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心と君と真実と

僕は気づいた。先のデートの誘いが、どれほど彼女にとって大事なものだったかということに。

 そう、それは彼女にとって、最後の意思表示の機会だった。「取引」の約束が、どのように収束するかを決める、大事な時がやっていたのだった。

 僕の心にかすかに残る疑い――つまり彼女が僕のことを好きなのではなく、ただ弄んでいるだけなのではないかという考えは、次第に薄らいではいったものの、今度は猜疑心ではなく自分への不安としてそれが残った。

 僕なんか冴えない男が、あれほどの美少女に好かれることがあるのか。初めからあったその疑問が、フィナーレを前にした今心配事となって自分の身に降ってきている。


 それからの一週間は、とても長かった。時々は彼女とのデートに心を踊らせたりもしたが、大体は不安で落ち着かない気持ちを抱きながら過ごした。

 梅雨真最中の夜の空には、強い雨が降っている。大粒の雨が地面を打ちつける音を、僕は自室から聞いていた。

 雨粒が降っては散り、降っては散っているように聞こえる。絶える気配のない雨音は、本来なら孤独とは結び付けられることはないはずなのに、僕は雨粒を孤独の象徴のように感じた。

 散る雨粒の散った先が、孤独なのだろうと連想したからだ。


 自分の中にあるようでいて、実はどこか遠くに浮かんでしまっているような気持ちを抱えながら、僕は学校に通った。その日は、金曜日だった。

 珍しく天気が良かったこの日も、僕は複雑な感情に襲われて、それを紛らわすために、放課後屋上に行った。昼休みならまだしも、放課後の屋上にはまず人は来ない。

 平面的に見慣れた街を、屋上から鳥瞰する。いつもよりも心地よい風を浴びる。そうやってありふれているようで新鮮なものを見て、僕は心を紛らわそうとした。


 すると、

「だーれだ?」

 突然視界が真っ暗になる。何かに包み込まれたような感覚。そして、そろそろ耳に馴染んできたあの女子の声が聞こえた。

「滝沢か?」

 僕は極めて冷静に答えた。面白いことに、僕は滝沢のことに心を乱しているというのに、いざ本人を前にしてみても、焦りの情が沸くことはなかった。

「あれ、元気ないのかな?エイくん?」

「そんなことはないけど。」

 僕は、ただ小さな悩みを抱えている一青年に過ぎない。

「それじゃあ、何か悩みでもあるの?」

 見事に見透かされた。本当に滝沢は、僕よりも一枚も二枚も上手である気がする。

「それほどでも。」

「それはあるってこと?」

「……」

 僕は黙った。すると滝沢は、優しい笑顔を僕に向けてきた。

 そして今度は一転して真剣な表情を僕に向けてくる。

「もし何か悩みがあるのなら、私に言ってほしい。」


「私は、エイくんと気持ちを共有したいから……」

 それまで冷淡だった僕の心が、ぐっと打たれた。これは、――僕の勘違いでないなら――僕のことを真摯に思ってくれているからこその発言なのだろう。

「でも、本当に些細なことだよ?たき……君にとっては。」

 なぜか「滝沢」と口にするのが突然恥ずかしくなってしまった。

「それでもいい。」

「本当?」

「本当。」

「じゃあ――」

 中途半端な合図をして、僕は彼女に悩みを打ち明けた。突然僕は口下手になって、単純な話が少し冗長になった。

「つまり、私とのデートが不安ってこと?」

 ……確かに、それもある。ただ僕の本当の悩みは、彼女に意思決定にどう答えるか――つまり本当に取引が「成立」したら、僕はどうすべきなのかということだった。でも本心がうまく伝わらなかったのを良いことに、これは伝えないでおくことにした。

「ま、まあ。」

 少し後ろめたい気持ちで曖昧な返事を返す。そのまま無難な会話が続くと思った。


「うん、小さいことかもしれないけど、エイくんは本当に悩んでいるんだ、分かるよ。」

「でも」

「エイくんは自然にしていればいい、大丈夫、私はあなたが好きなんだから。」

 突然の告白に、僕は顔が真っ赤になった。それをいじられるかもしれないと思ったが、滝沢も同じ状態だった。

 今まで僕が滝沢の気持ちを疑ってきたのが申し訳なくなるくらい、真摯で真実味のある言葉だった。

 混乱した僕は、オウム返しをした。

「僕のことが好き?」

「うん、好きだよ。」

 目の前の女の子は本当に真剣で、本当に可愛らしかった。僕はとてもドキドキした。

 今まで僕はずっと自分の気持ちが分からなかった。具体的には、滝沢に対してどう思っているのかが分からなかった。

 しばし、気まずい時間が流れる。

 気がつけば、次の一歩を踏み出すのには、多大な勇気が必要になっていた。

 彼女のスカートが風に揺れる。それは、何らかの時の区切りを告げているようだった。


 今までに味わったことのないような気持ちに襲われた。羞恥心に近い。でもそうではない。何かを愛おしく思う気持ちに近い。でもそれとは程度が違いすぎる。

 何かを感じるというより、苦しかった。何か一つの大事なものに、心を縛りつけられてしまったかのような気持ち。

 僕は気づく。と同時に、これ以上胸にこの気持ちを堪えておくのが辛く感じた。

「分かった」

「えっ?」

「分かったんだ」

 

僕はじっと滝沢の瞳を真っ直ぐ見据えて言う。


「勇気を出さないのは、僕の方だったんだ」

 屋上に佇む二人は、沈黙を告げる冷たい風に吹かれる。

 僕は口元まで舞い上がってくるその冷たい空気を存分に吸い込んだ。しかし吹っ切りがつかず、また息を吐いた。

 息遣いを深呼吸にシフトして、僕は心を落ち着かせる。そうして僕が肝心な言葉を発しようとした、そのときであった。

 滝沢は僕にもう一歩分擦り寄って、華奢な右腕を僕の方へ伸ばした。そうして曖昧に開かれた白い右手から、人差し指をちょこんと突き出して、僕の唇に添えた。

「フライング、だね」

 少しおちゃらけた感じで僕と目を合わせてくる。魔法にかけられたかのように口の動きを封じられた僕は、たた黙って滝沢の言葉に耳を傾けていた。


「大事なことは然るべきときに言うものよ」

 今度は真剣な面持ちで彼女が言った。

 時々僕をからかうかのような振る舞いをする滝沢。そんな彼女が、時折見せる真剣な眼差し。そんな姿に振り回されてきた僕だった。

 今はどうだろう。――僕はやはり、彼女の言葉一つ一つを重大に感じずにはいられなかった。

 すると、滝沢は下を向いて、珍しく僕に聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、ぼそっとしゃべった。

「私はエイくんが好き……」

 恍惚とした表情と、さっきの真剣な面持ちが半分ずつ混ざったかのような顔をしながら、彼女は言った。


 いつもはふざけているようなトーンでやってくる愛の告白。

 でも今の言葉は、本心からこぼれ出てしまった感情のようにも思えた。

 再び滝沢が顔を上げる。そして明るい笑顔を僕に向けた。

「あ、デート場所は考えた?私はさっき言ったとおり、どこでも平気だからね」

「う、うん、その、なんかごめん」

 僕の口から出たよく分からない謝罪の言葉は、彼女も無視をした。真意を聞かれても困るのだから、これは好都合なのだろう。

「えっと、じゃあ、場所決まったら連絡してね!」

 気まずい空気を打破するかのように彼女が繕った明るさを以って言う。

 続く言葉もしばらくは放たれなかった。僕はただ、目の前で目まぐるしく展開する滝沢の様子の変化を観察することしかできなかった。

 急に、滝沢が気恥ずかしそうに言う。

「じゃ、じゃあね!!」

 そう言って彼女は屋上から一人去っていった。


 僕はその場に立ち尽くして、彼女に向かって、言葉にならない別れの音声と申し訳程度に振った腕で、僕と彼女を隔てる空気に会釈をした。


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