第4話:冒険者ギルドの門と、舐められた主神
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無一文の危機を脱するため、城塞都市グラン・ルクシアの冒険者ギルドへと足を踏み入れたアデル様一行。
しかし、十歳の美少年にして最高神たるアデル様を待ち受けていたのは、酒臭い大男たちの容赦ない嘲笑でした。
大魔法のゴリ押しではなく、「魔力1」の超絶技巧と物理法則で大男を黙らせるショタ主神のスカッと知略バトルと、新たな仲間たちとの出会いをどうぞお楽しみください!
冒険者ギルド『グラン・ルクシア支部』の重厚な樫の木の扉を押し開けた瞬間、澱んだ熱気と騒音が津波のように押し寄せてきた。
立ち込める濃厚なエール酒の饐えた匂い、油ぎった肉料理の煙、そして汗と鉄錆の混ざり合った獣のような気配。
広い酒場スペースには、傷だらけの甲冑を着た戦士や、薄汚れたローブを纏った魔導士たちが卓を囲み、昼間から大声を上げて酒杯を煽っていた。
だが――その喧騒は、入口に立った一行の姿が視界に入るなり、奇妙な波紋を描いて急速に収束していった。
「あァ……? なんだぁ、あいつらは?」
「おいおい、見ろよ。……貴族のお坊ちゃんが、冒険者ごっこしにギルドへ迷い込んできたのかァ!?」
下品な嘲笑が、ギルドの薄暗いフロアに響き渡った。
無理もなかった。
白銀混じりの柔らかな金の髪に、透き通るような白い肌。十歳前後の可憐な体躯にはいささか仕立ての大きすぎる、豪奢極まりない純白の神衣を纏った少年。
そしてその背後には、抜群のプロポーションを誇る薄絹姿の絶世の美女が、お世話用の救護袋を抱えて寄り添っている。
血と泥に塗れた荒くれ者たちの溜まり場に、天上の宮殿から迷い込んできたような浮世離れした美少年と美女。どう見ても「世間知らずな貴族のお坊ちゃんの家出ごっこ」にしか見えなかった。
「ぎゃはははっ! 坊ちゃん、ここは冒険者ごっこしに来る場所じゃねえぜ!」
「後ろの極上お姉さん、その貧相なガキの相手に飽きたら、俺たちの相手をしてくれよ! たっぷり可愛がってやるからよォ!」
ドッと下品な口笛と野卑な笑い声がホールを満たす。
その瞬間――セレスの豊満な胸元から、ピキリと氷が軋むような鋭利な殺気が噴き上がった。
「…………塵芥どもが」
セレスの端麗な顔立ちから感情が抜け落ち、紫水晶の瞳に烈火の神気が渦巻く。
「我が至高の主神アデル様を侮辱し、あまつさえその口でわたくしを愚弄するとは……万死に値しますわ。今すぐこの空間ごと重力で押し潰し、頭蓋骨を粉砕して大地の肥やしにして差し上げます……ッ!!」
「落ち着け、セレス。殺気を取り下げろ」
アデルは至極平然とした様子で、セレスの薄絹の腰布をくいと引いた。
「ですがアデル様! この下界の羽虫ども、主神様に向かってなんたる不敬を……!」
「下界の酒場など、古今東西どこもこのようなものだ。己の器量以上の酒を煽り、見た目だけで他者を推し量る。主神たる者が、いちいち羽虫の羽音に苛立ってどうする。……それに、街の建物を壊せば賠償金でさらに路銀が尽きるぞ」
「う……っ、そ、それは困りますけれど……!」
セレスはお腹を鳴らしそうになったのを思い出したのか、悔しげに唇を噛んで引き下がった。
アデルの肩の上で、身の丈十センチのラビが呆れ果てたようにツインテールを揺らし、ヤレヤレと首を振る。
「まったく、下界の男ってのはどいつもこいつも見る目がないわね。主様の神威が三分の一に減ってるとはいえ、あんたたちみたいな雑魚なら瞬き一つで消し炭にできるってのにさ」
アデルは小さく息を吐き、周囲の視線を柳のように受け流しながら、受付カウンターへと向かって歩き出した。
しかし――その泰然自若とした態度が、酒に酔った大男たちの自尊心を逆撫でしたらしい。
ドンッ!!
通路脇の円卓が激しく叩き割られるような音を立て、一人の巨漢がぬうっと立ち上がった。
身長は二メートルを優に超え、分厚い鉄の胸当てを着けた赤ら顔の重戦士。ギルドでも腕利きとして知られる荒くれ冒険者、ボリスだった。
「おい、クソガキ」
ボリスはずしり、ずしりと重い足音を響かせ、アデルの行く手を遮るように立ちはだかった。
見下ろす巨体と、見上げる十歳の少年。大人と子供どころか、熊と小鹿ほどの体格差があった。
「大人の忠告を無視して澄ましてんじゃねえぞ、お坊ちゃんよォ。……あァ? その生意気なツラ、親の躾がなってねえようだな。この俺が直々に、大人の世界の厳しさを身体に叩き込んでやろうか?」
ボリスは酒臭い息を吐き散らしながら、分厚い掌をワキワキと動かした。
そして、アデルの華奢な肩を掴んでそのまま石畳の床へ叩きつけようと、丸太のような太い右腕を無造作に振り下ろしてきた。
「アデル様っ!」
セレスが反射的に叫ぶ。
だが、アデルは一歩も引かなかった。身構えることすらしない。
(……大振りの突進。重心は極端に前のめり、全体重の八割以上が踏み込みの右足にかかっているな)
アデルの翡翠の瞳が、冷徹に大男の骨格と筋肉の動きをスキャンしていた。
神威の七割を失い、手元に残る力は全盛期の三割。大魔法を撃ち放つような無駄遣いはできない。だが――数千年の間、万物の理を司ってきた主神の戦術眼と魔力制御の精度は、何一つ錆びついていなかった。
(魔力を消費して吹き飛ばすまでもない。――現象を起こすのに必要な力は、常に最小限でよいのだ)
アデルは右手の指先を、わずかに数ミリだけ動かした。
行使した魔力量は、人間の初級魔導士ですら感知できないほどの極小――数値にしてわずか【魔力1】。
術式励起:初級水魔法×初級土魔法。
アデルはボリスがまさに全体重を乗せて踏み込もうとした石畳の表面、わずか数ミクロンの隙間に極小の潤滑分子膜を構築した。
すなわち――【接地面の摩擦係数を、物理的に完全なゼロへと相転移】させたのだ。
「死ねやァッ、ガキが――ぶっ!?」
全体重を乗せて踏み抜かれたボリスの右足が、まるで凍結した氷盤に油を引いたかのように、ズザザザザッ!と前方へ激しくすっぽ抜けた。
「な、ぬわあああああっ!?」
人間は、摩擦のない床を全力で踏み込むことはできない。
前進しようとした推進力と、慣性の法則がそのまま裏返る。
大男の巨体は漫画のように滑稽に宙を舞い、水平に跳ね上がった両足が空を蹴った。
ドッガァァァァァァァァァンッ!!
自身の二メートルを超える肉体と鉄の甲冑の運動エネルギーをそのまま背負ったボリスは、背後にあった頑丈なオーク材の大型テーブルと、その上に積まれていた特大の酒樽の山へと頭から一直線に突っ込んだ。
木片が木っ端微塵に弾け飛び、樽が破裂して大量の濁り酒が噴水のように降り注ぐ。
頭から酒まみれになった巨漢ボリスは、白目を剥き、ピクピクと痙攣しながら一撃で完全昏倒した。
「……………………」
ギルド内が、水を打ったように静まり返った。
誰一人として、何が起きたのか理解できなかった。
少年は指先を微かに動かしただけ。派手な魔法陣も、爆発の轟音も、強烈な魔力の波動すら一切立ち昇らなかったのだ。
ただ大男が勝手に突っ込んできて、勝手に滑って、勝手に酒樽へ突っ込んで気絶したようにしか見えなかった。
「……力みが多すぎる」
静寂の中、アデルの凛とした、しかし冷徹な声が響いた。
十歳の少年のものとは思えない、絶対の威厳を宿した賢王の響き。
「己の足元の摩擦すら掌握できぬ者に、武器を扱う資格はない。……酒に酔って粗相をするなら、寝床で眠っていることだな」
そう言い捨てると、アデルは衣服に埃一つつけず、優雅に身を翻して受付カウンターへと歩み寄った。
周囲の冒険者たちは、まるで猛獣を恐れる小動物のように、音もなくサッと左右へ割れて道を開けた。
「……ま、まあ! さすがはアデル様! あのような不届き者、アデル様の爪の先の魔力にすら値しませんわ!」
「あーあ、だから言ったのに。主様の計算を舐めるからそうなるのよ」
セレスが誇らしげに胸を張り、ラビが肩の上でふんと鼻を鳴らす。
「おいおい……なんだよ、今の……」
「ボリスの野郎、何もない床でいきなり吹っ飛んだぞ……?」
「いや、見ろよあの石畳……水溜まりなんてねえのに、踏み込んだところだけ鏡みたいに光ってやがる……」
背後から、戦慄を帯びた冒険者たちの囁き声が漏れ聞こえてくる。
その時だった。
「――そこまでだ」
奥の執務室のドアが開き、白髪混じりの屈強な男が姿を現した。
顔中に歴戦の刀傷を刻み、鋭い眼光を湛えた壮年の男。このギルドの最高責任者たるギルドマスターだった。
ギルドマスターは床に転がって泡を吹くボリスを一瞥し、次いでアデルの足元の石畳に視線を落とした。
その瞬間、老練な男の背筋に冷たい汗が伝う。
(……馬鹿な。魔力の漏洩が、全く感知できなかっただと……!?)
ギルドマスターはかつてAランクまで上り詰めた熟練の戦士だ。魔力の気配には人一倍敏感である。
だが、今の少年の術式からは、余剰魔力の拡散――いわゆる「魔力のロス」が文字通り一滴たりとも感じられなかった。
人間の魔導士が摩擦を操る術式を編めば、どうしても周囲の大気へ無駄な魔力が漏れ出す。しかし、この少年が使ったのは、現象を起こすための極限の最小値。寸分の狂いもない、神業のような精密制御だった。
(あの巨漢の突進力と慣性を瞬時に逆利用し、初級魔法だけで自滅させただと……? 十歳そこらの子供が……!?)
「ギ、ギルドマスター……!」
青ざめた受付嬢が助けを求めるように声を上げる。
ギルドマスターは小さく手を挙げて制し、自らカウンターの内側へと歩み出ると、アデルの前に立って深々と頭を下げた。
「……うちの愚か者が、大変な非礼を働いた。ギルドマスターとして、深く詫び入れよう」
「構わん。手荒な真似をしたのはこちらも同じだ」
アデルは鷹揚に頷いた。子供の体躯でありながら、その立ち居振る舞いは一国の王と対峙しているかのような風格を放っている。
「私はアデル。こちらは従者のセレスだ。……街での活動資金を稼ぎ、下界での身分証を得るために登録へ来た。手続きに不都合はあるか?」
「いえ、滅相もございません!」
ギルドマスターは即座に首を横に振った。この少年を「ただの子供」として扱えば、ギルドそのものがどうなるか分かったものではない。
「これほどの術理を修めたお方を、門前払いするなどあり得ん。……おい、特例措置だ。アデル殿とセレス殿に、即時発行の仮ギルド証を用意しろ」
「は、はいっ! ただいま!」
受付嬢が慌てて羊皮紙と魔導印章を取り出し、迅速に手続きを進めていく。
さらに、ギルドマスターはカウンターの下から、ずっしりと重みのある革袋を取り出し、アデルの前へと差し出した。中からは、チャリンと澄んだ金属音が鳴る。
「これは……?」
「優秀な登録者に対する、当ギルドからの『支度準備金』です。……先ほどの無礼の詫びも兼ねております。お納めいただけますかな」
アデルが革袋を開けると、中には下界の銀貨がぎっしりと詰まっていた。
これだけあれば、上等な宿に泊まり、腹一杯の食事を数週間は不自由なく摂ることができる額だ。
「まあ……! 銀貨がたくさん……!」
セレスが両手を口元に当てて目を丸くし、ポロポロと嬉し涙を浮かべた。
「さすがはアデル様! 下界に降りてわずか数時間で、無一文の危機をその知略で脱してしまわれるなんて……! ああ、神界の主神としてあまりにも偉大でいらっしゃいます!」
「いや、ただの詫び金と前払い金だけどね……。まあ、これで飢え死には免れたわね」
ラビがホッと胸を撫で下ろす。
「感謝する。ありがたく受け取ろう」
アデルは銀貨袋を受け取り、神衣の懐へと収めた。
受付嬢から発行されたばかりの二枚のギルド証を受け取り、用件を終えてカウンターから踵を返そうとした――その時だった。
「――おい」
低く、しかし凛とした少年の声が、ギルドの静まり返った空気を通って届いた。
アデルが視線を向けると、先ほどまで酒場の最奥、薄暗い壁際に一人で佇んでいた影が、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくるところだった。
十四、あるいは十五歳ほどだろうか。
まだ少年のあどけなさを残しながらも、研ぎ澄まされた刃のように精悍な顔立ちをした黒髪の若武者。東方の道着に身を包み、腰には身の丈ほどもある一振りの佩刀を帯びている。
「……十歳の子どもの足捌きじゃないな」
少年剣士はアデルの数歩手前で足を止めると、佩刀の柄にそっと手を添え、真っ直ぐで真剣な瞳でアデルを射抜くように見つめてきた。
「大男が踏み込むより先に、あんたの呼吸と間合いはすでに決まっていた。重心のブレも、予備動作の揺らぎも、最初から一切ない。……あんた、一体何者なんだ?」
「あなた無礼ですわよ! 主神様にそのような口の利き方――」
「良い、セレス」
アデルはセレスを手で制し、少年剣士をじっと観察した。
無駄な贅肉のない引き締まった体躯。指先に刻まれた無数のマメと、静かに研ぎ澄まされた剣気。大人の冒険者たちのような濁った欲望はなく、ただひたすらに己の剣と信念に向き合ってきた者だけが持つ、澄んだ魂の光がそこにあった。
「私はアデルだ。……お前は?」
「……俺はシン」
少年剣士は短く名乗った。
「東方の武国から流れてきた、ただの流浪の剣士だ。……さっきの技、見事だった。あんな体捌き、東方の達人でも滅多にお目にかかれない」
「ふふっ、剣士くんの言う通りね。坊やの今の術式、本当に惚れ惚れしちゃったわ」
シンの背後から、鈴を転がすような妖艶で知性的な女声が重なった。
カツン、とヒールの音が響く。
現れたのは、流れるような銀緑色の長髪に、尖った長い耳を持つエルフの女性だった。スリットの深く入った魔女ローブから覗く肢体は抜群のスタイルを誇り、大人の色香を漂わせている。
そして何より目を引いたのは――彼女の脇腹のあたりに、何の支えもなくふわりと宙に浮遊している、革装丁の重厚な『古代魔導書』だった。
「水と土の境界面を、最小限の魔力で瞬間相転移……。魔力のロスがゼロなんて、理論上は可能でも、生身の術者が行える芸当じゃないわ。魔導学院の堅物教授たちが見たら、泡を吹いて卒倒するんじゃないかしら?」
大魔女ヴィオラは浮遊する魔導書にすっと指先を滑らせ、面白がるように紫の瞳を細めてアデルを見つめた。
「私はヴィオラ。しがない放浪の魔導士よ。……ねえ、坊や。その小さな身体のどこに、そんな神域の理論を隠し持っているのかしら?」
「シンに、ヴィオラか」
アデルは口元をわずかに綻ばせ、小さく笑みを浮かべた。
「ほう……下界にも、目の肥えた者がいるようだな」
寡黙で愚直な少年剣士と、知性派のエルフ大魔女。
二人の並外れた資質を前に、アデルが言葉を続けようとした――まさにその刹那だった。
――ズドォォォォォォォォンッ!!
鼓膜を劈くような大爆音とともに、ギルドの頑丈な建物全体が激しく揺動した。
ビリビリと窓ガラスが悲鳴を上げ、天井から漆喰の粉が舞い落ちる。
「な、なんだぁっ!?」
「今度は何の騒ぎだ!?」
冒険者たちが一斉にざわめき、武器を取る。
ギルドの外――中央大通りの方角から、狂乱の暴風の咆哮とともに、耳をつんざくような少女の悲鳴が木霊してきた。
『だ、誰かぁぁぁぁぁっ! 止めてぇぇぇぇぇぇぇっ!!』
ドガァン! バキバキバキッ!
建物の外壁や荷馬車が次々と粉砕され、上空へと吹き飛ばされていく破壊音が連続して響き渡る。
その瞬間、アデルの肩の上で、ラビが弾かれたように飛び上がった。
「主様ッ!!」
ラビは天球儀の杖を高く掲げ、琥珀色の瞳を見開いて叫んだ。
「妹よ! 受肉した【No.16 ゼピュロス・ストライド】――フィロの神威波長が暴走してるわ!!」
「……フィロか!」
アデルの表情から笑みが消え去り、翡翠の瞳に最高神たる鋭い光が宿った。
西風の音速機動を司る、有翼の神靴。
受肉の激痛と恐怖によって暴走した愛娘が、今まさにこの街を蹂躙しながら砕け散ろうとしている。
「セレス、行くぞ!」
「はっ、御意に!」
アデルは迷うことなく踵を返し、暴風の吹き荒れる大通りへと向かって駆け出した。
その背中を、少年剣士シンと大魔女ヴィオラが、息を呑んで見つめていた。
第4話を最後までお読みいただきありがとうございました!
酒場で絡んできた大男ボリスに対し、「魔力1」の極小術式で床の摩擦係数をゼロにして豪快に自滅させたアデル様!
力技のインフレではなく、物理法則を突いた賢王の知略無双が炸裂しました。
ギルドマスターからの支度金によって無一文問題も無事に解決し、頼もしい仲間となる少年剣士シン&大魔女ヴィオラとの出会いも果たしました!
しかし、平穏を味わう間もなく、外からは暴走する神器少女の悲鳴が……!
受肉のショックで音速の暴走を始めてしまった【No.16 フィロ】を、アデル様はどうやって救い出すのか――!?
次回、第5話『孤高の東方剣士と、退屈な大魔女』(または暴走救出編)に続きます!
次回もよろしくお願いいたします!




