第三章【豊穣】-4
教会からタケヒサの実家に戻ってくる頃には日は傾き夕刻となっていた。
「夕食に何かご希望はありますか?」
「米!味噌!醤油はあるんか!」
「味噌……この時期に鍋ものですか?いえ、家の者に伝えておきましょう」
マギステア達が今晩の夕食について話しながら歩いていると、道の脇に何やら人だかりが出来ており、中心に居る人物は帝国人の様にも見受けられた。
『悔い改めなさい、裁きの時は近く。神は我らの行いをつぶさに見ておいでです』
『嘘の教えを信じてはなりません。神は常に一つ』
タケヒサとマギステアの顔に影がさす。
「なんと言ってるんだ?」
「正教会の伝道師やと思う、早くいこか」
タケヒサとマギステアに急かされるように四人は帰りの道を急いだ。客間に着くとデキウスは先ほどの事をマギステアに問い詰める。
「ゆうた通りに宣教師が説法たれてただけや。ただな、ちょいと内容が過激でな」
正教会と古教会の対立の風はこの辺境にまで吹き荒れていた。
暫くするとタケヒサが夕食の料理が出来た事を伝え、マギステア達は案内に従い居間に向かう。料理は囲炉裏を囲むように設けられた座席の中央に鍋が置かれ、食欲をそそる香りを立てていた。
「帝国の方の舌に合うか分かりませんが、どうかご堪能下さい」
「こんな季節に無理言ってすんまへん」
周囲にはマギステア達三人に加え、タケヒサ、スズナ、年配の男性、その奥方と思われる女性、老年の男性の計八人が集まり時期外れの鍋を囲む。
「テアちゃん、オハシ使えるんだ」
「お箸便利やで、フェアリアル作る時とか重宝しとるわ。細かいもん掴みやすいし」
「うう、負けた気がする。すいません私にもオハシを下さい」
「帝国人の御嬢さん、無理はいけません」
「ほっほっほ、何事も経験じゃて。『予備の箸を持って来てあげなさい』」
『はい、お父さん』
女性が箸を取って来る為に席を外すと、年配の男性がマギステア達に質問する。
「しかし、帝国は本当に街道整備を?」
「そうです、予算の問題が片付き次第になるけども。始まればここにも人足の募集が来るかもしれへん」
父と帝国人の話が気になったスズナは兄に質問する。
『兄上、何と言っているのですか?』
『街道を作り直すそうだ。そのために人手が必要になると言ってる』
『そんな、和人は和人だけでやっていけます』
『その様な事を言ってはいけない』
兄の答えはスズナを満足させるものではなかった様で、その幼い顔に怒りを灯してしまう。
『父上も爺様も兄上まで!帝国人が今まで何をして来ましたか!争いの火種を持って来るばかりではないですか!』
『スズナ、良さないか!』
兄の窘める声にスズナは立ち上がると足早に立ち去って行き、タケヒサは慌ててその背中に向け名前を呼ぶが聞いていない様であった。
『スズナ!』
「ああ、お米はんが。お米にはな七人の神様がおるんやで」
「お客人さま、申し訳ありませんスズナは具合が悪い様でして『タケヒサお願いします』」
「ええよ、こんな季節に鍋なんてお願いしたんはうちやから。あつうなって涼んでるんやろ」
「私も少々涼んで参ります。使者殿はどうかごゆるりと」
タケヒサは妹を追いかけるように席を後にした。テケヒサが部屋からいなくなるのを確認するとマギステアは火種について質問する。
「反乱の傷跡はやっぱりまだひどいんか?」
「良くご存じで、この集落は反乱勢に与しなかったので良いのですが。一部の集落では未だ」
帝国歴317年帝国北部で発生した動乱に呼応する形で、ここ東部でも反乱が発生した。意図したものではなかったが。当時の東方軍団長ゼブス将軍により反乱勢力のみならず東部異民族全体に対して強硬な対応が取られた結果、反乱は長期化し東部に深い傷跡を残す事となった。
帝国歴328年にティベリウス皇帝が即位すると、ゼブス将軍は反乱鎮圧失敗の責により解任され現在のグナエウス将軍に代わる、グナエウス将軍の硬軟合わせた統治に反乱は瞬く間に鎮静化、現在は動員も解除され東部には平穏が戻っている。
「税の徴収方法の変更がきっかけでした」
東方異民族に課せられた税は元々それほど酷いものではない。長年の帝国による異民族懐柔策によるものもあるが、米食を基本とする東方異民族にとって帝国から要求される麦は元々自分達が食べる物ではなく、米を取った後の田を利用出来る事もあり、それほど苦ではなかったのだ。
その関係に変化が生じたのはゼブス将軍の着任に始まる。ゼブス将軍は納税方法を一新、現物税から貨幣税に変更したのである。未だ貨幣の浸透が十分でない上、年々貨幣流通量が減少していた矢先の事でもあり、税の払えない集落が続発。対してゼブス将軍も徴収を強行したことから事態は反乱にまで達した。
ここでゼブス将軍を一方的に断罪する事は出来ない。当時も今も東部属州の財政状況は相当に逼迫しており、早急な財政改革が必要とされていた。そのため輸送コストのかかる現物税から輸送の用意な貨幣へと、転換が必要であるとゼブス将軍は考えたのだ。
税自体も州都の小麦価格を基に設定したものであり、将軍には反乱の理由がまったく理解出来ず、その為、対応も過激なものとなってしまったのである。
「
グナエウス将軍は税制を以前に戻してくれましたから、すでに反乱も終息しております・・・遅いですな」
先ほど箸を取りに行った妻が中々戻ってこない事を訝しんだ、そこに慌てた様子の妻が戻ってくる。
『その様に慌てて、お客人の前だぞ』
『居りませぬ!スズナがどこにも居りませぬ!』
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夜の境内を雪斎は日々の日課で見回りを行う。木造の教会であり、多くの書物有するここにとって火の気は最も注意しなければならない事柄だからである。その見回りの途中、門の脇に蹲る人影を見つけると雪斎は訝しんで近づいた。提灯の光に照らされたその顔は良く知る人物のものであった。
『スズナではないか。どうしたこのような夜分に?』
『和尚様』
涙に濡れたその顔に並々ならぬものを感じた雪斎は一先ずスズナを教会の中へ招こうと考えた。
『夏と言えど夜は冷える。さあ中へ』
『うう、和尚様・・・』
スズナの肩を支え教会の中へ行こうとする雪斎の横目に山道に灯る光が映る。
『中は止めよう』
『和尚様?』
雪斎は提灯の火を消すと門の植え込みの中に投げ捨て、スズナの肩を支え山道から死角になる岩陰にその身を押し込んだ。
『何があってもじっと身を伏せてなさい』
スズナがこくこくと頷くと雪斎はじっと山道を見つめる。暫くすると幾人かの男達が手に松明を持ち現れた。
男達は示し合わせたかのように液体を門とその周辺にかけると一人の男が手に持っていた松明を投げ込んだ。液体は油だった様で瞬く間に燃え広がったそれは門を包み、教会を明るく照らす。
『ああ!お寺が……』
雪斎が咄嗟にスズナの口を押えたが時すでに遅く。教会に火を放った下手人達は雪斎達の存在に気付く。
『っ!……こんなところに隠れていたとは』
下手人達は腰から得物、独特の反りを有する片刃の長剣を抜き取ると雪斎達を囲む。炎により照らし出されたその顔は夕刻に宣教師の言葉を熱心に聴いていた者達であったが雪斎達に知る由はない。
『……見逃してはくれぬか?』
『顔を見られた以上、生かして帰せる訳なかろう』
雪斎を囲む下手人達は得物を構えにじり寄り、雪斎の頬を汗が伝う。時間を稼げれば直ぐに町から人が来るが、下手をすれば後ろにいるスズナが傷ついてしまうだろう。そんな焦る両者の耳に場違いな音楽が聞こえて来た。それが何であるか知識がある雪斎はしゃがむとスズナを守るように抱え込む。
唐突に始まった音楽は同じく唐突に止む、違いは音楽が終わると共に下手人と雪斎達を凍える様な強烈な寒波が襲った事である。
急速に冷え込む周囲、火勢も見る間に縮んで行き、下手人達はその異様な状況に右往左往してしまう。その下手人に向かう影は二つ、音もなく近づいた影は瞬く間に下手人達を昏倒させていくのであった。
時間はスズナが姿を消して屋敷が大騒ぎとなった頃に戻る。マギステア達三人はスズナ捜索への協力を申し出た、その申し出をスズナとタケヒサの父は承諾、そして公用語の通訳が出来るタケヒサと共に昼間訪れた教会方面の捜索を行う事となった。
捜索中、山道に向かう怪しい人影を発見した四人は人攫いである可能性も考慮し、その後を付ける。そしてこの放火事件に遭遇する事となった訳である。
『スズナ大事無いか!』
『兄上!』
『藤井の、助かった。そちらは昼間の帝国人か、助太刀感謝する』
「なんといっているんだ」
「助けてくれた事に感謝を」
「いや、職務だ、問題ない」
「素直やないなあ……火、完全に消すから少し離れてもらえますか?」
門付近から人を下げるとマギステアは詠唱を開始すると、杖も共鳴を始め周囲に独特な音楽が流れ始める。詠唱が終わると門を濃密な霧が包み火は完全に消し止められる事となった。
『心配させおって』
『申し訳ありませぬ兄上……』
『帰ったら説教する故、覚悟するように』
『ふぇぇ……』
「下手人は如何する?」
放火犯達を縛り上げたデキウスがタケヒサに聞く。タケヒサは翌朝州都へ連行したい旨を伝えるとデキウスは了承し取敢えずタケヒサの実家にある蔵に放り込み私兵で朝まで警備する事に決まる。
古教会の方も、騒ぎを聞きつけやって来た町の男衆が当面交代で寝ずの番を行う事となった。しかし、事件はこれで終わった訳ではなかったのだ。
「犯人達は?」
翌朝、デキウスの質問にタケヒサは悔しそうに首を横に振る。蔵に放り込んだ放火犯達は翌朝全てが舌を噛み切り事切れていたのである。死体の状況から蔵に放り込み直ぐに自害した様であった。
二人は物言わぬ躯となった犯人達を眺め、事の為に己が命を簡単に投げ出す様に言い知れぬ恐怖を覚えるのであった。犯人の遺体は顔の写し絵と検分が済むと犯人が放火した教会に葬られる事になった。
『兄上行ってらっしゃいませ』
『忘れ物はありませんか?』
『母上もう子供ではないのですから、使者達を待たせる訳に行きませぬ故行ってまいります』
門の前で挨拶を済ませるとタケヒサは御者台に乗り込む。
「良かったんか、なんなら残っても」
「いえ、いつでも帰れますし、今回の事件を一刻も早く閣下にお知らせする必要があります」
「結局事件の背景は分からず仕舞いか……」
「なんで自殺なんか」
「ゆずれんもんがあったんやろな」
四人の心中に複雑な思いを乗せながら馬車は一路州都へ向かうのであった。
これにて第三章【豊穣】は終わりと成ります。
引き続き「インペリアル・サーガ」の世界をお楽しみ下さい。