第18話 教師の意地
理事会室へ向かう途中、レオンハルト・ハーグリーヴスは広場の端で足を止めた。
木材が積まれ、その脇で職員が縄を張っている。出店の区画を決めているらしい。
「そこを空けておいてくれ。荷車が通れなくなる」
声が飛び、若い職員が杭を持ち直した。
朱雀祭が近づいていた。
レオンは脇に抱えた書類を確かめ、再び歩き出した。
「では、少人数指導の進捗について報告してもらおう」
理事長エドガー・フォン・リヒトホーフェンが言った。
長い机の周囲には、前回と同じ理事たちが席についていた。
オルガは手元に予算書を置き、レオンの報告書と見比べている。
「朱雀祭の神舞戦には、六人で参加します。
先発はリシアさん、アルタン君、アミラさん、ノア君、メイさん。フェイ君が交代要員です」
「入賞経験のない生徒のみ、という条件は?」
「全員、満たしています」
レオンは資料を一枚めくった。
「前衛がアルタン君とアミラさん、中衛がノア君とメイさん。後衛をリシアさんに任せています」
「幻術師を前衛に?」
商人評議会代表ヴィクトルが顔を上げた。
「はい。相手を倒すことだけが、前衛の仕事ではありません。
アルタン君が一人を引きつけている間に、アミラさんが別の相手を攻めます」
「うまく引きつけられれば、でしょうな」
「ええ。ですから、逃げる方向と戻る経路を練習しています」
ドワーフ代表のコウセツが資料を覗き込んだ。
「倒すより、追わせる方が得意な者もおるわな」
「本人も、そちらの方が楽しそうです」
レオンが答えると、何人かが口元を緩めた。
「ノア君は、その隙を作る役です。相手の足元に小さな結界を置き、踏み込みを遅らせます」
「魔力量十二、とありますが」
ヴィクトルの指が、報告書の一行を押さえた。
「はい」
「何度も使えるものですか?」
「回数には注意が必要です。疲労を確認しながら、使う場面を絞っています」
「その小さな結界で、上級生を止められると?」
「長くは止められません。ただ、アミラさんが間合いに入る時間は作れます」
「なるほど」
ヴィクトルは椅子に座り直した。
「個々の力を組み合わせる方針は分かりました。
ですが、相手にも連携があります。こちらの予定どおりに動いてくれるとは限らない」
「おっしゃるとおりです」
「崩された場合は?」
「まだ立て直しが遅れます。今は、合図と退路の確認を優先しています」
レオンは資料を閉じずに置いた。
「先日の練習でも、煙幕で味方の視界まで塞いでしまいました。
外から見ていたフェイ君の指摘で、使う位置を変えています」
「交代要員にも、役割を与えているわけですね」
教育長官イザベルが言った。
「フェイ君が、自分で気づいて教えてくれたんです」
「それは結構なことです」
イザベルは頷いた。
「ただ、現状では、まだ完成したチームではない」
「ええ」
ヴィクトルが、指先で報告書を揃えた。
「その状態で、ベスト四に届くとお考えですか?」
レオンは、机の上で両手を揃えた。
「届くように、指導を続けます」
「それは決意でしょう。私が伺っているのは、見込みです」
ヴィクトルの声は落ち着いていた。
「少人数指導に時間を割き、設備も使用している。
継続を判断する立場として、成果を求めるのは当然だと思いますが」
「はい。承知しています」
「では、現時点で、何を成果として挙げられますか?」
「以前はできなかった連携が、一つずつできるようになっています。
各人の課題も、具体的になりました」
レオンは報告書の一か所を示した。
「先日の練習では、アミラさんがノア君の合図を待ちました。
それまでは、自分の判断で踏み込んでいたんです」
「それが、ベスト四につながると?」
「少なくとも、一人では作れなかった攻撃の機会が生まれました。
その動きを、繰り返せるようにしたいと考えています」
「お話は分かりました」
イザベルが口を開いた。
「ただ、それは授業としての成果でしょう。大会で勝つための実力とは、別ではありませんか」
レオンは彼女を見た。
「合図を待つことも、味方と攻撃を合わせることも、競技に必要な実力です」
「もちろんです。ですが、それは他のチームも行っていることです」
イザベルは資料へ目を落とした。
「ようやく連携の基礎を学び始めた生徒を、
長く競技に取り組んできた生徒たちと同じ舞台に立たせる。そのリスクを、どうお考えですか?」
「負ける可能性はあります。ですから、負けた場合に何を振り返るかも、私の仕事だと思っています」
「敗北を学びに変える。それ自体は大切ですね」
イザベルは穏やかに頷いた。
「ただ、大きな敗北によって、立ち直れなくなる生徒もいます。
挑戦させればよい、というものでもありません」
「ええ。参加を無理強いするつもりはありません。六人には、それぞれ意思を確認しています」
「本人が希望することと、その競技に向いていることは、分けて考える必要があります」
レオンは、すぐには答えなかった。
イザベルは顔を上げた。
「先生ご自身も、魔力量のことで苦労されたのでしょう?」
「……それと、今回の編成は別の話です」
「そうでしょうか。過去のトラウマを、生徒への期待に重ねてしまうこともあります。
ご自身では、気づきにくいものですよ」
レオンは、名簿に置いた指を引いた。
「私は、あの子たちの訓練を見て判断しています」
「ええ。その熱意は評価しています。ただ、エビデンスと願望は分けていただかないと。
生徒に必要なのは、先生の自己実現ではありませんから」
机の向こうで、マッテオが顔を上げた。
「イザベル大臣。先生の動機については――」
「責めているのではありません」
イザベルは答えた。
「ご自身と似た境遇の生徒を応援したくなるお気持ちは、理解できます。
ですが、それを適性の評価と混同されては困ります」
「同情で選んだのではありません」
レオンが言った。
「ええ。先生ご自身は、そうお考えなのでしょうね」
レオンは口を開きかけた。
一度、閉じる。
報告書を手元へ引き寄せ、名簿と並べた。
「ノア君の魔力量が多ければ、別の役割を考えたかもしれません」
ゆっくりと言った。
「ですが、今、彼ができることを見て、この役割を任せています。
アミラさんにも、メイさんにも、同じように判断しています」
「先生の評価基準は分かりました」
イザベルは言った。
「それが妥当かどうかを、私たちは伺っているのです」
レオンは報告書の端を揃えた。
ヴィクトルが身を乗り出した。
「私も、可能性がないと申し上げているわけではありません。
限られた時間で、どこまで引き出せるのか。それを確認したいのです」
「訓練の記録も添付しています。もし必要であれば、実際に――」
「成長した、努力した。それだけでは、判断ができません」
ヴィクトルは六人の名簿へ目を落とした。
「指導法を試すのであれば、なおさらです。勝てなかった後で、よい経験になりました、では困ります。生徒を教育改革の実験に付き合わせただけになってしまう」
レオンの手が止まった。
ノアが小さな結界を出したとき、アミラは一歩止まった。
その一歩で何ができるかと尋ねると、彼女は木剣を構えた。
フェイは練習の外から、戻る道を見つけた。
リシアは仲間の意見を聞き、次の動きを考えていた。
あの場で、自分の指導法の正しさを証明しようとしていた生徒など、一人もいなかった。
レオンはヴィクトルへ向き直った。
「……彼らは、実験のために集まったのではありません」
「その点は理解しています」
「勝ちたいと言って、自分で参加を決めたんです」
「だからこそ、指導する側の責任を――」
「分かっています」
思ったより強い声が出た。
ヴィクトルが口を閉じた。
レオンは顔を上げた。
「私の指導の良し悪しを問われることに、異論はありません。
ですが、あの子たちが挑戦することまで、同情や実験で片づけないでいただきたい」
イザベルが眉を寄せた。
「レオン先生。感情的になられては、建設的な話し合いが――」
「結果は出します」
レオンが言った。
「必ず、ベスト四に入ります」
室内が静かになった。
エドガーが口を開いた。
「その言葉は頼もしい。だが、届かなかった場合についても、確認しておこう」
「……はい」
「生徒に責任を負わせるものではない。問われるのは、君の指導と、この取り組みを今後どうするかだ」
レオンは机に手を置いた。
「結果を出せんかったら、僕が責任を取ります」
マッテオが身を起こした。
「責任とは、具体的に?」
エドガーが尋ねた。
レオンは一度、唇を結んだ。
机の向こうに、名簿を手にしたヴィクトルがいた。
「改革担当も……辞めたるで!」
ばん、と机が鳴った。
財務長官オルガの筆が止まった。
イザベルは目を見開き、ヴィクトルも名簿から顔を上げていた。
レオンは、自分の手を見た。
机の上で、報告書の端が折れていた。
「…………」
ゆっくりと手を引いた。
「……失礼しました」
誰も答えなかった。
「少々、感情的になりました」
レオンは頭を下げた。
視線を戻した先に、叩いた机があった。
「机は……大丈夫でしょうか」
「わしらの作った机じゃ」
コウセツが言った。
「そう簡単には壊れん」
「……ありがとうございます」
エドガーが小さく咳払いした。
「今の発言は、正式な申し出として受け取ってよいのかね」
レオンは黙った。
学園長マッテオが口を開く。
「理事長。今のは、感情が高ぶった中での発言です。いったん――」
「いえ」
レオンは言った。
「自分で申し上げたことです」
エドガーは、しばらく彼を見ていた。
「……分かった。発言は記録する。ただし、この場で進退を決めることはしない。
大会の順位だけで判断するつもりもない」
オルガの筆が、再び動いた。
「結果と報告を踏まえ、改めて協議する。よいな」
「はい」
エルフ代表セレスティアが名簿を置いた。
「私も、実際の試合を見てから判断したいと思います」
「わしもじゃ」
コウセツが頷く。
「せっかく六人で工夫したんじゃろう。見せてもらわんとのう」
「ありがとうございます」
レオンは頭を下げた。
イザベルは何か言いかけたが、口を閉じた。
ヴィクトルは報告書を揃え直していた。
ロデリックは、手元の資料を閉じた。
その目が一度レオンへ向いたが、何も言わなかった。
廊下へ出ると、レオンは大きく息を吐いた。
「……やってしまいましたね」
「まったくだよ」
マッテオが答えた。
「申し訳ありません」
「机を叩いたことだけを言っているのではない」
「はい」
「君の指導を続けるかどうかと、一試合の勝ち負けは、同じ話ではないんだ」
レオンは脇に抱えた書類を見た。
「……はい」
マッテオは、少し歩いてから続けた。
「私も、止めるのが遅れた」
レオンは顔を上げた。
「いえ。あの発言は、私がしたことです」
「だから、今から整理しなさい。発言の趣旨を書面で出すことはできる。今日は頭を冷やすんだ」
「分かりました」
マッテオは立ち止まった。
「それから、生徒の前で同じことを言わないように」
「言いません」
今度は、すぐに答えた。
職員室へ戻ると、レオンは訓練記録を机に広げた。
午後の練習で確認する項目を、まだ書き終えていなかった。
筆を取ったところで、扉が開く。
「レオン先生」
セレナだった。
まっすぐ机の前まで来ると、少し声を落とした。
「理事会で、何をおっしゃったんですか」
レオンは筆を置いた。
「……お聞きになりましたか」
「学園長先生から。負けたら改革担当を辞める、と」
「ベスト四に届かなかったら、という話です」
「そこを言い直しても同じです」
レオンは小さく頭を下げた。
「すみません」
セレナは机の上を見た。
六人の名が書かれた記録用紙。
その横に置かれた、理事会への報告書。
「……あの子たちのことで、何か言われたんですね」
レオンは顔を上げた。
「どうして、そう思うんです?」
「先生は、自分の魔力量を何か言われても、そんなふうには怒らないでしょう」
レオンは答えなかった。
セレナは椅子を引いた。
「座っても?」
「ええ」
しばらく、二人とも黙っていた。
「私も、あの子たちには勝ってほしいです」
セレナが言った。
「はい」
「でも、先生が辞めるかどうかまで、背負わせないでください」
「……その話は、しないつもりです」
「聞かれてしまうかもしれません。先生がいくら黙っていても、理事会で話したのでしょう?」
レオンは報告書へ目を落とした。
折れた端を、指で伸ばした。
「そうですね」
「ノアさんなら、自分が失敗したら先生が辞める、と考えますよ」
指が止まった。
先発を決めたとき、真っ先に控えを申し出たノアの顔が浮かんだ。
「……困りましたね」
「困ります」
セレナは言った。
「あの子たちをかばいたかったことは、分かります。
でも、先生のために勝たなければいけない試合には、しないでください」
レオンはしばらく、折れ目の残った紙を見ていた。
「はい」
やがて、頷いた。
「学園長先生にも、発言を整理して出すようにと言われました」
「そうしてください」
レオンは報告書を脇へ寄せ、白い紙を一枚出した。
セレナが、ようやく少し肩の力を抜いた。
「……先生も、勢いで言ってしまうことがあるんですね」
「私も、驚いています」
「そこは驚いていないで、気をつけてください」
「はい」
セレナは立ち上がった。
「次は、机を叩く前に一度、息を吐いてください」
「分かりました」
「できれば、私にも相談を」
レオンが顔を上げる。
セレナは抱えていた書類を持ち直した。
「……後から聞く方も、心配しますので」
「ありがとうございます」
レオンが答えると、彼女は小さく会釈した。
夕方、訓練場へ向かうと、中から声が聞こえた。
「待って。今、アルタン先輩が戻ります!」
「おう、空けといてくれ!」
「メイ、煙幕はもう少し横だよ」
「分かってる!」
レオンは入口で足を止めた。
ノアが手を上げる。
アミラは、その横を通り過ぎずに待った。
「今です!」
小さな結界に膝を取られ、標的の動きが止まった。
アミラが踏み込む。
木剣が標的を捉えた。
その後ろで、リシアが杖を下ろす。
「あ……今なら、私も撃てたわね」
「はい。射線は空いていました」
外で見ていたフェイが答えた。
「もう一度、同じ動きをしてみる?」
「次も同じになるとは限らないわ。まず、アルタンが戻る場所を――」
「先生!」
ノアが入口に気づいた。
皆が振り返る。
「お帰りなさい!」
「ただいま戻りました」
レオンは中へ入った。
「先生、今の見ましたか?」
アミラが尋ねた。
「ええ。ノア君の合図を待てましたね」
「はい!」
「その後、どこへ動くつもりでしたか?」
アミラは倒れた標的を見た。
次に、リシアのいる後方へ目を向ける。
「……そこまでは、まだ」
「では、その続きを練習しましょう」
レオンは持ってきた書類を、壁際に置いた。
上には、今日も確認することが並んでいる。
戻る場所。
合図の声。
疲れたときの交代。
「一度、水を飲んでください。その後で、今の配置に戻りましょう」
「はい!」
六人が、それぞれ荷物の方へ向かった。
フェイは水筒を取る前に、記録用紙へ何かを書きつけていた。
アミラがその横から覗き込む。
「今の、どこに戻ればよかったと思いますか?」
「アルタン先輩の戻り方にもよりますけど……ここなら、リシア先輩の前も空けられると思います」
「わし、次はこっちから戻るき」
「では、その場所は私が見ておくわ」
レオンは床に残った線を見下ろした。
六人の話を聞きながら、次の動きに必要な印を一つ加えた。
――第18話・完――




