々の血と脳漿を頭からかぶり、エナが再び悪態をついた。
「洗濯が大変そうだな」
テオは他人事のように小さく笑い、呪文の朗唱を始める。
いつもより長めの詩句を読み上げると、城門に向かって杖を掲げた。
ドンッ
腹の底に響くような爆音とともに、鋼鉄製の蝶番がねじ切られ、巨大な城門が外に向かって吹き飛んだ。目を疑う異様な光景に、兵士たちの間で動揺が走る。
「目をふさいでろ」
テオはエナにそう告げると、立て続けに短い呪文を唱えた。
杖の先に小さな光が点り、それが球となって空に上る。正体不明の奇術を兵士たちが目で追った瞬間、それが音もなく破裂し、太陽と見紛うような光を発した。圧倒的な光量が地上に降り注ぎ、夜の闇を跡形もなく払拭する。
「いまだ、走れ!」
テオがエナの手を引いて走り出す。
兵士たちは逃がすまいと引き金に指をかけるが、視界を奪われていては、狙いをつけることは難しかった。多くは同士討ちを恐れて躊躇し、そうでなかった少数の者たちの弾丸も、城門の柱を傷つけただけだった。
兵士たちの視力が回復した時には、犯人は暗闇の中に消えた後だった。




