電波塔
「大きな建物ね」
エナが空を見上げ、眩しそうに目を細める。
「国王の城か何かじゃないのか?」
テオも額に手をかざし、空を仰ぎ見た。
その小さな国の中心には、一本の巨大な塔が立っていた。
周辺の建物の三倍から四倍ほどの高さがあり、下から上へ行くに連れて細長くなっている。まるで下界に迷い込んだ巨人のように、一人ポツンと立ち尽くし、地上を見下ろしていた。
「でも住むには不便じゃない? 階段を上り下りするだけでも、日が暮れちゃいそうよ。そんなところに王様が好き好んで住むとは思えないわ」
「じゃあ、エナは何だと思うんだ?」
「きっと宗教的なシンボルよ。毎日、同じ時間になると、あの塔に向かってお祈りをするんじゃない? 多分あの下には、聖者の遺体か何かが埋められているんだわ」
「つまり、墓ってことか?」
二人がそんな憶測を交わしていると、
「あれは電波塔ですよ」
背後から若い声に話し掛けられた。
振り返ると、そこにはセーターを着た銀縁眼鏡の青年が立っていた。身体の線が細く、電波塔のようにひょろりとしている。
「突然、失礼。外国の方ですよね? 街中で会話している人を久しぶりに見かけものですから、つい嬉しくなって話し掛けてしまいました」
二人の不審な眼差しに気づいたのか、青年が聞いてもいないのに説明した。
「会話が久しぶりってどういうこと?」
エナが首を傾げる。
「ああ、国内の観光はまだでしたか。この国では、このような通信端末が普及しているんです。生まれると同時に、一人一台ずつ国から支給されるんですよ」
そういって青年はパンツのポケットから、二つ折りの白い手帳のようなものを取り出した。それを開き、二人に広げて見せる。
「この端末はあらゆる個人情報が登録され、電脳と呼ばれる仮想空間にアクセスすることができます。そこで国民は義務教育を受けたり、仕事をしたり、友人や恋人とコミュニケーションを取ったりしているんです」
「何だか魔法じみた道具ね」
エナが好奇心に目を輝かせた。
「便利そうだけど、何か副作用とかはないのか?」
テオが慎重に質問すると、青年はくしゃりと顔を歪ませた。
「副作用というわけではないのですが、弊害はありますね。端末さえあれば何でもできてしまうので、家に引きこもりがちになって外出しなくなったり、端末依存症になる若者が急増しています。彼らは端末を取り上げられてしまうと、不安からパニックを起こしてしまうんです」
「麻薬常用者みたいだな」
「最近では、端末でコミュニケーションを済ます人が増え、現実世界での会話やスキンシップが減少傾向にあります。もちろん、いつでもどこでも誰とでも話せるわけですから、端末でのやり取りの方が重要なのは、言うまでもありません。しかし中には一年間まったく言葉を発していない人や、発声の仕方を忘れてしまった人などもいて、社会問題になっているんです」
「何というか......凄まじい話ね」
エナが青年の端末をまじまじと見つめて呟く。
「あんたは会話に積極的みたいだけど?」
テオが首を傾げると、青年は照れ臭そうに頭を掻いた。
「ごく少数ですが、端末の使用を必要最低限に留め、極力アナログな手法に頼ろうという運動があるんです。僕はその懐古主義者の一人なんです」
そしてなにやら思い詰めた視線を、電波塔に向けた。
青年と別れたテオとエナは、アスファルトで舗装された通りを歩いて、今晩の宿を探しはじめた。
途中、多くの人々とすれ違ったが、そのほとんどは俯きがちに端末を操作しており、前方を見ていなかった。そのくせ人とぶつかりそうになると、まるでセンサーでも備わっていたかのように、するりと避けるのだから、二人は呆れてものも言えない。
宿につくと受付の機械に料金を前払いし、二階の部屋にチェックインした。
エナが荷物を投げ出し、ベッドに寝転がる。
「うーん、何か物足りない気がするわ」
「奇遇だな。俺もそう感じていたところだ」
テオもそういって窓に近づき、カーテンをめくった。
その目に映るのは、珍しくもないありふれた街並みだ。軒を連ねる建物に、通りを歩く人々、舗装された道路に、そこを走る自動車。ただ一つだけ違うのは、一本の塔が空高くそびえ立っていること。
「どうもすっきりしないわねー」
エナがもどかしげに足をバタつかせた。
その日の晩。
テオとエナは小さなレストランに行った。
地元の住民たちが立ち寄るような、隠れ家的な店だ。まるで俗世を避けるように、路地の奥の方でひっそりと営業していた。
店内に入ると、入口の機械に料金を投じ、メニューを選択した。
車輪のついた機械に誘導され、窓際のテーブルにつく。
「やっぱり変な感じ」
エナが頬杖をついてぼやく。
その声が想像以上に店内に響き、慌てて声をひそめた。
隣のテーブルにいた男女が、一瞬、ちらりとエナを一瞥した。カップルなのか、お揃いのペンダントを首に下げている。しかし無言で視線すら合わせず、無表情にそれぞれの端末をいじくっていた。まるで離婚寸前の停滞期の夫婦のようだ。
「ふふっ......」
興味を惹かれたエナは、品のない笑みを浮かべた。テオが視線で非難するのを無視して、男の端末を除き見る。そして苦々しい表情を浮かべた。
端末の画面には、ハチミツをかけた砂糖のように、甘ったるい愛の台詞がささやかれていた。料理を絶賛し、夜景を称賛し、目の前の女を褒め讃えていた。
「どうした?」
テオが声をひそめて尋ねると、
「何でもない」
エナも小声で首を振った。
やがて車輪のついた機械が料理を運んできた。牛すじを煮込んだビーフシチューに柔らかな白パン、レモンを絞ったトマトのマリネ、ベリーソースをかけたブリーチーズがテーブルに並ぶ。
初めのうちこそ、二人はポツポツと雑談を交わしていたが、やがてどちらからともなく黙り込み、無言で食事に専念した。食器と皿のぶつかる音が、カチカチと鳴る。時折、表を走る車の音が、尾を引いて耳に届いた。
「......」
「......」
重苦しい沈黙の中、料理の皿だけが片付いていく。
変化が訪れたのは、テオがデザートのブリーチーズに手を伸ばした時だった。
突然、ずずんっと地響きのような音が鳴り響いたかと思うと、にわかに周囲の客たちが騒ぎはじめた。あちこちのテーブルから短い悲鳴が上がる。
「何が起こったんだ?」
テオが辺りを警戒して呟くと、それに答えるかのように、店内のスピーカーから緊急放送が流れた。
『電波塔で卑劣な爆弾テロが起こりました。アンテナが破壊され、通信障害が発生した模様です。まだ復旧の目処は立っておりません。電波塔付近にいる方は、落ち着いて避難してください。繰り返します......』
それを聞いた途端、店の内外を問わず、混乱と動揺が駆け巡った。怒鳴り声や悲鳴が上がり、何かが壊れるような音が響く。まるで瀕死の病人が息を吹き返したかのように、街中が活気で満たされた。
「お祭りみたいで楽しいわね」
エナが笑顔で不謹慎な台詞を吐き、
「昼間の男の仕業か?」
テオは自称懐古主義者の顔を思い浮かべた。
「まあ、電波塔からは距離があるし、あたしたちには関係ない話ね」
「そうだな」
二人は呑気にデザートを口に運ぶ。
しかし他の客たちは、そうは行かなかった。前触れもなく突然、通信手段を断ち切られ、面白いように慌てふためいた。その中でも隣にいたカップルの取り乱し方は凄まじく、余裕のない表情で、必死に端末を操作していた。
「そんなにうろたえて、一体どうしたっていうのよ」
その様子を見かねたエナが、席を立って女の端末を覗き込む。
端末の画面には、男のプロポーズに対する返答の文章が、肝心なところで途切れたままになっていた。
「直接、口で伝えればいいのに」
エナが呆れたように言うと、女は「それだ!」とばかりに目を見開いた。
そして男に向き直って口を開き、
「......」
無言で戸惑ったように肩を竦めた。




