第1話:神界オリュンポリスの平穏な午後
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本作は、弱体化してしまったショタ主神アデルが、暴走した自作の神器美少女たちを救うため、知略と神格換装で仲間とともに立ち向かう神話冒険ファンタジーです。
まずは平穏な神界の日常と、すべての始まりとなる大異変から開幕します。どうぞお楽しみください!
神界オリュンポリスの午後は、いつだって穏やかで、息を呑むほどに美しい。
雲海を遥か眼下に見下ろす最高神殿の空中テラス。大理石の白い列柱には瑞々しい葡萄の蔓が絡みつき、天球から注ぐ神聖な陽光が、床に敷き詰められた白銀のタイルをきらきらと照らしている。
その優雅なテラスの中央に置かれた豪奢な執務机に向かい、せっせと羽ペンを走らせている一人の少年がいた。
白銀の混じる柔らかな金の髪に、理知的な光を湛えた翡翠の瞳。肌は抜けるように白く、身に纏う豪奢な神衣は、子供の身体にはいささか仕立てが大きすぎるように見える。
どこからどう見ても十歳前後の可憐な少年にしか見えない。
だが、彼こそがこの神界オリュンポリスを統べる主神――アデリオスその人であった。
「……ふむ。創世大陸オルディシアの東境、霊峰一帯の降雨量がやや過多に傾いているな。水脈の循環を西の大樹海へ二割ほど迂回させ、日照を補正するか。よし、承認だ」
さらさらと羊皮紙の端に主神の神印を押し、小さく息を吐き出す。
外見は愛らしいショタそのものであっても、その口調と眼差しは、数千年にわたり天地の調和を保ち続けてきた冷徹にして慈悲深き賢王のそれだ。
「主神様ぁ〜! 摘みたての花冠をお持ちしましたわ!」
「アデル様、喉がお渇きでしょう? 西の神果を絞った極上の神酒ジュースです、はい、あーんしてくださいまし!」
静寂を破り、軽やかな足音とともにテラスへとなだれ込んできたのは、薄絹の衣を纏った美しい女神たちだった。
「ちょ、これ、お前たち……! 私は今、大陸全土の天候配分という極めて重要な神務を行っている最中だ。近寄るな、席を外せと言っているだろう」
アデルは幼い眉をきゅっと寄せて威厳を保とうとするが、女神たちには一切通じない。むしろその背伸びした態度が、彼女たちの庇護欲を激しく刺激してしまうのだ。
「まあまあ、そんなに眉間に皺をお寄せにならないで! ほら、今日のお花はアデル様の髪と同じ、とびきり綺麗な金糸草ですのよ」
「あっ、ずるい! 私の方が先です! アデル様、果実も一口どうぞ!」
ふわりと甘い百合と果実の香りに包まれる。
頭の上には器用に編まれた色鮮やかな花冠がすっぽりと乗せられ、両脇からは瑞々しい果実を掲げた手が伸びてくる。さらには、背後から豊穣を司る女神が柔らかな両腕を回し、その豊満な胸元へとアデルの小さな頭をぎゅっと抱きしめた。
「むぐっ……!? 息が……前が見えん……! は、離れろと言っているだろう……!」
「ふふっ、本当にアデル様はお可愛らしいこと。そんなに無理をしてお仕事ばかりなさらず、わたくしの膝枕で少しお昼寝なさいませんか?」
「わ、私は主神だ! 子供扱いするな……! 威厳というものをだな……っ!」
両手足をじたばたさせて脱出を試みるものの、悲しいかな、十歳の体躯では柔らかな肉の弾力に埋もれるばかりで、まったく抜け出せない。
「こぉーらぁー貴女たちーーッ!! 主神様に何をしていらっしゃるのですかーーッ!?」
テラスの扉が勢いよく蹴破られ、湯気を立てる銀のティーポットを載せたトレイを抱え、側近の女神セレスが血相を変えて突撃してきた。
「セレスティア様、お邪魔虫ですわ!」
「邪魔なものですか! 主神様が窒息しかけていらっしゃるでしょう、今すぐその破廉恥な胸元からお離しなさい! 抜け駆けは神法第十二条違反です!(主神様をぎゅーっと抱きしめていいのは側近である私の役目です!)」
「本音が漏れているぞセレス! あと神法にそのような条文は断じて存在せん!」
アデルが必死に叫ぶが、セレスと女神たちの間で「主神様を誰が膝枕するか」という熾烈な口論が勃発し、テラスは一瞬にして騒乱の極みに達した。
「……やれやれ」
アデルは深いため息をつき、女神たちが互いに牽制し合っている絶妙な隙を見逃さず、机の下をくぐり抜けて音もなくテラスを脱出した。
背後から「ああっ、主神様が逃げられました!」「追いかけましょう!」という黄色い悲鳴が聞こえてきたが、アデルは慣れた足取りで神殿の白亜の回廊を駆け抜けていく。
神界オリュンポリスの主神――。
偉大なる先代の両親からその座を託され、若くして天地を統べる頂点に立ったアデル。神々からも人間からも敬われ、こうして女神たちには過剰なまでに愛でられている。
だが、その重責と孤独を完全に忘れられる時間は、この広大な神界の中でも、たった一箇所にしか存在しなかった。
幾重もの回廊を抜け、神殿の最深部、地下へと続く石段を降りる。
突き当たりに現れたのは、神界最高硬度を誇る神聖鉱石で鋳造された巨大な扉。その表面には、アデル自らが編み上げた絶対不可侵の三重結界が青白く輝いていた。
「【理の鍵よ、我が名において門を開け】」
アデルが小さな指先を翳すと、結界がさらさらと光の粒子となって解け、重厚な扉が音もなく内側へと開く。
足を踏み入れたその場所は――【第一宝物庫】。
表向きは「神界の危険遺物を厳重に封印する禁断の間」とされているが、その実態は、アデルが誰にも知られずに創り上げた、世界でたった一つの『秘密基地』であった。
高い天井のドーム状の部屋には、整然と並ぶ無数の陳列棚。
そこに収められているのは、アデルが気の遠くなるような時間をかけて創りためてきた、五十を超える至宝の数々だった。
紫電の火花を静かに散らす無骨な鉄槌。
純白の光を帯びて静かに横たわる優美な聖剣。
触れた者の因果を絡め取る漆黒の鎖。
静かに時を刻む黄金の砂時計、天を仰ぐ契約の櫃、巨大な青銅の巨神の核――。
「ふぅ……やはりここが一番落ち着くな」
アデルの表情から「賢王」の硬さが消え、年相応の少年の柔らかな光が宿る。
主神としての激務の合間、遠い別次元の神話や伝承を覗き見るのがアデルの唯一の趣味だった。そこに記された英雄たちの武器や奇跡の道具に魅せられ、自らの神威と魂――神核の欠片を少しずつ切り分けて込めることで、模倣し、具現化してきたコレクション。
誰かに自慢するためでも、戦争の道具にするためでもない。
ただ、完璧な神であることを求められた孤独な少年が、自分の手で命を吹き込んだ、愛おしい子供たちのような存在だった。
「おっそーい! 遅いわよ主様! またあの堅物セレスたちに甘やかされて、骨抜きにされてたんじゃないでしょうね!?」
不意に、アデルの右手の中指に嵌められた真鍮の指輪が眩く瞬いた。
光の中からぽんと飛び出してきたのは、身の丈十センチメートルほどの小さな影。
ふわりと広がった豪奢な金髪のツインテールに、生意気そうに吊り上がった琥珀色の瞳。小さな天球儀の杖を携えたその少女は、アデルの肩の上に着地すると、腰に手を当ててぷくーっと頬を膨らませた。
「ラビか。勝手に抜け出すなと言っているだろう」
「ふんだ! あたしはゼロ番、【No.00 アストロラーベ】! この部屋にあるすべての神具たちを統括する、始まりの神器にして長女よ! 主様の肩の上くらい、あたしの定位置なんだから!」
ツインテールを揺らしながら胸を張るラビを見て、アデルは思わず口元を綻ばせた。
「はいはい、分かっている。……それで、至宝たちの様子はどうだ?」
「それがね……」
ラビは肩の上で腕を組み、陳列棚を見渡しながら、ふと真面目な顔つきになって眉をひそめた。
「なんか変なのよ。さっきから、妹たちの波長がざわついてるっていうか……妙に魔力が脈打ってるの。あたしの星図探知にも、神界の外郭結界のあたりから、嫌なノイズが引っかかってて……」
「波長が乱れている……? まさか。ここは私の絶対結界で守られているはずだが……」
アデルが不審に思い、棚の雷槌へと手を伸ばそうとした、その刹那だった。
――ズォォォォォォォォォンッ!!!!
世界そのものが上下にひっくり返ったかと錯覚するほどの、暴力的な激震が走った。
「きゃあっ!?」
「ラビ、掴まっていろ!」
肩から転がり落ちそうになったラビを右手で受け止め、アデルは低く身構える。
神界オリュンポリスは、空間の歪みすら遮断する強固な結界に守られている。大地が揺れることなど、天地創造以来一度たりともあり得ないはずだった。
だが、揺れは収まるどころか、激しさを増していく。
天空がバリバリと音を立てて引き裂かれるような重低音が轟き、神殿全域から、聞いたこともないけたたましい警鐘の音が鳴り響いた。
『――主神様! アデル様、応答してください!!』
脳内に直接、取り乱したセレスの悲鳴のような念話が突き刺さる。
「セレスか! 何が起きた!?」
『神界の外郭結界が……何者かによって内側から破壊されました! 警備の天使たちが一瞬で無力化させられ……くっ、黒い影が……漆黒の神威を纏った何かが、そちらの宝物庫へ向かって猛スピードで直進しています!! 逃げてくださ――きゃああああっ!?』
「セレス!? おい、セレス!!」
念話がぷつりと途切れる。
次の瞬間、宝物庫の頑丈な扉が、内側から紙屑のように吹き飛んだ。
――ゴォォォォォッ!!
轟音とともに噴煙が舞い散り、吹き荒れる爆風がアデルの神衣を激しく引き裂くように煽る。
煙の向こうからゆらりと現れたのは、人の形を模した、底知れぬ漆黒の影だった。
顔も、手足の輪郭すら判然としない。
だが、その影が全身から撒き散らしている圧倒的な神威に、アデルの背筋に冷たい戦慄が走った。
神界オリュンポリスが司る、清らかな調和の神威ではない。
万物を呑み込み、腐食させ、混沌へと還す――純度百パーセントの、深淵の闇。
「神界の最高結界を破り、ここまで侵入するとは……貴様、何者だ!」
アデルは咄嗟に左手を掲げ、神威を展開した。
緑の突風と白銀の光が渦を巻き、影の周囲を取り囲むように幾重もの拘束方陣が浮かび上がる。
だが、黒い影は一歩も足を止めない。
アデルの放った神術は、影の身体に触れた瞬間、ジュッと音を立てて黒い霧の中に霧散してしまった。
『……くく、見つけたぞ。主神の愛しき隠れ家を』
虚空を震わせるように響いたのは、性別すら定かではない、だが底知れぬ嘲弄と悪意を含んだ声だった。
『素晴らしいコレクションだ、アデリオス。お前がその小さな手で、丹精込めて作り上げた五十の玩具たち……』
「私の至宝に手を出すな! 下がれ!」
『冷たいことを言うなよ。我はただ、お前の玩具たちを憐れんでいるだけだ。こんな冷たい棚の中に閉じ込められ、主人の慰み者として眠り続けるだけの命……ふふ、可哀想だとは思わぬか?』
「なに……?」
影がゆっくりと、黒い腕を持ち上げた。
その手の平に、ドス黒い紫色の光球が凝縮されていく。空間そのものが軋み、悲鳴を上げるほどの超高密度の呪詛。
『与えてやろうではないか。光も温もりも知らぬ玩具たちに――血を通わせる肉体を、そして啼き喚く【心】をな!』
「やめろぉぉぉッ!!」
アデルは叫び、全身の魔力を振り絞って突進した。
だが、影から放たれた黒い閃光は、アデルの身体を容易く弾き飛ばし、陳列棚に並ぶ五十の神具たちを真っ向から呑み込んだ。
――ビキィィッ、ドシャァァァァァンッ!!
閃光が弾けた瞬間、信じられない光景がアデルの瞳に焼き付いた。
棚の上で眠っていた雷槌が、聖剣が、大鎌が、砂時計が――黒い呪詛を浴びた途端、眩い光の繭を破り、次々と【人間の少女の姿】へと変貌を遂げていったのだ。
頭に雷のツノを生やした少女。
純白の鎧を纏った金髪の少女。
全身を黒い鎖に縛られた泣き虫な少女。
漆黒の大鎌を抱えて震える少女――。
『あ、熱い……っ! 痛いよぉっ!』
『主様……!? 主様、どこ……!?』
『身体が……痛くて、止まらない……っ! 助けて、主様ぁぁぁっ!!』
急激に肉体と精神を与えられた五十の神器たちが、受肉の激痛と恐怖に耐えかねて絶叫していた。
心など持ったことのなかった無機物が、突然世界の痛覚に晒されたのだ。その精神の悲鳴が、魔力回路を激しく暴走させていく。
「待て! 鎮まれ、お前たち! 私の声を聞け!」
アデルは叫びながら手を伸ばした。
だが、暴走した五十の神威の奔流は、もはや一室に収まりきる規模ではなかった。
『くはははは! 行け、美しき天災たちよ! お前の創った玩具が、お前の愛する世界を蹂躙する様を……特等席で眺めるがいい、アデリオス!』
影の高笑いとともに、五十の少女たちを包む光が臨界点を超えて爆発した。
――カァァァァァッ!!!!
超新星爆発にも匹敵する閃光が宝物庫を満たし、神界オリュンポリスの底が、巨大な円形に吹き飛ばされる。
光の柱となって噴出した五十の至宝は、泣き叫びながら、神界の遥か真下に広がる地上――【創世大陸オルディシア】へと、光の雨となって散り散りに落下していった。
影の気配は、その爆発の余波に紛れて完全に掻き消えていた。
残されたのは、底が抜け、虚空の風が吹き荒れる宝物庫の残骸だけ。
「あ……がっ……!?」
直後、アデルの胸の奥で、何かが決定的に砕け散る音が響いた。
「ぐ、ぁぁぁぁぁぁぁっ……!?」
激痛。
全身の血管に煮え滾る鉛を流し込まれたような衝撃が走り、アデルはたまらず石の床に両膝を突き、激しく吐血した。
五十の至宝は、アデル自身の魂――神核を分け与えて創り上げた半身そのものだった。
それが一斉に強制受肉させられ、大陸全土へと散り散りに引き裂かれたのだ。繋がれていた因果律のパイプラインが一瞬にして全て千切れ飛び、アデルの神核が激しい拒絶反応を起こしていた。
「主様っ!? 主様、しっかりして!!」
肩にしがみついていたラビが、真っ青な顔で叫ぶ。
「嘘でしょ……!? 主様の魔力が……どんどん抜けていっちゃう……! 神威が、留まらないよ……!?」
ラビの言う通りだった。
かつて無限の海のようにアデルの身体を満たしていた調和の神威が、底の抜けた桶のように急速に干上がっていく。
神核の損傷を防ぐための防衛本能が働き、膨大だった魔力炉が強制的に休眠状態へとロックされていくのだ。
かつて無限の天空を満たしていた至高の神威は四散し、さらに傾く神界を支える結界へ魔力を割けば、手元に残る力は全盛期の三割にも満たない。
かつてのように世界を意のままに動かす神威など望むべくもない――最高神にとって、あまりにも致命的な弱体化だった。
「はっ……はっ……くそ、身体が……鉛のように重い……」
荒い息を吐きながら、アデルは震える腕で床を支える。
魔力は枯渇し、立っていることすら辛い。
何より、耳の奥には、今もなお泣き叫びながら地上へと落ちていった少女たちの悲鳴が、焼き付いて離れなかった。
――痛いよぉっ!
――助けて、主様……!
「……誰の……仕業だ……」
アデルは奥歯が砕けんばかりに噛み締め、血の滲む拳で瓦礫の床を強く殴りつけた。
翡翠の瞳に宿る光は、弱まり消えるどころか、かつてない激しい憤怒と決意の炎を灯していた。
「私の……手塩にかけて育てた娘たちを……よくも……!」
神界の最高結界を破れるほどの力を持つ謎の影。
神界の裏切り者か、あるいは外なる世界の侵略者か。正体はまだ分からない。
だが――そんなことは、今の問題ではなかった。
「待っていろ、お前たち……。我が至宝たちよ」
弱体化した小さな身体を軋ませながら、ショタ主神はふらりと立ち上がった。
その小さな背中には、数千年の天秤を背負い続けてきた最高神の、決して揺らぐことのない誇りと覚悟が宿っていた。
「余が必ず……この手で迎えに行ってやる」
吹き荒れる虚空の風の中、傾き始めた神界の不吉な地鳴りが、遠く響き渡っていた。
第1話を最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
平穏な日常から一転、大切な宝物庫を襲撃され、至宝たち(神器美少女たち)を地上へばら撒かれてしまったアデル様。
因果を切断されたことで弱体化してしまいましたが、その瞳に宿る賢王の意志は決して折れていません!
果たしてアデル様は、傾く神界をどうするのか?
そして地上へ散らばって暴走巨獣となってしまった少女たちをどうやって救い出すのか――!?
次回、第2話『光の雨、傾く天秤と下界への決断』に続きます!
よろしくお願いいたします!




